『斬(ざん)』

移転しました。
移転先:http://souryuusei.blog61.fc2.com/

復活!?

2008年04月01日 | 想った事、感じた事
 活動再開するかもしれない。でも、ネタがまったく溜まっていないのでぼちぼちと、かなり緩めのペースになりそうです。とりあえず月一更新を目指します。つーことで、次回更新は来月!

 まぁ、4月1日なので適当に流してください。
 ってか、保守上げ

一般人の声は大衆まで届かない

2007年04月06日 | 想った事、感じた事
 最近、影響力について考えています。「忘れられない程度の存在感を残す」あたりが、その中の一つなのですが、さらに掘り下げて考えてみました。

 何かを発見したとか、発明したとか後世に名を残してる方々がいらっしゃいます。しかしそれは果たして、本当にその人が一番最初だったのだろうか?という疑問があります。

 たとえば、ガリレオ・ガリレイ。地動説を唱え、裁判で有罪になっても「それでも地球は動く!」と叫んだという有名な逸話のある天文学者。

 でもね、実は、それよりも前に、魚屋のおっさんとか、八百屋の大将が、「ほんとは地球が動いてるんじゃね?」ってことに、既に気が付いてたかもしれないんですよね。

 たとえば、ピタゴラス。「ピタゴラスの定理」で有名だけど、Wikipedia 読むと
あの有名なピタゴラスの定理も、実は本人によるものではなく、この学派によるものである。
ピュタゴラス - Wikipedia
 そう、つまり、これが事実なら本当に定理を発見した人は、別の人なんだと思う。だけどその学派の長であるピタゴラスが、代表として名を残したってことなんですよ。

 そろそろ何が言いたいか分かってきませんか。

 そうです。結局のところ、発見者とか発明者って、一番最初に気が付いたとしても、生きてるときにある程度の影響力のある、権威ある地位にいないとダメだってことなんですよ。

 大学で言えば教授レベルだったり、会社で言えば、有名企業の社長クラスであったりとね。所詮、ペーペーの研究生や主任さんが、一大発明したとしても、そのほとんどは、仕える教授や会社の発明になってしまうのですよ。企業の場合、最初は個人名だったとしても、認知度によって、結局企業名のほうが有名になってしまう場合も多い。エジプトでミイラの発掘調査してる、早稲田大学の調査チームだって、後世に残る歴史的な発掘をしたとしても、結局最終的に名を残すとしたら、教授の「吉村作治」さんだと思うんですよ。だって、エジプトの発掘調査で早稲田っていったら「吉村作治」さんがイメージされるもの。

 そういった意味では、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、非常に恵まれていたといえる。海外の別会社に出向していたお陰でもあるんでしょうね。でも、それさえも既にオレの中では、「島津製作所の主任だった人」ってイメージになってて、田中さんの名前は出てこなかった。やっぱりそんなものなんだなと思う。

 で、話は個人的なことになるのだけれど、オレがブログを始めたきっかけのなかに、実は、「一番初めにやったことの証を作りたい」というのが、あったのですよ。もちろん、それが何かってのは、ピンからキリまでで、「プチびっくり人」だったり、「ぽゆたん」だったり、「BUKURO801」だったりと、陳腐な造語もその中に含まれるのです。

 もちろん、ブログ論だったり、Web に関する事だったりもあるでしょうし、これから何が生み出されるかなんてのは、オレ自身にも分からないわけですが。

 でもね。たとえ、オレが一番最初に書いたとしてもね。影響力がないと、他の人が、そんなこと知らずに同じこと書いたりするのですよ。でもそれは仕方ない。でね、その人が、影響力持ってると、その人の記事が注目されて、自分が最初なのにスルーされちゃうんですよ。そーゆーことを今までブログやってて何度も経験してるんですよね。もちろん、逆の立場になることもあるんだろうけど。

 そうなると、これは、社会の仕組みとして変えられないものなんだろうな、って思うのですよ。Web でいくら個人で情報発信できると言ったってね。人が人である限り、そういった政治的な問題がどうしても関わってくるんだろうなって思うのですよ。

 アルファーなんちゃらとか言って、権威付けしようとしたりする動きってのも、そーゆーこともあるんだろうなってね。もちろん、その影響力をある程度可視化させるって試み自体はいいと思うんだけどさ。

 結局、その権威や影響力があるモノが、知ってか知らずかは別としても、結果的に横取りして自分の手柄にしちゃうことってのは、あるんだろうな、と思うのです。

 ネットでは、一般人でも何とかなりそうだと当初考えていたけど、どうやらそれは幻想だったようです。

 何かをきっちり残し、大衆に認知させるには、有名(認知度を上げる)になって、影響力のある地位を得ないといけないのかもしれませんね。

生きてるうちが花だよね?

2007年04月03日 | 想った事、感じた事
hasenkaのメモ - ブックマークされる記事が良い記事と勘違いしていませんか
誰にも読まれない記事を書く技術というものはありうる。しかしそういうものはあっても金にならんし自尊心もあまりくすぐらないので当然廃れる。しかしブックマークされなくても百年後二百年後に読まれればいいじゃないかと思ってみるもネットがそんなに持続しているか定かでない。
hasenkaのメモ - ブックマークされる記事が良い記事と勘違いしていませんか
 この記事からの触発。

 自分の作品について、

 ・晩年もしくは亡くなった後に高く評価され、その知名度が広がることのほうがいい
 ・今、この瞬間瞬間に、ある程度評価され、亡くなって暫くすれば、世間から忘れ去られるほうがいい

 どっちがいいんだろうか?もちろん、これはその人の考え方次第なんだろうけど、思うに、ほとんどの場合は生きてるうちに評価されたいんじゃないだろうか。だって、死んじゃったら自分で確認する術はないわけだし。まぁ、子孫が居れば少しはその役に立てるけれど、実際、豊臣秀吉の子孫だからとか言われても、「ふーん」で終わりなよーな気もするわけで。短期的(孫ひ孫くらいまで)なら、その恩恵も十分受けられるからいいんだろうけど(そうすると、約100年位なもんか)、結局、血のつながりより個人だよなって思うんですよね。

ちゅーか、生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよ。
まさに死んで花実が咲くものか。

なんだよね。

 歴史に名を残す偉業や発明などって、志す気持ちとして凄く大切だと思うし、その気持ちで実践していくほうが遥かに創造性が高くなるようにも思えるから役には立つのだろう。でもその結果、時代の先を行き過ぎてしまい、生前評価されずに後になって評価されるのって、なんだか腑に落ちないんだよね。

 まぁ、凡人じゃないから歴史に名を残せるわけで、そーゆー人はこんな小さなことには拘らずに、自分の目指した道をただひたすら走り続けた結果、そうなるんだと思うんですけどね。

 でも、生前にちゃんと評価されていれば、もっと凄いものが残せたかもしれないってのを考えると複雑だったりしませんか?

 ただ、そんなこととは、ほとんど関係ないであろうオレが考えるのもおかしな話ではあるんだが。


[TB:hasenkaのメモ - ブックマークされる記事が良い記事と勘違いしていませんか]

どれだけいいリンク集を作っても元記事が消えてしまっては元も子もない

2007年03月28日 | 想った事、感じた事
 どうやったらいいデータベースリンク集が出来るのだろうかと、あれこれと考えていた。その中で参考となるのが先人達。つまり個人ニュースサイター。

 でも、昔ながらの個人ニュースサイトじゃなくて、はてなブックマークなどの SBS(ソーシャルブックマークサービス)で参考となりそうなのは無いかと探していた。そこから辿り着いたのが
はてなブックマーク - Web街道を逝く
 ご存知のとおり 『ぁゃιぃ(*゜ー゜)NEWS』のセミマルさんのブックマーク。そこにあった[★殿堂入り]タグを見てみる。
「:DOUBT:: 面白いブログの作り方 」
がクリップされているが、既に元記事が消えている。まだ昨年(2006年)の5月の記事なのに。とりあえず はてなブックマーク - :DOUBT:: 面白いブログの作り方 から遺跡を巡る。そこで、自分の分家で取り上げているのを知る。そこから自分の非公開データベース(ブログ形態のリンク集)で内容を確認。断片を読んでみて、これは残しておきたいと思いキャッシュを漁る。

 何とか google で見つける。それが
:DOUBT: (しかし、これも記事をアップした今では消えている)
 ふー、と一安心してローカルに保存した。

 さらにセミマルさんのブックマークから漁る。Kourick SuBlog - ここはウェブ、わたしはノードに目が留まる。こちらも老舗個人ニュースサイターで『小生にうず』の香陸さんのブログだ。さらにそのはてブ一覧から、『Kourick SuBlog - 鞄のなかを、机のなかを』へ。

 そこからさらに、リンクされている『駄文にゅうす』へ。『駄文にゅうす:■ サイトが更新停止する日 ~最後は…どうか、幸せな記憶を。~ 』に行くと珠玉のリンク集が見つかった。

 しかし、そこにリンクされている記事をクリックしていくと……

 既に無くなっている記事がいくつかある。

 『駄文にゅうす』は、個人ニュースサイトの中でも、少し異色な存在で、そのまとめ方と独特な取り上げ方が素晴らしくて、データベースとして活用できる数少ない個人ニュースサイト。そのリンク集でさえ、元記事が無くなってしまうと、ストックとしての価値が一気に下がってしまう。あれだけいいまとめをしてあるのに、リンク先の元記事が消えてしまい読めないなんて、すごく勿体ない。

 やはりリンク集という形では、まともなデータベースには成らないのだろうか?

 そう考えると、SBM(ソーシャルブックマーク) なんてフローとしての価値しかないってことになるね。キャッシュとか『ウェブ魚拓』みたいなもので、消えない状態に保存してからリンク集を作らないといけないのかなぁー

[関連]
煩悩是道場 - はてなブックマークとは何であるのか
#いやー、恐ろしい。ほぼ同じ時にほぼ同じ内容書いてるよ。読んでびっくりした。
よく考えてブックマークしよう:メモランダム
『斬(ざん)』:はてブがフローからストックに変わる方法

追記(2007.04.09)
・関連にリンクを一つ追加

時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれない

2006年12月27日 | 想った事、感じた事
 たしかにブログをやっていれば、自分の記事が注目されたり、話題にされたりするのは非常に嬉しいものです。多くの人に読まれ、何かを感じてもらえたら、書き手として公開した甲斐があります。そしてさらにリアクションも頂ければ、なおさら嬉しいわけですが……

 でも、ちょっと待ってくださいよ。

 あの日あの時あの(自分の)記事が、Web でちょっとした注目を集めたけれど、その影であの日あの時同じように上げられた、幾千万(そんなにあるかわからないけど)の別の記事があるんだよね。その中には、自分の記事が見劣りするくらい、眩しくて輝いてるイイ記事が生まれている可能性だってあるはず。でも、それが決してその日その時に注目を浴びるとは限らない。ひっそりと陰に隠されて埋もれてしまっていることもあるだろう。

 そのような「消費されない記事」は、いつか日の目を見て注目を浴びて輝くことが出来るかもしれない。けれど、ブログはやはり生モノ。たとえ、いつ読んでも素晴らしい記事だとしても、生まれたての旬な時期というものがあるはずです。その時期を逸して、注目されずにいるという不幸、不運。そして、その代わりとまではいかないけれど、注目を集めてしまったオレの記事。

 果たして、それを無条件に喜んでいていいのだろうか?

 それは、本当は恥ずかしいことではないのだろうか?

 本当の一番は別にいる(いた)のに、自分が間違って一番になってしまったような罪悪感を感じることって、ないのだろうか?

 まだ、その本当の一番を知らなければいいかもしれないけれど、知ってしまったら恥ずかしくて穴があったら入りたくなりますね、たぶん。その知る時というのが、ある日突然、何の前触れも無く訪れて、ふと気が付いてしまったとしたら、それはとてつもなく恥ずかしいと思うのです。

[関連]
『斬(ざん)』:トラックバック記事は、ホント読まれていないなぁ
『斬(ざん)』:羞 恥 プ レ イ とは上手に付き合っていきたいものですね

追記(2007.01.01)
 関連にリンクを1つ追加。

ペンギンはいつか空を飛ぶ夢をみるかもしれない

2006年12月17日 | 想った事、感じた事
 先日、TV で、給食費を払わない親など学校教育関連の話題について、先生方とタレントが集まって、「やんややんや」やっていました(司会はたしか爆笑問題だったような)。その中で、「物語の内容を変えてしまう学芸会」(って感じのタイトル:うろ覚え)というビデオがあって、幼稚園(保育園)児らによる「桃太郎」の劇が流されていました。そして、その中でおじいさん(先生がやっている)が桃を切った場面で、中から「桃太郎」が何人も出てくる(たぶん演じた組の園児全員でしょう)という、トンデモなシーンを目の当たりにしました。

 おいおい、ちょっと待てよ。たしかに、自分の子供が主人公ってのは、嬉しいでしょうけど、それじゃー、物語が進まない。そりゃー、息子(娘)の晴れ舞台を楽しみたいって気持ちは分かりますが、それを不公平なしで平等にって考えは、その時点でおかしい。親バカは仕方ないけど、そりゃー子供をペットかなんかと思ってないか?

 よく考えてみなよ。世の中には、不条理というものが存在し、常にそれは付きまとうモノ。幼稚園児でも、その不条理というものを感じることが出来るはず。少なくとも自分の記憶を辿れば、幼稚園時代に、不条理を感じたことは何度もあった。

 その不条理というのは、トラウマにもなる可能性はあるけど、時にはその劣等感がバネになる場合だってよくある。というか、そーゆー経験は、もうこの時期から始まっている。それを大人が、甘やかして、現実と離れて無いことにしようという考えが歪んでいる。

 「学芸会」「運動会」は、花形イベントではあるが、それは毎年あることだ。年少、年中、年長。さらに小学1~6年まで、中学はさすがに多くの親はでしゃばらないだろうから除外しても、9年間あるわけで、その中で、いい役が一回あればいいじゃないか。

 そのときの優劣が、必ずしも後の優劣ではない。特に幼稚園のときなんて、生まれた時期によっても成長度が違っているのだから仕方ない面だってある。逆転はいつでも起りうるし、子供だって、去年の屈辱を晴らすべく努力する可能性だってある。また、逆にその全てがダメだったとしても、それが自分には向いていないのだと諦めも付く。

「3年前はペンギンでした。」

 とんねるずがまだ売れ初めのころ、新春かくし芸大会でやったのが、ペンギンの着ぐるみを着せられ、台詞もほとんどないチョイ役でした。そして、見事ブレイクした後に言った有名な言葉です。

 「ペンギン」の屈辱が、その後のバネになったかどうかは微妙ではありますが、「ペンギン」があったからこそ、そう語れるのです。成長の過程を得ることがいかに必要であるか示していると思います。

 幼稚園でみんなと同じ「桃太郎」の主役になっても、それでは、成長することはできません。最初から主役をしたら、それ以上はもう無いし、後は堕ちるか保つしかありません。それを、自分の意思ではなく、別の意思で最初に決められてしまうのです。そんな不幸はありませんよ。

「なんで、あの子が桃太郎で、私が鬼Cなのさ」

 その屈辱と不条理は一生心に刻まれ、「いつか桃太郎になってやる」を違った形で目指すことが出来るのです。それこそが一番大切なんじゃないでしょうかね。

蟻の運命に思ふ

2006年11月09日 | 想った事、感じた事
 今日、何気に左の腕に蟻が一匹這ってきた。そいつを、ぴょーんと右手の人差し指で親指を基点として弾いて飛ばした。蟻には、自分が今どこにいて、そして何をされたか分かる術はない。

 分からない。

 うん、蟻には一生分からない事。

 でも、実は人だって一緒なんだよね。

 だから、神や仏といった見えなくて分からないものを信じてすがるのだろうか。ただ、そう考えると、神様(蟻にとっては人間)って気まぐれだよね。腕に這っていた蟻をその時の気分で、ペチャっとするときもあるだろうし、えさをやりたくなるときもあるだろう。気が付かずにポリポリ掻いてしまい、誤ちを犯すこともあるだろう。蟻がそこで何をしていようが関係が無い。

 結局、分からないものは分からない。そして、その分からない何かによってどうにでもなってしまうものなんだろうな。

 分からないのだからどうしようもない。だから、考えても仕方ないから自分のするべきことをただするのみだろう。

 しかし、ある日突然、その分からない何かによって振り回されるんだろうな。

 ただ、その分からないものが存在してるってことだけは意識していたいと思う。

 なぜなら分からない事が訪れたときに、あぁ、これが分からない何かによって振り回されている時なんだと分かるように。

 蟻よありがとう。

検索サービスに特定キーワードの順位下げ依頼ができたらいいような……

2006年09月27日 | 想った事、感じた事
他人の不幸は蜜の味: ブロガーがSEOを語る際に抜けがちな前提

からの触発。

あれとかこれとか (Lefty):逆SEO
『斬(ざん)』:検索 TB 除け SEO 対策

を参考に、これらをまず読んでいただいた方が、より分り易いので、先に読んでもらえれば幸いです。

では、本題。
 SEO(サーチエンジン最適化) について思ったことですが、自サイト(ブログ)には、検索サービスからキーワード検索して訪れる一定のアクセスが存在します。そのアクセスには、目的が果たせる場合と果たせない場合があり、目的が果たせない場合は、訪れた人に損をさせてしまいます。

 アクセス解析では、訪れた人のアクセス元となる検索サービスとキーワードが分る場合が多いのですが、この中には、ある特定のキーワードから訪れても明らかに目的を果たせないであろうことが分るキーワードもあると思います。Webサイト側が、検索上位になってしまい申し訳ないと感じてしまうキーワードです。検索している人のニーズと合っていないアクセスというのは、どちらにとっても不幸な結果でしかありません。オレ自身も、その工夫を記事に書いていたりするのですが、双方にとって不都合なら検索サービス側で、ある特定のキーワードでの検索順位を下げることができるような申請窓口を設けたらいいのではないかと思いました。google、yahoo! の2大検索サービスさん。ご検討よろしくお願いします。

 ただ、申請方法については、その Web サイト(ブログ)の運営者かどうかの判断をどうやってするかが難しい部分ではありますが。

 そういった申請窓口ができる事によって、検索精度は上がるし自分のサイトに訪れる人の満足度も上がります。検索サービス、検索する人、検索から訪れたサイト先の全てにとって良好な関係となります。そして、不要なキーワードによる検索順位下げの申請に協力的な Web サイト(ブログ)には、検索サービス側から、幾ばくかのアドバンテージを与えられる工夫(例えば、代わりにあるキーワードの検索順位を上げる)をすれば、申請する数も増えると思われます。
 そうすることで、検索サービスの検索精度が上がれば、何も逆 SEO をする必要もないし、もしそういった、目的としないキーワードからの訪問が複数あった場合は、その検索サービスに申請すればいいだけです。

 アクセス至上主義な考え方が多数を占めているので、とても難しいこととは思いますが、その方が、数値には現れない、適正なアクセスが見込まれるため、より良い方向に向かうと思います。

 もちろん、意図せず訪れたが面白かったので読者になった、という例はあるとは思いますが、稀なケースであり、意図を持って訪れた人を対象とすることが望ましいと思います。幾ら精度を上げても、検索からの意図しない訪問が無くなるとは思えませんからね。

 ただ、『shuiro note:: くだらないものでGoogle1位になったコンテスト』のようなニッチで面白い企画モノには、参加出来なくなっちゃうかもしれませんけどね。

ダメな記事だっていいじゃないか

2006年09月23日 | 想った事、感じた事
 なんか以前にも書いたような気がするのですが、記事って軽かったり重かったり、面白かったりつまらなかったり、濃かったり薄かったり、様々で良いわけですよね。

 なーんか、気が付くと全ての記事にチカラ入れちゃってるんですよね。「もう、これってどうよ」なくらいダメな記事があってもいいんじゃないかと。もちろん自分は好きっていう価値基準のみで。

 周りの凄い記事ばかりを毎日巡回して眺めていると、どうしても、もっとイイ記事書かなくちゃになってしまいます。駄記事を薦めるわけじゃないけど、そーゆーダメさってのもあっていいよな、って思いますね。


[関連]
知らぬ間に構えすぎてはいなかったか - こんな世界のはしっこで・・・
『斬(ざん)』:スローブログのすすめ
『斬(ざん)』:気分転換に自分の過去記事でも読んでみる (検索元:『斬(ざん)』「肩に力」ブログ内)
『斬(ざん)』:解放される

#どうやら、定期的につまらなくなると過去記事を読んでは、この手の記事を上げている模様。さて次回は、いつ書くのだろうか?12月か9月というのが実績だな。
※初稿は、2006年9月7日に書いていますので、投稿時とは状況が異なります。

ツッコミビリティって……

2006年09月06日 | 想った事、感じた事
 その単語自体が、突っ込まれやすい。まさに名は体を表すだね。よく出来てます。

[参考]
(遊): 誤読を避けるココロ
philosophical(旧): 流行語?
煩悩是道場 - 書き殴りとツッコミビリティ
結城浩のはてな日記:■レッテル


 essa さんの「ツッコミビリティ」には、論理的ツッコミビリティと物理的ツッコミビリティっがあって、定義が難しい。『週刊!木村剛 powered by ココログ: 「ツッコマビリティ」に一本取られました!』にある
「脇が甘いようにみえる論理をそれとなく紛れ込ませておく」
のような使い方のほうが分りやすい。突っ込みどころ満載の場合に用いるのも、ツッコマビリティのほうが合っていそう。個人的に意識して用いる場合が多いのは、ツッコマビリティの方なので記事で使うときは、そちらを書きますね。

追記(2006.09.09)
・参考のリンクを1つ追加

小 倉 優 子 考

2006年07月19日 | 想った事、感じた事
 何かと話題の小倉優子さんなのですが、彼女のアレは、作ってるとかそうでないとか、よく話題にされるわけですが、こんな動画もありますね。

注:ファンの方は観ない方がイイかもね。
「夜もヒッパレ」時代の小倉優子さんの動画

 しかし、ホントの事がどうあれ、もしアレが作られたもモノだったとしても、あれだけ上手に化けて(?)いれば、立派だと思います。

 女性は元々、化粧や、服、靴(ハイヒール)、髪型、なので、男を騙す(?)ために化けている(それだけではないとは思いますが)のですから、化けていてもそれが、似合っている、または、分からなければイイのですよ。いわば、それを反則だとか、ズルイなどと言うのは単なる同性(女性)からの嫉妬であると思えます。

 彼女は、(グラビア)アイドルなのですから、そのキャラクターも、事務所からすれば商品なわけです。どのようにすれば男心をくすぐり、魅力的に惹き付けるかを戦略として取り入れ、それを実践し、結果として利益に貢献していればそれでいいのです。

 以前、「恋のから騒ぎ」で、彼女同様に作ってると疑われている河島未怜さんについて、スペシャル版で女子高生が多数出演してた時に、ある女子高生が話していたのですが、

「たとえ彼女が作っていたとしても、似合ってるしカワイイから許される。」

とかなんとか同様なニュアンスの事を言っていたのを聞いて、確かにキャラとして、それが許される場合と許されない場合があるだろうなとは思ったのです。

 しかも、そのキャラを演じるのは、結構たいへんであろう事は分かるわけで、それによって、もし男が騙されたのだとしても、騙されても構わないとも思わせてしまえばイイわけで、その場合は騙された男が悪いわけで、その女には罪は無いのです。

 話を戻しますが、結局のところ、多くの男性を(女性もか)騙してる、作っているキャラだとしても、それによって幸せを感じる男が多数いるわけで、その事で他者がとやかく言うのもおかしな話ではないでしょうか。

と、言いつつも、そのオレがとやかく言ってるわけなんですがね。

ブログから学んだ事のエトセトラ

2006年07月13日 | 想った事、感じた事
 ブログを公開するということで、記事を書いても必ず推敲し見直しをする癖がついた。そのお蔭で、何事に対しても、一旦引き、客観視する事が出来るようになった。もちろん以前からもしていたけど、無意識にそーゆー行動が取れるようになったことは収穫として大きい。

 これからは様々な場面で、パソコンから大多数に情報を発信する機会が増えるだろう。グループウェアで社内 SNS や社内ブログなどが取り入れられる可能性もある。そうした時、素人な場合は脊髄反射的な書き込みをして失敗する可能性も高そう。そういった意味でも、ブログで記事を書いてきたことは応用が利く。

 ・文字を扱うという事
 ・画面の向こう側への配慮
 ・感情的な文章の危険性
 ・拙い文章による誤読の可能性
 ・文章では、一部分しか伝えられない事
 ・相互間の温度差の違い
 ・立場による見方、捉え方の違い

 etc.etc.

 ブログもまんざら役に立たないわけじゃない。要は、どう取り組むかと応用次第ということだ。

「購読」って表現で合っているのか?

2006年07月03日 | 想った事、感じた事
 オレが無知なだけかもしれないが、

「 RSS リーダーで購読する」
とか

「はてブで購読する」
とか

「メルマガを購読する」
ってよく見かけるけど、「購読」って買って読むことだよね。
参考:こうどく【購読】 - goo 辞書

 どーも、この購読って表現を見るたびに引っ掛かるのですよ。

「別にそれ買ってないよね?」
ってね。確かにそれに代わる適切な言葉ってのが、あまり見当たらない気もするけど。

 実際、こーゆー使い方は、合ってんですかね。取得とか登録なんでないかい?
ただ、読むってことを表現したいんだと思うんですが。
で、「購」の字の「購う」(はじめて使ったよ「あがなう」だそうな)を調べてみた。その結果、「(1)買い求める。」と「(2)ある物と引き換えに別の物を得る。」とあるので、やっぱり RSS にしろ、メルマガにしろ、ちと表現としてどうか?って感じます。

 じゃーどんな表現が適切かってのが気になったので、それらしいのをピックアップ。

 【愛読】【閲読】【看読】【拝読】あたりを選べばいいように思うんですが、いかがなものでしょうかね。個人的には【閲読】が、一番適してるじゃないかと思いますが。

 「購読」を使うのが好きな方、反論願います。ちゅーか、何でそれが広まってるのかが謎なんですよね。メルマガ購読 - Google 検索とか観ると、AllAbout も出て来るし。その道のプロも購読してんだろうね。CNET や楽天でも使ってるしなぁ。

 購読は無料ってのも見かけるけど、それじゃ購読っていわなくねぇ?

 メルマガ大手の「まぐまぐ!」では、無料の場合は読者登録で、有料で初めて購読という表現がされているようです。これが適切かと。
参照:ヘルプ:メールマガジンを登録するのにお金はかかりませんか
 もう一つ大手の「melma! [メルマ!]」では、購読って書いていますね。いかにも、運営会社らしい表現かな。

 RSS もはてブもアンテナもほとんどは無料登録で読むことが出来るので、購読はないんじゃないでしょうかね。RSS による全文配信を有料でやるようなサービスもあるようですから、その場合はいいのでしょうけどね。

あ!「受読」ってどうですか?オレが今、思いついて作ったんだけど、受信して読むってことで。ダメ?

 同じような事感じた方がいたっぽい。すべてのクリエイターのために【日刊デジタルクリエイターズ】 | melma!「■笑わない魚 110」の下のほうにありますね。

 なんだか「購読」を根付かせて、今後 RSS は有料配信にしてビジネスで儲けるんだ、という刷り込み戦略が見え隠れしてるように思えるのは、オレの穿った見方なのかなぁ。無料と有料とは、はっきりと区別して、差別化しないと誤解を生みやすいんじゃないでしょうかね。

教師は毎年、同じ授業をしているよね

2006年05月29日 | 想った事、感じた事
 ふとした思いつき。「歴史は繰り返される」とか「話題がループしてる」なんて事をよく聞くけどさ。考えてみれば各科の教師って、ほぼ毎年毎年同じ教科書で同じ授業をするんだよね。そりゃー、毎年少しつずつ練りこまれてよくなっていくだろし、その時の空気によっても少しずつ変わってくるんだろうケドさ。ベースは変わらない。

 毎年、生徒が変わるから通用するってか、その時に教えることが決まっているからそうなるんだよね。でも、ブログとか Web 上で何かを書いたり、論じたりする場合は、一回だけ表に出ただけで、後は過去記事に埋れやすい。

 Web には、生徒と呼べる(その情報を知りたいと思ってる)人が不特定多数バラバラにいるだろう。しかし、それらがいつ見るか分らない。生徒は受動的ではなく能動的にならないと、辿り着けないのが、今の Web 環境。しかも、かなり熟練した検索をしないと、ピンポイントに欲しい情報(授業)に辿り着けない。

 以前オレは、『『むだづかいにっき』のリピートネタに思う。』で、リピートできるネタを90件持っていればいいんじゃないかと書いた。それをループさせて、その時の思いを付け加えてアレンジして最新記事として出せば、半永久的にやっていけるんじゃないかと。

 それで、ちょっと前まで話題になってた過去記事のお勧め記事表示の有効性の話になるんだけど、そう考えると同じ記事を繰り返し、過去記事は、過去記事として埋れさせておくのがいいのかもしれないと思った。

 受動的な人には、最新記事。能動的な人には、過去記事(検索などから)から同じ情報を得ればいい。既に過去に書いてあるので、そちらを参照とするよりも、過去記事を今の状況に書き直して、最新記事にする方が断然有効なんじゃないかと思った。静的から動的に Web サイトが変わったのだから、いつまでもそこに留めておくのではなく、常に過去記事を練り上げていき、生きた記事に再生するほうがいいのではないかと。

 ただ、問題は書く側にあって、一度書いた過去記事を練り上げる作業が、新記事を書くよりも、この上なく億劫で手間になるであろうことは言うまでも無い。

 ってか、人は忘れる。自分も忘れる。自分で書いた記事すら、書いた文章を全て覚えてはいない場合も多々あるだろう。その忘れるの、周期が分れば(ってか、自分が忘れてたらそれでいいんだけど)、その記事を、改めて作り直して最新記事にしてしまえばいい。そうすれば、新規読者も、リピート読者も両者新鮮な気持ちで記事を読めるんじゃないだろうか。もちろん覚えている読者はいるだろうけど、その読者には、新たな記事を織り交ぜて楽しませればいいのではないだろうか。

「それ、前にも同じような事書いたよね。」

て言われても、「うん、でもこーゆー理由でやってる。」と言い切ってしまえば、いいんじゃないかと。
 
 過去記事が最新記事より読まれないなら、最新記事に置き換えてしまえばいい。長い目で見ていけば、それが一番、自分の伝えたい事を多くの人に読んでもらえるんじゃないかと思った。もちろん、生徒(読者)の移り変わりが激しくはなるんだろうけど。

(完)
 ◇◆◇
 『Webページを作る心がけ』を読みながら思う。

教師は毎年、同じ授業をしているよね 3(完)

2006年05月29日 | 想った事、感じた事
 初めて読む方は『教師は毎年、同じ授業をしているよね 1』からお読みください。

 人は忘れる。自分も忘れる。自分で書いた記事すら、書いた文章を全て覚えてはいない場合も多々あるだろう。その忘れるの、周期が分れば(ってか、自分が忘れてたらそれでいいんだけど)、その記事を、改めて作り直して最新記事にしてしまえばいい。そうすれば、新規読者も、リピート読者も両者新鮮な気持ちで記事を読めるんじゃないだろうか。もちろん覚えている読者はいるだろうけど、その読者には、新たな記事を織り交ぜて楽しませればいいのではないだろうか。

「それ、前にも同じような事書いたよね。」

て言われても、「うん、でもこーゆー理由でやってる。」と言い切ってしまえば、いいんじゃないかと。
 
 過去記事が最新記事より読まれないなら、最新記事に置き換えてしまえばいい。長い目で見ていけば、それが一番、自分の伝えたい事を多くの人に読んでもらえるんじゃないかと思った。もちろん、生徒(読者)の移り変わりが激しくはなるんだろうけど。

(完)
 ◇◆◇
 『Webページを作る心がけ』を読みながら思う。