美島奏城  豊饒の海へ

豊饒の海をめざす、教育と文芸と風流に関する備忘録

俳人 田中亜美氏 覚書

2012年09月29日 | 俳人

田中亜美 覚書

 

田中 亜美(たなか・あみ) 1970年10月8日生  ドイツ現代詩研究

 

第18回 現代俳句協会新人賞

 

 

 

「白蝶」   

                         帆 船 は 祈 り の 位 置 に 夕 薄 暑

                         し づ か な る 拳 緑 蔭 過 ぎ る 鳥

                         頬 い つ も 張 り つ く 痛 み 夏 の 蝶

                         白 百 合 の 臓 腑 あ ら は に 咲 き に け り

                         白 き 砂 利 心 臓 に し て 金 魚 か な

                         白 日 傘 真 空 管 と し て あ ゆ む

                         息 止 め て し ま へ ば き つ と 踏 ま れ ぬ 蟻

                         い つ 逢 へ ば 河 い つ 逢 へ ば 天 の 川

                         ス ピ ノ ザ は レ ン ズ を 磨 き 天 の 川

                         擦 り 切 れ て 犬 と わ た く し 蝉 時 雨


渥美清の俳句

2008年08月30日 | 俳人

  フーテンの寅さんこと渥美清がなくなって、はや12年。彼が晩年、風天と号して俳句を詠んでいたことをごく最近新聞によって知った。

 『風天 渥美清のうた』森英介著、大空出版、という本には次のような俳句が紹介されている。

 

   ゆうべの台風どこに居たちょうちょ

  赤とんぼじっとしたまま明日どうする

  お遍路が一列に行く虹の中

    

  技巧に走らない素朴さ、渥美清の人柄を彷彿とさせる俳句ではないだろうか。

  

 

商品画像:風天


夏井いつき著『子規365日』

2008年08月21日 | 俳人

 俳人の夏井いつき氏の『子規365日』という最新刊の新書本を購入した。ありそうでなかった内容の本だろう。(研究書や地方出版物の中にはあるかもしれないが)

 この時期に出版されたのは、来月が子規の祥月にあたる関係であろうか、などと思いながらざっと目を通した。

 

 子規の句の中で人口に膾炙しているのが、たぶん「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」であろう。

 

 私がこの句を知ったのは小学生のときで、兄の修学旅行のお土産に書かれていたからだ。なんともおかしい(ユーモラスなということ)言い方(俳句という言葉も知らなかった)だなと漠然と思った記憶がある。

 

 正直、だからなんだ、ということでもある。この思いは俳句に初めて接する小学生に共通の思いではないかと思う。十七音で何が伝えられるのだ?俳句ってどこが面白い?という思いなのだ。

 

 この思いは真面目に生きていけば、いずれ改まる類の幼い思いである。人生の修行のなかで俳句のよさに気づくのである。だから俳句に熱中する方には高齢者が多いのだろうと思う。

 その俳人の人生を知らずとも、己の人生のフィルターによって十七音を解釈できるようになるからだ。

 

  さて、実は本書にはこの「柿食へば」の句は採用されていない。以下の柿の句が採用されている。

 十月八日 柿

   句を閲すラムプの下や柿二つ

 十月九日 熟柿

   カブリツク熟柿ヤ髯ヲ汚シケリ

 

  そして子規が「柿食へば」の句を作ったとされる10月26日の頁では、以下の句が採用されている。

         いなご
  余所の田へ螽のうつる日和哉

  

  夏井氏が「柿食へば」の句を外した訳は、有名な句はあえて採用しなかったということだろう。もっといい句が他にもありますよ、ぐらいのサービス精神からだろう。

  

  「写生」の概念を俳諧に採用し「俳句」を創りだした子規の役割は極めて大きいものがあったのだ。

  子規は35年に満たない人生で、約24000句を詠んだといわれている。  

 

  なお、夏井氏は子規と同郷のかたで、俳句甲子園などで有名な方である。

 

 

 


三橋鷹女特集

2008年05月26日 | 俳人

 俳誌「俳句α」の6-7月号は三橋鷹女の特集をしている。そこに載せられた「鷹女秀句30・鑑賞」をそっくりなぞってみる。

 

 

すみれ摘むさみしき性を知られけり

蝶とべり飛べよとおもふ掌の菫

日本の我はをみなや明治節

夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり

初嵐して人の機嫌はとれませぬ

ひるがほに電流かよひゐはせぬか

暖炉灼く夫タンゴを踊らうか

亡びゆく国あり大き向日葵咲き

冬来るとあたりけだものくさきかな

しやが咲いてひとづまは憶ふ古き映画

この樹登らば鬼女となるべき夕紅葉

若葉してうるさいっ玄米パン屋さん

秋風や水より淡き魚のひれ

笹鳴きに逢ひた人のあるにはある

女一人佇てり銀河を渉るべく

ふらここの天より垂れて人あらず

白露や死んでゆく日も帯締めて

老いながら椿となつて踊りけり

鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし

白骨の手足が戦ぐ落葉季

鴨翔たばわれ白髪の媼とならむ

墜ちてゆく炎ゆる夕日を股挟み

老鶯や泪たまれば啼きにけり

あす覚める眠りかみがく桃色ひづめ

藤垂れてこの世のものの老婆佇つ

ふるさとは山鳩が啼く夢も老いて

千の虫鳴く一匹の狂ひ鳴き

うつうつと一個のれもん姙れり

 

個性的な選句かな?


実作 俳句教本

2008年05月25日 | 俳人

  古本屋で『実作 俳句教本』(本庄登志彦著 平成19年刊)を購入。半値になっているので950円。“実作”とつくのがみそらしい。「はじめに」では旧来の入門書をひとくさり批判しており、実作をまず勧める。なるほどと思うところもある。

 

  「おわりに」を読むと「惜命惜日」とある。本庄氏が79歳のときの著書なので、これもなるほどと大いにうなずく。残された生に感謝する心構えに俳人としての貌がみえる。


晩年力

2008年05月05日 | 俳人

  石寒太氏の『芭蕉の晩年力』、老人力という言葉よりは、晩年力の方が普遍性が高いだろう。誰もが老人まで生きることはないわけだが、どんな長さの人生でもその人生の晩年はあるからだ。

 芭蕉の生涯は実質50年、享年51であるから、その晩年は江戸に出てきたころとして35歳、さらに有名な奥の細道紀行に出たのが45歳。晩年は単純にこのころといえる。

 50歳の生涯といえば当時の平均とはいえ、現代では若死に近いものだ。太く充実した人生であったことは間違い。

 現代で考えると晩年は60か65歳あたりを境と考えることになるだろうか。晩年はまさに気ままに最後の自己実現を図るべし、と。


写真俳句

2008年04月26日 | 俳人

 写真俳句というジャンルがある。俳画の現代版とでも言えようか。ブログの中にも多く存在する。あの森村誠一氏もその一人でお気に入りにしている。

 そんなおり、本屋の俳句コーナーで見つけたのがこの本。買った?いえ。今回は見ただけです。

 

   ちなみにこの俳人の代表句に

         裸にて世間のことをどうかうと 
                     
(どうこうと)   
    がある。


日乘  俳句の本

2007年08月05日 | 俳人

平成19年8月5日(日)

  

  中村裕(なかむらゆたか)氏の俳句の本はこれが2冊目。1冊目は同じく新書版の『やつあたり俳句入門』であった。この本はきわめて痛快な本で,一気に読み終えた。

  今回のものは彼によるアンソロジーなのだが,その手法は季語による分類ではなく,実生活による身近な分類による。たとえば,第1章は「流離う人々」で,分類は“家・道・地名・旅・時・遊”である。新興俳句の流れに身を置く氏ならではのものとなっている。

  


日乘  誓子忌

2007年03月26日 | 俳人

平成19年3月26(月)

 

 スノーフレークが咲いた。しかし花数が少ない。管理が悪いせいだな。

今日は古今東西,著名な方の命日だ。

ざっと,柳生宗矩忌(1646年)
     楽聖忌(1827年 ベートーベン)
     ホイットマン
(1892年 米:詩人『草の葉』)  
     
 レイモンド・チャンドラー 

      (1956年
 米:推理小説家『大いなる眠り』『長いお別れ』
     犀星忌(1962年 室生犀星)
     鉄幹忌(1935年 与謝野鉄幹)
     誓子忌(1994年 山口誓子)

 

 まぁ,好みの問題だが,犀星か誓子をとりあげると,今回は山口誓子となるか。

 山口誓子は多くの先達(草城・秋櫻子・歌人川田順ら)の教えを血肉として現代俳句の地平を拓いた俳人である。

 その自覚的な作句方法は映画の技法なども取り入れ読む者の想像力をかきたてるものであった。

 学問のさびしさに堪へ炭をつぐ

 夏草に機関車の車輪来て止る

  麗しき春の七曜またはじまる

 海に出て木枯帰るところなし 

 

氏の『俳句鑑賞入門』(昭和42年初版)には多くを学んだ。


日乘  眞砂女忌

2007年03月14日 | 俳人

 

平成19年3月14日(水) 
 

 この項未完

 

  平成15年(2003年)の今日は俳人・鈴木眞砂女の命日。行年96。

           
       銀座で営んだ「卯波」にて            重光葵の描いた「吉田屋」時代の真砂女

 

※画像は本山可久子『今生のいまが倖せ…… 母,鈴木真砂女』(講談社)より


日乘  草城忌

2007年01月29日 | 俳人

 

平成19年1月29日(月)のちわずかに

 

 今日は私の好きな俳人・日野草城の命日。行年55。東鶴忌,銀忌とも呼ぶ。

 草城は明治34年(1901年)の7月18日に東京上野に生まれた。本名は日野克修(よしのぶ)。

 京都大学に進み,「京大三高俳句会」を結成し俳句にいそしむ。大正13年(1924年),法科を卒業しサラリーマンとなる。
 学生時代に『ホトトギス』参加,21歳で巻頭となり注目を集める。俳誌の巻頭に作品が載ることは最大の栄誉である。目覚しい活躍で昭和4年には28歳で同人となる。俳句の世界であ同人とは幹部の意味と考えてよい。

 草城の進取の気性は,昭和9年,『俳句研究』に新婚初夜を描いた連作の「ミヤコホテル」を発表すると,俳壇に一大センセーショナルを巻き起こした。
  この「ミヤコホテル」はフィクションだったが,ここからいわゆるミヤコホテル論争が起きた。中村草田男,久保田万太郎が非難,室生犀星が擁護にまわった。
 このミヤコホテル論争が後に虚子から『ホトトギス』除籍とされる端緒となった。

 昭和10年,東京の『走馬燈』,大阪の『青嶺』,神戸の『ひよどり』の3誌を統合,新興俳句のさきがけともいうべき『旗艦』を創刊主宰。
 無季俳句を容認し,頑迷な虚子と袂を分かった。翌,昭和11年,杉田久女らと同時に『ホトトギス』同人より除籍となる。

 戦後,昭和24年,大阪池田市に転居,『青玄』を創刊主宰。昭和21年,肺結核を発症し,以後の10数年は病床にあった。
 昭和31年,逝去。

 前半は都会的な俳句をつくり,人間賛歌・女性賛歌というべき作品を発表し,後半,病を得てからは,人生の心境を注視した作品をつくり続けた。

 「俳句は東洋の真珠」とは草城の言葉である。

 草城については復本一郎の『日野草城 俳句を変えた男』が好著である。また,同氏は『俳句とエロス』でも草城について追究している。

 

日野草城 俳句を変えた男 / 復本一郎/著

 


日乘  『おらが春』・熊楠忌・露風忌他

2006年12月29日 | 俳人

 

平成18年12月29日

 

 知人の義母様のお通夜に参列。合掌。

 
 1819年(文政2年),小林一茶の句集『おらが春』が成立した。
 俳句をかじったことのある方なら,誰しもが芭蕉・蕪村・一茶の江戸三大俳諧師を知っていて,その作風の違いもなんとなく知っている。特に生涯に2万句を詠んだ一茶の俳風は他の2人とかなり違うなぁ,と感じているはずである。(ちなみに芭蕉は約1千句,蕪村は約3千句)
 一茶の人生と,彼が接した師系の違いによるものである。彼の俳風を真の田舎体とでも呼べばいいのではと考える。

  

『おらが春』から

目出度さもちう位也おらが春

椋鳥と人に呼ばるる寒さかな

露の世は露の世ながらさりながら

麦秋や子を負ながらいわし売り

蚤のあと数へながら添乳かな

這へ笑へ二つになるぞけさからは

故郷は蠅まで人を刺しにけり

蟻の道雲の峰よりつ  きけん

雀の子そこのけそこのけ御馬が通る

我と来て遊べや親のない雀

蟻の道雲の峰よりつづきけん

悠然として山を見る蛙かな

秋風やむしりたがりし赤い花

ともかくもあなた任せのとしの暮

トップ画像は一茶の自画自賛の一部。

 

 

今日は気になる有名人の命日でもある。 

 

南方熊楠
(植物学者・民俗学者)1941年行年74

南方熊楠

 

 まさに異色・異能・異才の学者である。そして,その人生をして伝説の人である。
 
大正6年,自宅の柿の木から新属新種となる粘菌を発見し,イギリスのグリエルマ・リスターによって記載された。学名,ミナカテラ・ロンギフェラ(Minakatella longifera・「ミナカタの長い糸」の意) 。日本ではミナカタホコリとの和名がつけられている。

 昭和4年,昭和天皇が神島に行幸された際,熊楠は粘菌などに関する進講を行った。このとき,キャラメル箱に入れた粘菌の標本を天皇に進献したエピソードはよく知られるところである。

 没後の昭和37年,昭和天皇は海上の神島を眺めつつ「雨にけふる 神島を見て紀伊の国生みし南方熊楠を思ふ」と熊楠を偲ぶ歌を詠んでいる。

 むずかしい題材だがコミックにもなっている。水木しげるの『猫楠』,内田春菊の『クマグスのミナカテラ』,私の記憶に違いがなければ,魚戸おさむの『家栽の人』にも熊楠をモデルにした植物学者が何度か登場している。小説では神坂次郎の『縛られた巨人』(新潮文庫)は読んだ。

 

     

  縛られた巨人 南方熊楠の生涯

 

三木露風

 (詩人『赤とんぼ』) 1964年行年75

 
       露風                『赤とんぼ』碑(龍野市)

 兵庫県揖西郡龍野町(現龍野市)に生まれる。本名・三木 操。

 20歳で代表作の「廃園」を出版し,早熟の天才と認められた。29歳ころから赤い鳥運動に参加し童謡を手掛ける。32歳で,有名な「赤とんぼ」の詩がある「眞珠島」を出版。その作詩中,「赤とんぼとまっているよ竿の先」は中学時代(高等小学校)の俳句からとったという。
 白秋と併称され「白露時代」と呼ばれた。
 童謡『赤とんぼ』本当にいい歌で,私は『ふるさと』と並んで好きな歌である。


山田耕筰
  (作曲家・指揮者『からたちの花』『赤とんぼ』)
    1956年文化勲章   1965年・行年79
 

     Yamada, Kosaku
音楽教室によくあるのが左の肖像,右は当然若い頃

 露風の『赤とんぼ』に曲をつけたのが山田耕作,この命日のシンクロには因縁を感じる。
 本当にいい曲をつけてくれた。

 

石川淳  昭和62年行年88 
 (小説家・昭和11年下期芥川賞 『普賢』『至福千年』)

石川淳

 戦前・戦後の文学界で自己を見失うことなくまっすぐ生きたという印象。昭和42年(1967年),支那(中国)の文化大革命に際して,川端康成・三島由紀夫・安部公房らとともに共同声明を発表し,強く批判した。先見の明があった行動だった。


日乘  黛まどか讃

2006年11月26日 | 俳人
 
 
平成18年11月26日(日)一時
 
 
 秋の暮手にあたたかきサイン本  奏城
 

 古本屋にいくのは趣味のひとつ。最低でも週に2度は行くことにしている。探している本が出ているかもしれないからだ。その他にも蒐集の対象にしている作家の本が出ているかもしれないからだ。
  そこで,今回見つけたのが,黛まどか氏のサイン入り本『星の旅人』と文庫版『B面の夏』。“黛まどか”ときいて,あの人と思い浮かぶ方は俳句に興味のある方。
  黛氏の句風で多くの若い女性が俳句に関心を示し,作句の道に入ったのですから,その功績は大きいものがあります。

  実は氏のサイン本を見つけたは2冊目,最初はトップ画像にある文庫本『聖夜の夜』(講談社)だった。見つけた私はうれしかったが,一体なぜサイン本を手放してしまうのか理解に苦しむ・・・・・・。
  なお今回は,山本健吉著『句歌歳時記 秋』,松澤昭著『わが百句』も購入。


 
表紙を繰ると毛筆のサインが!

 


 

『B面の夏』より 四季の句を一句ずつ 


蓬摘む赤いポルシェで乗りつけて
旅終へてよりB面の夏休
前略につづく夜長のエトセトラ
大切なもの皆抱へ冬に入る
待ちし一枚その中にあり年賀状


28歳の頃の作品,なんともライトです。

 


 ところで美貌の誉れ高い黛氏ですが,下の肖像を見ていてふと思ったのが,ダイアナ元妃に似ているということ?ウ~ンちがうか!

 

 


日乘 一茶忌

2006年11月19日 | 俳人

 

平成18年11月19日(日)すぐ寒い! 一茶忌

 

 本日,一茶忌。
 一茶といえば,ご存知のように芭蕉・蕪村と並ぶ江戸俳諧の3大俳人でしょう。
 一茶の俳諧はなんといっても庶民的で滑稽味があり,それでいてどこか哀愁も感じられる作品が多いようです。俳諧自体,もともと気取った文芸ではなかったので,一茶の作品群は俳諧の本来の姿を保っているといえそうです。たとえば,雀や蛙など小動物を詠んだ句は現代っ子でも充分楽しめるものです。
 さて,一茶の生涯は一般に不遇なように思われていますが,そこは俳諧師,それをばねに作句に昇華していたのでしょう。
 ほかにいろいろとがんばっておったようです。たとえば,房総の弟子である俳人・織本花嬌との交流。江戸から木更津まで足しげく通っていました。
 江戸に近いため,房総には結構一茶の弟子がいたのですね。

 


↑痩蛙負けるな一茶是ニ有

 

子を返せとや猫を追ふ
紅粉付けてづらり並ぶや朝乙鳥
うす墨を流した空や時鳥
雪とけるとけると
の鳴く木かな
よ雁いくつのとしから旅をした
に一葉ふるまふ若葉かな
里の子やも交じる花御堂
花びらに舌打ちしたるかな
星の歌よむつらつきのかな
(くちなは)も一皮むけて涼しいか
足元へいつ来りしよ蝸牛
梅咲くや障子にの影法師
をこそぐり起こす柳かな
の子の故郷はなるる秋の雨
しぐるるやに引かれて善光寺
がいな村祭る冬至かな
舞扇の泪のかかるかな
春風やのなめる角田川(すみだがわ)



他の動物もありますがこのへんで・・・・・・。

 

 


日乘  三橋鷹女 讃

2006年11月11日 | 俳人

 

 

平成18年11月11日(土)朝方

 

 用事があってどしゃ降りの中を歩くことに。
 ここのところ公私共に多忙で「立冬」の情緒もおいてきてしまっていたので,今日は少し俳風で。

 

   冬来たる眼をみひらきて思ふこと   三橋鷹女


↑鷹女  俳句界では4T(星野立子・橋本多佳子
中村汀女)と呼ばれた女流俳人の一人。 

 故人の女流俳人のなかでは,杉田久女・鈴木真砂女とともに好みの俳人です。



足音はひと組となり冬の傘  奏城