『斬(ざん)』
移転しました。
移転先:http://souryuusei.blog61.fc2.com/
 



■2006年5月アーカイブ

2006年4月← / →2006年6月

★★★☆☆ 教師は毎年、同じ授業をしているよね 2006.05.28(2006.05.30UP)
★☆☆☆☆ 教師は毎年、同じ授業をしているよね 3(完) 2006.05.28
★☆☆☆☆ 教師は毎年、同じ授業をしているよね 2 2006.05.27

★☆☆☆☆ 教師は毎年、同じ授業をしているよね 1 2006.05.26
★★☆☆☆ 閲覧制限制ブログの嫌悪感について 2006.05.24
★★★☆☆ スパイスはホドホドに 2006.05.21
★★★☆☆ 眞鍋さんのブログにトラックバックしてもアクセスなんて増えないよ 2006.05.19
★★★☆☆ Web 伝説をつくろう 2006.05.17

★★☆☆☆ ネット引力からの解放 2006.05.15
★★★☆☆ Web 脳? 2006.05.14
★★☆☆☆ RSS とブログと広告の関係は録画と番組と CM の関係に似ている 2006.05.12
★★★★☆ 長文読めない症候群 2006.05.10
★★☆☆☆ 別に Web じゃなくてもいいんだけどさ。 2006.05.07

★★☆☆☆ ブロガーのジレンマ(メタブロガーの憂鬱) 2006.05.06
★★★☆☆ 一行でもコメントのレス強要はよくないと思います 2006.05.03
★★★☆☆ コメントレスを強要するのはやめようよ 2006.05.02
★★☆☆☆ 基本は全て一対一では? 2006.05.02
★★☆☆☆ なぜオレが記事分割更新方式にしようと思ったか 2006.05.01




[参考] オレの記事おすすめ度を5段階にしました。

★☆☆☆☆ …たまにツボにハマルかも。
★★☆☆☆ …マニアックにはウケるよ。
★★★☆☆ …おすすめ!
★★★★☆ …超おすすめ!!
★★★★★ …まずは読んで見て!!

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 ふとした思いつき。「歴史は繰り返される」とか「話題がループしてる」なんて事をよく聞くけどさ。考えてみれば各科の教師って、ほぼ毎年毎年同じ教科書で同じ授業をするんだよね。そりゃー、毎年少しつずつ練りこまれてよくなっていくだろし、その時の空気によっても少しずつ変わってくるんだろうケドさ。ベースは変わらない。

 毎年、生徒が変わるから通用するってか、その時に教えることが決まっているからそうなるんだよね。でも、ブログとか Web 上で何かを書いたり、論じたりする場合は、一回だけ表に出ただけで、後は過去記事に埋れやすい。

 Web には、生徒と呼べる(その情報を知りたいと思ってる)人が不特定多数バラバラにいるだろう。しかし、それらがいつ見るか分らない。生徒は受動的ではなく能動的にならないと、辿り着けないのが、今の Web 環境。しかも、かなり熟練した検索をしないと、ピンポイントに欲しい情報(授業)に辿り着けない。

 以前オレは、『『むだづかいにっき』のリピートネタに思う。』で、リピートできるネタを90件持っていればいいんじゃないかと書いた。それをループさせて、その時の思いを付け加えてアレンジして最新記事として出せば、半永久的にやっていけるんじゃないかと。

 それで、ちょっと前まで話題になってた過去記事のお勧め記事表示の有効性の話になるんだけど、そう考えると同じ記事を繰り返し、過去記事は、過去記事として埋れさせておくのがいいのかもしれないと思った。

 受動的な人には、最新記事。能動的な人には、過去記事(検索などから)から同じ情報を得ればいい。既に過去に書いてあるので、そちらを参照とするよりも、過去記事を今の状況に書き直して、最新記事にする方が断然有効なんじゃないかと思った。静的から動的に Web サイトが変わったのだから、いつまでもそこに留めておくのではなく、常に過去記事を練り上げていき、生きた記事に再生するほうがいいのではないかと。

 ただ、問題は書く側にあって、一度書いた過去記事を練り上げる作業が、新記事を書くよりも、この上なく億劫で手間になるであろうことは言うまでも無い。

 ってか、人は忘れる。自分も忘れる。自分で書いた記事すら、書いた文章を全て覚えてはいない場合も多々あるだろう。その忘れるの、周期が分れば(ってか、自分が忘れてたらそれでいいんだけど)、その記事を、改めて作り直して最新記事にしてしまえばいい。そうすれば、新規読者も、リピート読者も両者新鮮な気持ちで記事を読めるんじゃないだろうか。もちろん覚えている読者はいるだろうけど、その読者には、新たな記事を織り交ぜて楽しませればいいのではないだろうか。

「それ、前にも同じような事書いたよね。」

て言われても、「うん、でもこーゆー理由でやってる。」と言い切ってしまえば、いいんじゃないかと。
 
 過去記事が最新記事より読まれないなら、最新記事に置き換えてしまえばいい。長い目で見ていけば、それが一番、自分の伝えたい事を多くの人に読んでもらえるんじゃないかと思った。もちろん、生徒(読者)の移り変わりが激しくはなるんだろうけど。

(完)
 ◇◆◇
 『Webページを作る心がけ』を読みながら思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 1 )




 初めて読む方は『教師は毎年、同じ授業をしているよね 1』からお読みください。

 人は忘れる。自分も忘れる。自分で書いた記事すら、書いた文章を全て覚えてはいない場合も多々あるだろう。その忘れるの、周期が分れば(ってか、自分が忘れてたらそれでいいんだけど)、その記事を、改めて作り直して最新記事にしてしまえばいい。そうすれば、新規読者も、リピート読者も両者新鮮な気持ちで記事を読めるんじゃないだろうか。もちろん覚えている読者はいるだろうけど、その読者には、新たな記事を織り交ぜて楽しませればいいのではないだろうか。

「それ、前にも同じような事書いたよね。」

て言われても、「うん、でもこーゆー理由でやってる。」と言い切ってしまえば、いいんじゃないかと。
 
 過去記事が最新記事より読まれないなら、最新記事に置き換えてしまえばいい。長い目で見ていけば、それが一番、自分の伝えたい事を多くの人に読んでもらえるんじゃないかと思った。もちろん、生徒(読者)の移り変わりが激しくはなるんだろうけど。

(完)
 ◇◆◇
 『Webページを作る心がけ』を読みながら思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 1 )




 初めて読む方は『教師は毎年、同じ授業をしているよね 1』からお読みください。

 以前オレは、『『むだづかいにっき』のリピートネタに思う。』で、リピートできるネタを90件持っていればいいんじゃないかと書いた。それをループさせて、その時の思いを付け加えてアレンジして最新記事として出せば、半永久的にやっていけるんじゃないかと。

 それで、ちょっと前まで話題になってた過去記事のお勧め記事表示の有効性の話になるんだけど、そう考えると同じ記事を繰り返し、過去記事は、過去記事として埋れさせておくのがいいのかもしれないと思った。

 受動的な人には、最新記事。能動的な人には、過去記事(検索などから)から同じ情報を得ればいい。既に過去に書いてあるので、そちらを参照とするよりも、過去記事を今の状況に書き直して、最新記事にする方が断然有効なんじゃないかと思った。静的から動的に Web サイトが変わったのだから、いつまでもそこに留めておくのではなく、常に過去記事を練り上げていき、生きた記事に再生するほうがいいのではないかと。

 ただ、問題は書く側にあって、一度書いた過去記事を練り上げる作業が、新記事を書くよりも、この上なく億劫で手間になるであろうことは言うまでも無い。

つづく

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 ふとした思いつき。「歴史は繰り返される」とか「話題がループしてる」なんて事をよく聞くけどさ。考えてみれば各科の教師って、ほぼ毎年毎年同じ教科書で同じ授業をするんだよね。そりゃー、毎年少しつずつ練りこまれてよくなっていくだろし、その時の空気によっても少しずつ変わってくるんだろうケドさ。ベースは変わらない。

 毎年、生徒が変わるから通用するってか、その時に教えることが決まっているからそうなるんだよね。でも、ブログとか Web 上で何かを書いたり、論じたりする場合は、一回だけ表に出ただけで、後は過去記事に埋れやすい。

 Web には、生徒と呼べる(その情報を知りたいと思ってる)人が不特定多数バラバラにいるだろう。しかし、それらがいつ見るか分らない。生徒は受動的ではなく能動的にならないと、辿り着けないのが、今の Web 環境。しかも、かなり熟練した検索をしないと、ピンポイントに欲しい情報(授業)に辿り着けない。

つづく

追記(2006.05.30)
全文表示はこちらです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ekken♂:パスワード制ウェブサイトが楽しくない理由
を読んで、PASS 制ブログ運営者として、思うことをつらつらと。

 PASS、つまりパスワードを知ってる人は PASS できる。

 非公開、誰にも見られない自分だけがみられる状態。

 結局、問題はリンクからのリファで、相手にわかるということがネック。
なら、2ちゃんのような、h 無しならいいって話?でも、無いでしょ?根本は。

 ブログの草稿記事は非公開でもリンクできるし、そこから飛ぶことも可能。複数人管理が出来るブログなら草稿記事でもお互いが読める。

 結局、複数(書いた人以外)が、関わる場合の非公開は、相手に知らせる方法を取ると嫌われるってか、疑われる。ってことだね。やっぱり、こっそりやるなら、相手に見つからないようにやれって事でもあるな。知らないトコでは、何言ってるかなんて分らないわけだし、その方法は、2ショットチャットでも、IP電話、メッセ、メール等々、リアルの井戸端会議まで、他に多数ある。でも、癇に障るってのは、不審を抱かせるアクションである、リンクリファというもので取ってしまうということか。断っておくけど、オレがそれをやってるってことじゃないからね。今は、様々な状況を想定して上げているんです。

 だから、リンクリファが、草稿中の書いた人のみしか知らない場合は、不審には思わないって事だろうか?ってか、そこまで不審に思ってしまうと、多くのブログサービスの草稿、非公開記事には、リンク入りで保存できなくなる。ってことになる。

 このあたりが、感情的な嫌悪なのか、システム上の問題なのか、何が嫌がられているかってのが、気になるなぁ。

 オレのやってる PASS 制ブログについて言えば、コミュニティを作る意図は全く無い。あそこは、オレのデーターベースでしかない。PASS 制移行前に、それを読みたい人がいたので、その人には、PASS を教えた。で、それでは PASS を持ってない人に不公平になるので、リンクされた方は、何が書いてあるか気になるだろうから、閲覧できるほうがいいということで、公開版にその事を記載してお知らせした。だから、
パスワード制御とか指定アカウント保持者のみの閲覧許可って、要するに「自分の意図しない人には読まれたくない」「嫌いな人は(パスワードを変えたり閲覧拒否アカウントにして)出て行ってもらう」ということですよね。
ekken♂:パスワード制ウェブサイトが楽しくない理由
の中では、「自分の意図しない人には読まれたくない」はその通りです。オレのデーターベースをデーターベースと認識し、尚且つ、そこに書かれていることは、本意とは違う間違っている内容を多く含んでいますよ。ってのを、知った上で、それを了承した上でなければ、閲覧許可は与えられないですよ。だから、決して敷居は高くないのです。難しくないルールを理解でき、守れるなら誰でもOKです。でも普通にそれを Web で公開すれば、直リンク等でまったく知らずに入ってくる事ができる。これは観る方、見せる方、双方にとって危険。だから、1クッション入れなければいけないのです。

 「嫌いな人は(パスワードを変えたり閲覧拒否アカウントにして)出て行ってもらう」では無く、ルールを理解できない、または守れない人は出て行ってもらうです。つまり、この PASS 制ブログが、どーゆー意図で運営されているかを理解してもらえなければ、見せることが出来ないのですよ。ただ、それだけです。

 ただ、今回の一件で、不審を抱く方々が、多数いることはわかりましたので、たぶん PASS 制ブログはデータ移管後に閉鎖するでしょう。妙なコミュニティを作って、陰口言ってると思われるのは、オレはいいとしても、そこを利用してる人たちにも迷惑をかける恐れがありますからね。

 完全非公開の、個人用データーベースに移行していく予定です。まったりですけどね。

 つーことで、データー移転処理に時間がかかりますので、更新頻度が落ちますです。


[TB:ekken♂:パスワード制ウェブサイトが楽しくない理由]

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




takoponsの意味 - 毒は、吐いた本人に返る。

を読んでの触発。

 毒と書くとちょっと表現が違ってしまうんですが… 毒をスパイスと考えると面白い。

 料理の場合、上手い料理ってのは、食材、調理方法、調味料などの主となるものと空間やお皿や小道具、盛り付けなど副となす様々な要因で、その上手さ(旨さ含む)が出来上がると思うんです(もちろん料理人の腕ってのは当然あるんだけど、それは基本なんで書くこともないかと)。ブログにしても、ネタ、文章方法、文体、などが主で、テンプレや画像などが副にあたるんじゃないかと思います。

 で、美味い料理を作っても、何か物足らなさを感じたときに使うのが、スパイスだったりしますよね。そのスパイスはもちろん料理内容によってコショウだったり、ワサビだったり、唐辛子だったりと様々なわけですが。料理を引き締めたり素材を引き立たせる意味において、そのチョットしたスパイスってのは、入れる入れないで格段の差を生む場合があります。

 記事の場合も同じで、上手い文章なんだけど、何か物足りないと感じる記事ってあると思うんですよ。でも、そこにちょっとスパイスを加えて毒っぽくしたり、文体を変えたりすると、記事が生き生きして、仕上がりが良くなるんじゃないかと思います。

 でも、そのスパイスってのは、基となる料理なり記事なりの土台が出来ている場合に生きるのですよね。基が出来ていないのにスパイスを入れてしまうと、結局中身を誤魔化す使い方になってしまいます。また、度を越してスパイスを入れ過ぎては、不味くなったり、不快に感じたりしてしまいます。

 激辛モノが好きな方もいるでしょうが、それが一般的とは言い切れず、その味覚が全ての人にとって好まれるという訳ではありません。そして、激辛モノが好きな方でも、毎日食べたいと思う人も少ないでしょう。

 節度をまもって、まずは基本の味で美味いものを作り、さらに美味しくするために、秘薬といえる特製のスパイスを加えることで、独特のイイ味がでるのです。

どんな秘薬も入れすぎれば、結局毒に変わってしまいますので気をつけたいですね。まぁ、毒をもって毒を制すということもありますが、それはまた別の話。

[関連]
jkondoの日記 - 料理人に最も必要なものは舌である
北の大地から送る物欲日記 - 感性を磨くためにいろんなことにチャレンジすること

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 先日、5月7日に、眞鍋かをりのココだけの話』を覗いたら、丁度、新記事が上がって直ぐでした。『眞鍋かをりのココだけの話: 増量キャンペーン終了』のトラックバックがまだ、3つくらい。

 で、トップページに戻ったら、『眞鍋かをりのココだけの話: 下の記事↓』が、さらに上がっていて、そこには
失敗を防ぐためにワードで書いて貼り付けたら、
の文字。

ワ、ワ、ワードですかぁああ

いや、それならまだ、メモ帳の方がマシなんじゃないかと……

 で、(既に終わってる)ブログ普及委員会の委員長さんですから、その影響上、真似をするブロガーが多数現れるとも限りません。以前にも別ブログの『このブログがすごい!BLOG:ブログを書くとき注意していることで、同様な内容の記事があり、そこにこの方が、
ワードを使ってブログの記事を書くことに、一体どれだけのメリットがあります?
 プレーンテキストを書いて、ブログの編集画面にコピペすることは簡単に出来ますが、それならメモ帖などの簡易なテキストエディタを使って書くのと、何ら変わりないです。それどころか、プレーンテキストを書くために、パソコンに必要のない負荷をかけるソフト(ワード)を使うよりも、軽いテキストエディタを使うほうが、メリットは大きいはずです。
むだづかいにっき♂:「このブログがすごい!BLOG」は別の意味でスゴイ!!
 と、突っ込んだのですが、まさに同感覚な発想。やっぱりなんでもかんでも microsoft のアプリケーションソフトを使わないといけないんでしょうかね?

 で、もっとイイものがあるよーってことと、ワードで記事書くことが広まっちゃうのは、まずくないかい?いや、それでイイならイイけど、明らかにもっと適したソフトがあるんだから。元委員長さんにお知らせがてら、トラックバックから読まれる読者にも知ってもらおうと。ここは早めに、トラックバックを送らねば、と思って過去記事の中からピックアップして『感想系トラックバッカーに捧げるブログの「三種の神器」』に、リンクと一言追記して、トラックバックしたら、既に21番目

「みんなどれだけ、待ち構えてんの??」

とは、思ったけど、これでどれくらいアクセスがあるかを見るのも面白そうだと思って、様子を見ました。


 ……そして2日が過ぎ。 


結果……アクセス数は、いつもと全く変わらない。むしろ更新しなかったからか減っている。

 つまり、21番目以降、そこからアクセスなんてほとんど無い。みんなクリックなんてしてないんですよ!

 ちゅーことで、眞鍋さんトコに、自ブログ宣伝目的にトラックバックしても、効果ないですよ。なので、宣伝はほどほどにして、ちゃーんと該当記事に関連した内容の記事をトラックバックしてください。お願いします。


[TB:むだづかいにっき♂:「このブログがすごい!BLOG」は別の意味でスゴイ!!]

コメント ( 10 ) | Trackback ( 2 )




なんでかフラメンコ:■[TV]人志松本のすべらない話 第5弾、本日放送。
からの触発。

「1クールのレギュラーよりも1回の伝説」とは江頭2:50の名言だが、この番組にはそういった「伝説」が生まれるニオイがするのである。

 Web 界においても、数々の伝説がある。最近では

「きんもー☆」

だったり、

「電車男」

だったり、

「鬼嫁日記」

etc 。そのほかにも過去の伝説は数多い。
 それで、その多くの伝説の特徴として「キーワード」がある。

「かざきり羽」

だったり、

「席を譲らなかった若者」
(これちょっと強引だけど)

など。
で、思った事が

「100万のアクセスよりも1回の伝説」

って心意気。オレも一発屋でいいから、そんなでっかい花火を打ち上げてみたい。

それで、さらに思いを巡らせたときに、ふと思い浮かんだ事。

「ekken う○こ伝説」

うわっ!!これはヤバイ!!

 ……でも、本人結構気に入ったりして(笑)

 この「伝説」だけは、もし生まれるとしてもニオって欲しくないものだ。

そういえば、過去に「う○こ漏らした」で伝説作った、かなり有名な人がいたような…
煩悩是道場 - 旅に出ます』を、読みながら思う。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )




 更新休止期間に考えた事のなかで、ネット引力からの脱出及び解放というのが、テーマの一つにありました。しかし、実際、ネットの吸引力は予想の外強くて、ネットからの脱出は失敗に終わってしまいました。

 しかし、その引力を引力だと認識して、うまく引かれている状態になれたのは良かったですね。これでまた暫くすると吸引力から吸着力になってその強さが増していくのだろうなって思うのですが、うまーくコントロールしたい。

……つまりそれは、定期的に休止するって事ですかね、ってオイ!

 それでも、何とかネット引力から解放されてみたいんですが、何かイイ方法ないでしょうかね。

 別に一日二日つながなくたって死にはしないのにねぇ~

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 まったくもってなんてこった。

 先日、某製品の取扱説明書を読んでたときのことだ。専門的な製品の説明書だけに、用語や仕様は専門知識が必要な上、使い方も複雑で難しい。用語については、英訳をそのまま説明書にしたと思わしき書き方だったので、分り難いことこの上ない。

 で、ふと

「なんで、この用語にはアンダーラインが引いてなくて、リンクもしてないんだよ!何のことだかわかんねーよ!せめて、注釈ぐらい入れろよ!」」

と、まじボケをかましてました(もちろん心の中で叫んだんだけど)。

 紙媒体に、んーなもなーあるわきゃー無いわな。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 タイトル通りなんですが、以前はてな界隈で話題となっていた、『はてなアイデア - 「RSSフィードへの全文掲載」のデフォルト値を「全文を掲載する」にする』の件で感じたこと。って、誰かが既に同じ事書いていそうだけど、まぁいいや。

 これを、もっと完結に書けば

RSS =録画
ブログ=番組
広告= CM( CF )
アクセス数=視聴率
はてな(ブログサービス)=テレビ局

とすると分りやすい(ちゅーか、これもたぶん既出な気が…)。

 で、ブログ運営者=番組プロデューサなわけだから、当然視聴率(アクセス数)ってのは、重要なわけですよ。でも、お分かりのように、視聴率がいい番組が必ずしもイイという事では無いし、逆に悪くてもいい番組ってのは、山ほどありますよね。

 でも、局としては、視聴率が高い=宣伝効果が高いになりスポンサー増につながるので、録画しないで生で見てね♪ って事だと思います。

 で、視聴率の是非ってのも問題があるんだけど、RSS 全文掲載ってのも同様で、結局は(視た)読まれた数字ってのが、正確(具体的)じゃない事が全ての原因なんですよね。だから、RSS 全文掲載にして、はてなは早く読まれた正確な数字が出るシステムを考えりゃ全て解決するんですがね。

 まぁ、それが出来りゃーアンケートを採る必要もないんだけどさ。


[参考]
import otsune from Hatena - はてなダイアリーのRSSデフォルト設定を、「全文入れない」に投票する、本能にしたがった感覚的な人が多いんだなぁ
import otsune from Hatena - 「RSSに要約や全文を入れるとアクセスしてくれなくなるから嫌だ」という感覚はアクセス増には逆効果
void GraphicWizardsLair( void ); // RSSフィードに全文を入れるのは、ブラウザをタダで配ったり無料会員でも使えるようにするようなもんだと思う。だからお客を呼びたいのならRSSに記事を入れてしまえ
sta la sta - RSSは全文配信でも要約配信でも結局は「要約配信」だと思う

コメント ( 0 ) | Trackback ( 1 )




 最近模索中の記事更新分割方式ですが、なぜそんな事をしようかと思った根本的な発想の元は、自分が長文を読まなくなった(正確には読めなくなったかな)からです。はてなブックマークなどで、多くのUser数を獲得している記事でも、長文の場合は、まさに「後で読む」状態な場合が多い。もちろん長文でも読める記事があって、それはなぜかってのを今注目してるんですが、まだよく分からない。

と、話が逸れた。
 
 で、斜め読みして「イイ記事」だと思っても、どうも読めないときが増えた。それは、一日に読む記事の量が増えたのと、ブログ記事に対する考え方が少し変わったからです。

 最近では、質を高める事へのこだわりってのを少し柔軟にしようと思っている。それは『記事の重さ』で書いてるように、結局「一記事の長さってのは何なんだろうか?」って思えてきたから。以前は一記事完結が当たり前って思っていた。もちろん、文字制限数以上になれば分けざるを得ないという理由で分けることはあるのだろうケド。それより、どこで記事を分けるのが良いんだろうか?って考えた時、5,000文字なのか、10,000文字なのか、100文字かどれなんだろうかと意識した時、1,000文字ってのが、一番ブログでは読みごろな長さかなってフィーリングで思った。丁度2回くらいマウスホイールを回すくらい(これは個人差があるけど)の長さがいいかなってね(これも自分の見る画面で見てですが)。

 で、自分が巡回してて記事を読む時、スクロールし始めるころに、丁度記事全文の長さを確認したりする。「この記事何処まで長いかな?」ってね。それで、これから続きを読む読まないってのを決めたりする。飽き性なんで、長い場合はそこで一旦キリを付けて、他の記事を漁りに行ってしまう。そして、暫くしたらまた戻ってきて読むか読まないか決めちゃう。

 だから、オレとしては「読みきれる長さ」ってトコにポイントを置いて、それ以上なら、今じゃなくてもいいやって思えたのが、記事分割方式を採用しようとした、原因だったんです。

 幸い goo ブログには、本文の文字数が表示されるので、これはとても重宝してますね。


追記:(2006.05.14)

[参考]
もなQらいとの過去記事:読みやすさの重要性
はてなブックマーク - 『斬(ざん)』:長文読めない症候群

コメント ( 6 ) | Trackback ( 1 )




あんたジャージでどこ行くの: 情報化は理想郷を築くのか。

へのお返事というかなんちゅーか。

 凄く面白いコミュニティ(以下:コミュ)に出会える時というのが、人生には何度かあると思うんですよ。まぁ、無い人もいるかもしれませんが。それがサークルだったり、地域組織だったり、職場だったり、と様々なわけですが、そこにはブログのコミュも入ったりするわけで。

 で、この手の魅力的なコミュってのに共通してる事は、初期の頃の創設時の面白さではないかと。そしてそれは異様なほどアツイ。まぁ、有志が集まって、同じ方向向いてあーだこーだと模索しながら、一歩一歩一緒に成長していくから、濃い関係が出来上がるし、お互いが分かり合えてる。時に衝突しても、お互い未熟で未開であるから間違っても許されるし、譲歩もできるのでとんでもないことでも起きない限りは決裂せずに、コミュが盛り上がっていく。しかし、あるときから崩れる。それが数なのか、時間なのか、人間関係なのかは、様々だけど…

 で、別にオレはコミュが大きくなることがいいとは思わないんだけど、それが面白い場合には、ある一定数を超えると勝手に増えてくるんだよね。で、秩序を保つために、リーダーが出来る(まぁ、内輪内でリーダー的存在はいるわけだけど、初期の場合は同志な立場のが強いだろうからなぁ)。そこから、だんだん派閥が出来て、統制が取れなくなり、コミュ崩壊または分裂という方向になる。で、

「最初の頃は、あんなに楽しかったのに、どこでどう間違っちゃったんだろう?」
「なんで、こんなふうになっちゃうの?目指してたものは、こんなこととは違うはずだったのに」

って結果になるのですが。

 まぁ、最初は勢いがよくて、そのうちピークを向かえ、後は腐っていくってのは、よくよく考えてみれば自然の摂理に従ってるのかもしれないけれどね。

 だから、結局は、そういった初期の面白さみたいな時ってのは、いつまでも続かないでいつか崩壊するしかないのかな?って思うとちと切ないですわな。そして別に大きくならなくてもいいし、それ程発展もしなくてもいいから、いつまでも良好な面白いコミュであり続けることって出来ないのかなぁ?ってね。でも、結局そーなってもマンネリ化して、やっぱり腐っていくのかなぁ。

 あ、やっぱり返事になってないや。

[TB:あんたジャージでどこ行くの: 情報化は理想郷を築くのか。]

コメント ( 0 ) | Trackback ( 2 )





 記事書きたい時には、なぜかいイイ記事ばかりに巡り会う。

 逆に書くこと無くて何かイイ記事ないかと求めていると、なぜか、そーゆー時に限ってなかなかイイ記事には巡り会えない。

 そんなことって無いですか?

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ