なじみの本屋のカウンターには、少し変わった品揃えの新刊コミックがならんでいる。この一冊も大手の本屋には並ばないような作品だが、個性的なので購入。作者は塩川桐子(とうこ)氏。
あとがきを読むと10年ほど前に同名で刊行されていたものを、作品の加除を経て新装版として刊行したよし。
本作は全6編が浮世絵調の線で描かれているという点が個性的である。さらに6編の短編が江戸情緒というか、かつての日本人の心の琴線にふれる内容なのだ。その6編が以下。一番発表の早かった「ふしあな」が書名となっている作品。
1 「歳月」 2 「錆」 3 「寂滅」
4 「散る桜」 5 「ふしあな」 6 「杜若」
作品名が示すその内容は実に興味深い。「杜若(かきつばた)」は、植物のもつ生活史的意義を考える一層奥が深いと思われた。
塩川氏は寡作らしく、多くを発表していないようだが、今後もこの手の作品を発表してほしいものだ。
さらに、江戸研究家だった故杉浦日向子氏の漫画家時代の作品に心底通じるものを感じないではいられなかった。
知っている人は知っているという歴史上の人物を世に知らしめるために、映像や漫画、コミックにすることは効果がある。 漢字が読めなくなるというのは大きな誤解だ。漢字だらけ、専門語句の多用される漫画も数多くあるからだ。逆に小説にも読むに値しないようなものが数多くある。 さて、漫画を否定する方は「肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)」という人物を知っているだろうか? 肥沼は明治41年の生まれで38歳の若さで亡くなったベルリン大学医学部の教授資格を取得した学者である。そして、ドイツのリーツェンの市民には命の恩人として尊ばれている医学者でもある。 というのも、第2次大戦期に発疹チフスが蔓延したおり、特にポーランドとの国境のリーツェンという街ではほとんどの医者は戦地に駆り出され、また残った医者も感染を恐れ、この街に近付こうとしないという事態が起こったき、敢然として肥沼がその治療に当たったからだ。
画像の漫画も種本は『大戦秘史リーツェンの桜』で、それを原作にしていることは明らかだ。漫画から原作に進もうとする者がいれば、それでよいのだ。 |
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終日の雨の今日は、終日、本とパソコンで過ごした。主に歴史関係の本を読み、その間、コミックで気分転換をし、得た知識をパソコンに吐き出した。
その時見たのが『マリー・アントワネットの料理人』というコミック。里見桂が絵を描いているので、『ゼロ』と見間違うかも。
系統としては教養型歴史コミックだ。
あのマリー・アントワネットの料理人に磯部小次郎なる日本人がいて、二人でフランス宮廷の料理文化を革新していくお話である。
歴史的事実をフィクションでつなぎ合わせているので、どれが事実であるかを考えながら読むとおもしろい。
アントワネットが発したとされる『パンがなければケーキを食べれば』の本当の意味もきちんと書いて、彼女の名誉を回復している。
アントワネットは “Qu'ils mangent de la brioche”、直訳すると「彼らはブリオッシュを食べるように」と言ったらしいのだ。
この発言が真実なら彼女は民衆を思いやってそういったことになるだという。
アントワネットもその多くを誤解されている方である。
コミックも使いようなので、漢字の多いものを見るようにしている。
今月の中後半の天候は異様である。雷・雷雨・豪雨。残暑も困るが、この天候も植物には困りものである。
置石の白き景色や夏の雨 奏城
雨にぬれてきれいに映えるのは置石の模様だけである。
今日のコミックは映画「おくりびと」をコミック化したもの。
さそうあきら著『おくりびと』小学館
扱うテーマは「人の死」と主人公の精神的成長。
コミックをドラマや映画にするのは常態化しているが、その逆も少なからずある、その例である。
ここまで明瞭に納棺師をあつかった作品はないだろう。
映画の予告編は以下のところ。
夏休みもあと2日。宿題は終わっただろうか?正規の宿題が終わった人はマンガ読書をしよう!ということで、第4弾は『市長 遠山京香』赤石路代著、小学館。
いわゆる政治家ものである。「政治もの」のマンガも多数あるが、現在も好評連載されているのはこのマンガくらい。
市長は身近な政治家のはずだが実際はそうはいかない。そこで本来こうあってほしいという市長像を描いたもの。
その華浜市長・遠山京香のキメゼリフは「市長、遠山京香です。」だが、何のことはないが水戸黄門の印籠のような効果を持っている。
華浜市は横浜市をモデルにしていることはすぐにわかる。
荒唐無稽なところもあるが、市長とはどうあるべきか、という理想を知ることはできる。
現在、10巻まで。
私設 「青少年読書感想文 課題マンガ」の第2弾。前にも書いたことがあったが、みなもと太郎の『風雲児たち』(リイド社)。
これほど歴史を詳しく面白く書いたマンガはない。史実と史実をユニークな想像でつなぎ、読ませる。
幕末を描くために「関ヶ原の戦い」から書き始めた本シリーズは江戸時代の入門的なマンガである。
歴史好きなら当然読まねばならない作品だと思う。
夏休みなので子供たちは、読書にいそしんでいるかもしれない、いやしているだろう。
今年も「青少年読書感想文全国コンクール」が開催されることも子供たちを読書に向かわせる動機となっている。
ご存知のように、そのコンクールには課題図書の分野があり、ある作品がそれに指定されると、児童書としては爆発的に売れることになる。
それらの課題図書は佳作であることは間違いないが、名作かどうかは別である。名作かどうかは読んだ本人がきめることだから。
児童書はその対象が子供であるから、内容的・表現的にかなりの程度の制限がある。かつて、松谷みよ子が「モモちゃんシリーズ」で離婚をあつかったとき、児童文学界ではそれなりの反響があったというくらいだ。
さて、そんなことを考えていたらマンガも好きな私は、課題マンガというのがあってもいいなと思った。
普通の本にも善し悪しがあるようにマンガにも善し悪しがある。ただマンガの方が「悪し」の割合が多いと思われているだろう。それは間違いで、普通の本もマンガも半々だ。(ただその基準はまったくに個人の中にある)
現在、食育という新しい教育分野がどこでも盛んになってきている。
「玄米先生の弁当箱」(小学館)は、その食育にぴったりのマンガだと思う。
食べ物を扱った漫画は、数多くあるが、荒唐無稽な脚色(フィクション)がついてしまっている場合が多い。「玄米先生」の場合はそのフィクションが少なく、食の根源やあり方について静かに語ってくれる。
奏城的は名作になるであろう。
現在、2巻まで
漫画家赤塚不二夫氏(72歳)が本日午後4時55分逝去された。
我が国のギャクマンガを確立した漫画家の一人だった。代表作は「おそ松くん」「天才バカボン」。
テレビアニメにもなった作品には他に「ヒミツのアッコちゃん」「もーれつア太郎」などがあった。壮年世代には懐かしい作品ばかりであろう。
酒好きで晩年は無頼派のような趣があった。
若いころの一時期、やはりギャク漫画家で少年時代の境遇が似ていた森田拳次(「丸出ダメ夫」「ロボタン」ジョージ秋山の師)と併称された。
氏の御冥福をお祈り申し上げます。
平成19年1月28日(日)
苧環(おだまき)の三種がすべて開花した。
平成10年(1998年)の今日,漫画家(萬画家)・石ノ森章太郎が行年60で逝去している。
彼の代表作といえば,子ども向けには『サイボーグ009』『仮面ライダー』 ,大人向けには『ホテル』『佐武と市捕物控』『009の1』などがある。どれもテレビ映像化されているのでなじみ深いであろう。
『仮面ライダー』などは,現在でも後継作品がつくられているが,粗製濫造の風があり,鑑賞に値しない。ちなみにその新作は彼の命日を記念して放送される慣習らしい。
才能は手塚治虫に迫るとまでいわれ,存命ならばその業績は手塚をしのいだ可能性もあるという。
個人的なことをいえば,ストーリーは面白かったが,その画風は好きになれなかった。そのため,蔵書の対象にならず単行本レベルでは6冊しか所有いていない。
つまり,テレビでなじんだ漫画家だったわけである。
そのテレビ作品の中でさほど有名ではないものの,ファンの間でレアもの扱いされてるのが『好き!好き!!魔女先生(原作名『千の目先生』)』という実写作品。主演は菊容子だった。彼女が25歳でなくっているのがコアな人気の原因では?
故・菊 容子
石の森の故郷,宮城県登米市の石森字町には「石ノ森章太郎ふるさと記念館」がある。
平成19年1月11日(木)後 鏡開き 未完
デザイン科の出身らしく色彩と線に特徴があった。そのまま版画浮世絵に利用できる雰囲気を持っていた。
団塊の世代には『同棲時代』が懐かしい作品だろうか?!歌は大信田礼子で,映画の主演は由美かおると仲雅美だった。
明治30年(1897年) 英照皇太后薨去
(九条夙子:孝明天皇の女御,明治天皇の母) 行年63
英照皇太后と照憲皇后の富岡製糸場行幸
平成18年12月31日(土)大晦日
猿の湯の親子の情にほだされて 奏城
今日が命日の有名人はかなり多い。そのなかで気になる方のみ列挙。
クールベ (仏:画家) 1877年 行年58
「私は羽子の生えた人間を見たことが無い,だから天使は描かない」との言葉に代表される写実主義の巨匠・クールベが今日亡くなっている。
彼は1885年のパリの万国博覧会の際に,作品展示を断られてしまう。断られたあと彼は,万国博覧会のすぐ近くで「クールベ個展」を開いたのである。当時の画家たちはグループで展示会を開くことはあっても,個展を開くことは無かったのである。だから,このクールベが開いた個展が世界初の個展といわれている。そして,この個展のときに「リアリズム」という言葉を使用したのである。
オルナンの埋葬
こんにちはクールベさん 1854年
中塚一碧楼 (俳人・自由律俳句) 1946年 行年59
鏡に映つたわたしがそのまま来た菊見
掌がすべる白い火鉢よふるさとよ
乳母は桶の海鼠を見てまた歩いた
胴長の犬がさみしき菜の花が咲けり
秣の一車のかげでささやいて夏の日が来る
単衣著の母とあらむ朝の窓なり
刈粟残らずをしまつて倉の白い
赤ん坊髪生えてうまれ来しぞ夜明け
畠ぎつしり陸稲みのり芋も大きな葉
(漫画家『ミイちゃんハアちゃん』) 1992年 行年55
で,そんな中で前川かずお氏について書きたい。正直なことを言えば,前川氏がお亡くなりになっていたことを知らなかった。
なぜなら,あの那須正幹氏の「ずっこけ三人組シリーズ」が刊行されていたからだ。
前川氏はそのシリーズの挿絵を担当されていた。そのシリーズが完結したのが,2004年12月であった。で,まさかと思ったわけである。
そこでサイトで表紙をチェックしてみたら,前川氏は「未来報告」までを担当されて,次の「怪盗X」からは,お弟子さんが作画を担当していた。
「ずっこけシリーズ」は子どもたちに根強い人気がある。それは内容はもちろんなのだが,前川氏の絵によって支えられていた面もかなりあるのだ,と私は考えている。
読んでいた子どもたちの頭のなかでは,あの絵のキャラクターが行動していたにちがいなく,それが相乗効果を出し,人気があったに違いないのである。つまり彼の絵以外は考えられないのである。
しかし,まったく不覚であった。
実は,私は前川氏の作品を小学館の学年誌で読んだ,彼の描くほのぼのとした線の作品が好きであった。
調べてみると,前川氏は大阪の出身で17歳で貸本漫画でデビューしている。上京後,馬場のぼるの紹介で小学館の学年誌に作品を発表することになった。昭和41年第11回小学館漫画賞を「パキちゃんとガン太」「マーちゃんミーちゃん」などの作品で授賞。昭和50年代以降は絵本作家としての活動の方が増えた,ということだ。
絵本では「川」が有名である。私もかつて理科の授業で使用したことがある。
↑「パキちゃんとガン太」(「現代漫画博物館」小学館より)
※最近の若手の漫画描きで『シュラバカ』などを描いている“前川かずお”がいるが,同姓同名の別人。作風も画風もまったく違うので間違えるとは思えないが。
今日で平成18年が幕を閉じる。
平成19年がよき年となりますよう祈念する。
平成18年12月12日(火)後
野良犬の疾風のごとく冬の雨 奏城
本日,命日の有名人は田河水泡氏(行年90)。「のらくろ」という漫画で一躍,時代の寵児となった漫画家です。
コミックでもマンガでもなく,漫画という言い方がぴったりとする作品でした。
のらくろが登場したのは戦前でしたが,戦後も掲載誌を替えて連載は続きました。一時,アニメにもなりましたが,それは現代社会で過ごすペットのようなのらくろで,本来ののらくろではありませんでした。
のらくろは食べるだけのために軍隊に入隊し2等兵となります。そして巻を重ねるごとに階級を上げていきました。その出世の姿が時流にのったわけです。少年達の夢は「末は大将・元帥に」という時代でしたから。
ところで田河水泡の奥様が,あの小林秀雄の妹であることは有名な話でしょうか?
江東区森下文化センター 内には「田河水泡のらくろ館」記念がある。
彼の教育にかかわる言葉
見栄をはらずに,自分には自分なりの力があることを自覚しましょう。それが真理なのです。