美島奏城  豊饒の海へ

豊饒の海をめざす、教育と文芸と風流に関する備忘録

日乘   月下美人咲く

2006年07月31日 | 四季

平成18年7月31日(月)涼風 

 杉原千畝忌(ユダヤ人救済の外交官 行年86) 

 

 埼玉県ふじみ野市営プールにてなくなられた戸丸瑛梨香(小2・7歳)のご冥福を謹んでお祈りいたします。  

  今宵,今年初の月下美人が二輪咲いた。さわやかな夜風にゆれている。
  月下美人はクジャクサボテンの仲間でメキシコ原産の植物。棘はないので扱いは簡単。増えすぎた葉は差木にして増やせます。一説によると日本の月下美人のDNAはすべて同じとか。

 
 一夜の夢幻の如き花でうっかりすると,朝,そのしおれた姿をみることになる。つくりの豪華さ,香の芳醇さはまさに月下美人の名にふさわしいかと。何はともあれ,今年も会えてよかった!

  俳句では石原八束の次の句が好み

      焔を吐いて月下美人のひらきそむ
       
  ほをはいて げっかびじんの ひらきそむ 

    

      甲斐ありて月下美人の逢瀬かな   奏城
         
かいありて げっかびじんの おうせかな 

    

   


日乘  驟雨忌(吉行淳之介忌)

2006年07月26日 | 小説家

 

平成18年7月26日(水) 

    吉行淳之介忌 ’94年没 行年70 勝手に「驟雨」忌と命名。

 
   今日は吉行淳之介の命日。宮城まり子に看取られての最期だった。
 私は氏の作品の熱心な読者ではなかったので最初に手にしたのが,芥川賞受賞作の『驟雨』で,最後に手にしたのが第31回野間文芸賞作品『夕暮れまで』であった。驟雨がにわか雨のことだと知ったのもそのおりであった。

 氏は20代の一時期,私の故郷の病院で療養生活を送っており,まぁ,それで一種好ましい作家ということになっていた。だから,妹の吉行和子(女優)も,故・理恵(詩人)も好ましい方々ということになりますか。
 母はNHKの朝ドラにもなった美容師の「あぐり」さんであった。父はエイスケといって作家である。つまり,この家族はみんな文才があるということになるなぁ。

  
エイスケ                                  あぐり

 

 吉行和子氏 吉行理恵さん
淳之介              和子              理恵

 

  和子氏は俳句も趣味である。

 

 トップ画像は私がつくったミニ盆栽。直径7cm程の器に楓が3本植えてある。ほっておけば踏みつぶされそうな苗木を集めて植え,土の上にスナゴケ(砂苔)をかぶせた。

 

         四階に風受け流す若楓   奏城


日乘  杉浦日向子讃

2006年07月25日 | 教育

 

平成18年7月25日(火)午後から
 
 
秋元不死男 忌 <行年75歳> 
 
 
 本日は「夏氷の日(「な(7)つ(2)ご(5)おり」の語呂合せ)だそうである。日本かき氷協会が制定したそうだ。夏氷とは,つまり,かき氷のこと。
 今のようなかき氷が広まったのは明治になって,
製氷技術が確立してからだ。
 それ以前は,冬に凍った天然の氷を切り出し,氷室に保存して食していた。とはいえ,それは貴族や大名クラスの贅沢品であった。

 

 かき氷といえば,ミルク宇治金時が豪華であろうか。
 しかし,氷を味わうなら,砂糖水をかけただけの水
(すい)
にかぎる。氷の透明感が切子硝子の器に似合うからだ。
 とはいえ,今日も梅雨空で旨いかき氷は食しようもない。


 同じ食べ物関係でいうと,今日は「味の素」がつくられた日でもある。明治41年(1908年),化学者で東京帝国理科大学(現在の東大理学部)教授の池田菊苗が,「グルタミン酸塩を主成分とせる調味料製造法」の特許を取得したのであった。
 まぁ昆布だしは何故旨いかという疑問から出発した訳である。

  

  さてトップ画像は故・杉浦日向子の文庫本。あのNHKの歴史バラエティ「お江戸でござる」で和服姿で解説をしていた方だが,私は彼女の著作には,ほとんど目を通している。

 江戸時代の研究家になるために漫画家になった由。それで漫画家として名を成した後は,江戸研究家として活躍されたのだった。
 昨年の7月22日,46歳の若さで逝かれましたが,病魔を自然と受け入れ,天命を全うした,江戸っ子の気風のよさをもっていた方であった。というわけで,風流のトップに来ていただいた。

 

         夏氷陽に透かし見る日向子の忌 奏城


日乗3 月下美人と河童忌

2006年07月24日 | Weblog

 

 

平成18年7月24日(月)  河童忌(芥川龍之介命日 昭和2年没)

 

   

  今日は芥川龍之介の命日。“ぼんやりとした不安”のなか自裁した芥川については,いずれ新たなカテゴリー「自裁の人々」で思いを語ろうかと。


 
              ↓芥川の遺書

 

 画像は我家の月下美人の蕾,この時期に蕾をつけるのはかなり早いような,確か9月にもう一度咲くはず・・・・・・。昨年,花後に古い茎・葉を始末したせいかなと。始末したものはもちろん差穂にしてあります。

 

  月下美人・河童忌ともに夏の季語ですので,一句の中には使わないのが基本です。月下美人を月下の花として一句。

 河童忌や月下の華の蕾なる 奏城


日乗2  薄

2006年07月23日 | Weblog

 

平成18年7月23日(日) 大暑・土用の丑

  豪雨災害の被災者の方々衷心よりお見舞い申し上げます。

 

  今日は大暑で土用の丑の日。大暑は夏の暑さの絶頂をいいますが,まだ梅雨が明けない今年はなんとも蒸し暑いばかりで,辟易。そして土用の丑ですからね。鰻を食べたいという気持ちも萎えるばかりです。

  

  土用とは立春・立夏・立秋・立冬のまえ18日間(各季節の最後18日間とも)をいうのですが,今では土用といえば夏の土用(立秋前18日間)のことになってしまいました。そしてこの暑さを乗り切るスタミナをつけるためにとPRされたのが鰻を食すること。

 

  鰻を食べるのは,江戸時代,平賀源内が,鰻屋から夏の土用には鰻が売れないからと宣伝文句を頼まれてつくったコピーが評判をよんで以来の習慣らしい。もっとも「う」のつく物をたべる習慣はあったようで。うどんや梅干もよく食したそうで。鰻と梅は食い合わせが悪いというのは。鰻と青梅の間違いだそうで。梅干は食欲増進によく,鰻重を食べる前に食するとよいそうです。

 

  さて,画像は薄2種です。手前がシマススキ(縞薄)で奥がタカノハススキ(鷹の羽薄)。近くのホームセンターで購入しました。まぁ,地味な薄を買う方はあまりいないようですが,この斑入りの薄は自然界ではお目にかかったことが無いので,つい買ってしまいました。秋にはもっと葉を茂らせてくれることでしょう!秋には薄に満月でしょう,と風流人は考えた訳です。

 

     空を斬る薄の音の横にゐる  奏城

 

PS:最近,薄と荻を混同している童がふえましたね。


日乗1  林檎

2006年07月22日 | Weblog

平成18年7月22日(土)のち 
                      日向子忌(杉浦日向子 行年46歳 江戸風俗研究家)

       ひさしぶりの晴間,これも梅雨の晴れ間だから,これも「五月晴」でしょうか?!

 我が家の鉢植えの林檎(富士)が結実して、直径五センチほどになりました。 この地域は,リンゴもミカンもなる寒暖の中間地点。

 

 現在の林檎は明治期に輸入されたセイヨウリンゴの子孫(品種改良)。赤系と青系がありますね。かつて,昭和30~40年代(『三丁目の夕日』のころです)は,赤系の代表が紅玉(コウギョク,アカダマとよんだ人も),青系がインドリンゴ(インド原産ではありません)でした。その当時は青森の業者が馬車をひいて関東地方まで行商に来ていました。

 明治以前はワリンゴを食していたようです。

 

 林檎の花は,白色に淡い紅がさす五弁のものです。清らかなイメージです。(バラ科だけのことはあります)林檎の花は季語では,「花林檎」などとされ「春」を表します。そして,夏から秋にかけて熟していく実は,「秋」の季語になります。残念ながら,未熟なアオリンゴは「夏」の季語とはなっていないようですが,かってに季語として一句。

 

    光陰の思ひを結ぶ碧林檎  奏城 おそまつ

 

 PS:そうそう,林檎といえば島崎藤村の詩「初恋」を思い出しますなぁ。でも,藤村の林檎は長野林檎でしょうね。