美島奏城  豊饒の海へ

豊饒の海をめざす、教育と文芸と風流に関する備忘録

日乘  美人コンテストの日

2007年03月05日 | 歴史

 

平成19年3月5日(月) 春の嵐

 

  今日は美人コンテストの日である。明治41年に本邦初のコンテストが行われ,写真判定の結果,選ばれたのが当時16歳だった,末広ヒロ子(トップ画像)であった。学習院女子中学(旧制)の学生だった。写真は彼女の義兄がかってに送ったものだった。
  さて,その学校の校長が,かの乃木希典だったことから,この結果は事件となった。彼女は風紀紊乱ということで自主退学に追い込まれてしまった。当然ながら彼女の知らないところで起きていた事態の責任を,彼女にとらせるのはあまりに情がないということにはなったが,退学の決定は変わらなかった。

  さすがの乃木もおのれの不明を恥じたのか,彼女をある伯爵家に嫁がせるという粋なことをしたのだという。

  今でも,モデル写真集を出版して,約束と違うとして退学処分にする学校はあるので,明治の時代はおしてしるべしであろう。まだ大和撫子ということが当然の時代であったわけである。
  今のような軽佻浮薄の時代とはちと事情が違っていた。しかしながら義と理のある時代でもあったのだ。

 

  現代ではミスコンテストと呼ばれているこの催しの優勝者はその後芸能界にいく者が多いのだが,中には織作峰子氏のように写真家として名を成す方もいる。

 

  いずれにせよ,美人という相対的価値によって,右往左往すべきではないと思うのだが。

 

 

 

 


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