平成19年8月27日(月)
職員室に黒揚羽の死骸があった。窓から入り込み,外に出ることができなかった果ての姿である。
憐れを感じ画像に遺した,緑ごしのやわらかい光を透かしたメモリアルとなった,と自己満足。
夏の蝶の死骸をみると,詩人・伊東静雄を思い出す。
平成19年8月26日(日)
世相を語るとき,よく引き合いに出されるのが,「格差」と「2極化」。格差は上下・高低のイメージで,2極化は左右の両端のイメージだろうか。
学校現場でいえば,勉強する子しない子,仲間がたくさんいる子いない子。テストが大変よくできる子全くできない子。親にしても教育費を最優先にかける家庭と教育費はかけない,学校任せの家庭。
しつけのできている子いない子,やたら心配性で神経質な子と自己中心的でまわりに無頓着,またはあえて無視する子・・・・・・。
普通の概念が我国には無くなってきているのだ。
その格差は教員にもあるというのが本書。教育評論家としては著名な方の本である。
しかし,本書は教員の置かれている過酷な実態が教師を萎縮させ,その結果,穏便に済まそうとして教師力が落ちるのだと指摘。その過酷な実態とは次々と朝令暮改の如くの教育改革と自己中心的でモラルハザードな保護者の実態(モンスターペアレンツ)であるという。
しかし,もちろん教師自身の資質の問題もありますなぁ。
平成19年8月25日(土)
現職警察官がその拳銃で片思いの飲食店従業員の女性を射殺,という衝撃的な事件は最初,無理心中と報道された。
しかし,心中の条件を知っていれば,この第1報が間違いであることは自明である。新聞記者の語彙力を疑う。識者からの指摘があったせいか,事件の内容がわかってきたせいか,その後は心中などという表現はなくなった。この事件はストーカー行為のはての殺人であろう。家宅侵入をとがめられたことは引き金を引くきっかけに過ぎまい。
かの警察官の生活環境が変わらない限り,この事件は起きたのでは無いか?
心中は日本人の心象に強く影響を与える死に方である。特に江戸期(特に元禄~享保 1688年~1736年)に心中ものが広く演じられたり,出版されたりした。心中が美化される傾向にあったため,幕府は「相対死禁止令(あいたいじにきんしれい)」を出したくらいだ。
しかし,日本人の死後は問うまいという倫理観は心中を一層美化することになった。近代に入ってからも多くの著名な作家が心中していることを見れば,知性より感性が優先してしまう人間の性(さが)を表しているのではと,思う。
トップ画像の『心中への招待状』という著作もその延長線上にある作品である。
いずれにせよ,この事件は心中という類ではなく,あさましい人間のあさましい殺人事件である。
ところで,新聞各紙の「飲食店従業員」というオブラート表現は止めた方がいい。ホステスと書いてくれれば事件の理解はもっと速かった。
平成19年8月24日(金)
4階にて,新聞を読んでいた。気になった写真を撮ってしまった。
トップ画像は,東南アジア歴訪の安倍首相がインドでパール判事の息子さんと会談したもの。
もう一つは作家の安達千夏(あだちちか)42歳。知らなかった。現代作家の作品はほとんど読まないので,と言い訳。
ウィキペディア(Wikipedia)によれば以下のとおりになる。
来歴・人物
1999年に『あなたがほしい je te veux』でデビュー。同作で第22回すばる文学賞を受賞、第120回芥川賞候補。
清冽で的確な身体感覚を表現することのできる稀有な女流作家である。地の文に一人称・二人称のせりふを織り込む手法の巧さによって,主人公(つまり「私」)の鋭敏な五感をぞんぶんに描き出す。
不適切な処遇=虐待を背景に成長した人物を描くことが多いが、既存の大衆小説にみられるような、過剰な自己愛惜がいっさいはぶかれ,実にシンプルに,崩壊した精神の持ち主の心情を描写する。
作品
- 『あなたがほしい je te veux』(集英社1999年)
- ※第22回すばる文学賞受賞作、第120回芥川賞候補作品
- 『LOVERS』(祥伝社 01年 アンソロジー作品)
- 『モルヒネ』(祥伝社 03年)
- 『Friends』(祥伝社 03年 アンソロジー作品)
- 『おはなしの日』(集英社 04年)
書評だけで判断すれば,『モルヒネ』は読み,だろう。