美島奏城  豊饒の海へ

豊饒の海をめざす、教育と文芸と風流に関する備忘録

『俳句脳』 茂木健一郎・黛まどか共著

2008年08月31日 | 科学

  豪雨も一休みらしい。徐々に残暑が復活。

 

  『俳句脳』(角川ワンテーマ21新書)は、脳科学者の茂木健一郎と俳人・黛まどかの共著。

  俳句づくりの効能を脳科学の視点から解説したもの。俳句をつくることは、あの「アハ体験」をすることなのだ、というのが主旨。

3部構成の第1部は「俳句脳の可能性」

    冒頭の言葉はありきたりだが、脳科学者がお墨付きをくれると、うれしいものだ。それは、

「ひとつの言葉を知るということは、ひとつの宇宙を知ること」

 まさしくその通りだと経験的にも思う。新しい言葉によって過去を振り返ることもできよう。

 言葉を知ることは、基本的にはよいことだし重要なことだが、不都合と思えることがあるにはある。それが新しい言葉によって、人を分類したがるレッテル張りだろう。

 

 茂木氏はまた次のようにもいう。

 「『意識は脳の中でどのように生まれているのか』を解き明かすこと、それが私のライフワークでもある。今回・・・(中略)・・・ある言葉に真正面から向き合うことでも、この「知覚の正体」へと近づくことができるということ・・・・・・それが、俳句であった。」と。

 そしてさらに

「普段、日常で得ている『情報』を手放し、『体系性』から離れ、『現状維持』という考え方から離れることで得られる喜びが俳句脳の本質だ・・・」 

 

「俳句的思考の特長である『小さなものへの慈しみ』や『ふとした瞬間の気持ちを的確に捉えること』は、論理的思考を優先する西洋近代には見られない、独自の伝統である。」 

 

 

第2部は「ひらめきと美意識 俳句脳対談」というお二人の対談。

 

中表紙の写真

さくらさくらもらふとすればのどぼとけ  まどか

 

 正直、この対談は今一つ。1部での考察が興ざめというほうがいいか。

 しかし、茂木氏の科学者の視点での発言は参考になった。やはり、別世界の人の視点で分析するというのはよいことだと思う。

 黛氏の発言は俳句をかじった人であれば、失礼ながら、知っているし、まぁ考える類の内容である。

 要するにお二人の志は素晴らしいのだが急いで作った本というのがわかってしまうのだ。

 普通、こういう対談を噛み合っていないというのだろう。

 それぞれの発言は良いのに、調和していないのだ。

 

3部は「俳句脳 -ひらめきと余白-」

  

  大変納得のいく俳句論。黛氏らしい俳句の有り様を語ったわかりやすいものでした。(思わず敬体になってしまった)

  俳句をかじった者ならば、ほぼ納得のいく内容。彼女の俳句へのあつい情熱がわかります。

 

 となると、2部の対談がどうもということになりますか。

 

  ともに人気のある科学者と俳人の「二物衝撃」は、うまくいったのかなぁ~。

  

  俳句に興味のある人はぜひ読むべき本です。

 


渥美清の俳句

2008年08月30日 | 俳人

  フーテンの寅さんこと渥美清がなくなって、はや12年。彼が晩年、風天と号して俳句を詠んでいたことをごく最近新聞によって知った。

 『風天 渥美清のうた』森英介著、大空出版、という本には次のような俳句が紹介されている。

 

   ゆうべの台風どこに居たちょうちょ

  赤とんぼじっとしたまま明日どうする

  お遍路が一列に行く虹の中

    

  技巧に走らない素朴さ、渥美清の人柄を彷彿とさせる俳句ではないだろうか。

  

 

商品画像:風天


私設 「青少年読書感想文 課題マンガ」 5

2008年08月30日 | 漫画

  今月の中後半の天候は異様である。雷・雷雨・豪雨。残暑も困るが、この天候も植物には困りものである。

   置石の白き景色や夏の雨   奏城

 雨にぬれてきれいに映えるのは置石の模様だけである。

 

 今日のコミックは映画「おくりびと」をコミック化したもの。

 さそうあきら著『おくりびと』小学館

 扱うテーマは「人の死」と主人公の精神的成長。

 コミックをドラマや映画にするのは常態化しているが、その逆も少なからずある、その例である。

 ここまで明瞭に納棺師をあつかった作品はないだろう。

 映画の予告編は以下のところ。

http://www.okuribito.jp/dynamics/index.html


私設 「青少年読書感想文 課題マンガ」 4

2008年08月29日 | 漫画

  夏休みもあと2日。宿題は終わっただろうか?正規の宿題が終わった人はマンガ読書をしよう!ということで、第4弾は『市長 遠山京香』赤石路代著、小学館。

  いわゆる政治家ものである。「政治もの」のマンガも多数あるが、現在も好評連載されているのはこのマンガくらい。

  市長は身近な政治家のはずだが実際はそうはいかない。そこで本来こうあってほしいという市長像を描いたもの。  

  その華浜市長・遠山京香のキメゼリフは「市長、遠山京香です。」だが、何のことはないが水戸黄門の印籠のような効果を持っている。

  華浜市は横浜市をモデルにしていることはすぐにわかる。

  荒唐無稽なところもあるが、市長とはどうあるべきか、という理想を知ることはできる。

  現在、10巻まで。

 


こんにちは?

2008年08月28日 | 教育

  午前中はなんとか夏の風情を保ったが、午後からは徐々に雲が厚くなりついには断続的な豪雨となった。

  その午前中、この3月で転校したIさん姉妹が遊びにきて、窓越しに話をした。転校先でも一生懸命にやっている様子がわかった。

  ありがとう、またお越しください。


晩夏賦13  数珠玉

2008年08月28日 | 風流
 

  校地に生活科用に栽培しているジュズダマ 。いわゆる実ができ始めた。

 本来は、水辺に生育する大型のイネ科植物である。インドなどの熱帯アジア原産で、我が国へは古い時代に入ったものと思われる。

 数珠玉の代用をしたこともあった雌花は熟すると、表面が固くなり、黒くなってつやがでる。子どもたちには格好の遊び道具となる。

  なお、ハトムギはジュズダマの栽培種である。この周辺では栽培していないが、実がかたくならないのですぐわかるらしい。見た目はそっくり。あたりまえか。

 季語としては色が黒くなったものを対象に、「秋」となる。実の蒼いときは「夏の数珠玉」「蒼き数珠玉」のようになるわけ。

数珠玉の蒼き光や雲流る  奏城


晩夏賦12  オニヤンマ

2008年08月27日 | 風流

 

  校舎内にオニヤンマ(鬼蜻蜓、馬大頭)が侵入していた。早速捕まえて写真を撮った。

  周辺に生息していることはプール清掃の際に、そのヤゴがいることでわかってたが、なかなか成虫にまみえることはなかった。

 オニヤンマは、我が国最大のトンボである。かまれるとそれなりに痛い。

 学名にあのシーボルトの名前がつくのだ。これは知的驚きだ。

 シーボルトは日本原産の紫陽花に日本での妻「お滝」から「オタクサ」と名付けている。

 季語としては「秋」ということになる。

 

 

 

  トップ画像は撮影につかれて植木にとまっているところ