美島奏城  豊饒の海へ

豊饒の海をめざす、教育と文芸と風流に関する備忘録

子供のいる風景 能教室⑥ 発表会

2010年01月20日 | Weblog

  能教室の最終日はその稽古の成果を発揮する発表会。6年生のほか参観を希望した5年生2クラスと保護者の方が総勢約250人が見守るなか、発表会は実施されました。

  11名の「お弟子さん」は皆最高の出来で発表を終え、大きな拍手を受けていました。最後にご褒美の演出を行いました。

 

 


楽屋の様子 くつろいでいるようです!


開演を待つ参観者


1組目


2組目 口上

 


お開きの挨拶

 


ご褒美の

 


花束贈呈


記念写真

 

 


日乗  天城山心中

2006年12月10日 | Weblog

 

平成18年12月10日(日)  

 

薄墨の流れて棹さす白椿  奏城



 

今日は気になる有名人の命日。

千葉周作忌 (剣術家,北辰一刀流の開祖) 行年数え63

 

大田垣蓮月忌 (歌人) 1875年 行年84

 晩年,西賀茂の神光院の境内に住む。その間,勤王歌人として多くの志士と交わり,明治元年江戸攻撃に出発の西郷隆盛に,三条大橋で「うつ人もうたるる人もこころせよ同じ御国の御民ならずや」との短冊を渡した。これが江戸城無血明渡しの一動機になったといわれている。

 

愛新覚羅慧生忌 (清朝最後の皇帝溥儀の姪)1957年行年19

慧生氏は,同窓の大久保武道氏と12月4日以降,天城山で心中,10日に発見。 いわゆる「天城山心中」。戦前の「坂田山心中」と同じく“天国に結ぶ恋”と評された。

   
           慧生氏               大久保氏

 お2人とも二十歳前後ながら,それよりも長じて見えるのは,時代のなせるわざであろうか?
 
 
 

 

 ところで,1901年の今日,田中正造が足尾鉱毒事件で明治天皇に直訴を敢行した。おなじころ第1回ノーベル賞の授賞式が行われていた。
 直訴直後の田中正造

 

 

 

 

 

                                                  

                               直訴直後の正造


日乗   小松崎茂忌

2006年12月07日 | Weblog

 

平成18年12月7日(木) 大雪

 

   小松崎茂昭和の東京

 小松崎茂の名前を知らない人でも彼の描いた挿絵に接していない人は少ないだろう。例えば,小学6年生がよく使う,社会科資料集の歴史の再現画には氏の作品も利用されていたからだ。絵柄をみればあの絵だと誰しもが思うものである。

 かつての少年たちならプラモデルの箱のイメージ画を想起すればよいだろう。

 
戦艦大和                    いわゆる“おばけ煙突”

 

 個人的には氏の再現画を掲載したい旨の電話をしたときに,こちらの趣旨を聞いてくださった後,ためらいなく了承してくれたことが大変にありがたかった(手続きは編集部が)ことを覚えています。逝去はその後まもなくでした。