『斬(ざん)』

移転しました。
移転先:http://souryuusei.blog61.fc2.com/

■2006年9月アーカイブ

2006年09月30日 | 目次
■2006年9月アーカイブ

2006年8月← / →2006年10月

★★★☆☆ 検索サービスに特定キーワードの順位下げ依頼ができたらいいような…… 2006.09.27

★★★★☆ 初見の人にとっては記事の賞味期限は切れてない 2006.09.24
★★☆☆☆ ダメな記事だっていいじゃないか 2006.09.23
★★★★☆ トラックバックは誰のためにするのかなぁ? 2006.09.20
★★★☆☆ 「消費されるブログ記事」への反応集 2006.09.17
★★★★☆ 濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ! 2006.09.16

★★★☆☆ 本人が目の前にいても言える覚悟なんていらない 2006.09.13
★★★★☆ 消費されるブログ記事 2006.09.10
★☆☆☆☆ 更新が滞っております 2006.09.09
★★☆☆☆ ツッコミビリティって…… 2006.09.06
★★☆☆☆ goo ブログ界隈にスパムトラックバックが来襲中 2006.09.03




[参考] オレの記事おすすめ度を5段階にしました。

★☆☆☆☆ …たまにツボにハマルかも。
★★☆☆☆ …マニアックにはウケるよ。
★★★☆☆ …おすすめ!
★★★★☆ …超おすすめ!!
★★★★★ …まずは読んで見て!!

検索サービスに特定キーワードの順位下げ依頼ができたらいいような……

2006年09月27日 | 想った事、感じた事
他人の不幸は蜜の味: ブロガーがSEOを語る際に抜けがちな前提

からの触発。

あれとかこれとか (Lefty):逆SEO
『斬(ざん)』:検索 TB 除け SEO 対策

を参考に、これらをまず読んでいただいた方が、より分り易いので、先に読んでもらえれば幸いです。

では、本題。
 SEO(サーチエンジン最適化) について思ったことですが、自サイト(ブログ)には、検索サービスからキーワード検索して訪れる一定のアクセスが存在します。そのアクセスには、目的が果たせる場合と果たせない場合があり、目的が果たせない場合は、訪れた人に損をさせてしまいます。

 アクセス解析では、訪れた人のアクセス元となる検索サービスとキーワードが分る場合が多いのですが、この中には、ある特定のキーワードから訪れても明らかに目的を果たせないであろうことが分るキーワードもあると思います。Webサイト側が、検索上位になってしまい申し訳ないと感じてしまうキーワードです。検索している人のニーズと合っていないアクセスというのは、どちらにとっても不幸な結果でしかありません。オレ自身も、その工夫を記事に書いていたりするのですが、双方にとって不都合なら検索サービス側で、ある特定のキーワードでの検索順位を下げることができるような申請窓口を設けたらいいのではないかと思いました。google、yahoo! の2大検索サービスさん。ご検討よろしくお願いします。

 ただ、申請方法については、その Web サイト(ブログ)の運営者かどうかの判断をどうやってするかが難しい部分ではありますが。

 そういった申請窓口ができる事によって、検索精度は上がるし自分のサイトに訪れる人の満足度も上がります。検索サービス、検索する人、検索から訪れたサイト先の全てにとって良好な関係となります。そして、不要なキーワードによる検索順位下げの申請に協力的な Web サイト(ブログ)には、検索サービス側から、幾ばくかのアドバンテージを与えられる工夫(例えば、代わりにあるキーワードの検索順位を上げる)をすれば、申請する数も増えると思われます。
 そうすることで、検索サービスの検索精度が上がれば、何も逆 SEO をする必要もないし、もしそういった、目的としないキーワードからの訪問が複数あった場合は、その検索サービスに申請すればいいだけです。

 アクセス至上主義な考え方が多数を占めているので、とても難しいこととは思いますが、その方が、数値には現れない、適正なアクセスが見込まれるため、より良い方向に向かうと思います。

 もちろん、意図せず訪れたが面白かったので読者になった、という例はあるとは思いますが、稀なケースであり、意図を持って訪れた人を対象とすることが望ましいと思います。幾ら精度を上げても、検索からの意図しない訪問が無くなるとは思えませんからね。

 ただ、『shuiro note:: くだらないものでGoogle1位になったコンテスト』のようなニッチで面白い企画モノには、参加出来なくなっちゃうかもしれませんけどね。

初見の人にとっては記事の賞味期限は切れてない

2006年09月24日 | Weblog
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう

 『消費されるブログ記事』を取り上げていただいた記事からの触発です。関連が深いので言及を含みます。

TVで漫才が消費されるのは情報の再利用性が低いからだ。blogは、パーマリンクでそこに蓄積され続ける。googleなどの検索エンジンを経由して、いつ誰が必要としてくれるかわからない。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
 オレは、ネットでの再利用性も低いと感じています。詳しくは後述しますが、漫才の消費について考えれば、TV で観ていなければ、ビデオや DVD で観るという再利用はあります。なので、いつ誰が必要とするかについてはどちらも同じであると考えます。
しかし、SBMを使わない人もたくさんいるだろうし、あらゆる話題がSBMのユーザーに精査されてるわけでも、フォローされてるわけでもない。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
 オレの記事は、SBM だけではなく個人ニュースサイトも含んでの記事の話題性における旬の短さについて述べてます。

・自分が有用と思われる情報を書いておけば、ひょっとしたら数ヶ月後、半年後にgoogle経由でその情報を必要とする人が出てくるかもしれない。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
 それは既に経験済みでして、自分が有用と思われる情報を書くことは、非常に大切だと思います。同意します。
・多くの人に消費されるよりも、本当に必要とするその一人のための情報を書いておこう。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
 これにも同意。過去に分家で同様なことを書いてます。転載します。
過去記事は長い長い未完成の文章の一部:ひとりごと

 ・オレは、別に多くの人に過去記事を読んでもらいたいとは考えない。オレの過去記事を面白いと思ってくれる人。読んでよかったと思う人。その人には、届けたい、読んでもらいたいと思うのです。その為には、今のところは、少し目立つ場所にいないとダメなようなのです。別に目立ちたいわけではない。埋れたくないだけです。

 Google にしても、はてなにしても、検索という機能をネットにおいて重要視しているのは、つまり、欲しいと思った情報により正確により早く辿り着くことを考えてるからですよね。それが便利であり、その仕組みが、最も利益を生むと思うからサービスとして試行錯誤してやってるわけでしょ?つまり同じ事なんですよね。

 オレの記事を欲する人の所に簡単に辿り着ける手段、方法があり、その仕組みが出来上がっているなら、オレは何も目立たなくてもいいのですよ。オレの記事を読んで良かったと思う人が、たとえ100万人に一人だけだったとしても、その一人に届けば満足ですよ。それでいいよ。それ以上は望まないよ。でも、現実そんな事はありえない。だから何とか工夫して、一人でも多くの人に読んでもらう事で、その中から読んでよかったと思う人を増やしたいんです。それには、過去も今も無い。必要な時に必要な人のところへ必要なものが届けばいいのです。だから、過去記事だって大切なのです。
かめのこだまし…? - ■weblog 2006/07/31


逆に言うと、はてブされることだけを狙って書いたキャッチーなだけの文章というのは、結局、むなしく消費されて終わるような気がする。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
 この文以下の内容については、
『斬(ざん)』:定番記事を書くことのススメ
『斬(ざん)』:もちろんブログの話題は自由なんだけど

あたりで
その点をよーく考えて、過去になっても輝くことのできる定番記事を書くことに注意してみるといいと思います。
『斬(ざん)』:定番記事を書くことのススメ
 は、まさに“消費されないブログ記事を書こう”なのです。そして 
あからさまに狙っている記事というのは、ある程度狙ってることが読まれてしまうものですからね。そういう記事を否定するつもりはありませんが、オレは「定番記事」により近づけるような記事を意識しながら書いていこうと思うのです。
『斬(ざん)』:もちろんブログの話題は自由なんだけど
 は、
はてブではマイナーかもしれないが、自分が有用だと思う情報をしっかりblogに書いていくことで、ブックマークで数字があがることとは違うニーズがインターネットに存在することを意識できると思うのだが、どうだろうか。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
 というのと、マイナーでも役立つ記事をと言うのは、新しい視点で素晴らしいと思います。でもそれ以外、言わんとすることはほぼ同じことです。

 つまり、思うに過去記事で既にある程度同様な内容については書いているのに、そこに視点は当たらず、同様な新しい記事に注目が当たるという点が、まさに「消費されるブログ記事」ということを実感する部分なのです。その部分で、ネットでの再利用性は、まだまだ低いと思うのです。

 はてなブックマークに関していえば、結局スポット的に Permalink の記事のみに注目が集まる。そのブロガーの今まで書いてきた事や、関連性、経緯などは無視される傾向が強いです。それが数によって評価される点で、薄っぺらく感じるのです。もちろん Permalink のみでの視点というのも貴重ではあるんですが、過去記事(上記で上げた2つの記事)まで把握した上で、今回のオレの記事を読んだ場合とでは、また違った感想や深みといったものが出るんじゃないかと感じるのです。

 あと、「消費されるブログ記事」の補足になります。google などの検索エンジンを経由して訪れる、ピンポイントのロングテールのアクセスにもっと関連付けをして、他の記事を埋れさせないようには出来ないだろうか?そういった仕組みが作られたらいいなぁーという思いがあります。Permalink だけではなく、関連性のある記事が、簡単にピックアップされて紹介されるような仕組みが出来上がれば、消費されるスピードも緩くなると考えます。じっくり書いた役立つ記事が、もっと簡単に役立つ相手に届く仕組み。それを望んでいるのであって、そうすることで、短期間で消費されない賞味期限の長い記事になることを望んでいるのです。現状では、それが叶わない事に憂いを感じるのです。

 初めて読む人にとっては、記事の賞味期限が切れていない場合も多いはずです。その記事に消費された時の盛り上がりの名残が、関連記事となってデコレーションされていれば、より楽しめるでしょうし、さらにそこから、関連記事を書いて加わっていただければ、なお更面白いじゃないないですか。

ダメな記事だっていいじゃないか

2006年09月23日 | 想った事、感じた事
 なんか以前にも書いたような気がするのですが、記事って軽かったり重かったり、面白かったりつまらなかったり、濃かったり薄かったり、様々で良いわけですよね。

 なーんか、気が付くと全ての記事にチカラ入れちゃってるんですよね。「もう、これってどうよ」なくらいダメな記事があってもいいんじゃないかと。もちろん自分は好きっていう価値基準のみで。

 周りの凄い記事ばかりを毎日巡回して眺めていると、どうしても、もっとイイ記事書かなくちゃになってしまいます。駄記事を薦めるわけじゃないけど、そーゆーダメさってのもあっていいよな、って思いますね。


[関連]
知らぬ間に構えすぎてはいなかったか - こんな世界のはしっこで・・・
『斬(ざん)』:スローブログのすすめ
『斬(ざん)』:気分転換に自分の過去記事でも読んでみる (検索元:『斬(ざん)』「肩に力」ブログ内)
『斬(ざん)』:解放される

#どうやら、定期的につまらなくなると過去記事を読んでは、この手の記事を上げている模様。さて次回は、いつ書くのだろうか?12月か9月というのが実績だな。
※初稿は、2006年9月7日に書いていますので、投稿時とは状況が異なります。

トラックバックは誰のためにするのかなぁ?

2006年09月20日 | ブログの話
『斬(ざん)』:濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ!


 あのね、そりゃ、トラックバック送る送らないは各ブロガーの自由ですが、これだけ関連の濃い記事書いて、相手に直接伝えないってどーゆー事(もし、送ったけど反映されなかったのなら、お伝えくださいね。先に謝っておきます。ごめんなさい)?
と書きました。かなり押し付けがましい表現であったのですが、なぜ送らないのか?といった疑問をストレートにぶつけてみました。

 各ブロガーのトラックバックポリシーがあるとは思いますが、あえて強引な書き方にしたのは、感情的な文章の方が、より反応を引き出しやすいと思ったからです。

カナかな団首領の日記 - トラックバックしろ
はてなブックマーク - むぎブクマ / 2006年09月16日

では、記事を読んで「トラックバックしろ」とゆーふーに感じられたようですが、しない理由を率直にお伺いしたかった。そして、最近トラックバック機能を活用しなくなったと感じているから、少し刺激的に書くことで、トラックバックを送るスタンスというのを、多くの人に考えて欲しかったのが狙いです。ツッコマビリティをちょっとやり過ぎた感は否めませんが。

 歓楽叶わぬ納骨堂庭園の xura さんのポリシーが、
私はトラックバックでの言及を良しとしていない。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 瓶に入れて海に流しているようなもの
であることは、存じていましたが記事内でリンクするに際して、知っているからそこだけ外すというのも変だと思ったので、入れさせていただきました。その辺り、「知ってるくせに、何で突っ込むの?」と思われたことでしょう。またその他の方も同様に、出過ぎた言動により不快な面が多々あったことについては、率直にお詫びいたします。すみませんでした。

 トラックバックに対するポリシーは『トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか [絵文録ことのは]2006/01/06』にあるように、分かれていますが、その中でも送る基準についてはあまり明確になっていません。『トラックバック・ポリシーを作ろう。ルールやマナーに悩む人のための作成ガイド [絵文録ことのは]2005/05/24』でも、受身の内容になっているものが多く、送る場合のポリシーは書かれていません。

 たぶん、リンク先のほとんどは、「言及リンク文化圏」に属していると思います。その中でも、トラックバックを送る送らないの基準は曖昧です。そのブロガーの主観による部分が大きいです。その部分で、もう少し突っ込んだ議論をしたかったのです。

 往々にして「言及リンク文化圏」の方は、相手を立てることを重んじる傾向にあり、自分が相手先で目立つ事を気にします。その為、相手側からすると、トラックバックして欲しい内容の記事が書かれても、送られない場合があります。代表的な意見として
でも送る方からすると「書いたよ!読んで読んで!」みたいに必死に宣伝してる感じがすると言うか、別に大したこと書いてないから送らなくていいんじゃね? とか思ったり
なつみかん@はてな - トラックバック
 ではないでしょうか。自分の中にも同様な気持ちはあります。また、大した事かの判断は、他者の判断で変わると
その言及が濃いか薄いかは人それぞれだ。氏が濃いと思っていても此方は濃いとは思っていない。氏が書かれているその記事も氏は薄いと思っているだろうが人によっては濃いと取るかもしれない。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - その矛盾があなたの本心を表している
と書かれています。まったくもって同感です。そして、以前から言われてる「ゆるコミュニケーション」
ゆるこみゅにけーしょん【ゆるコミュニケーション】

[名詞]ブログやソシアル・ブックマーク・コメントを利用した「相手が気がついてくれたらラッキー」ぐらいの感覚でする意思や情報の伝達手法のこと。メールや電話のように押し付けがましくないので、情報過多時代にふさわしいコミュニケーションの一手法として注目が集まる。この言葉が最初に使われたのは、life is beautiful というブログの2005年のエントリー。
Life is beautiful: ブログで「ゆるコミュニケーション」(検索元:ゆる~い Life is beautiful - Google 検索
 の指摘をされたのが
そもそも「私はあなたの書いた記事に対してこのように反応しました」と明確に通知するトラックバックって、日本人の気質に合ってないんじゃないかなーと。
なつみかん@はてな - トラックバック
 です。

 それで、相手が「ゆるコミュニケーション」で来た場合に、相手に合わせるのか、それとも、もっと突っ込みたいから、こちらの「濃いコミュニケーション」を求めていくのか。そう考えた場合に、濃い言及だと判断した時、相手に「濃いコミュニケーション」を求めていくことが、どうなのか?という事です。

 その結果、その「濃さ」に付き合ってくれたのが
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - その矛盾があなたの本心を表している
Mugi2.0.1 - ちょっとしたことじゃトラックバックしない
最終防衛ライン2 - 私がトラックバックをしない理由

 「同意」してくれたのが、
チミンモラスイ? p-article さん

 参加してくれたのが、
A bc - 20:00
明日は明日の風が吹く - 『斬(ざん)』:濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ!
気づかないうちにハードルを上げてしまっていたかもしれない - こんな世界のはしっこで・・・

 ゆるコミュニケーションを選択した
カナかな団首領の日記 - トラックバックしろ
なつみかん@はてな - トラックバック

 コメントで回答を頂いた
F's Garage

 静観した(今のところ)
最終防衛ライン2


 たぶん、最終的に一番多く感じたことは、souryuusei はウザいヤツ。だと思います。しかし、自分を犠牲にして、これらの多くの意見を得られたことは、とても貴重で嬉しい限りです。
ここで読み手もまた書き手となって「ただ消費するだけではないエントリ」を書く、ということで、より相互の活性化が起こせる仕組みがブログにはある(図の上と下)。



というか起こせる仕組みもあるし起きているのだけれど、そこんとこをもっと意識的にやっていくことで(切込隊長が書いてたみたいな)ブログ寿命問題を回避することはいくらか可能なのではないか、というのが今回の主旨。ブログが「消費されるエントリ」というサイクルのなかに入ってしまうと、(お笑い芸人のように)どんどん消耗していって自分のブログ寿命を短くしかねないのではないか、ということです。

で、たぶん大事なのは図の上下にあるサイクルの、右上当たり。継続して話題を練っていくことのできるブロゴスフィア、あるいは「書き手としての読み手」らへんではないかと。
シナトラ千代子 - 消費されるブロガーは消耗する、つまり短命になる。
 で述べられているように、継続して話題を練っていく事を、今回実践してみました。ゆるコミュニケーションでは、直ぐに消費されてしまう。それでいいのか?つながりを間接的にばかり求めている事が、どうなのか?自分でその線を作る努力というのは、本当に必要が無いことなのか?
消費された後、残るものもあるんじゃないか。その条件はわからないのだけれど。
ゆみぞう+ブックマーク
 にある、その条件は、「トラックバックなどの個人間の意思によるつながり」が大きいのではないかと思うのです。

 それから
氏が「トラックバックを送りましょうよ!」と書いているのにも関わらずトラックバックを送らないとは人の事は言えないよという事ではないのかと私は思うよ。
(中略)
これはただの憶測だが、氏はトラックバックを送ってこない私(達)への不満をトラックバックを送らない事で抗議しているのだろうな。と思うのはただの勘繰りだろうか。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - その矛盾があなたの本心を表している
 についてですが、オレは送らない理由を問うているのであって、「送らないのはけしからん」とは思っていません。あえてトラックバックを送らなかったのは、相手がどういうリアクションをするかの結果待ちだったからです。トラックバックはいつでも送る事が出来ます。記事を訂正して、トラックバックを送る事も可能です。自分は、濃いと判断しなかったので送らなかった。と書いた。それに対して、どう思ったのか、という思考を導くためでもあります。

 タイトルにある「トラックバックは誰のためにするのか?」。自分のためなのか、相手のためなのか、読者のためなのか。その全てを満足させる事を考えると、送らないということが、後ろめたさを持ってしまうやっかいなツールといえる。しかし、多くの場合に、言及されたことが少しでもあれば、送ってくれた方がいい、ハッピーを運んでくれるツールでもある。

 送った方が、消される事に寛容になること。
 送られた方は、消す事に躊躇しないこと。

 でも、そのルールは確立できない現状。お互いの温度差が分らないし、合わせられないから中和する間接的なツールを求めてしまう。しかし、その一定の温度に保たれた温室の中では、新しい物は生まれにくいのではないかと思う。

 だから、少しでも言及したなら、ゆるコミュニケーションを取っていたとしても、濃いコミュニケーションに巻き込まれる覚悟は、持つべきである。そして、それに付き合うのか、どうするのかを明確にする必要があると思うのです。ゆえに、濃いコミュニケーションを求められる事を許容する必要性を感じます。


[関連]
『斬(ざん)』:消費されるブログ記事

[TB:カナかな団首領の日記 - トラックバックしろ]
[TB:歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 瓶に入れて海に流しているようなもの]
[TB:歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - その矛盾があなたの本心を表している]
[TB:なつみかん@はてな - トラックバック]
[TB:Life is beautiful: ブログで「ゆるコミュニケーション」]
[TB:Mugi2.0.1 - ちょっとしたことじゃトラックバックしない]
[TB:明日は明日の風が吹く - 『斬(ざん)』:濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ!]
[TB:シナトラ千代子 - 消費されるブロガーは消耗する、つまり短命になる。]

追記(2006.09.21)
・状況変更に伴い、記事内容の一部を変更。打ち消し線部分。
・「最終防衛ライン2 - 私がトラックバックをしない理由」のリンクを追加

「消費されるブログ記事」への反応集

2006年09月17日 | Weblog
消費されるブログ記事

には、数多くのリアクションを頂きました。その中の一つ、
はてなブックマーク - 『斬(ざん)』:消費されるブログ記事
から、恒例になりました、気になったコメントへの勝手にコメントレスです。

moto_hiのブックマーク
コミュニケーションの要素が抜け落ちてるのが気になる・・・。
・その辺りは、抜け落ちていました。というか、昨今の薄いコミュニケーションが蔓延してる辺りにも、つまらなさを感じていたんでしょうね。

BOOKMARK STATION
雑誌感覚で書く/読むならば、消費されても構わないと思う。
・雑誌感覚では、書けないんですよね。イメージでは、雑誌の連載記事ならいいかなと。後でそれ専門で書籍などにまとめられることを考えて書きたい感じです。

最終防衛ブックマーク
僕は、同じネタを何度でも書けばいいと思っている。
・うーん、それもモチベーションがなかなか続かないと感じます。同じネタを繰り返し書くにもエネルギーが要りますからね。新しい話題の方が書きやすい。でもそれが結局、短期間で消費されるサイクルを作ってしまうのですが。

むぎブクマ
書いていれば何かが起きる
・それは分りますが、書いている間も消費(消耗)していくんじゃないかと……

ゆみぞう+ブックマーク
消費された後、残るものもあるんじゃないか。
・それはあると思います。でも、消費される速さが問題でして、あまりにも効率が悪いんですよ。過去に埋れた記事のロングテールをどうやって掘り起こすかが肝であり、そこが問題だと思ってます。

好きな記事
斬の人の印象も、初めに見た頃とは随分様変わりしたなあ
・初めの印象がどうで、今の印象がどうで、どう変わったのか知りたい気もしますが、知るのも恐い気もします。

ラージアイ・イレブンのブックマーク
ブログは何十年も残し続ける上では効率が悪い、というのはある意味で真実。
・同感。ブログって意外とログを残せないんじゃないかと思うんですよ。というか、残ってたとしても、深く埋れていくだけだと。
ダウンタウンのようにその瞬間に影響力を行使するならブログよりもブックマークが効率的。
・オレには、その才能も順応性も無いし、性格的に難しいのですよ。そういったルサンチマン的なネガティブな劣等感が、記事には含まれていますからね。でも、その辺りを結構多くの人が、同様に感じる部分でもあるんじゃないか思います。

OHHHH!MY LIFE OF THE BOOKMARK (BY嗚呼女子大生活)
そもそも他者に消費される、と考えなければいいのに。
・今回、「消費」をどう定義するかを決めなかったことが結果として様々な捉え方が出来て感じ方も広がったように感じます。「消費される」というのは、少しオーバーな表現ではあると思います。オレの定義では、「話題にされている期間」=「消費される」ですね。

umetenのブックマーク
漫才と司会はいうなれば定型詩(例:俳句)と即興詩(例:連歌)のようなもの。どちらが上というのではなく、形式の違い。
・上じゃなくて、その時の流行というか、大衆が求めているモノと適合するということです。ダウンタウンは、その時代にマッチする「笑い」の方法を突き詰めて、自分達の出来る「笑い」と時代が求める「笑い」とをシンクロさせ、その中で最高のパフォーマンスができることを考えて、研究し実践したのだと思います。

nigel's bookmarks for bookshelves
ストック志向の私には向かないメディア形式かも。
・それは、オレも感じますね。でも、考え方次第だとも思える部分があるんですよね。
「コメントやTB」が諸刃の剣なんだろうなぁ…反応がすぐ可視化されない状態に耐えられるか。
・この辺りも鋭いなぁーと感じます。そうですね。即時性が強い傾向がありますから、直ぐに反応を求めてしまいがちになり、じっくりと取り組む環境を作り出しにくい部分がありますね。それが「消費」と深く関係してる部分もあると思います。

はてなブックマーク - 囚人の共有知 ? / 2006年09月12日
ローカルに徹して、地方巡業の長い旅の尻尾に出かければよいのです
・八十八箇所地方ブログ巡礼でもしないと浄化されませんかね(笑)?


その他クリップ頂いた方も含めて、ありがとうございました。ブログに対するモチベーションが落ちていましたが、トラックバックやこーゆーリアクションが頂ける事で少し持ち直しました。まさに一番の特効薬ですね。

濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ!

2006年09月16日 | 「斬」
 えー、『消費されるブログ記事』から派生した話題が、ことのほか盛り上がったのですが、一つだけちょっと寂しいと言うかむなしい事があります。

 折角、濃い言及(リンクや引用含)をしていただいているのに、トラックバックをしてくれない。それも複数箇所ある。とても参考になるイイ記事ばかりで、たいへん勿体無いので、あえてリンクします。

F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
Mugi2.0.1 - 種を仕込む人になりたい
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 本物の書く人は己自身に向かって書くものなのだ
最終防衛ライン2 - ブログの記事が消費されるなら、何度でも同じ事を書けばいい
チミンモラスイ? : ブロゴスフィアのブログ消費論 その0

 あのね、そりゃ、トラックバック送る送らないは各ブロガーの自由ですが、これだけ関連の濃い記事書いて、相手に直接伝えないってどーゆー事(もし、送ったけど反映されなかったのなら、お伝えくださいね。先に謝っておきます。ごめんなさい)?

 もちろん、少し話題になってるから送りづらかったってのは分りますけど、言及してるブロガー達は、はてなブックマークでもちょくちょく話題になってる、評価の高い方々ばかりです。今更、気が引けるのもどうかと思いますよ(そうじゃなくても言及いただいたなら、トラックバックは欲しいです)。

 はてなブックマーク関連を巡回すれば、言及されてるのは見つけられますよ。交流先な所もあるし。間接的に当人(つまりオレ)が見ることを想定してるだろうってことも分りますよ。でもね、それって、やっぱり消費されるこの時期のみでつながってるだけなんですよ。後になって過去ログに埋れた時、検索などから訪れた人には、言及していただいた関連先の記事へは辿り着けないのですよ。それって、やっぱり勿体無くないですか。もしそう思うんだったら、言及した記事にトラックバックして関連付けしてくださいよ。

 はてなブックマークの緩いコミュニケーションとそのつながり易さという便利さに慣れすぎてしまって、肝心な事をなおざりにしていませんか?
・多くの人に消費されるよりも、本当に必要とするその一人のための情報を書いておこう。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
 そうお思いになるなら、その本当に必要とする一人を導く道筋は、一本でも多いほうがいいんじゃないでしょうか?

 折角ブログやってんなら、トラックバック機能は、有効に活用しましょうよ!


 あ!肝心な事書き忘れてた。この度は言及いただき、誠ににありがとうございました!!
(感謝の気持ちは、斬って応える。それが『斬(ざん)』ですからー)
[TB:F's Garage:消費されないブログ記事を書こう] トラックバック無かったよ。
※記事との関連性が薄いので、その他のリンク先には、あえてトラックバックは送りません。

[参考]
『斬(ざん)』:トラックバックは誰のためにするのかなぁ?

追記(2006.09.23)
・参考にリンクを一つ追加

本人が目の前にいても言える覚悟なんていらない

2006年09月13日 | ブログの話
備忘録ことのはインフォーマル:■サイト運営ポリシー

のなかで
相手の目の前で同じことが言えないことは、書かない。批判を口にする場合は、本人が目の前にいても言える覚悟を持つ。その覚悟ができなければ書かない。自分は安全な場所から隠れて相手に石を投げるようなことはしない。
備忘録ことのはインフォーマル:■サイト運営ポリシー
と、松永さんはサイト運営ポリシーを掲げられてます。しかし、どうもコレに違和感を覚えた。最初に断っておきますが、他人様のサイト運営ポリシーについて、自己中心的なもの以外でとやかく言うのは、ナンセンスだと思いますので、コレはおかしいとか、間違ってるって事で書くんじゃないです。自分に当てはめて、このポリシーは「どうよ?」と思ったので、その点を書きたい衝動に駆られて書いてます。言及的な書き方になってしまうのは、単にオレの文章力の無さというか、配慮が欠けるバカ者ゆえだと思ってください。そうしないと書けそうも無いので……

 で、本題。
『斬(ざん)』:オレが「ハ ウ ル の 動 く 城」をつまらないと感じた理由(わけ)
は、宮崎アニメに対する批判記事ですが、これを宮崎駿さんご本人を前にして言う事はとても出来ません。
『斬(ざん)』:小 倉 優 子 考
だって、小倉優子さんの前では言えません。
『斬(ざん)』:はてなブックマークはオレにとってブックマーク集ではなかった
も、はてなブックマークを作った naoya さんの前ではとても言える度胸はありません。

 しかし、これら全て、各人に読まれてもいい、むしろ読んでほしいとは思います。そして、出来れば、ご意見、感想、反論を頂ければとさえ思います。

 では、何でご本人を目の前にして言えないか。それはリアル社会での立場が既に存在するからです。Web のいいところは、誰でもフラットなところ。宮崎駿さんだろうが小倉優子さんであろうが、Web 上では、対等な立場で話し合う事が出来る(もちろん、立場が分らないように、ハンドルネームなどを用いてですが)。それが魅力です。リアルな立場を考えたら、とてもこのような記事は書けませんし、公開などできません。

 Web 上で批判する場合に、相手が目の前にいても言える覚悟なんて、必要ないと思います。そうすると、世間のシガラミが入り込んで、リアル社会の力関係で、言えることも言えなくなります。それでは、ブログの面白さは半減してしまいます。

 だから、オレは「相手の目の前で同じことが言えないことは、書かない。」というのは、ポリシーとして好きになれない。「相手に読まれるのが嫌なら書かない」くらいがいいんじゃいないかと思うのです。……と、続きの記事が上がってた。
備忘録ことのはインフォーマル:■ポリシー続き
「影でコソコソ言わない」というだけのこと。世の中には「悪口は本人の耳に入らない方がいい」と考える人もいるから、そういう考え方はしないということ。
備忘録ことのはインフォーマル:■ポリシー続き
 この考え方に同意ですね。
やっぱり批判的な記事に仕上がっちゃったよ。嫌味だねぇ。どーしてこーゆーふーにしか書けないかね。ったく。
[TB:備忘録ことのはインフォーマル:■サイト運営ポリシー]

消費されるブログ記事

2006年09月10日 | ブログの話
 先日 YouTube で、ダウンタウンとゲストによる昔のトーク番組を観ました。その中で、ダウンタウンが漫才に対する考え方などを語っていて、それがとても興味深かったのです。今回はそこからの触発です。
 漫才は、結局ネタを練って作り上げてイイ物を完成させても、TVなどで大衆に公開してしまう現状では、せいぜい5~6回も見れば、内容(展開、オチ)が分っているために面白くなくなる。つまり消費されてしまう。それはとても効率が悪い。それなら漫才という、時代にそぐわない笑いはやめよう。って事でやめたんだ。ってな事を語ってたのですが、ブログの記事についても同じだなぁーと感じたところ。

 一生懸命、構成や文体を考えて記事書いて、推敲して、誤字脱字チェックして、校正して何度も確認してアップする。で、少し話題になったとしても、所詮一週間もしないで忘れ去られ、瞬く間に消費される。それは、とても効率の悪いやり方だよなぁーと悟った。ブログの記事ってのは、ライブ感が重要なんだな、って。それで、それに順応できなければ、ブログではなく、別の方法で評価をもらう事を考える方が得というか、合っているんだろうな、と感じた。

 ブログでは、生な感覚で、思いついたことを即書いて公開してしまう。そのパッションがウケるのだろうな。特に一般のブロガーの場合は。既に、地位やステイタスを持ってるセレブなブロガーは、このまま何書いてもそこそこ楽しめるんだろうケド。これからは、一般ブロガーには、酷な時代が到来しそうな予感。

 消費されてもよい記事を書き、じっくり記事を書くのは、別方面と頭を切り替えて考えた方が、よさそうです。

 話を漫才に戻すけど、漫才はこれからも滅びる事は無いでしょう。しかし、だんだん芸術性を重視した考えに移行し、落語や歌舞伎のように文化として、芸術化していきそうな感じがする。そうすると、庶民的から少し離れてしまうんだろうな。結局、通好みのそれに取って代わり、その中で成り立つ仕組みを作っていくのだろう。

 そですね。そう考えてみると、そろそろ『斬(ざん)』は終わりに近づいているのかもしれませんね。別の何かに進化しないと、ダメなんじゃないかと思う今日この頃。

 記事分割方式が上手く機能できず、それに代わるいい方法も思いつかず、さりとて「チラシの裏」なことをやるのも乗りきれずな状態。暫く長考ですね。立ち止まってみるのも悪くないかな。


[参考]
simpl-e-blog:「ネット上で発言」と言うハードルがどんどん低くなっている
はてなブックマーク - 『斬(ざん)』:消費されるブログ記事
『斬(ざん)』:「消費されるブログ記事」への反応集
『斬(ざん)』:濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ!


追記(2006.09.16)
・参考にリンクを一つ追加
追記2(2006.09.17)
・参考にリンクを一つ追加
追記3(2006.09.21)
・参考にリンクを一つ追加

更新が滞っております

2006年09月09日 | その他
 えー、たいへん申し訳ございませんが、サボっております。正確に言えば、ブログに対するモチベーションが落ちております。

 でも、これを悪いとは考えていません。むしろ以前から望んでいた、ネット依存症からの脱却に繋がるかもと、期待してるわけです。

 最近のブログ界隈や巡回先でのネタに、どこと無く魅力を感じなくなりつつあります。それが自分にとって良いのか悪いのかは、わかりませんが、あぁ、こーゆー時もあるんだなぁー、と他人事のように感じているところです。

 このまま消極的になっていくのか、それともまた元のようにネットジャンキーに戻るのか分りません(ネットジャンキーからは足を洗いたいのだけど)が、程よく身を任せてみたいと思います。

 もちろんこれからは更新頻度も落ちるでしょうし、先々月からのような隔日ペースからは程遠くなるとは思いますが、それでもいいかなというのが今の心境であります。

 って結局、ネタ切れです(笑) いや、推敲とか編集とかネタを書くとかのモチベーションが上がらないから、草稿中記事がアップできる状態にないんですよね。書きたいネタもあるし、上げたいと思うネタもあるんだけど、書こうという気が起きないというかまとまらないので、書く衝動が起きない。また完成してる草稿中の記事も上げる時になって上げる気がしなくなるからしょうがない。

 てなことで、しばらく完全ロムラーに戻ろうかと思っておる次第であります。と、いいつつ気まぐれ更新するかもしれませんけどね。って、どっかでもそんな事書いて更新して無いからしなくなるのかな?

 まったりとゆるく行きたい長月の夜
 と、9月2日にこんな記事を書いてて、その後、既に3~4記事書いてるオレは嘘つきです。それでも、この記事をボツにするのがイヤだから上げる大馬鹿者です。ただモチベーションが落ちてるのは変わらないホントです。

ツッコミビリティって……

2006年09月06日 | 想った事、感じた事
 その単語自体が、突っ込まれやすい。まさに名は体を表すだね。よく出来てます。

[参考]
(遊): 誤読を避けるココロ
philosophical(旧): 流行語?
煩悩是道場 - 書き殴りとツッコミビリティ
結城浩のはてな日記:■レッテル


 essa さんの「ツッコミビリティ」には、論理的ツッコミビリティと物理的ツッコミビリティっがあって、定義が難しい。『週刊!木村剛 powered by ココログ: 「ツッコマビリティ」に一本取られました!』にある
「脇が甘いようにみえる論理をそれとなく紛れ込ませておく」
のような使い方のほうが分りやすい。突っ込みどころ満載の場合に用いるのも、ツッコマビリティのほうが合っていそう。個人的に意識して用いる場合が多いのは、ツッコマビリティの方なので記事で使うときは、そちらを書きますね。

追記(2006.09.09)
・参考のリンクを1つ追加

goo ブログ界隈にスパムトラックバックが来襲中

2006年09月03日 | ぼやき
 goo ブログ 各所で、多数のスパムトラックバックが、小一時間内に送られてきているようです。
以下、被害報告リンク集(一部疑惑の場合あり)。

あれとかこれとか (Lefty):とりあえずTB承認制にしてます

迂回亭新館:何の因果か

naota-blog:不可解なトラックバックスパム

Panyawoさんのブログ:トラックバックスパムが酷い

ひとりごと:不明なトラックバック!!

はてなブックマーク - 好きな記事 / 2006年09月03日
俺のところにも同様の手口でスパムが押し寄せていました。(中略)全部異なる記事へ一つずつくっついてました。

むっしゅの戯言 SPEC-B3:SPAM Trackback

Masaca's Blog 2:Trackback spam

 このブログにも06/09/02 09:24~06/09/02 10:28の間に16件のスパムトラックバックがありました。全部異なる記事に各1ヶずつ。

 「できるブログ」を紹介するのもいいですが、スパムをしっかり弾いてくれる「できるブログサービス」って本でも作ってくださいな。ね、goo さん。

 って、スタッフブログにトラックバック送ろうと覗いたら、スタッフブログもスパムまみれだ……
 スタッフさん。早く削除しましょうよ。それ放置してたのでは、ユーザーの窓口になりませんよ。