平成19年3月7日(水) これが平年なれど寒し 消防記念日
携帯電話の画像も320万画素に性能が上がり,遠い富士山の夕焼けもこの程度に写せるようになった。
また,有名な聖徳太子は彼女の兄(用明天皇)の子(甥)にあたる。
新たな証拠がでてこない限り,あくまで仮説のいきを出ないのである。
平成19年3月6日(火)啓蟄
今日は戦前(昭和期)の地久節だった日。地久節とは皇后陛下の誕生日のこと。天皇陛下の誕生日を天長節というのに対して用いられた言葉である。もちろん,昭和天皇の后だった,良子妃の誕生日である。追号は香淳皇后。
又今日は,ジャンヌ・ダルクの日となっている。
1429年(我国は足利時代・琉球・沖縄に統一王国ができたころ),イギリスとの百年戦争で苦戦していた仏皇太子シャルル7世のもとに,神の啓示を受けたというジャンヌ・ダルクが現れた日ということだ。
彼女の出現で戦況は一転し仏の勝利に貢献した。しかし翌年イギリス軍に捕えられ,宗教裁判にかけられて「異端者」(魔女ではない:英国では魔女扱いだが)として火あぶりにされた,このあたりは有名な話か。
子供の頃からジャンヌに対して「本当に普通の農夫の娘なのか!?」という疑問があった。この辺は現在でも明らかではないらしい。私は貴種流離を考えていたわけである。
さて,啓蟄の今日は寒いとの予報だったが,関東平野部ではさほどもなかった。日本海側では前日との気温差が15度だったとか。
プリムラがひっそりと咲きました。多分かなり前の卒業式に使ったものを地植えしたのだろうと思われる。そういえばマーガレットらしき葉も花壇には出ていた。
下は満開になった西洋実桜(いわゆるサクランボ)。実のなるのも今年は早いだろうな。
そういえば東京で桜が本当に一輪咲いたというニュースが流れた。木々も早い春に出を急いでいるようだ。
平成19年3月5日(月)後 春の嵐
今日は美人コンテストの日である。明治41年に本邦初のコンテストが行われ,写真判定の結果,選ばれたのが当時16歳だった,末広ヒロ子(トップ画像)であった。学習院女子中学(旧制)の学生だった。写真は彼女の義兄がかってに送ったものだった。
さて,その学校の校長が,かの乃木希典だったことから,この結果は事件となった。彼女は風紀紊乱ということで自主退学に追い込まれてしまった。当然ながら彼女の知らないところで起きていた事態の責任を,彼女にとらせるのはあまりに情がないということにはなったが,退学の決定は変わらなかった。
さすがの乃木もおのれの不明を恥じたのか,彼女をある伯爵家に嫁がせるという粋なことをしたのだという。
今でも,モデル写真集を出版して,約束と違うとして退学処分にする学校はあるので,明治の時代はおしてしるべしであろう。まだ大和撫子ということが当然の時代であったわけである。
今のような軽佻浮薄の時代とはちと事情が違っていた。しかしながら義と理のある時代でもあったのだ。
現代ではミスコンテストと呼ばれているこの催しの優勝者はその後芸能界にいく者が多いのだが,中には織作峰子氏のように写真家として名を成す方もいる。
いずれにせよ,美人という相対的価値によって,右往左往すべきではないと思うのだが。
平成19年3月3日(土)上巳の節句・桃の節句
トップ画像は『風流十二節 雛祭』1775年(安永期)ころ 礒田湖龍斎/画
今日は雛祭。はるか昔(?),私が幼稚園児だった頃,別の幼稚園と合同に春のお遊戯会を毎年開催していた。ちょうど3月だったので,そちらの幼稚園は雛祭の歌にあわせて,お内裏様,お雛様,三人官女,五人囃子に扮した園児が踊り(お遊戯)を見せていた。白粉で白くなった顔見て同じ園児ながら感激したことを記憶している。
今思えば,その園児たちとは四月から同じ小学校に通うことになったわけで,顔見せ交流の意味があったのだと思っている。
追悼:池田晶子氏
昨日,文筆家の池田晶子氏が,2月23日,腎臓癌で逝去されていたことが,報道された。行年46,早すぎる。哲学を比較的平易に語ることで多くの読者を獲得していたのに誠に残念。「週刊新潮」のコラム「人間自身」にもそのようなことには触れていなかったように思う。手元の3月8日号(1日発売)には休載のお知らせがあったが,今となっては虚しい。
ところで,あるHPで彼女のエッセイ(週刊新潮 05年8月25日号)をバカバカしいと批判していた方がいる。
その方は腎臓癌で闘病生活を送っているのだが,池田氏が同じ腎臓癌で亡くなったことを知った今でも,彼女のエッセイをバカバカしいと言えるのだろうか?などと思ってみた。
彼女の思索は闘病という範疇を超えていたに違いない。そういう人が考えたことはある意味常人を超えていることがあるのではないか,と私は思う。
その潔い生涯の閉じ方に,杉浦日向子氏を思い出した。
池田氏の本に『残酷人生論』というのがある。そのなかに「なぜ人を殺してはいけないか」という文章がある。
彼女はその理由を「規則」だからといいきった。殺人を快楽と考える人がいる以上,それ以外の答はないという。
確かに,「規則」は人間が社会動物として生活していくうえでの大前提なのだった。