『斬(ざん)』

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オレが「ハ ウ ル の 動 く 城」をつまらないと感じた理由(わけ)

2006年08月27日 | 雑感
 先日、TV 放映された「ハウルの動く城」ですが、久々にライブで TV 映画ってのを観ました。映画公開時の評判のことはあまり考えずに、真っ白な状態で観たのですが、観終わった感想は「あれれ?」と拍子抜け。そこで思い出しました。

 そーいえば、劇場に観に行った知人が、
『同時期にやってた「ポーラー・エクスプレス」のほうが良かったよ。ハウルは何か物足りない。ってか「うーん」と何か納得いかない感じ』
 と言っていたな。まさしく、オレもそんな感じ。

 それで、宮崎アニメについてちょっと考えてみた。宮崎アニメって、いつの頃からか公開前の宣伝は、これでもかというくらい、あおり気味に話題作と盛り上げるけど、結局観てみるとそれ程でも無いなってのが多くなった。宮崎駿さんが監督した作品(Wikipedia:長編アニメーション映画)を見てみると、オレの場合は、「紅の豚」以降の「もののけ姫」あたりから、「?」が続いている。

 原因を考えてみた。

1 声役に声優初挑戦俳優を起用
2 ストーリー展開が突飛過ぎる
3 期待感が強すぎる
4 一度見ただけでは掴みきれない


 が上がった。


◆1 声役に声優初挑戦俳優を起用
 これは、オレが述べなくても、既に多くのところで語られてることでしょうけど…… 自分なりに思うことを書く。「となりのトトロ」から、その兆しが見えた。あえて誰とは言わないが、観れば分る。ただ主役では無かったし、他の声優陣が優れていたので、その棒読みさが目立ってしまった感は否めない。

 「魔女の宅急便」では、実力派声優陣で固め盛り返すも、次の「紅の豚」では、少し気になる人がいた。でも、こちらは森山周一郎さんの渋さでよしとする。で、問題なのが「もののけ姫」である。多くは語るまい。ダメなものはダメだ。俳優が悪いんじゃない、選んだほうが悪いんだ。無理だったんだ、未だね。で、「千と千尋の神隠し」。正直語れるほど観ていないので何ともだが、ヒドイというイメージは無いのでよかったのかもしれない。

 で、今回の「ハウルの動く城」。どうでしょうね。木村拓哉さんは、よくやったと思う。声優初挑戦にしては上手かったし、あまり違和感がなかった。問題はソフィー役でありまして…… やっぱりお婆さんの時と実年齢時では、声優を分けたほうが良かったかなと思う。これは、宮崎アニメでいつも思うのだが、話題性も重要だろうが、やはり配役ってのはもっと重要であり、それ専門の声優さんを使ったほうがいいと思う。ただでさえ、声優さんって立場弱いんだから。そーゆー表舞台に上げるチャンスをあげてもいいんじゃないかと。それは、起用した俳優さんが声優さん並に立派にこなしていたなら何も思わないんだがね。作品としての完成度として、「声優がなぁー」ってのは、あるんだよね。そこでシラけてしまい、映画の中から現実に戻ってしまうのは、勿体無い。


◆2 ストーリー展開が突飛過ぎる
 「紅の豚」までは、とても単純で一度観れば話はわかる。単純ではあるが、そこが面白かった。やはり「もののけ姫」からである。テーマが複雑すぎる。確か監督自身も、テーマをたくさん詰め込み過ぎたと仰っていたかと思うが、あれは、主となるものがはっきりしていなかった。このあたりから「あれれ?」になった。続く「千と千尋~」「ハウル~」も同様。何でそこから急にそーゆー展開になるの?ってのが、見受けられ観ている方は付いていけない場面があった。


◆3 期待感が強すぎる
 既に前述しているが、宮崎アニメということで、過度の宣伝、盛り上げ方が仇になって、逆に肩透かしを食らう。期待を持たせておいて、観てみるとそれ程でもないってのが、やはり「もののけ姫」あたりから感じる。


◆4 一度見ただけでは掴みきれない
 今回の「ハウル~」にしてもそうなのだが、2度3度観れば、伏線が分ったりすることが多い。伏線があるのは醍醐味やささやかな楽しみではあるのだけど、ストーリーの重要な部分に関わっていることもあるので、伏線にしてしまうと分かりづらさがやたら目立ちます。展開が突飛なのとも関連があるが、伏線を覚えていないとなぜそうなったのか理解できずに置いてけぼりを食らう。話の骨格部分は、太く真っ直ぐにしておかないと筋が折れてしまうよ。


―――と、ここまで書いてなんなのですが、先程「ハウルの動く城」の2回目を何気に小学生の子供と一緒に観る機会がありました。TV 放映後に気になって色々調べていてハウルの動く城 FAQ集の一部を、既に読んでいたわけですが、初回に観た時よりも、結構楽しめました。それは、伏線をそこで知ったから楽しめたのですが、この辺りは何度も観てもらうことを意識して作ったのかな?と思いましたね。つまり DVD で観てもらう前提。戦略だったのかな?と。で、一緒に観てた小学生の子供なんですけど、純粋ですね。オレのようにケチつけるんじゃなくて、真剣に見入ってました。たぶんストーリーなんてあまり分らないだろうけど、アニメーションの動き自体が面白いんでしょうね。確かに、子供の拙い情報知識範囲で観れば、ストーリーは単純に見えるのかもしれません。大人のように理屈によるつながりや展開を頭で考えてしまうから楽しめないんでしょうね。

 結局のところ、オレが「ハウルの動く城」をつまらないと思ったのは、それだけオレが純粋に観られなくなっただけなんだな、と。アニメはやっぱり子供が楽しめて何ぼです。評論家気取りの薀蓄たれは眼中に無いんだな。それでいい。
 ま、薀蓄たれにも何か語れるようにあえてツッコマビリティを入れてるってことで、やっぱり凄いんだなって思うことにしますよ。


追伸
あ、「ゲド戦記」ですか、観に行くわけないじゃないですか。TV で充分ですよ。オレにとっての宮崎アニメはね。あ、息子さんですか、そうですか。

なぜ「なんでもExcel(エクセル)」なのかを考える (後編)

2006年07月23日 | 雑感
 前編はこちら


 ま、一番の問題は罫線なんですけどね。Word で最初につまずくのは、そのハードルが超えられないから、罫線がしやすい Excel で書いてしまうのです。
138 :名無しさん@そうだ選挙にいこう :2006/06/29(木) 13:37:24
(中略)
何を使うかは、どんな表をどういった使い方をするかで
決めていくものであって、まずソフト有りきは本末転倒。
ここのヤツに言ったて分らんだろうが。
表つくるならWord と Excel どっち使う?

 ということで、文章作るのに、どんなツール(ソフト)を使おうが、最終的に本人がよければいいじゃないの?って思いますよ。

 以前オレは、『眞鍋さんのブログにトラックバックしてもアクセスなんて増えないよ』の中で、ブログの記事を書くのに Word で書くことに苦言を呈しています。しかし、それは Word で書いてることがいけないのではなく、最初から記事を書くなら、もっといい適してるアプリケーションを使ったほうがいい、ということであって、今まで Word で書いていて、それで不便でなければそれでいい、と思います。

 よく「Word が使えないソフトって言ってるヤツは、Word を使いこなすスキルが無い事の言い訳だ」と書かれているのを見ますが、合っているけど、ちと疑問。それは自動車で言えば「最大トルクの設定」(最大のパワーを必要とする値)が違うんだと思います。もっとも一般層に受け入れられるトルク値ではなく、もっと上に設定しているため、乗り心地(使い心地)が悪く、「使えない」になってしまうのです。

 だから、何でも Excel が悪いのではなく、Word が悪いのが根源なんです。

  ……とか、書くと Excel も…… って突っ込まれそうだな。


[参考]
あんたジャージでどこ行くの: トンデモ本
がんばれ!アドミンくん 第31話 - @IT

なぜ「なんでも Excel (エクセル)」なのかを考える (前編)

2006年07月21日 | 雑感
 文章作成といえば多くの場合に、microsoft の アプリケーションソフト Word を用いるのが一般的かと思いますが、文章作成に Excel を用いる人も多い。
 何でもかんでもPowerPoint症候群の弊害を日記で書いたのだが、それよりも世の中に広く広まっている病的な物と言えば、なんでもかんでもExcel症候群であろう。とにかく通常の表だけに飽きたらず、提出書類から報告書まで何でもかんでもExcelなのである。つまり「何でもかんでもExcel症候群」とはExcelだけですべての仕事が完結してしまう恐ろしい病気なのだ。

 その病巣の由来を簡単に予想するとすれば、子供の頃に升目の入ったノートで漢字の書き取りをやらされ(つまりカーニングとかに無頓着になる)、読書感想文などの類は原稿用紙で書かされ、漢字は少ない文字数で情報量を詰め込めることからすっきりとした表が書きやすく、何でもかんでも表にしないと気が済まないという日本人の悲しい習性に由来する物であろうと思うのだ。
なんでもかんでもExcel症候群:けんたろうのへや Diary of 2005/11/22

と、ここではその由来を予想されているのだけれど、オレは違うと思ったのです。結論から言えば

  Word が文章作成ソフトとしては、初級者に対して敷居が高い

が原因だと思います。“Word が(文章作成ソフトとして)使えないソフト”という話は巷でよく耳にしますが、それは厳密には“使いこなせない”でしょう。では、なぜ“使いこなせない”かというと、“わかりづらい”または“覚えにくい”からでしょう。そして、最も重要なのがニーズにあっていないからだと思います。

 Word は“フェラーリの操作性を持ったカローラ”だと思っています。つまり、大衆車であるのに、扱いづらいという事です。フェラーリと言えば、「跳ね馬」の愛称で親しまれているエンブレム同様、一般的に運転しにくい車として有名です。で、カローラ(今ならヴィッツといったほうがいいのかな?)は、誰でも使いやすく乗りやすいように作られている。操作性もよく初心者でも扱いやすい。

 しかし、Word は幸か不幸か、グローバルに普及してしまった文章作成ソフト。日本語なんて日本でしかほとんど使わないけど、文章を作る場合は、世界で流通してしまった Word で書かないといけない場合が多い。しかし、そこは“フェラーリ並みの操作性”ですから、多くの場合は使いこなせない。ってか、ご近所にちょっと買出しに行くのに“わざわざフェラーリ”でもないのである。

 結局は、文章作成を重点的に必要とする人にとっては、流通してる Word を覚え、使いこなせるようになるけど、それほど文章作成する必要が無く、必要に迫られた場合にのみ使うくらいでは、使いづらいし覚えにくいソフトなのです。なので、文章作成ソフトではないけれど、Excel で書いたほうが早いし、楽だから Excel で文章を書くのです。

 ほとんど結論は出ていますが、後編へつづく

オレが更新を休止した理由 8(■やりたいことがなかなか出来ない)

2006年04月23日 | 雑感
 初めて読む方は『オレが更新を休止した理由 1(■三年目に向けて)』からお読みください。

■やりたいことがなかなか出来ない

 時間が出来たらやりたいことが、いっぱいありました。

・はてなブックマークを付けたい
・そのタグ付けを考えたい
・タグについての試験的な実験も試してみたい
・過去記事を見直したい
・ローカルのファイル整理をしたい
・後でじっくり読みたい記事を読みたい
・ゆったりと面白い興味ある記事について考えたい
・本家カテゴリの見直しをしたい

などなど、ブログとブログに関わるネット関連のことだけで、やりたい事がいっぱいあり過ぎです。でも一日の時間は限られていて、ついつい流されてしまう事も多く、後回しにしてしまうことが増えました。効率よくする方法が思うように浮かばず、いつもと同じ事を繰り返してるうちに、キャパオーバーが続いて、フリーズ寸前でした。かなり自分自身で限界だったんです。

つづく

オレが更新を休止した理由 7(■更新休止で見えてくること)

2006年04月22日 | 雑感
 初めて読む方は『オレが更新を休止した理由 1(■三年目に向けて)』からお読みください。

■更新休止で見えてくること

 更新休止で、いろいろと考えたい事がありました。実質、今までの更新休止は、ネットをつなげる時間が無いからという、仕方ない理由でした。しかし、今回はやろうと思えばいつでもやれる状態での更新休止なのです。更新というプレッシャーから解放され、一ROMラーに戻ってみると、何か今までとは違うものが見えてくるんじゃないかという思いもありました。

 だらだら続けるのではなく、一旦区切ることで、大きく見直しを図るのも悪くない。そのためには、休み立ち止まってみる期間が必要だったのです。器用な方なら、ブログを更新しながら、少しづつ方向性を変えたり出来るでしょう。しかし、オレには厳しかった。2月から徐々に変更していこうと思っていましたが、結局ズルズルで変えられないまま時間だけが過ぎていきました。

 なので、今後が見えてくるまで暫く休む事に決めました。

つづく

オレが更新を休止した理由 6(■余裕の無さ)

2006年04月21日 | 雑感
 初めて読む方は『オレが更新を休止した理由 1(■三年目に向けて)』からお読みください。

■余裕の無さ

 更新休止記事を上げたのも、その上げる切っ掛けで「カチン」ときたのも、全て余裕が無かったんです。そんなことを続けていてもいい事はないし、自分でも面白くありません。やるほうがそんな状態では、見てるほうにも迷惑でしょう。いい記事も書けないでしょうし、全てが悪循環に陥っていたのです。

 一旦立ち止まる勇気。結局は、切っ掛けが無ければズルズルしていたでしょうから、あれは一種のショック療法的な注意信号だったんだな、と後で思うことができ良かったです。

つづく

オレが更新を休止した理由 5(■些細なきっかけ)

2006年04月20日 | 雑感
 初めて読む方は『オレが更新を休止した理由 1(■三年目に向けて)』からお読みください。

■些細なきっかけ

 更新休止を決めたのは、4月1日。更新休止記事は、書いて直ぐに投稿しました。自分の中では、記事を即投稿するのは、異例なことです。多くの場合は、最低一日は寝かせて推敲してから投稿しているからです。

 で、そのきっかけは些細なことでした。詳しくは述べませんが、ちょっと「カチン」ときたことがあって、脊髄反射的に更新休止記事を上げました。その時は、最初「えーい、閉鎖しちゃおっかな」くらいな気持ちでした。でも、今までの経験上「脊髄反射による軽率な判断とその行動は後日後悔しかねない」ということが染み付いていたので、何とか閉鎖は回避されました。その代わりに紛らわしいエイプリールフールの日に更新休止宣言をすることにしました。

 結局は、ブログに逃避していて、時間を詰め込んだために、忙しさのせいでペースが崩れていて冷静な判断力が低下していたんだなぁ、と記事を上げてから改めて実感。更新休止という選択は間違ってなかったかな、と閉鎖するという脊髄反射をしなくて良かったと思っています。

つづく

オレが更新を休止した理由 4(■脊髄反射)

2006年04月19日 | 雑感
 初めて読む方は『オレが更新を休止した理由 1(■三年目に向けて)』からお読みください。

■脊髄反射

 現在、分家を公開制にしてブログの並行運営を行っています。それとは別に以前から PASS 制で行ってるブログがあります(分家の非公開版です)。これらの運営が■現実逃避で書いたことからも分るように、作業量を増やす結果を招き、うまくいっていません。特に新規ではじめた分家では、自分の思っていたよりハードな作業量で、自分自身で感じるイージーミスが目立ちます。

 オープンにすべき内容とすべきでない内容について自分なりの線引きが曖昧なため、よくチェックせず公開してしまい、脊髄反射的な内容で失敗したと公開後に感じることが多いのです。そのため現在、総合的な運営方法に行き詰まりを感じています。

つづく

オレが更新を休止した理由 3(■現実逃避)

2006年04月18日 | 雑感
 初めて読む方は『オレが更新を休止した理由 1(■三年目に向けて)』からお読みください。

■現実逃避

 現在、とある試験に向けて時間を捻出しなければならない状況です。でも、その勉強から逃避したい気持ちがあることに気が付いたのです。つまり、逃避の対象として、ブログをすることがあるのです。丁度、偶然にも分家を公開制にした時期とも重なったのですが、これも無意識のうちに逃避行動を取っていた事の現われで、偶然ではないのかもしれません。

つづく

オレが更新を休止した理由 2(■このままじゃいけない)

2006年04月17日 | 雑感
 初めて読む方は『オレが更新を休止した理由 1(■三年目に向けて)』からお読みください。

■このままじゃいけない

 ブログ( Web )論関連の話題を続けるのもどうかというのは、時間的問題が大きいのです。余暇の中でのネット利用時間の締める割合が増えています。正直、余暇のほとんどをブログとネットにつぎ込んでいるのが現状です。そのことから考えて、「いつまでこの状態をつづけるんだろうか?」という、漠然とした疑問というか、「これでいいのか?」という思いがあります。

 ブログ( Web )論関連の話題というのは、やはり関連情報の収集が必須であり、その量も多いため、どうしても時間を費やしてしまう。もちろん、その情報から自分なりのフィルタを通して、考えを巡らせ記事を作り、推敲し投稿するというインプットとアウトプットがあるのですが、アウトプットの質を高めようとすれば、インプットの量が増えるのは必然なのです。

 ブログ( Web )論関連の話題が嫌いになったのでは無く(むしろ好き過ぎなのですが)、もっと別のことをする時間を捻出したいのです。そのためには、それらの話題を縮小せざるを得ないというのが実情なのです。

つづく

オレが更新を休止した理由 1(■三年目に向けて)

2006年04月16日 | 雑感
■三年目に向けて

 もともと自分の中で、2年経ったら、一区切りを付けようと考えていました。ただ、その区切りをどういった形にするかは決めかねていました。閉鎖してしまうのか、縮小するのか、方向性を大きく変えるのか、休止するのか、などなど。

 今年の2月上旬あたりで既に似たようなことを PASS 制の別ブログでは、ぶちまけていました。丁度『ネットのバーチャルは打ち上げ花火の切なさ』の記事が、その頃の心情をよく表してます。で、一区切り後のこのブログをどうするかにあたって、改めてバーチャルでやれること、やりたいことってのを模索しているんです。で、そーゆー方向で考えると、現状のブログとは少し違う形になってしまうと考えたのです。

 そして、その後もあれこれと模索は続いているのですが、未だに何をやろうかというのが、見つからないのが現状です。このままブログ( Web )論関連の話題を続けるのもどうかというのがあって、そろそろ違うこともやりたいんですよ。


つづく