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美島奏城  豊饒の海へ

豊饒の海をめざす、教育と文芸と風流に関する備忘録

土方歳三の辞世句?

2011年06月15日 | 歴史

 新選組の歴史的役割については異見百出なのでここでは触れない。

 副長の土方の辞世の句といえるという見解が出されたのでここに記録しておきたい。

 

 新撰組副長・土方歳三(1835~69)と最後まで行動を共にした隊士・島田魁(かい)(1828~1900)がまとめたとされる和歌集の巻頭歌が、土方の辞世と考えられるとの説を、幕末研究で知られる霊山(りょうぜん)歴史館(京都市)の木村幸比古・学芸課長が打ち出した。

 「従来、辞世とされてきた歌は詠んだ日時の推定が難しいが、巻頭歌は間近に迫る死を覚悟した内容で、亡くなる前日に詠んだ可能性が高い」としている。

 歌は「鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすはかばねの上に照(てる)かと(鉾を手に取って月を見るたびに思う。あすはしかばねの上に照るのかと)」。島田家に伝わる和歌集の冒頭に土方の名で記され、和歌集は26年前に同館に寄贈されていた。

 木村課長が今年、修復にあわせて、ほかに名のある30人を調査、大半が新撰組隊士や幕府側の藩士らで、戊辰(ぼしん)戦争(1868~69)で降伏し、長く生きたことがわかった。自然のはかなさを詠んだ歌が多く、維新後に隊士らが作り、島田がまとめたと判断した。

 土方は、旧幕府軍の指揮官として戊辰戦争に加わり、新政府軍の総攻撃を受け、銃弾に倒れた。生き残った藩士らの証言などによると、その前夜、旧幕府軍幹部らが惜別の宴(うたげ)を開いていた。木村課長は「歌には悲壮な決意が示されており、土方が明日の死を予期しながらこの席で詠み、島田が大切に記録していたのでは」と話す。


倉本聰『歸國』を観る

2010年08月15日 | 歴史
  歴史のカテゴリーでいいのか、分からないが、かつてより舞台版で人気のあった倉本聰氏のテレビ版『歸國』を昨夜観た。
  いつもテレビは、ながら観なのだが、今回は内容にひきつけられ画面を凝視し、そのセリフを一言一言反芻しながら観ていた。

  いくつか心に残る言葉あったので書きしるしておく。最後の方に少佐役の長淵剛が「貧幸」という言葉を使って現代日本を表現していた。造語だろうが、なるほどなぁと。「貧困」はこまるが「貧幸」ならばよいのではないかということだ。

 他にも英靈たちの聲(こえ)になるほどと思えるものがたくさんあった. 「日本人は便利と豊かさを勘違いしている。」「平和な姿というのはこうゆう残酷なものだったのかい」「これだけ豊かでもまだ不満なのか」、また現代世界で東大教授をしている大宮上等兵(ビートたけし)の甥の大宮健一(石坂浩二)が、「ぼくはどこでまちがってしまったんでしょう?」というもの、などなど。


  録画しておけばよかったと後悔。

    

『戦場のメロディ』賛 

2009年09月12日 | 歴史

  朝からの雨、断続的に夜まで降り続けた(今日は雨の特異日だそうだ)。9月下旬から10月上旬の天候。

 庭の曼珠沙華の鉢からは10本ほどの茎が出てきた。早くに咲いた別の曼珠沙華の鉢の方にも季節に合わせてまた茎が伸びている。

 

 月下美人も3度目の開花にむけて順調に花芽を育てている。 

   

 フジテレビの『戦場のメロディ 異国の地で戦犯の烙印を押された日本兵108人・・・祖国に裏切られた男達を救った歌姫・渡辺はま子』を観た。

  一言、感激した。

  私も含め戦後生まれの日本人はこの事実を知らなくてはならない。

  『私は貝になりたい』に代表されるB・C級戦犯の戦争裁判は現在のような裁判ではなく、復讐裁判といってよいものだった。

  モンテンルパ収容所の日本兵たちのそれまさにそうだった。

  久しぶりにいいものを観た。

  薬師丸ひろ子の歌も演技もよかった。

 


イン・ザ・キャンパス

2008年12月01日 | 歴史

 所用で休暇をとり、懐かしいキャンパスに。

 大した変化はなかったが、至る道は日本経済にあわせて大きく様変わりしていた。愛顧の古本屋は姿を消していたなぁ!

 キャンパス内では一番高級なお店がちょうど休憩時間でやむなく、生協の喫茶店で事態の推移を待つことに。

 1割引きの本と市価の半値以下のコーヒーは嬉しい。複雑で不思議な時間を過ごした。


戦記ドラマ『霧の火』を推す

2008年08月24日 | 歴史

  明日、NTV系列で『霧の火』という戦争ドラマ番組が放送される。これは第2次大戦終結後に起きた事実に基づく、かぎりなくノンフィクションに近いドラマになるだろう。

 沖縄の「ひめゆり部隊」は有名な悲劇だが、それ以上に悲劇的なのが終戦後に起きたソ連兵による北方領土・樺太侵攻である。その時、電話交換所に勤めていた9人(12人中)の女性の決死の通信作業と純潔を守るための自決という悲劇があった。

 このような終結後のソ連軍による戦争犯罪としての悲劇は、北方領土や旧満州地方やモンゴル地方で頻発していた。「霧の火」のもととなった史実はそのうちの一つである。

  さて、この史実は戦後一度『樺太1945年夏 氷雪の門」』として映画化されているのだが、一般に公開されることなく今日に至っている。それはなぜか?

  史実が混同されていたからだとも、圧力がかかったからだとも云われている。

     北海道地方以外ではほとんど知られていないこの史実をとりあげた意義は大きい。

  とりあえずの知識を得たい場合は、ウィキペディアで『真岡郵便電信局事件』を検索され、資料の一つとされたい。

 


どこまで本当なのか? “歴史の常識を疑え”を疑え!

2008年08月22日 | 歴史

 本の帯に、あなたの歴史の知識は間違っているとか、歴史解釈は古いとか謳われると、つい買ってしまう。

 今日は最近出たその手の本を2冊斜め読み。(買った本はまず斜め読み、面白ければ姿勢をただして読み直し)

  

その1 ※トップ画像のもの

別冊歴史読本16号「間違いだらけの歴史常識」新人物往来社

 老舗の歴史雑誌「歴史読本」の別冊なので多少学術的である。 (私は学生時代に歴史雑誌の3大誌を読んでいた。「歴史と旅」「歴史と人物」今ではどちらも休刊、季刊「歴史と文学」というのもあった)

 本書は副題に“あっと驚く歴史常識193のウソ疑問”を掲げ、193のテーマにそって流布している史実を読み物風に論じているものである。

 すでに知っていた内容も多いが(たとえば蘇我氏の蝦夷・入鹿などは本名ではない、鎌倉将軍は3代で終わっていないなど)、中にはやはり「へ~っ」というものあった。 (たとえば、四谷怪談のお岩は自殺だった、真剣白刃取りはできない、日露戦争は国際法違反など)

 中には単に異説を述べたものもあったが、総じて歴史好きには物足りない内容である。

 

その2

  宝島SUGOI文庫異説日本史99の謎』宝島社

 

 

  こちらは諸説・先行本からの寄せ集め集である。その意味でまったくの読み物であって、真偽は読み手の判断にゆだねられている。かつて「八切史観」が流行したが、それに近いものを感じた(上杉謙信女性説など)。

 しかし歴史の真実は何かという知的刺激をあたえる文庫本ではある。 

  さて内容で一番気になったのが日航ジャンボ機墜落事件に関する記述で「日航機123便は墜落させられた!?」であった。

  確かに御巣鷹山に墜落したこの事件の墜落原因はいまだ不明な点が多いというから、この説は今のところ“あり”なのだろう。内容は書かないので本屋で確かめてもらいたい。

  現代のことも確実にわからないに、昔のことが詳細にわかるはずがない。でも、だから歴史は面白いのだろう。

 

 

 

 


日乘 パール判事

2007年08月14日 | 歴史

平成19年8月14日(火)

 

 久しぶりにNHKスペシャルをしっかり観た。『パール判事は何を問いかけたのか』である。

 歴史好きな人にとっては,パール判事=東京裁判で無罪を主張したインド人判事,というのは常識。古くは田中正明氏の『パール博士の日本無罪論』(今年,小学館文庫で再刊)という本もある。昨年は『東京裁判「パル判決書」の真実』という本も出された。

 パール判事とその判決書に対し,冷静で公平に議論することができるようになった証左であろうか。

 さて,テレビではパール判事とオランダのレーリンク判事の裁判官としての交流を縦軸に,裁判とは何か,つまり法の正義とは何かを横軸にして展開された。彼らの息子達の証言や肉声にはさすがNHKと思った。

 判事の考えは第2次大戦中日本のしたことは愚かだが,それは白人社会が犯した愚かさと同じであり,許されない。が,裁判としては事後法で裁くべきではなく被告全員は無罪である。

 暴力と残虐さを憎むが、法理を曲げないという姿勢はあのガンジーに通底する。

 真の裁判官のありようを彼に見いだすことができるのでは無いだろうか?!

  

 


日乘 神武天皇

2007年03月11日 | 歴史

 

成19年3月11日(日)

  

  歴史のカテゴリーには入らないが,今日は神話レベルで神武天皇の崩御の日である。行年は127と137との説がある。神武天皇の祖父に当たる神が,有名な山幸彦である。
 もちろん実証的なことではなく,国家起源にかかわるストーリーである。ちなみに御生誕日は1月1日である。
 実証的な話では,実在の天皇とされる崇神・応神・仁徳天皇に比定されるのだという。
 しかし,DNAとしては,神武天皇にあたる祖先はいたのだろうなと,昔から思っているが,その辺はこれからも解明されないであろう。

 歴史のある國には必ず建国神話があるものである。

 神武天皇を描いた絵には金色の鵄が描かれている。
 これは天皇(そのときは磐余彦尊:いわれひこのみこと)が,各地の豪族を制する時(神武東征),もっとも抵抗した大和の長髄彦(ながすねびこ)
 と対峙したときに天皇の味方をするように弓の弭に鵄がとまったとされるからである。
 戦前は軍人・軍属で軍事で功績があると金鵄勲章を授けたが,その由来はここにある。


野田九浦「神武天皇の御東征」の一部


日乘  幽学忌

2007年03月08日 | 歴史

 

平成19年3月8日(木)

 

  今日は世界初の農協をつくった大原幽学の命日。

 

        
          山榊(姫榊)の雄花       こちらは白椿 同じツバキ科で

  

  
               9日の朝


 暖冬で昼間の教室の窓辺の室温はいつも初夏!そんなわけで朝顔が開花。昨秋まで咲いていたものが同じ色の花を咲かせた。
 うれしいより,何もそんなに早く咲かなくてもと,戸惑い。いくら熱帯では1年中咲いているとはいえ。
 この朝顔は変種で宿根草タイプ。

 


日乘  推古天皇

2007年03月07日 | 歴史

 

平成19年3月7日(水) これが平年なれど寒し 消防記念日

 

 携帯電話の画像も320万画素に性能が上がり,遠い富士山の夕焼けもこの程度に写せるようになった。

 

 
ぽつんと出てきたムスカリ    木立化したマーガレット

 

 


体育館では卒業式の練習(6年生)

 
 さて今日は,第33代推古天皇が75歳で崩御された日(628年)。 古代としてはかなりの長寿である。
 推古天皇は初の女性天皇であって,さきごろ陵墓発掘の情報があった継体天皇の孫にあたる。
 また,有名な聖徳太子は彼女の兄(用明天皇)の子(甥)にあたる。
 とまぁ,このへんは教科書の知識として常識の部類だろうか。
 
 実は天智・天武・持統天皇以前の皇室の歴史には不明な点が多い。それゆえ,聖徳太子は存在しなかったとか,推古天皇の在位36年は,支那の文献との不整合があるとか,などである。
 そしてこれらの論争は多分にけりはつかないものである。
 新たな証拠がでてこない限り,あくまで仮説のいきを出ないのである。


推古天皇

 


日乘  美人コンテストの日

2007年03月05日 | 歴史

 

平成19年3月5日(月) 春の嵐

 

  今日は美人コンテストの日である。明治41年に本邦初のコンテストが行われ,写真判定の結果,選ばれたのが当時16歳だった,末広ヒロ子(トップ画像)であった。学習院女子中学(旧制)の学生だった。写真は彼女の義兄がかってに送ったものだった。
  さて,その学校の校長が,かの乃木希典だったことから,この結果は事件となった。彼女は風紀紊乱ということで自主退学に追い込まれてしまった。当然ながら彼女の知らないところで起きていた事態の責任を,彼女にとらせるのはあまりに情がないということにはなったが,退学の決定は変わらなかった。

  さすがの乃木もおのれの不明を恥じたのか,彼女をある伯爵家に嫁がせるという粋なことをしたのだという。

  今でも,モデル写真集を出版して,約束と違うとして退学処分にする学校はあるので,明治の時代はおしてしるべしであろう。まだ大和撫子ということが当然の時代であったわけである。
  今のような軽佻浮薄の時代とはちと事情が違っていた。しかしながら義と理のある時代でもあったのだ。

 

  現代ではミスコンテストと呼ばれているこの催しの優勝者はその後芸能界にいく者が多いのだが,中には織作峰子氏のように写真家として名を成す方もいる。

 

  いずれにせよ,美人という相対的価値によって,右往左往すべきではないと思うのだが。

 

 

 

 


日乘  2・26事件

2007年02月26日 | 歴史

 

平成19年2月26日(月) トップ画像はウスベニヒゴ(スミレ)

 

 昭和11年の今日は「雪の2・26」といわれた事件の起きた。
 私の父はこの事件をリアルタイムで記憶していた。“すごい雪のなか何事かと思った”と語っていたが。
 硬派の事件ながら漫画のモチーフになっている。その代表が庄司陽子の『テンペスト』であろうか。
 事件の首謀者,磯部浅一らが実名で登場しモデルとなっている。
 主人公は秋庭中尉とその妻・翔子。秋庭は架空の人物で皇道派,翔子は統制派の兄と体制側の父を持つ。まぁロミオとジュリエット的な要素を加味した作品。

 


1月にコンビニ本仕様で再刊された



 余談だが,このコンビニ本版では作者の庄司陽子氏が巻末の作者紹介に写真で登場している。正直,ご本人を見たのは初めてだった。


庄司陽子氏

 

 映画では三島由紀夫の「憂国」がその代表的なもの。

 こちらの作品は,新婚故に反乱軍への誘いを見送られた武山信二中尉が主人公。彼はそのために鎮圧する側になってかつての親友達と対峙することになるが,それができない故に自決するというストーリー。ストーリーは単純だが,それが能舞台を利用したなかで展開されると,一気に三島の構築する美の世界になる。今回,DVDで観た(2回目)が隠れた名作であろうと思う。


『憂国』のラストシーン
主演は三島本人と鶴岡淑子(妻役)


日乘  将門忌

2007年02月14日 | 歴史

 

平成19年2月14日(水)夕方より関東に春一番,今年も14日に

 

 天慶3年(940年)の今日は,新皇と称し,中央藤原氏に反旗を翻した平将門の命日。しかし,生誕年が不詳で行年が決定できない。
 まったくの解釈だが,将門の遺恨はのちの鎌倉幕府創設にかかわった関東の平氏(北条氏など)に受け継がれた,と見ることもできないだろうか。
 
 

他の物故者

 日本画家の川端玉章は大正2年(1913年)に行年70で逝っている。川端画学校を創設し後進の育成にも貢献した。


瀧図

 

 詩人で歌人の横瀬夜雨は昭和9年(1934年)に行年56で逝っている。
横瀬夜雨
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『樅の木は残った』などで有名な作家の山本周五郎は,昭和42年(1967年)に行年63で逝っている。山本は思いのほか早い旅立ちである。



 

日乘 建国記念の日

2007年02月11日 | 歴史

平成19年2月11日(日)風あり 建国記念の日

 

 節分草(黄色節分草・エランティス)がやっと開花,この暖冬なので本当はその名の通りに3日には咲くはずであった。ところがヒヨドりが花びらを食べようとしたのか,引き抜かれてしまった。新たな花が咲くのが今日だった。

 クロッカスの花びらも咲く直前に食べられてしまった。そういえば学校の葉牡丹の赤の方も彼らのいい餌になってしまった。不思議なことに白い方は無傷だった。
 ジュリアンをやられたとの話も聞いた。餌が少ないとはいえ,なんとも不粋なことをしてくれるものだ。

 

 今日は建国記念の日,実証的根拠はともかく,今から2667年前の今日,大和王権が国家としてなったということになっている。だから,皇紀2667年ともいう。暦によっては示されているものもある。
 現在の国家のなかで,我国のように一系の皇室という系譜を持ち,2000年以上続いた国家はないので,我国は世界最古の国家ということもできる。

 戦前は紀元節といっていたが,政府の公式声明では,それゆえに2月11日を建国記念の日としたのではないことになっている。が,現代ではそんな言い訳は必要ないだろう。
 建国記念の日の「の」には,祝日制定時の苦渋(言い訳)が表現されてもいるわけだ。

 


スズランエリカ


日乘 左遷の日

2007年01月25日 | 歴史

 

平成19年1月25日(金)

 

 トップ画像は木立てのローズマリーの小さな花。

 

 今日は「左遷の日」だというので,いわれを調べてみた。すると,あの学問の神様・菅原道真が九州大宰府に左遷された日であった。延喜元年(901年)のことであった。

 事の起こりはあの藤原一族との確執である。とはいえ,道真が先手をとってのことではなく,彼の才能を妬むときの左大臣・藤原時平の謀略である。
 時平は,道真を罪に陥れてやろうと,醍醐天皇に「道真は国家の政治を私物化している」とたびたび讒言。
 これにより,天皇も道真のことを逆臣と思いこむようになり,道真を太宰権帥に左遷,筑紫国に流罪とされることとなったわけである。
 長年住み慣れた自宅の庭にはそのとき梅が咲いているのを見て,あの有名な「東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花 無しとて春な忘れそ」と詠み,この日,都を旅立った。
 後日,その梅は菅原邸から太宰府の庭まで飛んで行ってそこに根づいたという「太宰府の飛梅」の伝説がある。
 道真の無念のまま,2年後の延喜3年(903年)2月25日に亡くなった。

 このときの道真の無念が怨霊となって京の藤原氏を襲うというは平安時代らしい話ではある。
 当事者の時平が39歳で亡くなっているのだが,これが怨霊伝説の始まりになる。

菅原道真公(上田耕冲筆)

 

 

 

 

 

 

 

 


松崎天神縁起絵巻より
『道真,邸の紅梅に別れを惜しむ』 防府天満宮蔵

 

暖冬の今年は地植えの紅梅の咲くのも早いことであろう。