美島奏城  豊饒の海へ

豊饒の海をめざす、教育と文芸と風流に関する備忘録

日乘 彼岸の入り・精霊の日

2007年03月18日 | 風流

平成19年3月18日(日)寒し

 
  この項未完

  今日は精霊の日だそうで,生没年が不明なのに柿本人麻呂と和泉式部,小野小町の命日だそうだ。まぁこれはこれでよしとしたい。

 

    
   柿本人麻呂           小野小町

 


線路際に咲く


日乘  寒の戻り

2007年03月17日 | 四季

平成19年3月17日(土)

 

  彼岸の入りを前に寒の戻り,という天気。ここに来て平均気温の帳尻があってしまうのだろうか!?

  トップ画像はアセビ。可憐な花だが毒もあり,ということで,見るだけにしたほうがよい。

  下は街の隅にさいていた花。ほんの少しの土があれば咲く植物に拍手。


日乘 卒業証書授与式

2007年03月16日 | 教育

 

平成19年3月16日(金) 朝方に春の淡雪

 

    2月の暖かさはどこに行ったのだろうという日がここの所続いた。そんななか今日は卒業式であった。東京では初雪ということになったのだろうか?しかしあまりにも「春の雪」という感じで。

 卒業式は無事終了して,6年生は各々,明日へと巣立っていった。さらなる成長を期待!

 


在校生の『威風堂々』で入場


証書授与


在校生の送別歌『ベスト・フレンド』


校歌斉唱を一緒に


当日の生花


日乘 卒業式参列

2007年03月15日 | 風流

 

平成19年3月15日(木)

  

  中学校の卒業式に来賓として参列した。この中学校には前任校の卒業生が居て,正直な話,どちらかというと,現在校の気持ちより前任校の職員としての気持ちの方が強かった。
  

  内容は大変に素晴らしい印象深い卒業式だった。泣き出す女生徒らが目前にいて,もらい泣きをこらえるのが大変であった。

  卒業式は教師のやりがいを感じさせる行事である。

  画像は,卒業生退場の号令で,いっせいに雛壇にあがり,歌の贈り物をしているところ。どうやらこのことは校長先生には秘密だったようだ。
 当の校長先生は,このあとの来賓への挨拶で感動のあまり声を詰まらせていた。めでたし,めでたし

   


日乘  原民喜忌

2007年03月14日 | 小説家

 

平成19年3月13日(火)気温は意外にあがらず 

 

  今日は『夏の花』で有名な詩人・小説家の原民喜の命日。行年,46。朝鮮戦争に対する憤死的な自裁であったという。
 『夏の花』は直接的には,ヒロシマ原爆をテーマにしているが,深いところでは愛妻・貞恵夫人の死が融合している。
 本当に無口だった民喜の言葉を外部へ通訳したのは夫人だったのである。夫人なしに民喜の名声はなかったともいえるのである。
 だから,終戦の前年に病で亡くなった夫人の重要なモチーフであったにちがいないのである。2つの喪失せしものへのレクイエムであるわけである。


貞恵夫人

 

 

 


日乘  杏

2007年03月14日 | 風流

 

平成19年3月14日(水)

 

 杏の花が満開でした。杏の別名は「唐桃」,支那大陸からもたらされたもの。原産地はアジア西域。淡いピンクの色が美しい。

 5年生の卒業式練習は,歌が中心に。6年生に負けない歌をと張り切っている。指揮を担当する児童も日に日に表現力が増してる。
 明日は前日準備。

 


日乘  眞砂女忌

2007年03月14日 | 俳人

 

平成19年3月14日(水) 
 

 この項未完

 

  平成15年(2003年)の今日は俳人・鈴木眞砂女の命日。行年96。

           
       銀座で営んだ「卯波」にて            重光葵の描いた「吉田屋」時代の真砂女

 

※画像は本山可久子『今生のいまが倖せ…… 母,鈴木真砂女』(講談社)より


日乘  卒業式予行

2007年03月13日 | 教育

 

平成19年3月13日(火)気温は上がらず

 

  今日は卒業式の予行があった。6年生の歌は良かった!とはいえ,まだまだの点もあり,課題を残した。16日の本番までなんとか一層の充実をと願うばかりである。

 

 

 
向かい合った6・5年生

 


5年生の歌「ベストフレンド」場面


6年生の歌の場面

 

日差しだけは煌くような春だった。


日乘  伊東静雄忌・菜の花忌

2007年03月12日 | 詩人

 

平成19年3月12日(月)

 

 昭和28年(1953年)の今日は,詩人・伊東静雄の命日,行年46。『わがひとに與ふる哀歌』『夏花』などの詩集をのこした。日本浪漫派の流れにいる詩人である。
 旧制中学の教師をしながら,創作に打ち込んだ。

 『夏花』から私の好きな作品を。伊東が30歳のときの作。

 

 八月の石にすがりて

 

 八月の石にすがりて
 さち多き蝶ぞ,いま,息たゆる。
 わが運命(さだめ)を知りしのち,
 たれかよくこの烈しき
 夏の陽光のなかに生きむ。

 運命? さなり,
 あゝ われら自ら孤寂(こせき)なる発光体なり
 白く外部世界なり。
 

 見よや,太陽はかしこに
 わづかにおのれがためにこそ
 深く,美しき木陰をつくれ。
 われも亦,

 雪原に倒れふし, 飢ゑにかげりて
 青みし狼の目を,
 しばし夢みむ。


 ちなみに伊東の忌日を「菜の花忌」ともいうのだが,今では司馬遼太郎の命日も同名として有名になってしまったので,個人的には伊東の方を別の名称にしたらと思う。たとえば「青狼忌」とか。
  
  

 


日乘  春の景色

2007年03月12日 | 風流

 

平成19年3月12日(月)

  

  暖かい陽射しだが体育館は寒気をはらんでいた。卒業式の練習も佳境である。明日は予行。

  校庭では次々に新たな花が咲き出している。

 

 

    
白の沈丁花           大ぶりなイフェイオン



黄水仙


日乘  追悼・時実新子さん

2007年03月11日 | 風流

 

平成19年3月11日(日)

 

  川柳作家として著名な時実新子氏が10日,肺がんのためなくなった,行年78。合掌!

  時実氏によって現代川柳は新たな展開を迎えた。その業績を川柳界の与謝野晶子にたとえる向きもあるが,むべなるかなである。
  時実氏は25歳の時から川柳の投句を始め,34歳のとき初の句集『新子』を刊行した。58歳の時の『有夫恋』がベストセラーとなり,一般に知られるようになった。女性が日常的に川柳に関心を持つきっかけをつくったといえる。

  川柳というと機知の効いた風刺を詠むという印象があるが決してそうではない。
  手元の『現代女流川柳鑑賞事典』三省堂をみると,たとえば次のような句が並ぶ。

  自分史のページを増やす木の校舎  小川あき子

  胸の乾きレモン一滴したたらす     奥田みつ子

  

 そして,既に病を得ていた時実氏の作品は,その心象を反映していて,涙を禁じえない。

   別のこと考えながら夕ごはん

   折紙の桜でふさぐ胸の穴

   手の甲に押し当てている涙だよ

   もいちどさくらもいちどさくらそれはむり

   すぐ裏返るわたしのギザハート
  

   

 これが氏の代表作『有夫恋』では,当然だが,まったく違う心象が反映されている。

  心奪われ阿呆のような日が流れ
  どうぞあなたも孤独であってほしい雨
  なんでも二つ並べてしまう淋しがり
  泣いた泣いた泣いた沢山泣いたたくあんかじる
  覚めている人を想うて覚めている
  嫌い嫌い嫌い二の腕まで洗い 
  心読む目でまっすぐにみつめられ 
  強がりを言う瞳(め)を唇(くち)でふさがれる
  爪を切る時にも思う人のあり
  明日逢える人のごとくに別れたし
  孤独ではない恋人を見た孤独
  妻をころしてゆらりゆらりと訪ね来よ
  百合みだら五つひらいてみなみだら
  愛咬やはるかはるかにさくら散る
  凶暴な愛が欲しいの煙突よ
  手が好きでやがてすべてが好きになる
  ののしりの果ての身重ね 昼の闇
  どうぞあなたも孤独であってほしい雨
  一生に一度のいいえですあなた
  瞳の端で女の情が青く燃え
  かなしみは遠く遠くに桃をむく
  去ってゆく足に乱れのない憎さ
  靴の紐 男の帰心見ていたり
  逢いたしと秋風に鈴吊るしけり
  悲しさにぐしゃぐしゃぐしゃと顔洗う
  慕われているしあわせの髪を梳(す)き 
  包丁で指切るほどに逢いたいか
  困らせて泣かせてみたいそれも愛
  箸重ねて洗う縁(えにし)をふと思う
  自信ほろほろと崩れて夜をひとり
  男の嘘に敏感なふしあわせ
  さびしいと言えぬ寂しさ爪を剪る
  愛はそのとき物乞いに似たるかな

 

 さらに『時実新子のハッピー川柳塾』のなかの自選句では,氏の代表句が並ぶ。

 

  愛そうとしたのよずっとずっとずっと
  答えはいつも生きていたいという汽車だ
  あとすこしなれば許されずに歩く
  死顔の美しさなど何としょう
  目的はあなたにあった旅をした
  私には私の道のまくらがり
  なんだなんだと大きな月が昇りくる

 川柳の面白さ,「穿ち・軽み・笑い」をもった句である。

 もう一度川柳の勉強もしてみよう。

 


日乘 沈丁花・山鳩

2007年03月11日 | 風流

平成19年3月11日(日)

 

  肌寒い街にでると紫木蓮が咲いていた,沈丁花も満開だった。雨あがりのせいか,いつもよりも鮮やかであった。

  我家の沈丁花も咲き出したが,紫木蓮はまだ蕾である。

   

    戒名は真砂女でよろし紫木蓮   鈴木真砂女

 

  冬季だけ小鳥に餌付けをしている。その結果,山鳩の夫婦が我家の木犀に寝泊りするようになった。夕方から朝にかけてとまっているようになった。
 一旦,とまると人が近づいても逃げることは無く,悠然と構えているようだ。
嬉しい限りであるが,糞の始末だけはちと厄介ではある。

 


中央に1羽,その下方にもう1羽。


日乘 神武天皇

2007年03月11日 | 歴史

 

成19年3月11日(日)

  

  歴史のカテゴリーには入らないが,今日は神話レベルで神武天皇の崩御の日である。行年は127と137との説がある。神武天皇の祖父に当たる神が,有名な山幸彦である。
 もちろん実証的なことではなく,国家起源にかかわるストーリーである。ちなみに御生誕日は1月1日である。
 実証的な話では,実在の天皇とされる崇神・応神・仁徳天皇に比定されるのだという。
 しかし,DNAとしては,神武天皇にあたる祖先はいたのだろうなと,昔から思っているが,その辺はこれからも解明されないであろう。

 歴史のある國には必ず建国神話があるものである。

 神武天皇を描いた絵には金色の鵄が描かれている。
 これは天皇(そのときは磐余彦尊:いわれひこのみこと)が,各地の豪族を制する時(神武東征),もっとも抵抗した大和の長髄彦(ながすねびこ)
 と対峙したときに天皇の味方をするように弓の弭に鵄がとまったとされるからである。
 戦前は軍人・軍属で軍事で功績があると金鵄勲章を授けたが,その由来はここにある。


野田九浦「神武天皇の御東征」の一部


日乘  みすゞ忌

2007年03月10日 | 詩人

平成19年3月10日(土)東京大空襲記念日

 

 東京大空襲が米国によって行われた。綿密な計画の下に囲い込むようにして我国民を焼死させた。明瞭な戦争犯罪である。
 しかし,この件で米国が謝罪したことはない。原爆投下のことすら当然の如くに考える国であるから。
 とはいえ,世界で自国の過去の過ちを国家として謝った国はほとんどない。英国はアヘン戦争などについて支那に謝ったことはない,韓国はベトナム戦争で自国兵士がしたことを謝罪したことはない。かつての植民地所有国で謝罪した国はない。
 その例外が先の戦争について謝罪した我国日本である(ドイツは国家としては謝罪していない。すべてをヒトラーらの責任にして個人賠償をしただけ。)。
 それでも我国の某新聞は謝っていないと糾弾するが,その新聞はマッチポンプのような新聞で我国が亡くなるまで糾弾するだろうから聴くに値しない。

 

 さて今日は童謡詩人・金子みすゞの命日。行年26。

 詩人・西条八十から「若き童謡詩人中の巨星」と称えられたが,結婚後,理解のない夫から詩作を禁じられ,しかも夫から病をうつされた末に,毒を飲み自ら命を絶った。
 地元・山口では知られた存在だったが,全国的になったのは矢崎節夫氏の再発見によるところである。

 


日乘  春の野

2007年03月10日 | 四季

平成19年3月10日(土)

 

  よんどころない理由で一時帰省。そのついでに春の風景を切り撮ってみた。子供のときはありふれた風景としか見ていなかったものが価値あるものとして映ってくる。故郷は遠くにありて思うものと啄木はいったが,時間的に遠くにありて思うものでもある。

 

  
   ハナニラ(イフェイオン)                春蘭  


        春蘭や父の眼は遠くあり 奏城

春の野に幻となる吾子のあり 奏城
 

             セイヨウカラシナ           ノゲシ  


   
仏の座は一層鮮やかに          ハルジオン

  
ケキツネノボタン(毛狐の牡丹)    タネツケバナ 

 

        
コブシ(辛夷)

 


土筆

 


オオイヌノフグリ


田起しの終わった水田


シロツメグサ(レンゲとともに田の肥料になった)

 


清流(?)の藻