美島奏城  豊饒の海へ

豊饒の海をめざす、教育と文芸と風流に関する備忘録

日乘 雛祭・追悼 池田晶子

2007年03月03日 | 風流

 

平成19年3月3日(土)上巳の節句・桃の節句

  トップ画像は『風流十二節 雛祭』1775年(安永期)ころ 礒田湖龍斎/画

    今日は雛祭。はるか昔(?),私が幼稚園児だった頃,別の幼稚園と合同に春のお遊戯会を毎年開催していた。ちょうど3月だったので,そちらの幼稚園は雛祭の歌にあわせて,お内裏様,お雛様,三人官女,五人囃子に扮した園児が踊り(お遊戯)を見せていた。白粉で白くなった顔見て同じ園児ながら感激したことを記憶している。
 今思えば,その園児たちとは四月から同じ小学校に通うことになったわけで,顔見せ交流の意味があったのだと思っている。

 

 

追悼:池田晶子氏


 昨日,文筆家の池田晶子氏が,2月23日,腎臓癌で逝去されていたことが,報道された。行年46,早すぎる。哲学を比較的平易に語ることで多くの読者を獲得していたのに誠に残念。「週刊新潮」のコラム「人間自身」にもそのようなことには触れていなかったように思う。手元の3月8日号(1日発売)には休載のお知らせがあったが,今となっては虚しい。

 ところで,あるHPで彼女のエッセイ(週刊新潮 05年8月25日号)をバカバカしいと批判していた方がいる。
 その方は腎臓癌で闘病生活を送っているのだが,池田氏が同じ腎臓癌で亡くなったことを知った今でも,彼女のエッセイをバカバカしいと言えるのだろうか?などと思ってみた。
 彼女の思索は闘病という範疇を超えていたに違いない。そういう人が考えたことはある意味常人を超えていることがあるのではないか,と私は思う。
 その潔い生涯の閉じ方に,杉浦日向子氏を思い出した。

 池田氏の本に『残酷人生論』というのがある。そのなかに「なぜ人を殺してはいけないか」という文章がある。
 彼女はその理由を「規則」だからといいきった。殺人を快楽と考える人がいる以上,それ以外の答はないという。
 確かに,「規則」は人間が社会動物として生活していくうえでの大前提なのだった。


池田晶子氏


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