『斬(ざん)』

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■2006年11月アーカイブ

2006年11月30日 | 目次
■2006年11月アーカイブ

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★☆☆☆☆ スタッドレスタイヤって…… 2006.11.30
★★☆☆☆ 最後にいつも「一言多い」のです 2006.11.27
★★★☆☆ ブログの記事は推敲しないほうが効率がよい 2006.11.25
★★☆☆☆ ノートパソコンの電源オフについて 2006.11.21
★★★★☆ Web 上でのプライベートモードは危険なモードですよ 2006.11.18

★★★☆☆ アウトプットしたいときは自然にやってくる 2006.11.15
★★★☆☆ 血行がいいと結構いいアイディアが生まれるよね 2006.11.13
★★★☆☆ ブロゴスフィアは珍獣王国 2006.11.11
★★☆☆☆ 蟻の運命に思ふ 2006.11.09
★★★☆☆ あえて読者に嫌われる行動を取る時がある 2006.11.07




[参考] オレの記事おすすめ度を5段階にしました。

★☆☆☆☆ …たまにツボにハマルかも。
★★☆☆☆ …マニアックにはウケるよ。
★★★☆☆ …おすすめ!
★★★★☆ …超おすすめ!!
★★★★★ …まずは読んで見て!!

スタッドレスタイヤって……

2006年11月30日 | 思いつき
 いわゆる、常用で使ってる普通のタイヤ(ノーマルタイヤまたはラジアルタイヤ)だって、スタッドレス(鋲が無い)タイヤだから、本来は区別できないんだよね。

 ってか、海外(特に英語圏)では、冬用の積雪路や凍結路での走行に強いタイヤは、なんて呼ばれてるんだろうか?やっぱりスタッドレスタイヤなのかなぁ?

[参考]
スタッドレスタイヤ - Wikipedia

最後にいつも「一言多い」のです

2006年11月27日 | ぼやき
 記事を書いてるとよく思うことがあります。最後の一文が、とっても不要だなぁと。でも、その一文を書きたいがために本文を書いてる場合もあったりする。

 だから、推敲時には必ず最後の一文を入れるか消すかで悩むのです。

 締めの一文って、記事のまとめでもあるから結構重要度が高い。多くの場合は、オチを書くのだけれど、このオチが決まらない場合が多い。また、オチに対して自分で突込んで終わることもあったりする。

 ……

 それでは、気になるこの記事の最後の一文は?

 もちろん書いたけど、一言多いと思ったので削除したのさ~
 ……うーむ、やはり締まらないっ!
自虐オチは王道かな?

ブログの記事は推敲しないほうが効率がよい

2006年11月25日 | ブログの文章・書き方を考える
ここはどこ? - ブログを書くのに、テキストの推敲を重ねる必要はあるのか

 からの触発。この記事を読んで、はじめに思い浮かべたのが、最近観た『がんばれ!アドミンくん 第49話 - @IT』。この4コマ漫画のタイトルにある「あの法則」とはたぶん、パレートの法則だと思います。そう80:20の法則と呼ばれてるアレです。それで、この漫画にあるシャンプーの詰め替え作業をブログの記事作成に当てはめて考えてみた。

 記事においても脚本(骨組み)に当たる部分というのは、記事が完成するためにかかる時間の中で2割の時間で、8割が出来上がるのだと思います。それに、推敲や編集、見直しや参考記事やリンク先やらの細かい作業があり完成するのですが、そちらの2割分のほうが残りの時間の8割かかると言うことです。

 こう考えると、
結論を出すと、ブログに書く文章に推敲は必要ないと思います。
ここはどこ? - ブログを書くのに、テキストの推敲を重ねる必要はあるのか
でいいのではないかと思うのです。

 余談ですが、はてなという会社は、その8割よりも低い5割(50%)で、サービスを出しているのですから、個人で8割なら何ら問題など無いはずです。

 しかし、完成度が8割の記事は、いつまで経っても2割の時間で作った未完成記事です。そればかりに慣れてしまい、残りの8割の時間を使わないでいると、完成した記事というものが作れませんから成長がありません。やはり、完成記事を作り込んでいくことで、文章の書き方や個性的な自分の文章というものが、時間をかけることで熟成されるものであり、それにより文章力も上がっていくのだと思います。

 だから、考え方次第なんですよ。ブログ記事をどうとらえるか。消費される記事を書くことと納得して2割の時間で、8割の記事を作って上げてしまうと割り切るか、自分の文章というものを作りこんでいきたいと考えて、自分自身にとっての記事の完成度を上げるために、時間をかけるか。そのどちらが良くて、どちらが悪いというわけではありません。それはそのブロガーのスタンス次第ですから。

 ブログにおける話題性や流行という旬なものに乗っかりたいなら、推敲する時間というのは、無駄と考えることも出来るのです。ただし、そういった文章は、時に墓穴を掘ったり、恥をかきやすいポカミスをやらかす可能性が高いです。また、書き方によってはトラブルを引き起こす場合もあるので、ある程度の覚悟と厚顔無恥さがないと務まりませんよね。

 ただ、実際いくら推敲、編集して時間をかけて作っても、ミスをするときはしますけどね。たとえその頻度は、少ないとしてもね。


[参考]
萌え理論Blog - 推敲力=ブログの防御力


[TB:ここはどこ? - ブログを書くのに、テキストの推敲を重ねる必要はあるのか]

ノートパソコンの電源オフについて

2006年11月21日 | 思いつき
 ノートパソコンの電源( Windows )って切ります?
 つーか、いつ切ります?
 つーか、電源自体付けっぱなしな場合もあるような…

 オレの場合は、ちょっと(小一時間)の時は、放置だし、寝る前と出かける前は電源を切ります。よくノートは電源を切らずに、パタンと閉じてお終いにするほうが再度立ち上げた時に便利だから、そーゆー使い方をする。みたいなこと聞くけど、実際みなさんは、どう使ってんでしょうね?ってか、どーゆー使い方が一番いいんだろうか?
 
 それ聞いてどうするの?って聞かれると困るけど……
 いや、まぁ、ちょっと気になっただけなんだけどさ。

Web 上でのプライベートモードは危険なモードですよ

2006年11月18日 | ブログの話
忘却防止。 - ささやきが漏れ聞こえるとき~はてブのプライベートユーザの仕様をめぐって

 からの触発。といっても、はてブじゃなくて、はてな RSS のプライベートモードでの話。

 オレ自身、はてな RSS をプライベートモードで使っているのですが、これが、意外な部分で漏洩してしまいます。自分のはてな RSS の記事リンクから、はてなユーザーのダイアリーに飛んだ場合、そのダイアリーにリンク元表示の設定があると、RSS の URL が、アクセス元として残ります。つまり、RSS 登録して講読しているのが漏れるのです。そして、フォルダ名も URL に含まれているので、どの名称のフォルダに入っているかも分かってしまいます(まぁ、大手なところで1アクセスなど表示しないトコはいいのですが)。

 オレは特別困ってるわけではない(フォルダ名称がブログサービス名になっているのが多いため)のでよいのですが、場合によっては困ったことも起きそうです。

 プライベートモードだからと思っておかしなフォルダ名にして、そこに入れていたとしたら、それはもう、はてブのそれ(タグ)よりもタチの悪い、険悪な状況が生まれかねません。ましてや、それが交流先で、普段は仲良さげだったのに、そのリンク元を見て、
「こいつは、裏表のあるやつだ!」
ってな、ことにも場合によってはなりかねないのですよ。

 これは、mixi ユーザーよりもリテラシーが高いであろう、はてなユーザーに仕掛けられた、高度なトラップなのです。これくらい、はてな使ってたら知ってて当然!ってスタッフは思っているに違いない!

 知らなかった、そこのあなた!もう後の祭りかもしれませんよ。

 はてなのサービス間のリンクによるつながりは濃すぎるために、プライベートモードだと、何かと漏れやすい構造になっているのです。知らないで URL を抜かれて、晒されてますからね。ま、それがはてなの良さでもあるからね。

 結局、まだ Web 上では、プライベートモードってのは、なかなか確立できていないということです。ちゅーか、不特定多数に情報発信が基本だから、特定の相手(または個人)向けの使い方ってのは、サービス側にとっても、それ程益があるわけじゃないから後回しにされやすい面もあるのだろう。それは仕方が無いことなので、Web サービスを使ってる以上は、プライベートモードには、常にちょっとした漏洩リスクがあるってことを前提で使わないとね。もちろん、いずれきっちりプライベートでも使えるようには、してもらいたいですけどね。

[関連]
また君か。@d.hatena:■[実験][はてな] はてな RSS を使ったショートメッセンジャ実験
はてなブックマーク - 『斬(ざん)』 Web 上でのプライベートモードは危険なモードですよ

[TB:忘却防止。 - ささやきが漏れ聞こえるとき~はてブのプライベートユーザの仕様をめぐって]

追記(2006.11.19)
・関連を2つ追加

アウトプットしたいときは自然にやってくる

2006年11月15日 | ブログの話
 「ネタが無い」とか「書けない」とか聞くけど、ネタが無きゃ書かなきゃいいし、書けないなら無理して書かなけりゃいい。

 インプットしたい時は、すればいい。そうしてればそのうちお腹一杯になって、自然にアウトプットしたくなるさ。それまで、焦らず待ってりゃいいさ。

 ちゅーか、他所でも少し触れたけど、アウトプットしたくなったら、今度はどうやったらアウトプットしないでいられるかを考えるほうが面白いよ。したくしたくてしょうがないのに、しちゃダメだって、抑制かけるのって結構そっちを止めようとするほうが難しい。

 ネタが無くて書けないんなら、書かないでいれさえすれば済むわけだからね。アウトプットしたくて書かずにはおられないのに、それをしちゃダメだのほうが、よっぽど苦痛だよね。

 じゃーなんでアウトプットを抑止しなきゃいけないのさって言われると困るけどね。どっちがイヤかっていったら、ネタが無いよりネタを書いて上げちゃいけないって言われるほうがヤだよって話です。

血行がいいと結構いいアイディアが生まれるよね

2006年11月13日 | 思いつき
 タイトルがアレなのは、血行が悪いときに書いているからです。

 えーと、ネタが思いつくときってのは、『π氏の雑記(PCのジャンキー):■ブログネタの思いつく場所。』のコメントでも書いたように
・トイレ
・お風呂
・寝てるときのウトウト状態の時
・車の運転中
・仕事中
・他のwebサイトを読んで

などなど、ですね。
仕事中に浮かんだときは、難しい顔しながらネタのキーワードを手帳に書き込んでますよ。それで、後から記事に纏めます。
π氏の雑記(PCのジャンキー):■ブログネタの思いつく場所。コメント欄
 ですが、これらをよく観察してみると血行が良さそうなときばかりじゃないですか?ちなみに、この記事自体を書くことになったネタが生まれたのは、仕事中で単純作業中だったのですが、これもどちらかというと軽く動いている状態で血行はよろしいかと。

 あと、何かから逃れたいってのも、アイディアが生まれやすいですね。仕事中や自動車の運転中なんかは、知らないうちにストレスが溜まりますから、単純作業が続いたりする状況下では、つまらないから無意識にほかに何か楽しい事がないかと考えようとする。だからそこでネタが浮かんでくる(そちらを考えてるほうが面白い)んじゃないでしょうか?
 
 いいアイディアが浮かぶのは、ある程度の動き、それも単純な動作の繰り返しが有効ではないかと思うのです。よく散歩中にネタが浮かぶなんてことを聞きますが、それも適度な運動と歩くという単純作業中ですよね。

 もちろん、ネタが無いかを常に考えてるというか、時間が出来たらブログネタについて考えてたりしてる状況が前提にあるんですよね。もう今では無意識にやってる(興味があることには自然と思考がそちらに向く)から気が付かないんでしょうが。

 なので体を適度に動かしながら巡回すると、いいヒントが見つけられて、いい記事が書けるかもしれませんね。

ブロゴスフィアは珍獣王国

2006年11月11日 | ブログの話
スポニチ :ムツゴロウ動物王国が崩壊危機

新ムツゴロウ動物王国』が、なにやら負債を抱えてとんでもな状況らしい。動物達の今後がどうなるやらですが、どうなんでしょうか。

 と、ちょうど動物の話題が出たところで、思い出したこと。

 珍獣というのは、その名のとおり珍しい獣なんですが、その珍獣というのは、動物園でも人気が高かったりします。ましてや、それらが芸をしたりするとさらに注目されたりもします。記憶に新しいところでは、レッサーパンダの風太くんとか。

 で、ふと Web を巡回していて気が付いたのですが、ブロゴスフィアって珍獣が棲んでる状況とよく似てますよね。ブロゴスフィアを動物園って考えると非常に面白い妄想が広がります。

 「無断リンク禁止」とか叫んでたり、他人を釣って喜んでたり、思いっきり煽り記事書いてみたり(オレのこと?)、とにかくいっつもどっかで騒がしく、ワイワイ賑わっている。今度はどの珍獣が何をやってんだ?ってな具合に。

 そんな珍獣に近づくもよし。外から眺めて何か講釈垂れるのもよし。ただ観にいくだけでもよし。珍獣と触れ合って、自らも珍獣となって同じ道を進むのもこれまたよし。

 自らの檻を綺麗に飾るもよし、もっと観てもらえるよう工夫するもよし。とにかく目立つためにさまざまな手法で、あっと驚くことをして注目を集めるのです。そうすると、自分の檻の周りにはいつも人だかりが出来て、噂が噂をよんで、いつしか人気の珍獣さんが出来上がるのです。

 今日もどこかで新しい珍獣さんが誕生します。それに負けじと、人気の珍獣さんも芸を磨きます。時には珍獣さんたちが群がって共同で盛り上げたりもしています。そんな動物園は、今日も大盛況なのです。

 ブロガーという名の珍獣さんは、安上がりでお家にいても、インターネットにさえつなげる事が出来れば見られますから生身の動物さんたちは、大変なんです。なんせ Web に棲んでる珍獣さんたちは、多くの場合自給自足できてますからね。

蟻の運命に思ふ

2006年11月09日 | 想った事、感じた事
 今日、何気に左の腕に蟻が一匹這ってきた。そいつを、ぴょーんと右手の人差し指で親指を基点として弾いて飛ばした。蟻には、自分が今どこにいて、そして何をされたか分かる術はない。

 分からない。

 うん、蟻には一生分からない事。

 でも、実は人だって一緒なんだよね。

 だから、神や仏といった見えなくて分からないものを信じてすがるのだろうか。ただ、そう考えると、神様(蟻にとっては人間)って気まぐれだよね。腕に這っていた蟻をその時の気分で、ペチャっとするときもあるだろうし、えさをやりたくなるときもあるだろう。気が付かずにポリポリ掻いてしまい、誤ちを犯すこともあるだろう。蟻がそこで何をしていようが関係が無い。

 結局、分からないものは分からない。そして、その分からない何かによってどうにでもなってしまうものなんだろうな。

 分からないのだからどうしようもない。だから、考えても仕方ないから自分のするべきことをただするのみだろう。

 しかし、ある日突然、その分からない何かによって振り回されるんだろうな。

 ただ、その分からないものが存在してるってことだけは意識していたいと思う。

 なぜなら分からない事が訪れたときに、あぁ、これが分からない何かによって振り回されている時なんだと分かるように。

 蟻よありがとう。

あえて読者に嫌われる行動を取る時がある

2006年11月07日 | 思いつき
 えー、ここのブログ主は、たいへん変わっております。天邪鬼(あまのじゃく)であり、自分で自分の書いた事でも、その30秒後には考え方が変わっていることさえザラです。これは、自分でも制御できません。つまり、ブログするのは、自分を知るためというのもあってやっているのです。なので、時々、読者をカチンとさせる、または、呆れさせる場合があるのではないかと推測します。本人、申し訳ございませんが天然で気が付いていない場合もありますので、いやはや……

 ゆえに、読者を知らず知らずのうちに篩(ふるい)に掛けていると思うのです。でも、これは自分の望んでいる事でもあったりします。一見さんや付いてこられない読者に、あえて付いてきて欲しいとは思いませんし、縛り付けたいとも思いません。好き嫌いは、誰にでもあるし、飽きる事や信用できなくなる事もあります。だから、近々に読者になった方々は、たまに裏切られたと感じることがあるんじゃないかと思います。つまり、最初から期待値が高すぎてると思うんです。

 もう一度、このブログの過去ログなんぞを眺めて、ここのブログ主が、いかにいい加減であるか見極めてください。それでも、まぁいいよ、と思える読者を歓迎します。

 まぁ、こんなことを書かなくても、自然に淘汰はされているとは思いますけどね。
つまり、こーゆー記事を書くと読者が減ると分っているのに書く天邪鬼性があるんです。この記事そのものが記事タイトルの行動なのです。