皆様からのお便りより
(昭和)天皇メッセージ
こちらのサイトの下にあります文書は、沖縄に関する天皇裕仁とシーボルトが交わした契約?の内容のようです。
*)沖縄公文書館が米国国立公文書館から収集、2009(平成20)年3月25日に公開した「天皇メッセージ」
・・・シーボルト連合国最高司令官政治顧問は、率直に
「a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest
(疑いをはさむ余地なく主としてself-interest(私利私欲、利己心)から出た要望)」
と評している。・・・
2015年11月27日
タイム誌に載った裕仁天皇に関する5つの神話
読者が知らせてくれました。
・「ソラ情報」さんに、ソラからの情報も翻訳して海外掲示板でも紹介していただきました。
タイム誌に載った裕仁天皇に関する5つの神話
・「5 Myths About Emperor Hirohito」(Aug. 14, 2015)〔粗訳 by Takashi〕
この投稿はHistory News Network(歴史のニュースネットワーク)との 共同作業で作られました。
以下はHistory News Networkのオリジナルな原稿です。
中国でも紹介されています。
・「?于裕仁天皇的五个?言」(2015年08月25日)
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神話1: 裕仁天皇は神であった
1868年に日本の将軍制度が廃止された後で、南部の4つの藩である薩摩、長州、サバと土佐は日本の天皇は神であるという8世紀に作られた神話を再度推進することによって、新しい政権の正当性を強調しようとしました。
そして、それは二つの年代記である古事記(古い記録:712年)と日本書記(日本の年代記:710年)によって成されようとしました。
天皇の力は、1868年まで薄弱でした。
というのはそれまで権力は将軍にあったからです。
そのうえ日本帝国の家族は大部分があいまいで、しばしば相対的貧困の中で存在し続けたからです。
多くの場合、革命政権でよくあるように 、新しい国家のアイデンティティを正当化するために必要な、国の新たな軍事的支配者を祭り上げました。
幼児であった明治天皇は、新政権の名目上の首長として自己を正当化しました。
そして新政権は生神として 天皇を神として強調したのです。
日本の新政権は、新しい状態の学校教育制度に教示されているイデオロギー教化の中心として、生ける神として、また新政権の軍事的支配者として天皇の役割を強調しました。
日本軍は上記を強化するために武士道を軍事プログラムとして採用しました。
したがって、将軍の打倒は、革命としては位置づけられず、明治維新として強調され反乱軍に正当性を与えたのです。
神話2: 裕仁は彼の部下の将軍によって戦争するように強制されただけである。
太平洋戦争が終結してから約9ヶ月後の1946年3月には、昭和天皇が戦争の彼の役割について証言しました。
奇妙な場面なのですが、昭和天皇は、シングルベッドの上で最高級の柔らかい綿の枕の上に純白のパジャマを着て横たわっていました。
8時間に及ぶ証言の中で、昭和天皇裕仁は独白録(皇帝の独り言:彼の戦後証)の中で彼は、戦争の責任は自分には無いと証言しました。
彼の主張によると戦争は軍部が行ったことで、自分は単なる立憲上の君主にすぎず、戦争は全て軍部によって実施されたものであると証言しました。
裕仁の証言では〔私は事実上の囚人同然で、無力でした〕
これはウソでした。
協定によって裕仁は、憲法上の君主として行動しました。
明治憲法は彼に絶対力を付与したのです。
つまり彼は神として祭り上げられたのです。
彼の統治時代に、彼が絶対力を行使したことを示す三つの事例が発生しました。
1929年に彼は国の総理を強制辞任させました。
1936年には、彼は軍事顧問の発言を却下しました。
それは1936年に起こった 2月26日事件(226事件)で、彼の軍事顧問の発言を却下して、クーデターに加わった若い将校たちに極刑を下すように指示したことです。
そして1945年の8月には 最終的に彼の顧問団の忠告を破棄して日本の敗戦を主張しました。
裕仁は1930年代には日本軍部の冒険主義を阻止する力を持っていました。
しかし、持っていてもそれを実行しようとはしませんでした。
彼の前補佐官であった海軍中将の平田昇は以下のように推測しています。
天皇が終戦の時にしたことを、わたしたちは、彼の即位の始めからしてもらえたかもしれない。
神話3: 裕仁は海洋軟体動物だけに 興味がある平和を愛する科学者であった。
太平洋戦争の後で、皇室同様マッカーサー将軍の宣伝機関は世界の人々に、天皇は平和愛好家の科学者であるというすり込みを超速で開始しました。
彼の主なる興味は、単生淡水性ヒドロ虫と微視的なクラゲの研究であるというのです。
裕仁は実際、熱心な紳士的な科学者です。
しかし彼は軍事活動の細目に興味を持つ若者でもあるのです。
彼は東京の皇居の地下に設けられた戦争部屋を持っていて、そこで彼は日本の軍事活動を詳細に追跡できるのです。
軍事的権力トップでさえ、天皇のもっている軍事情報を更新するのに必要なレベルの情報を、天皇に提供するのに不足なのです。
戦争中、彼は主に 軍服を着ていました。
そして軍が大きな戦果をあげると、真っ白な軍馬にまたがり、皇居の前でパレードをしてお祝いしました。
連合国がそれらを入手する前に天皇の宮中の書類が破棄されましたが、その時は、日本の戦況が悪化したことは、当時の情報から明らかでした。
そして情報によると彼は彼に対する軍部の批判にますます甲高くなり、そして彼自身の戦略的な提案を執拗に実施するように主張していることを示していました。
神話4: 裕仁は中国の南京虐殺に ついての情報を知らなかった。
南京虐殺は日本の新聞で広く取り上げれていました。
新聞は、ほとんどの中国人の首をだれが一番たくさん切り落とすことができたか、という血なまぐさい競争についても詳述していました。
裕仁はこれらの報告を知らなかったはずがありません。
というのは彼自身の家族も中国での残虐行為に密接に関与していたからです。
彼自身の叔父の朝香の宮は 南京で部隊を指揮していました。
その褒美として裕仁は、朝香の宮に一対の銀の壺を贈っています。
そして二人は、定期的にゴルフをしていました。
2000万人~3000万人の中国人を虐殺したケースでも、天皇の関係者の陸軍元帥カニンはガスの使用を許可しました。
裕仁の一番下の弟の三笠宮殿下は、満州の731部隊を訪問さえしています。
そこでは中国人や西洋人に対して、生きたままの生体解剖や他の実験が行われました。
証明はされていませんが、詮索好きの裕仁が彼の親戚から日本軍がやっていることに対する、それらの情報を知らされていない、というのはありえない話です。
裕仁同様に、全ての皇族は、東京戦争裁判で訴追を免れています。
神話5: 裕仁は、太平洋戦争の日本の戦争犯罪について謝った。
裕仁天皇はパールハーバー攻撃を含む日本の戦争犯罪にたいして公式に謝罪したと様々な場面で報告されています。
推定するとマッカーサーは東京戦争犯罪者裁判の判決を守るために、これをすることを許可しないようです。
しかし裕仁がアジアや米国にたいして謝罪したいなら、彼は国際的なプレス機関に対して謝罪の文書を提出したでしょう。
1975年には、「戦争犯罪」に対して質問されて、裕仁は「わたしは質問文書を調べていないので、そういう質問にはお答えできません」と答えています。
それは日本の学校や大学で教えられる日本の戦後の戦争史観を十分に反影しているあいまい史観です。
フランシス・パイク(Francis Pike)は 歴史家で、ジャーナリストで、アジア経済、政治、歴史の専門家です。
彼は「戦争帝国」の著者です。
又「第二次世界大戦後の近代アジアの 短編歴史」(刊2009)の著者です。
彼の最新の本は「裕仁の戦争、太平洋戦争 (1941-1945)」(刊Bloomsbury Academic, 2015).
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以上、タイム誌に載ったのを読者が翻訳してくださいました。
次のこともメールで知らせてくださいましたが、なぜ、昭和天皇が訴追されなかったわかるようです。
ソラから知らされたこともつながってきています。
↓を参照ください。
昭和天皇が英国陸軍元帥になった経緯は英国王印刷局の陸軍リストに掲載されていないようですが
1921年5月13日(金)の英国官報に大将とあるそうです。
・「The London Gazette Publication date:13 May 1921」
1930年に英国陸軍元帥と載っているようです。
・「The London Gazette Publication date:27 June 1930」
昭和天皇が1941年の英国陸軍リストにField Marshal(英国陸軍元帥)として掲載されている本が、ウエブに公開されている。そうです。
それは名誉職ではなく正規の軍位。
発行人は英国国王印刷局。
公開したのはスコットランド国立図書館。だそうです。
・・・・・・
トルーマン大統領からの命令で天皇は訴追を免れたようですが、やはりネット上でにぎわっている組織とやら関係があるといえそうです。
2015年11月25日
タイム誌の天皇の記事に対して
タイム誌に載せられたこれらの内容は、以前は体験者などを通して語られたことを元にした本などで知らされていたことで、ある程度の年配者は誰でも知っていることと思います。
私もその一人ですが、ソラから知らされた情報は、その私でもびっくりする内容でしたが、ここに書かれたことと全てに当てはまると思っています。
メールで知らせてくださいました。
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昭和天皇が英国陸軍元帥になった経緯は英国王印刷局の陸軍リストに掲載されていないようですが
1921年5月13日(金)の英国官報に大将とあるそうです。
・「The London Gazette Publication date:13 May 1921」
1930年に英国陸軍元帥と載っているようです。
・「The London Gazette Publication date:27 June 1930」
昭和天皇が1941年の英国陸軍リストにField Marshal(英国陸軍元帥)として掲載されている本が、ウエブに公開されている。そうです。
それは名誉職ではなく正規の軍位。
発行人は英国国王印刷局。
公開したのはスコットランド国立図書館。だそうです。
トルーマン大統領からの命令で天皇は訴追を免れたようですが、やはりネット上でにぎわっている組織とやら関係があるといえそうです。
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天皇家は伊勢神宮との関りがとても強く、何かあると参拝をしています。
それは多くの国の権力者が、神がかりの巫女などの意見を、絶対知られないようにしながら参考にしていることでした。
レーガンが星占いを信じたのと同じでした。
・「2015年11月24日 Grand Shrine of Ise and the Imperial「タイム誌に載った裕仁天皇の5つの神話」原文」
私がチャネリングで知らされた情報とは、以下のようなことです。
昭和天皇の妻やその仲間たちが、日本は小さいのでもっと大きな領土にしたいと当時の伊勢の巫女に言ったそうです。
巫女は日本は神に守られているので、昔は神風が吹いて蒙古軍を蹴散らしたり、ロシアにも勝った。
それで今回も領土を広げても神が助けると言ったそうです。
そのことを天皇は軍部に話したそうですが、天皇は当時は神と同じだったので、天皇の言ったことを部下は忠実に守っていったと知らせてきました。
そして、一番の戦犯とされた東条陸軍大臣は、天皇の希望を叶えるために命令をしただけなので、その責任についてはチャネリングでは一度も言ってきません。
その代わり、亡くなった昭和天皇は、冷たい風と共に10回近く、助けてほしいと言葉になりました。
それは亡くなってからのイシキの世界で、戦争の被害者に責められて困っている、それで天皇制をなくするように頼んでほしいと、言葉になってきていました。
話は変わって、
私のチャネリングの始まる前の98年の2月ごろ、伊勢神宮の最高の巫女である石田勝江さんと交流が始まっていました。
(インドのグルとの写真が、当時のライフ誌の表紙を飾っていました)
98年当時はプレアデスの力がとても強く、皆さんのご存知のように、UFOやアブダクションが盛んにおこなわれていた頃でした。
このころの体験は又別に書いています。
彼女は明らかにプレアデスの部下であった月人からのチャネリングをしていました。
プレアデスがアセンションが起きると言っていた98年の6月25日にチャネリングが私に始まりました。
私を支配したプレアデスの女王はアクマの化身で、極限の恐怖を私に浴びせましたが、宇宙の意識体(名のない小さな星たちの集合体)とつながることでプレアデスの女王は去っていきました。
その後【ソラからの情報(地球の謎解き)】が与えられることになります。
伊勢の巫女を支配していたのがプレアデスの部下だったので、それが去って行くのと同時に石田さんはチャネリングができなくなったと半狂乱で電話をしてきました。
お互い支配されて大変な目にあったので、本当のことを本で公開しましょうと話したのですが、彼女はできないと言って、九州の幣立神宮に行ったようです。
そこでまたチャネリングができるようになったので、刀にダイヤをはめ込んで伊勢神宮に奉納すると言いました。
その前に伊勢神宮には神器の鏡がないので、鏡を奉納するので宝石を買ってほしいということで、高額の品を半ば強制で買っていたのです。
その鏡の代わりに刀を奉納するというので、そうすれば世界中戦争ばかりになるので、皇室に伝えてほしいとチャネリングの言葉になっていました。
当時、昭和天皇から何度も夜中に起こされるのもあり、秋篠宮が勤めている山階鳥類研究所にソラから知らされた情報と、故昭和天皇のイシキの言葉と共に刀を供えられたら世界中戦争ばかりになるのでと伝えました。
その後すぐに、秋篠宮夫妻が礼服を着て伊勢神宮へ参拝していたので、伊勢神宮の巫女の言葉と皇室はつながっていることは本当だったのだと思いました。
ちなみにマッカーサーが天皇と出会った時は、当時は力を持っていたプレアデスの力で、天皇を神の姿のようにしたビジョンを見せて、天皇が罪をかぶらないようにしていた、ということも知らされています。
その後わかったことは、トルーマン大統領から天皇の訴追はやめるようにと命令がなされていたそうです。
それは天皇はイギリスの王室とつながっていたからのようです。
北朝鮮などの独裁政治で、独裁者を神と同じようにあがめさせるのは、かつての神とあがめさせた天皇一家の支配と同じで、そのこと見させていると知らせてきています。
星たちも意識を持っていて、その欲望を具現化させるのが地球だと知らされています。
大きな星は、人間の想像をはるかに超える力があることを、しっかりと見させられ、その後のチャネリングで知らされることとつながっていきました。
そして早くから知らされていることは、人間はみな平等であることが宇宙の大原則であるのに、それが壊されているのが天皇制であり、王政だということです。
そして宗教で支配することも、人間はみな平等であるという宇宙の大原則を壊しているのです。
宗教の指導者は、それを信じないと死んでから地獄へ行くと脅かして、これまで人類を支配してきました。
いかに平和を説いている宗教でも、その指導者は死んでからは、イシキの世界で責め続けられているということのようです。
かっての故ローマ法王も同じことを訴えてきていました。
宗教の極悪の見本がイスラム国ですが、昔の宗教戦争を見ると、平和を唱えている仏教でもキリスト教でも、全く同じことが行われていたことがわかります。
宗教が残される限り、地球の平和は来ないとも繰り返し伝えられています。
世界中の政府やマスコミに知らせても、人類は全く逆行方向に進むばかりです。
最近は確かに隠すような報道がされているのは、政府マスコミ全体がなんとなく隠す方向に向かっていると思っています。
・・・・・・
ローマ法王も天皇もイシキの世界では責められていると訴えてきています。
・「2005年7月10日 故法王、チブルスキー、シオン、義経、苫小牧のイシカミ、マウンテンゴリラ、ラセンの雲追加」
ローマ法王の死
・「2005年4月5日 太陽の虹と光の形、ローマ法王の死、ダ・ビンチ・コード、モナ・リザの真相、風水などのお札の意味」
皆様からのお便りより
2015年12月11日
天皇の空白期間500年 故事類苑
以前から天皇は、昔は途絶えていたけど、明治政府が強力な権力で神と思わせ、国民をねじ伏せるために、再利用されたと聞いたことがありましたが、実際に500年も天皇がいなかったという証拠は知りませんでした。
そのことが明治政府発行の「故事類苑」に載っていることを知らせてくださいました。
(以下、読者より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和天皇が公布した日本国憲法第二条に「皇位は、世襲のもの」とありますが、「生きている天皇」という世襲などなかったことが、明治政府発行の「故事類苑」に記されているとのことです。
それによりますと、
「天皇」は、中国の制度に倣った【死後に称する漢風諡号】だと、明治政府編纂『古事類苑』には書かれています。
しかも
【順徳天皇(1197-1242)以来、光格天皇(1771-1840)が漢風諡号を再興するまで、「天皇」は途絶えていた】
けれども宮内庁の天皇系図を見てみましたら、途絶えていた間、繋がっているように名前がありました。
なので、今生きている天皇には、日本のなんの伝統の裏付けもないということになるのではということのようです。
古事類苑>帝王部
其二を漢風諡号と爲す。
其制大宝律令に始て見えたり。公式令に天皇号の目ありて、義解に諡は生時の行跡を累て死後の称と爲す。
即ち天地の経緯するを文と爲し、乱を撥き正に反すを武と爲す類を云ふとあり、是全く漢土の制に傚へる故に、今目して漢風諡と云ふ
その二を漢風諡号とする。
その制度は大宝律令が初出。
公式令に『天皇号』の項目があり、令義解に諡(おくりな)は生前の偉業をかさねて死後の名とする。
即ち、~これ全く中国の制度の摸倣ゆえに、今、漢風諡(おくりな)という。
生きている天皇の地位も、漢風諡号『天皇』も、日本の伝統ではなんでもなく、言うなればこれは詐欺ということになって、これから考えると、天皇が内閣総理大臣を任命することも問題となり、現人神なのに、なぜできるのか。
また任命できるということは、離免もできるのかと。
大詐欺師が首相と最高裁判所長官を任命している日本の政治が問題だということのようです。
148年前までしばらく日本列島のEmperorは徳川将軍だった。
でも実相はオランダ東インド会社のチェーンランド。
そしてその後は、をEmperorに摩り替えたドイツ系ヴィクトリア女王の傀儡国。
日本は傀儡師によって変わる国 とも。
古事類苑>帝王部>諡号
仰漢諡の制、順徳天皇以来永く廃典となりたりしに、近世、光格天皇崩御の時、更に復興せられたり
大宝律令』 唐の律令を参考にした 大宝律令において初めて日本の国号が定められた 王土王民思想に基づく国家づくり 天皇を中心とし、二官八省(官僚制の元祖) 小野妹子?『冠位十二階』
『大宝律令』の原文は現存しておらず、一部が逸文として、続日本紀、令集解古記などの他文献に残存、日本の『特定秘密保護法』は、7、8世紀に既に在ったのか?
とあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*)明治政府の開始時期については諸説あるが、狭義では明治改元に当たる明治元年旧9月8日(1868年10月23日)となる。
・・・順徳天皇(1197-1242)以来、光格天皇(1771-1840)が漢風諡号を再興するまで、「天皇」は途絶えていた・・・
ということで、明治天皇を神と思わせるために、500年も天皇は途絶えていたのに、慌てて光格天皇と名乗らせて記録に残させたようです。
宮内庁の天皇系図には、途絶えていた間も繋がっているように名前がありましたが、明らかに後年に都合のよいように付け加えたようなのは、名前に「後」がついているのが、「後年」つけたというのを認めているほどたくさんついています。
それは古墳でもそうで、大きな古墳を適当に天皇のお墓と決めつけていますが、その後次々と大きな古墳が出てきて説明がつかなくなっているようです。
以前に明治天皇のイシキが降りてきて、体格が良かったので天皇にされたが、全く自由がなくてとても辛かったと、詳しく言葉になっていました。
・「2003年10月30日 明治天皇(大室寅之助)より」
2014年10月31日
幕末で長州が強かったのは?
読者からのお便りです。
・・・・・・・・・・・・・
先日の「お知らせ」に、キリスト教が長州にお金を渡して動かしたとあり、
『なぜ明治政府に長州が強い勢力を維持することができたのだろうか?』
とずっと不思議に思っていましたから、その原因が分かり、すっきりしました。
それで、この本を見つけて読んでみました。
#)落合莞爾著、落合秘史シリーズの中のⅢ「奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新」
この本では、ソラのお知らせ通りに、確かに奇兵隊だった大室虎之佑が本物の明治天皇とすり替えられ、事実上の明治天皇になったと明記してあります。
が、内容は衝撃的なことが多く、長州を皇室が裏で動かしたという内容で難解です。
この本の情報は、「さる筋」からと書かれてありますが、ネットで調べたところ、故高松宮の側近の方が著者にコンタクトしてきて流しているという記事をみつけました。
明らかに大室はすり替え天皇という記事が知れ渡っていますので、皇室関係者は、これを武器に大室は南朝の皇室の血筋であると言い張れば、世の中の騒ぎは収まるという狙いを持って開き直り、汚名を払しょくできるつもりがあるでしょうか。
(ソラが伝えることを反論?)
どんな手段を取ろうとも、皇室の威厳を保とうとする内容が、ふしぶしに感じられました。
また、大室虎之助のいた山口県の周防(田布施)では、この大室家を皇族関係者や吉田(松陰)家や佐藤家等が守ってきたというのです。
佐藤家とは、全国ネットの荘園管理職の長だそうです。
江戸末期では派手な動きをしないため目立たなかったのですが、岩手県平泉の藤原家の家来でもあり、源義経の家来でもあり、現在の本拠地は福島県の飯坂温泉にあるそうです。
甚兵衛という名のネットワークで結ばれているとか。
この長州の佐藤家からは総理大臣が二人でています。
(佐藤栄作、岸信介(二人は兄弟。岸信介といえば佐藤家から岸家に婿に入り、安倍首相の祖父)
幕末の頃、長州下関は、完全にイギリスに占領され、イギリス人が上陸し、闊歩していたといいます。
この本では、長州には在英ワンワールドが・・・と書かれていますが、イギリスの指導と資本が注入されたのでしょうか?
江戸幕府を倒し、鎖国を解き、世界皇室連合に日本の皇室を入れるという内容の文もありました。
在英ワンワールドは、南朝皇室を盾に、長州を使って日本を手中に収め、最終的には中国(香港や上海)と同じように日本を植民地化する計画だったのではないか・・・と頭に浮かんできました。
倒幕前、このイギリスは世界最強の船団と言われ、鹿児島の錦江湾に集結したのですが、薩摩藩はこの船団を撃退していました。
薩摩は外国に負けない国づくり、富国強兵、近代化を掲げ、長州と同盟を結ぶものの考え方が徐々にずれて行きます。(そして西南戦争へ)
長州とは反対に、榎本・土方をはじめとする集団はフランスの考え方に賛同し、差別のない国をつくろうとして北海道に新政府をつくることを提案し、函館へ行きます。
しかし、理想を持って国の未来を語る西郷・榎本・土方勢力や純粋に各藩の主に忠誠を誓う者や旧幕府軍に、奇兵隊は次々と戦をして駆逐していきます。
奇兵隊とは長州藩内の本物の武士ではない者の集団で、高杉晋作が中心となって作られました。
南朝の皇室の正統化と尊王攘夷を掲げ、伏見から始まって会津・東北を通りぬけ、函館へと奇兵隊は北上進軍します。
日本人同士が無駄な戦をし、忠義の強い士族を退けていきました。(戊辰戦争)
奇兵隊には本物の武士ではない者が、戦で手柄をとると士族の身分がもらえるという仕組みがあったそうです。結局は身分を確立し差別を推進していくことになります。
農民出身の伊藤博文や、武士の家来である中間の山形有朋が公爵の位にまで上り詰めることができたのは、この本ではこの仕組があったからといいます。
尊王攘夷の他に長州の狙いは、能力主義も加味した武士でないものの身分の保障(士族とすること)をどさくさにまぎれて行い、新政府作りを進めたと書かれています。
日本人の忠義の気持ちを利用し、イギリス皇室や江戸幕府のように、頂点に一人の支配者がいれば日本人は皆従うと考え、明治天皇を掲げたといいます。
本当は誰に都合のよい改革なのでしょうか?
それから、長州の長門・周防地域の奇兵隊になった者たちは、毛利氏に敗れてから身分剥奪された室町時代の大内氏の家来衆で、辛酸をなめてこの地で生きてきたといいます。
大内氏は室町時代にキリスト教を許可し、村上水軍を要し、朝鮮半島とも輸出入をして資産を蓄え、長門、萩あたりは西の京と言われるほどに京都よりもにぎわう町をつくったそうです。
まさに萩市は大内氏の城下町で、吉田松陰・高杉新作・伊藤博文・東郷平八郎の出身地です。
さて、奇兵隊の維持、戦の軍資金はどこからどのように?
明治政府をたて、推進していく資金はどこからどのように?
そして、現在も総理大臣がたくさん出ている長州出身の方々の莫大な選挙資金は?
次々と疑問がわいてきます。
ところで、安倍政権の基盤の自民党は外国勢力が強い党であり、首相は他国に動かされていると批判されています。
その安倍首相のルーツを調べると、確かに岩手県平泉の安倍一族の末裔とありました。
前九年の役で源氏・清原氏にやられ、一家離散となりました。
その安倍一族の長、安倍貞任の弟の安倍宗任が、福岡の地に流されたというのです。
宗任の墓は福岡市の宗像町大島にあります。
その宗任の三男が、平戸の松浦氏の婿になり、後に松浦氏が戦で負けて長州の長門に連れてこられ、名前を安倍に戻したというのです。
そのまま長州の地で、安倍氏として継承されてきたというのです。
不思議とキリスト教布教と関わる土地とつながります。
さらに、山口県には、皇室の血筋ながら、公に知られてはいけない子どもが育てられている場所(家・寺)もあるといいます。
(尼になった天皇の妹という内容の本を読んだことがあります)長州・山口は、皇室・イギリス・キリスト教・・・・とのつながりが強いと感じざるを得ません。
真実を調べている人はたくさんいるのでしょうけれど、ある真実が出ている反面、それを証明する大事な部分がカモフラージュされているのではと感じます。
本やマスコミで流されている情報を、ソラ情報を土台に内容を判別したり調査したりして、惑わされないようにすることが本当に必要だと思いました。
2016年8月8日
2013年8月に政府関係者、マスコミへ送った手紙の一部
今の政治の流れがあまりにひどくなっているので、これまでから何度か政府やマスコミに知らせてほしいと言葉になっていましたが、いくら知らせても同じだとなかなか筆が進みません。
2013年8月に政府関係者などへ送った文の一部を読み直していました。
・・・次のことも日本で連日猛暑が続いている時に知らされたことです。
2013年8月10日
私はとてもはっきりとした《ビジョン》を見ました。
“小さな真っ赤な太陽が、周りを四角で囲まれる。その太陽が次第に黒くなって行き、ついには消えてしまう。
そして爆発して黒い小さな点々になり消えてしまう”
というものです。
私はどういう意味か聞きましたが、チャネリングなので真偽のほどはわかりませんが、現実とあっていると思えるのでお知らせいたします。
「太陽の(爆発の)ことはもう少し先です。
太陽の活動は10年はもちません。
そしてそれは必ず起こることです。
それまで人類は学びをしていきます」
その後も2回、夢うつつに、太陽も水星もミナノコの原子たちはすでに分解し始めているので、それが止められないというような言葉になりました。
現実に日本の四万十市で40度を超える日が4日も続いているということ、湿気が多いためかカスミがとてもひどくて、山が見えない日が続いていることで、オーバーなことではないのでないかと私はひそかに思っていました。
8月14日には次のような言葉が出ていました。
「学びを知らせます。
それは家の中でも生きていけなくなると言うことです。
これからはもっと暑くなると言うことです。
なぜならミナノコの原子が集まっている太陽はもう崩壊しかけているからです。
同時に水星も(ミナノコの原子たちが集合した星です)崩壊を始めています。
そのことをひどいカスミで知らせています。
そして世界中で魚が死んでいきます。
反対に害虫が増えていくのです。
地球が生きていることを、人々は知らん顔することを、地球やソラのモノは許さなくなったのです。
仕事をすることができなくなります。
家の中でも生きていけません」
その後もいろいろな惑星が協力して、太陽の働きができていて地球が存在していると知らせてきました。
けれどもその太陽の働きは勝手に自然にできていると思って、決して意識を認めない今の人類に対して抗議をしているようです。
NASAでも「太陽の磁極の反転(磁場のポールシフト)」が始まったことを確認されたそうです。
太陽の極がなぜ4か所になったか?
なぜ太陽の極は11年ごとに入れ替わるのか?
それらは全て自然になったのでしょうか?
今、厳しく問われています。
その他、地球上ではこれまでにないいろいろな異常なことが起きています。
それらは全て、宇宙や星や地球を形成している原子が、“思い=意識”を持っているのに、今の科学では決して認めないことへの抗議の意味で知らせているそうです。
ソラからの情報は、これまでの常識を全て覆す内容ではありますが、全ての分野においてつながりがあり、整合性があります。
後、10年持たないかもしれない地球も、人類の意識の持ち方で変えることができるとソラからは伝えてきていますので、ご一考いただければとお知らせさせていただきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・
今年は本当にコロナホールがこれまでにない大きさですが、太陽の一部のアトたちは地球に降りてきて、いろいろな異常な現象で知らせているようです。
・「2016年7月12日のコロナホール」
【2016年8月12日追記】
#)終戦を迎えても、安倍内閣になってからか、戦争の記録がほとんど放映されないようで、悪評まみれのオリンピックなどスポーツばかりの放送になっています。
悲惨な戦争で亡くなられたことは決して忘れてはならないことですので、改めてあげておきます。
・「2016年8月10日 昭和天皇の戦争責任=皇室の責任」
#)《ビジョン》
“最初は二重の横向きの楕円に横棒が付き、次に変形した〇や□など不揃いな模様が棒でつながる。2段になっていてその最後は二重○で終わる”
(昔、渋柿の皮をむいて長い竹串に刺して、火をたくクドの上に干していましたが、その形に似ています)
意味は
「いろいろな目的の違う思いのアトたちが手をつなぐと、お互いに自分のことを主張するので喧嘩になり、見かけはきれいでも醜いモノが隠れているモノが出来上がる」
アクマの顔を持つ花。
タカ派の好戦的な女性議員3人のことも書いて送る予定です。
・「地球の記録:コロンビアの森の中で「悪魔の顔」を持つ新種の花が発見される 」(2016/8/12記事)
【2016年8月14日追記】
#)稲田朋美防衛相に領収書偽造が発覚、なんと520万円分!(2016年8月14日記事)
・・・白紙領収書を受け取った稲田氏だけでなく、発行した自民党政治家の名前も報じられている。その中には、加藤勝信一億総活躍担当相、丸川珠代五輪担当相、そして高市早苗総務相など、発足した安倍内閣の閣僚が10人も含まれていた。ようするに、自民党は組織ぐるみで白紙領収書を発行、国民の目を欺き続けてきたのだ・・・
ソラ辞典より
・イシカミ
大昔、射手座から降りてきたいわば宇宙人、お腹に人間を入れて降りてきた。
射手座にいた頃は、三次元の生物ではなく所謂‘意識体’だったが、人間を作った時に自分達も三次元の形になって一緒に下りて来た。
大きさは様々だが山のように大きいイシカミもいた。
とろとろのお餅のような身体で、引力によって身体からぽたぽた落ちた物が落とし物と呼ばれている。
落とし物から分身の子供達を作り、人間の為に食べ物や川、山を作った。
またピラミッドで宇宙のエネルギーを得たり引力を放散したりしようとしたり、いろいろな奇岩を作りサインとして残した。
当事の人間はイシカミの存在を知っておりテレパシーでコミュニケーションをしていたが、今では人間の意識が薄くなりごく一部の人にしかその能力が残っていない。
・原子
物質を構成する1単位。
原子核と電子からなり、電子が原子核の周りを軌道を描きながら回るのは、原子核が電子に「回ってください」と頼むからで、「原子に意識がある」ことを証明する。
・目には目を、歯には歯を…の本当の意味
イスラム教で、恐ろしい復讐の意味に間違って解釈されていたこの法律を、『ソラのイスラム物語』のマホメットが、
【目には目を】は、見て美しいものや楽しいものを頂いたら、誰かに見てうれしくなるものをお返ししなさい。
【歯には歯を】は食べておいしいものを頂いたら、誰かに食べるものをお返ししなさい。
それは、貰った人にお返しをしなければならないということではなく、地球の富が循環するように、つまり神様から与えられている地球の財産を独り占めすることなく、皆で分け合いましょう。
という元の意味に戻した。
しかし、その後にまた悪者が、「目をやられたら目を傷つけるように、歯を壊されたら歯を壊せ」という恐ろしい復讐の意味にしてしまった。
現在も間違った意味を信じているために復讐による悲惨な争いが絶えない。
本当の意味を知らせてくれたソラのもの達は、本当に平和になるためには「目には目を…」の復讐ではない本当の意味が伝えられることが必要ということ、またイスラム世界だけでなく、王制(天皇制も含む)の見直しをする事が大切とも伝えている。
・地球
星達が並べられる不満の固まりが鉄などの元素を引き寄せ、真っ赤に熱せられて宇宙をさまよっていたが、水星が水で地球を冷やしてくれ、土星が土を、木星は木をプレゼントしてくれ、またそれぞれの星が動物、花、魚などを送り込んでくれた。
モーリタニア、サハラ砂漠に地球の目、エルサレムが地球の心臓などと知らされる。
地球の最初は亀のようであったが、4世紀?に丸くなったと。
丸くなることで余分の原子たちは一旦分解して、再び地球に降りてきて山などになった。
・【宇宙の計画】
宇宙は何もない真っ暗闇ではありません。
人間以外に意識を持ったものは、星をはじめ形はなくても、意識体として想像を絶する存在がいるようです。
そしてそれらのそうまとめが、ゴールディロックスという大きな天体のようです。
そこからいろいろなこれまで人間の知らなかった情報が、ソラからの情報で、13年間伝えられています。
それは宇宙の原則は【平等】が一番大切と繰り返し伝えられます。
それを壊しているのが、王制、皇室制で、その他地球の富を独占している権力者たちです。
そのことを繰り返し伝えて、政府をはじめあらゆる所ににも伝えていますが、全く変わりがなく、争いばかりの地球で、人々の助けを求める声は宇宙の果てまで届いているそうです。
それでゴルディロックの総元締め?で会議がなされ、地球を元の平らな星に戻す計画が立てられたそうです。
日本で玄海灘地震以後、大きな震災級の地震がなかったのは、日本からこの情報が発信されているので、多くの人々は気づくであろうということだったのですが、全く正反対で、いくら知らせても無視、ネット上では罵詈雑言の攻撃が絶えなかったようです。
それらを星たちは黙って見ていて、宇宙の意識体?の会議(ゴルディロック)で話し合いで、元の地球に戻そうとしたそうです。
その最初?の計画が今回の東北太平洋地震で、この大地震が起きる前の日、激痛と共に政府にソラからの警告を聞いてほしいと催促があり、伝えました。
けれども全く無視され、ついに実行されたそうです。
・宇宙の大元(おおもと)
《大元》とも言い、宇宙で初めて思いを持ち、原子や星を創りだした根源。
宇宙の最初は真っ暗闇であったが、最初に「誰かいないか?」という意識があらわれ、捕まえようとしたとビジョンで知らされた。
次に捕まれまいとする思いがあらわれ、大元が捕まえる、弟が逃げるという追いかけっこになったので渦巻きが現れる。
渦巻きが極限まで達すると、パンとはじけて光と原子があらわれた。
それの繰り返しで次々と原子があらわれ、同じ思いを持った原子が集合し、星になったり、意識だけの集合体になり、宇宙中に満ち溢れた。
これから原子には意識があると言われる。
超紐理論ではヒモのようなクォークの振動が全ての始まりといわれているのも間違いと。
2002/9/3
最も高次元に存在する全宇宙の元となる意識体。すなわち神の大元とも言える。人間の言葉では宇宙全体を表すことができない。
・ホシノミナ
宇宙の大元の分身と言われる。
大昔恐竜ばかりの争いの地球になったため、宇宙の大元の命令で地球に降りてきた。
その時、稲妻で一気に地球を掃除し、恐竜を滅ぼしたと伝えられる。
掃除をした後京都府綾部市星原で眠っていたが、1998年秋に目を覚まし、著者とコンタクトをとっている。
この場所に星の宮神社がある。
ホシノミナは地球を掃除した後眠っていましたので、その後の横向きの稲妻は、稲妻を支配星が真似して人間を脅かしていました。
地球の謎解きシリーズ発売中!
最新刊発売中!
・【ソラからの情報1】(目次)
1998年から地球の平和のために知らされたソラからの情報を、最新の情報を反映してまとめました。この情報の内容はとても広範囲で、まとめるのは困難を極めましたが、地球上に残されたあらゆる遺跡や遺物などの画像をできるだけ多く証拠として、知らされた情報をまとめています。
・『ソラからの物語』(目次)
9年間に渡り地球の平和のために知らされた情報を、小さな物語にまとめた冊子です。地球物語、イスラム物語、イエス物語、友達物語、ニウ物語と6枚の地震雲を紹介しています。海外の方にも紹介できるように日本語とアラビア語と英語からなり、パレスチナ、イスラエルなどにも贈っています。「友達物語」と「友達物語2」の物語を、新しい情報に書き直しています。
・『ソラの人間誕生記』(目次)
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次)
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。
・地震雲画像
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、地球の謎解きより。
写真は8月15日のソラ。
(昭和)天皇メッセージ
こちらのサイトの下にあります文書は、沖縄に関する天皇裕仁とシーボルトが交わした契約?の内容のようです。
*)沖縄公文書館が米国国立公文書館から収集、2009(平成20)年3月25日に公開した「天皇メッセージ」
・・・シーボルト連合国最高司令官政治顧問は、率直に
「a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest
(疑いをはさむ余地なく主としてself-interest(私利私欲、利己心)から出た要望)」
と評している。・・・
2015年11月27日
タイム誌に載った裕仁天皇に関する5つの神話
読者が知らせてくれました。
・「ソラ情報」さんに、ソラからの情報も翻訳して海外掲示板でも紹介していただきました。
タイム誌に載った裕仁天皇に関する5つの神話
・「5 Myths About Emperor Hirohito」(Aug. 14, 2015)〔粗訳 by Takashi〕
この投稿はHistory News Network(歴史のニュースネットワーク)との 共同作業で作られました。
以下はHistory News Networkのオリジナルな原稿です。
中国でも紹介されています。
・「?于裕仁天皇的五个?言」(2015年08月25日)
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神話1: 裕仁天皇は神であった
1868年に日本の将軍制度が廃止された後で、南部の4つの藩である薩摩、長州、サバと土佐は日本の天皇は神であるという8世紀に作られた神話を再度推進することによって、新しい政権の正当性を強調しようとしました。
そして、それは二つの年代記である古事記(古い記録:712年)と日本書記(日本の年代記:710年)によって成されようとしました。
天皇の力は、1868年まで薄弱でした。
というのはそれまで権力は将軍にあったからです。
そのうえ日本帝国の家族は大部分があいまいで、しばしば相対的貧困の中で存在し続けたからです。
多くの場合、革命政権でよくあるように 、新しい国家のアイデンティティを正当化するために必要な、国の新たな軍事的支配者を祭り上げました。
幼児であった明治天皇は、新政権の名目上の首長として自己を正当化しました。
そして新政権は生神として 天皇を神として強調したのです。
日本の新政権は、新しい状態の学校教育制度に教示されているイデオロギー教化の中心として、生ける神として、また新政権の軍事的支配者として天皇の役割を強調しました。
日本軍は上記を強化するために武士道を軍事プログラムとして採用しました。
したがって、将軍の打倒は、革命としては位置づけられず、明治維新として強調され反乱軍に正当性を与えたのです。
神話2: 裕仁は彼の部下の将軍によって戦争するように強制されただけである。
太平洋戦争が終結してから約9ヶ月後の1946年3月には、昭和天皇が戦争の彼の役割について証言しました。
奇妙な場面なのですが、昭和天皇は、シングルベッドの上で最高級の柔らかい綿の枕の上に純白のパジャマを着て横たわっていました。
8時間に及ぶ証言の中で、昭和天皇裕仁は独白録(皇帝の独り言:彼の戦後証)の中で彼は、戦争の責任は自分には無いと証言しました。
彼の主張によると戦争は軍部が行ったことで、自分は単なる立憲上の君主にすぎず、戦争は全て軍部によって実施されたものであると証言しました。
裕仁の証言では〔私は事実上の囚人同然で、無力でした〕
これはウソでした。
協定によって裕仁は、憲法上の君主として行動しました。
明治憲法は彼に絶対力を付与したのです。
つまり彼は神として祭り上げられたのです。
彼の統治時代に、彼が絶対力を行使したことを示す三つの事例が発生しました。
1929年に彼は国の総理を強制辞任させました。
1936年には、彼は軍事顧問の発言を却下しました。
それは1936年に起こった 2月26日事件(226事件)で、彼の軍事顧問の発言を却下して、クーデターに加わった若い将校たちに極刑を下すように指示したことです。
そして1945年の8月には 最終的に彼の顧問団の忠告を破棄して日本の敗戦を主張しました。
裕仁は1930年代には日本軍部の冒険主義を阻止する力を持っていました。
しかし、持っていてもそれを実行しようとはしませんでした。
彼の前補佐官であった海軍中将の平田昇は以下のように推測しています。
天皇が終戦の時にしたことを、わたしたちは、彼の即位の始めからしてもらえたかもしれない。
神話3: 裕仁は海洋軟体動物だけに 興味がある平和を愛する科学者であった。
太平洋戦争の後で、皇室同様マッカーサー将軍の宣伝機関は世界の人々に、天皇は平和愛好家の科学者であるというすり込みを超速で開始しました。
彼の主なる興味は、単生淡水性ヒドロ虫と微視的なクラゲの研究であるというのです。
裕仁は実際、熱心な紳士的な科学者です。
しかし彼は軍事活動の細目に興味を持つ若者でもあるのです。
彼は東京の皇居の地下に設けられた戦争部屋を持っていて、そこで彼は日本の軍事活動を詳細に追跡できるのです。
軍事的権力トップでさえ、天皇のもっている軍事情報を更新するのに必要なレベルの情報を、天皇に提供するのに不足なのです。
戦争中、彼は主に 軍服を着ていました。
そして軍が大きな戦果をあげると、真っ白な軍馬にまたがり、皇居の前でパレードをしてお祝いしました。
連合国がそれらを入手する前に天皇の宮中の書類が破棄されましたが、その時は、日本の戦況が悪化したことは、当時の情報から明らかでした。
そして情報によると彼は彼に対する軍部の批判にますます甲高くなり、そして彼自身の戦略的な提案を執拗に実施するように主張していることを示していました。
神話4: 裕仁は中国の南京虐殺に ついての情報を知らなかった。
南京虐殺は日本の新聞で広く取り上げれていました。
新聞は、ほとんどの中国人の首をだれが一番たくさん切り落とすことができたか、という血なまぐさい競争についても詳述していました。
裕仁はこれらの報告を知らなかったはずがありません。
というのは彼自身の家族も中国での残虐行為に密接に関与していたからです。
彼自身の叔父の朝香の宮は 南京で部隊を指揮していました。
その褒美として裕仁は、朝香の宮に一対の銀の壺を贈っています。
そして二人は、定期的にゴルフをしていました。
2000万人~3000万人の中国人を虐殺したケースでも、天皇の関係者の陸軍元帥カニンはガスの使用を許可しました。
裕仁の一番下の弟の三笠宮殿下は、満州の731部隊を訪問さえしています。
そこでは中国人や西洋人に対して、生きたままの生体解剖や他の実験が行われました。
証明はされていませんが、詮索好きの裕仁が彼の親戚から日本軍がやっていることに対する、それらの情報を知らされていない、というのはありえない話です。
裕仁同様に、全ての皇族は、東京戦争裁判で訴追を免れています。
神話5: 裕仁は、太平洋戦争の日本の戦争犯罪について謝った。
裕仁天皇はパールハーバー攻撃を含む日本の戦争犯罪にたいして公式に謝罪したと様々な場面で報告されています。
推定するとマッカーサーは東京戦争犯罪者裁判の判決を守るために、これをすることを許可しないようです。
しかし裕仁がアジアや米国にたいして謝罪したいなら、彼は国際的なプレス機関に対して謝罪の文書を提出したでしょう。
1975年には、「戦争犯罪」に対して質問されて、裕仁は「わたしは質問文書を調べていないので、そういう質問にはお答えできません」と答えています。
それは日本の学校や大学で教えられる日本の戦後の戦争史観を十分に反影しているあいまい史観です。
フランシス・パイク(Francis Pike)は 歴史家で、ジャーナリストで、アジア経済、政治、歴史の専門家です。
彼は「戦争帝国」の著者です。
又「第二次世界大戦後の近代アジアの 短編歴史」(刊2009)の著者です。
彼の最新の本は「裕仁の戦争、太平洋戦争 (1941-1945)」(刊Bloomsbury Academic, 2015).
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以上、タイム誌に載ったのを読者が翻訳してくださいました。
次のこともメールで知らせてくださいましたが、なぜ、昭和天皇が訴追されなかったわかるようです。
ソラから知らされたこともつながってきています。
↓を参照ください。
昭和天皇が英国陸軍元帥になった経緯は英国王印刷局の陸軍リストに掲載されていないようですが
1921年5月13日(金)の英国官報に大将とあるそうです。
・「The London Gazette Publication date:13 May 1921」
1930年に英国陸軍元帥と載っているようです。
・「The London Gazette Publication date:27 June 1930」
昭和天皇が1941年の英国陸軍リストにField Marshal(英国陸軍元帥)として掲載されている本が、ウエブに公開されている。そうです。
それは名誉職ではなく正規の軍位。
発行人は英国国王印刷局。
公開したのはスコットランド国立図書館。だそうです。
・・・・・・
トルーマン大統領からの命令で天皇は訴追を免れたようですが、やはりネット上でにぎわっている組織とやら関係があるといえそうです。
2015年11月25日
タイム誌の天皇の記事に対して
タイム誌に載せられたこれらの内容は、以前は体験者などを通して語られたことを元にした本などで知らされていたことで、ある程度の年配者は誰でも知っていることと思います。
私もその一人ですが、ソラから知らされた情報は、その私でもびっくりする内容でしたが、ここに書かれたことと全てに当てはまると思っています。
メールで知らせてくださいました。
・・・・・・・・・・・・・
昭和天皇が英国陸軍元帥になった経緯は英国王印刷局の陸軍リストに掲載されていないようですが
1921年5月13日(金)の英国官報に大将とあるそうです。
・「The London Gazette Publication date:13 May 1921」
1930年に英国陸軍元帥と載っているようです。
・「The London Gazette Publication date:27 June 1930」
昭和天皇が1941年の英国陸軍リストにField Marshal(英国陸軍元帥)として掲載されている本が、ウエブに公開されている。そうです。
それは名誉職ではなく正規の軍位。
発行人は英国国王印刷局。
公開したのはスコットランド国立図書館。だそうです。
トルーマン大統領からの命令で天皇は訴追を免れたようですが、やはりネット上でにぎわっている組織とやら関係があるといえそうです。
・・・・・・・・・・・・・
天皇家は伊勢神宮との関りがとても強く、何かあると参拝をしています。
それは多くの国の権力者が、神がかりの巫女などの意見を、絶対知られないようにしながら参考にしていることでした。
レーガンが星占いを信じたのと同じでした。
・「2015年11月24日 Grand Shrine of Ise and the Imperial「タイム誌に載った裕仁天皇の5つの神話」原文」
私がチャネリングで知らされた情報とは、以下のようなことです。
昭和天皇の妻やその仲間たちが、日本は小さいのでもっと大きな領土にしたいと当時の伊勢の巫女に言ったそうです。
巫女は日本は神に守られているので、昔は神風が吹いて蒙古軍を蹴散らしたり、ロシアにも勝った。
それで今回も領土を広げても神が助けると言ったそうです。
そのことを天皇は軍部に話したそうですが、天皇は当時は神と同じだったので、天皇の言ったことを部下は忠実に守っていったと知らせてきました。
そして、一番の戦犯とされた東条陸軍大臣は、天皇の希望を叶えるために命令をしただけなので、その責任についてはチャネリングでは一度も言ってきません。
その代わり、亡くなった昭和天皇は、冷たい風と共に10回近く、助けてほしいと言葉になりました。
それは亡くなってからのイシキの世界で、戦争の被害者に責められて困っている、それで天皇制をなくするように頼んでほしいと、言葉になってきていました。
話は変わって、
私のチャネリングの始まる前の98年の2月ごろ、伊勢神宮の最高の巫女である石田勝江さんと交流が始まっていました。
(インドのグルとの写真が、当時のライフ誌の表紙を飾っていました)
98年当時はプレアデスの力がとても強く、皆さんのご存知のように、UFOやアブダクションが盛んにおこなわれていた頃でした。
このころの体験は又別に書いています。
彼女は明らかにプレアデスの部下であった月人からのチャネリングをしていました。
プレアデスがアセンションが起きると言っていた98年の6月25日にチャネリングが私に始まりました。
私を支配したプレアデスの女王はアクマの化身で、極限の恐怖を私に浴びせましたが、宇宙の意識体(名のない小さな星たちの集合体)とつながることでプレアデスの女王は去っていきました。
その後【ソラからの情報(地球の謎解き)】が与えられることになります。
伊勢の巫女を支配していたのがプレアデスの部下だったので、それが去って行くのと同時に石田さんはチャネリングができなくなったと半狂乱で電話をしてきました。
お互い支配されて大変な目にあったので、本当のことを本で公開しましょうと話したのですが、彼女はできないと言って、九州の幣立神宮に行ったようです。
そこでまたチャネリングができるようになったので、刀にダイヤをはめ込んで伊勢神宮に奉納すると言いました。
その前に伊勢神宮には神器の鏡がないので、鏡を奉納するので宝石を買ってほしいということで、高額の品を半ば強制で買っていたのです。
その鏡の代わりに刀を奉納するというので、そうすれば世界中戦争ばかりになるので、皇室に伝えてほしいとチャネリングの言葉になっていました。
当時、昭和天皇から何度も夜中に起こされるのもあり、秋篠宮が勤めている山階鳥類研究所にソラから知らされた情報と、故昭和天皇のイシキの言葉と共に刀を供えられたら世界中戦争ばかりになるのでと伝えました。
その後すぐに、秋篠宮夫妻が礼服を着て伊勢神宮へ参拝していたので、伊勢神宮の巫女の言葉と皇室はつながっていることは本当だったのだと思いました。
ちなみにマッカーサーが天皇と出会った時は、当時は力を持っていたプレアデスの力で、天皇を神の姿のようにしたビジョンを見せて、天皇が罪をかぶらないようにしていた、ということも知らされています。
その後わかったことは、トルーマン大統領から天皇の訴追はやめるようにと命令がなされていたそうです。
それは天皇はイギリスの王室とつながっていたからのようです。
北朝鮮などの独裁政治で、独裁者を神と同じようにあがめさせるのは、かつての神とあがめさせた天皇一家の支配と同じで、そのこと見させていると知らせてきています。
星たちも意識を持っていて、その欲望を具現化させるのが地球だと知らされています。
大きな星は、人間の想像をはるかに超える力があることを、しっかりと見させられ、その後のチャネリングで知らされることとつながっていきました。
そして早くから知らされていることは、人間はみな平等であることが宇宙の大原則であるのに、それが壊されているのが天皇制であり、王政だということです。
そして宗教で支配することも、人間はみな平等であるという宇宙の大原則を壊しているのです。
宗教の指導者は、それを信じないと死んでから地獄へ行くと脅かして、これまで人類を支配してきました。
いかに平和を説いている宗教でも、その指導者は死んでからは、イシキの世界で責め続けられているということのようです。
かっての故ローマ法王も同じことを訴えてきていました。
宗教の極悪の見本がイスラム国ですが、昔の宗教戦争を見ると、平和を唱えている仏教でもキリスト教でも、全く同じことが行われていたことがわかります。
宗教が残される限り、地球の平和は来ないとも繰り返し伝えられています。
世界中の政府やマスコミに知らせても、人類は全く逆行方向に進むばかりです。
最近は確かに隠すような報道がされているのは、政府マスコミ全体がなんとなく隠す方向に向かっていると思っています。
・・・・・・
ローマ法王も天皇もイシキの世界では責められていると訴えてきています。
・「2005年7月10日 故法王、チブルスキー、シオン、義経、苫小牧のイシカミ、マウンテンゴリラ、ラセンの雲追加」
ローマ法王の死
・「2005年4月5日 太陽の虹と光の形、ローマ法王の死、ダ・ビンチ・コード、モナ・リザの真相、風水などのお札の意味」
皆様からのお便りより
2015年12月11日
天皇の空白期間500年 故事類苑
以前から天皇は、昔は途絶えていたけど、明治政府が強力な権力で神と思わせ、国民をねじ伏せるために、再利用されたと聞いたことがありましたが、実際に500年も天皇がいなかったという証拠は知りませんでした。
そのことが明治政府発行の「故事類苑」に載っていることを知らせてくださいました。
(以下、読者より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和天皇が公布した日本国憲法第二条に「皇位は、世襲のもの」とありますが、「生きている天皇」という世襲などなかったことが、明治政府発行の「故事類苑」に記されているとのことです。
それによりますと、
「天皇」は、中国の制度に倣った【死後に称する漢風諡号】だと、明治政府編纂『古事類苑』には書かれています。
しかも
【順徳天皇(1197-1242)以来、光格天皇(1771-1840)が漢風諡号を再興するまで、「天皇」は途絶えていた】
けれども宮内庁の天皇系図を見てみましたら、途絶えていた間、繋がっているように名前がありました。
なので、今生きている天皇には、日本のなんの伝統の裏付けもないということになるのではということのようです。
古事類苑>帝王部
其二を漢風諡号と爲す。
其制大宝律令に始て見えたり。公式令に天皇号の目ありて、義解に諡は生時の行跡を累て死後の称と爲す。
即ち天地の経緯するを文と爲し、乱を撥き正に反すを武と爲す類を云ふとあり、是全く漢土の制に傚へる故に、今目して漢風諡と云ふ
その二を漢風諡号とする。
その制度は大宝律令が初出。
公式令に『天皇号』の項目があり、令義解に諡(おくりな)は生前の偉業をかさねて死後の名とする。
即ち、~これ全く中国の制度の摸倣ゆえに、今、漢風諡(おくりな)という。
生きている天皇の地位も、漢風諡号『天皇』も、日本の伝統ではなんでもなく、言うなればこれは詐欺ということになって、これから考えると、天皇が内閣総理大臣を任命することも問題となり、現人神なのに、なぜできるのか。
また任命できるということは、離免もできるのかと。
大詐欺師が首相と最高裁判所長官を任命している日本の政治が問題だということのようです。
148年前までしばらく日本列島のEmperorは徳川将軍だった。
でも実相はオランダ東インド会社のチェーンランド。
そしてその後は、をEmperorに摩り替えたドイツ系ヴィクトリア女王の傀儡国。
日本は傀儡師によって変わる国 とも。
古事類苑>帝王部>諡号
仰漢諡の制、順徳天皇以来永く廃典となりたりしに、近世、光格天皇崩御の時、更に復興せられたり
大宝律令』 唐の律令を参考にした 大宝律令において初めて日本の国号が定められた 王土王民思想に基づく国家づくり 天皇を中心とし、二官八省(官僚制の元祖) 小野妹子?『冠位十二階』
『大宝律令』の原文は現存しておらず、一部が逸文として、続日本紀、令集解古記などの他文献に残存、日本の『特定秘密保護法』は、7、8世紀に既に在ったのか?
とあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*)明治政府の開始時期については諸説あるが、狭義では明治改元に当たる明治元年旧9月8日(1868年10月23日)となる。
・・・順徳天皇(1197-1242)以来、光格天皇(1771-1840)が漢風諡号を再興するまで、「天皇」は途絶えていた・・・
ということで、明治天皇を神と思わせるために、500年も天皇は途絶えていたのに、慌てて光格天皇と名乗らせて記録に残させたようです。
宮内庁の天皇系図には、途絶えていた間も繋がっているように名前がありましたが、明らかに後年に都合のよいように付け加えたようなのは、名前に「後」がついているのが、「後年」つけたというのを認めているほどたくさんついています。
それは古墳でもそうで、大きな古墳を適当に天皇のお墓と決めつけていますが、その後次々と大きな古墳が出てきて説明がつかなくなっているようです。
以前に明治天皇のイシキが降りてきて、体格が良かったので天皇にされたが、全く自由がなくてとても辛かったと、詳しく言葉になっていました。
・「2003年10月30日 明治天皇(大室寅之助)より」
2014年10月31日
幕末で長州が強かったのは?
読者からのお便りです。
・・・・・・・・・・・・・
先日の「お知らせ」に、キリスト教が長州にお金を渡して動かしたとあり、
『なぜ明治政府に長州が強い勢力を維持することができたのだろうか?』
とずっと不思議に思っていましたから、その原因が分かり、すっきりしました。
それで、この本を見つけて読んでみました。
#)落合莞爾著、落合秘史シリーズの中のⅢ「奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新」
この本では、ソラのお知らせ通りに、確かに奇兵隊だった大室虎之佑が本物の明治天皇とすり替えられ、事実上の明治天皇になったと明記してあります。
が、内容は衝撃的なことが多く、長州を皇室が裏で動かしたという内容で難解です。
この本の情報は、「さる筋」からと書かれてありますが、ネットで調べたところ、故高松宮の側近の方が著者にコンタクトしてきて流しているという記事をみつけました。
明らかに大室はすり替え天皇という記事が知れ渡っていますので、皇室関係者は、これを武器に大室は南朝の皇室の血筋であると言い張れば、世の中の騒ぎは収まるという狙いを持って開き直り、汚名を払しょくできるつもりがあるでしょうか。
(ソラが伝えることを反論?)
どんな手段を取ろうとも、皇室の威厳を保とうとする内容が、ふしぶしに感じられました。
また、大室虎之助のいた山口県の周防(田布施)では、この大室家を皇族関係者や吉田(松陰)家や佐藤家等が守ってきたというのです。
佐藤家とは、全国ネットの荘園管理職の長だそうです。
江戸末期では派手な動きをしないため目立たなかったのですが、岩手県平泉の藤原家の家来でもあり、源義経の家来でもあり、現在の本拠地は福島県の飯坂温泉にあるそうです。
甚兵衛という名のネットワークで結ばれているとか。
この長州の佐藤家からは総理大臣が二人でています。
(佐藤栄作、岸信介(二人は兄弟。岸信介といえば佐藤家から岸家に婿に入り、安倍首相の祖父)
幕末の頃、長州下関は、完全にイギリスに占領され、イギリス人が上陸し、闊歩していたといいます。
この本では、長州には在英ワンワールドが・・・と書かれていますが、イギリスの指導と資本が注入されたのでしょうか?
江戸幕府を倒し、鎖国を解き、世界皇室連合に日本の皇室を入れるという内容の文もありました。
在英ワンワールドは、南朝皇室を盾に、長州を使って日本を手中に収め、最終的には中国(香港や上海)と同じように日本を植民地化する計画だったのではないか・・・と頭に浮かんできました。
倒幕前、このイギリスは世界最強の船団と言われ、鹿児島の錦江湾に集結したのですが、薩摩藩はこの船団を撃退していました。
薩摩は外国に負けない国づくり、富国強兵、近代化を掲げ、長州と同盟を結ぶものの考え方が徐々にずれて行きます。(そして西南戦争へ)
長州とは反対に、榎本・土方をはじめとする集団はフランスの考え方に賛同し、差別のない国をつくろうとして北海道に新政府をつくることを提案し、函館へ行きます。
しかし、理想を持って国の未来を語る西郷・榎本・土方勢力や純粋に各藩の主に忠誠を誓う者や旧幕府軍に、奇兵隊は次々と戦をして駆逐していきます。
奇兵隊とは長州藩内の本物の武士ではない者の集団で、高杉晋作が中心となって作られました。
南朝の皇室の正統化と尊王攘夷を掲げ、伏見から始まって会津・東北を通りぬけ、函館へと奇兵隊は北上進軍します。
日本人同士が無駄な戦をし、忠義の強い士族を退けていきました。(戊辰戦争)
奇兵隊には本物の武士ではない者が、戦で手柄をとると士族の身分がもらえるという仕組みがあったそうです。結局は身分を確立し差別を推進していくことになります。
農民出身の伊藤博文や、武士の家来である中間の山形有朋が公爵の位にまで上り詰めることができたのは、この本ではこの仕組があったからといいます。
尊王攘夷の他に長州の狙いは、能力主義も加味した武士でないものの身分の保障(士族とすること)をどさくさにまぎれて行い、新政府作りを進めたと書かれています。
日本人の忠義の気持ちを利用し、イギリス皇室や江戸幕府のように、頂点に一人の支配者がいれば日本人は皆従うと考え、明治天皇を掲げたといいます。
本当は誰に都合のよい改革なのでしょうか?
それから、長州の長門・周防地域の奇兵隊になった者たちは、毛利氏に敗れてから身分剥奪された室町時代の大内氏の家来衆で、辛酸をなめてこの地で生きてきたといいます。
大内氏は室町時代にキリスト教を許可し、村上水軍を要し、朝鮮半島とも輸出入をして資産を蓄え、長門、萩あたりは西の京と言われるほどに京都よりもにぎわう町をつくったそうです。
まさに萩市は大内氏の城下町で、吉田松陰・高杉新作・伊藤博文・東郷平八郎の出身地です。
さて、奇兵隊の維持、戦の軍資金はどこからどのように?
明治政府をたて、推進していく資金はどこからどのように?
そして、現在も総理大臣がたくさん出ている長州出身の方々の莫大な選挙資金は?
次々と疑問がわいてきます。
ところで、安倍政権の基盤の自民党は外国勢力が強い党であり、首相は他国に動かされていると批判されています。
その安倍首相のルーツを調べると、確かに岩手県平泉の安倍一族の末裔とありました。
前九年の役で源氏・清原氏にやられ、一家離散となりました。
その安倍一族の長、安倍貞任の弟の安倍宗任が、福岡の地に流されたというのです。
宗任の墓は福岡市の宗像町大島にあります。
その宗任の三男が、平戸の松浦氏の婿になり、後に松浦氏が戦で負けて長州の長門に連れてこられ、名前を安倍に戻したというのです。
そのまま長州の地で、安倍氏として継承されてきたというのです。
不思議とキリスト教布教と関わる土地とつながります。
さらに、山口県には、皇室の血筋ながら、公に知られてはいけない子どもが育てられている場所(家・寺)もあるといいます。
(尼になった天皇の妹という内容の本を読んだことがあります)長州・山口は、皇室・イギリス・キリスト教・・・・とのつながりが強いと感じざるを得ません。
真実を調べている人はたくさんいるのでしょうけれど、ある真実が出ている反面、それを証明する大事な部分がカモフラージュされているのではと感じます。
本やマスコミで流されている情報を、ソラ情報を土台に内容を判別したり調査したりして、惑わされないようにすることが本当に必要だと思いました。
2016年8月8日
2013年8月に政府関係者、マスコミへ送った手紙の一部
今の政治の流れがあまりにひどくなっているので、これまでから何度か政府やマスコミに知らせてほしいと言葉になっていましたが、いくら知らせても同じだとなかなか筆が進みません。
2013年8月に政府関係者などへ送った文の一部を読み直していました。
・・・次のことも日本で連日猛暑が続いている時に知らされたことです。
2013年8月10日
私はとてもはっきりとした《ビジョン》を見ました。
“小さな真っ赤な太陽が、周りを四角で囲まれる。その太陽が次第に黒くなって行き、ついには消えてしまう。
そして爆発して黒い小さな点々になり消えてしまう”
というものです。
私はどういう意味か聞きましたが、チャネリングなので真偽のほどはわかりませんが、現実とあっていると思えるのでお知らせいたします。
「太陽の(爆発の)ことはもう少し先です。
太陽の活動は10年はもちません。
そしてそれは必ず起こることです。
それまで人類は学びをしていきます」
その後も2回、夢うつつに、太陽も水星もミナノコの原子たちはすでに分解し始めているので、それが止められないというような言葉になりました。
現実に日本の四万十市で40度を超える日が4日も続いているということ、湿気が多いためかカスミがとてもひどくて、山が見えない日が続いていることで、オーバーなことではないのでないかと私はひそかに思っていました。
8月14日には次のような言葉が出ていました。
「学びを知らせます。
それは家の中でも生きていけなくなると言うことです。
これからはもっと暑くなると言うことです。
なぜならミナノコの原子が集まっている太陽はもう崩壊しかけているからです。
同時に水星も(ミナノコの原子たちが集合した星です)崩壊を始めています。
そのことをひどいカスミで知らせています。
そして世界中で魚が死んでいきます。
反対に害虫が増えていくのです。
地球が生きていることを、人々は知らん顔することを、地球やソラのモノは許さなくなったのです。
仕事をすることができなくなります。
家の中でも生きていけません」
その後もいろいろな惑星が協力して、太陽の働きができていて地球が存在していると知らせてきました。
けれどもその太陽の働きは勝手に自然にできていると思って、決して意識を認めない今の人類に対して抗議をしているようです。
NASAでも「太陽の磁極の反転(磁場のポールシフト)」が始まったことを確認されたそうです。
太陽の極がなぜ4か所になったか?
なぜ太陽の極は11年ごとに入れ替わるのか?
それらは全て自然になったのでしょうか?
今、厳しく問われています。
その他、地球上ではこれまでにないいろいろな異常なことが起きています。
それらは全て、宇宙や星や地球を形成している原子が、“思い=意識”を持っているのに、今の科学では決して認めないことへの抗議の意味で知らせているそうです。
ソラからの情報は、これまでの常識を全て覆す内容ではありますが、全ての分野においてつながりがあり、整合性があります。
後、10年持たないかもしれない地球も、人類の意識の持ち方で変えることができるとソラからは伝えてきていますので、ご一考いただければとお知らせさせていただきました。
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今年は本当にコロナホールがこれまでにない大きさですが、太陽の一部のアトたちは地球に降りてきて、いろいろな異常な現象で知らせているようです。
・「2016年7月12日のコロナホール」
【2016年8月12日追記】
#)終戦を迎えても、安倍内閣になってからか、戦争の記録がほとんど放映されないようで、悪評まみれのオリンピックなどスポーツばかりの放送になっています。
悲惨な戦争で亡くなられたことは決して忘れてはならないことですので、改めてあげておきます。
・「2016年8月10日 昭和天皇の戦争責任=皇室の責任」
#)《ビジョン》
“最初は二重の横向きの楕円に横棒が付き、次に変形した〇や□など不揃いな模様が棒でつながる。2段になっていてその最後は二重○で終わる”
(昔、渋柿の皮をむいて長い竹串に刺して、火をたくクドの上に干していましたが、その形に似ています)
意味は
「いろいろな目的の違う思いのアトたちが手をつなぐと、お互いに自分のことを主張するので喧嘩になり、見かけはきれいでも醜いモノが隠れているモノが出来上がる」
アクマの顔を持つ花。
タカ派の好戦的な女性議員3人のことも書いて送る予定です。
・「地球の記録:コロンビアの森の中で「悪魔の顔」を持つ新種の花が発見される 」(2016/8/12記事)
【2016年8月14日追記】
#)稲田朋美防衛相に領収書偽造が発覚、なんと520万円分!(2016年8月14日記事)
・・・白紙領収書を受け取った稲田氏だけでなく、発行した自民党政治家の名前も報じられている。その中には、加藤勝信一億総活躍担当相、丸川珠代五輪担当相、そして高市早苗総務相など、発足した安倍内閣の閣僚が10人も含まれていた。ようするに、自民党は組織ぐるみで白紙領収書を発行、国民の目を欺き続けてきたのだ・・・
ソラ辞典より
・イシカミ
大昔、射手座から降りてきたいわば宇宙人、お腹に人間を入れて降りてきた。
射手座にいた頃は、三次元の生物ではなく所謂‘意識体’だったが、人間を作った時に自分達も三次元の形になって一緒に下りて来た。
大きさは様々だが山のように大きいイシカミもいた。
とろとろのお餅のような身体で、引力によって身体からぽたぽた落ちた物が落とし物と呼ばれている。
落とし物から分身の子供達を作り、人間の為に食べ物や川、山を作った。
またピラミッドで宇宙のエネルギーを得たり引力を放散したりしようとしたり、いろいろな奇岩を作りサインとして残した。
当事の人間はイシカミの存在を知っておりテレパシーでコミュニケーションをしていたが、今では人間の意識が薄くなりごく一部の人にしかその能力が残っていない。
・原子
物質を構成する1単位。
原子核と電子からなり、電子が原子核の周りを軌道を描きながら回るのは、原子核が電子に「回ってください」と頼むからで、「原子に意識がある」ことを証明する。
・目には目を、歯には歯を…の本当の意味
イスラム教で、恐ろしい復讐の意味に間違って解釈されていたこの法律を、『ソラのイスラム物語』のマホメットが、
【目には目を】は、見て美しいものや楽しいものを頂いたら、誰かに見てうれしくなるものをお返ししなさい。
【歯には歯を】は食べておいしいものを頂いたら、誰かに食べるものをお返ししなさい。
それは、貰った人にお返しをしなければならないということではなく、地球の富が循環するように、つまり神様から与えられている地球の財産を独り占めすることなく、皆で分け合いましょう。
という元の意味に戻した。
しかし、その後にまた悪者が、「目をやられたら目を傷つけるように、歯を壊されたら歯を壊せ」という恐ろしい復讐の意味にしてしまった。
現在も間違った意味を信じているために復讐による悲惨な争いが絶えない。
本当の意味を知らせてくれたソラのもの達は、本当に平和になるためには「目には目を…」の復讐ではない本当の意味が伝えられることが必要ということ、またイスラム世界だけでなく、王制(天皇制も含む)の見直しをする事が大切とも伝えている。
・地球
星達が並べられる不満の固まりが鉄などの元素を引き寄せ、真っ赤に熱せられて宇宙をさまよっていたが、水星が水で地球を冷やしてくれ、土星が土を、木星は木をプレゼントしてくれ、またそれぞれの星が動物、花、魚などを送り込んでくれた。
モーリタニア、サハラ砂漠に地球の目、エルサレムが地球の心臓などと知らされる。
地球の最初は亀のようであったが、4世紀?に丸くなったと。
丸くなることで余分の原子たちは一旦分解して、再び地球に降りてきて山などになった。
・【宇宙の計画】
宇宙は何もない真っ暗闇ではありません。
人間以外に意識を持ったものは、星をはじめ形はなくても、意識体として想像を絶する存在がいるようです。
そしてそれらのそうまとめが、ゴールディロックスという大きな天体のようです。
そこからいろいろなこれまで人間の知らなかった情報が、ソラからの情報で、13年間伝えられています。
それは宇宙の原則は【平等】が一番大切と繰り返し伝えられます。
それを壊しているのが、王制、皇室制で、その他地球の富を独占している権力者たちです。
そのことを繰り返し伝えて、政府をはじめあらゆる所ににも伝えていますが、全く変わりがなく、争いばかりの地球で、人々の助けを求める声は宇宙の果てまで届いているそうです。
それでゴルディロックの総元締め?で会議がなされ、地球を元の平らな星に戻す計画が立てられたそうです。
日本で玄海灘地震以後、大きな震災級の地震がなかったのは、日本からこの情報が発信されているので、多くの人々は気づくであろうということだったのですが、全く正反対で、いくら知らせても無視、ネット上では罵詈雑言の攻撃が絶えなかったようです。
それらを星たちは黙って見ていて、宇宙の意識体?の会議(ゴルディロック)で話し合いで、元の地球に戻そうとしたそうです。
その最初?の計画が今回の東北太平洋地震で、この大地震が起きる前の日、激痛と共に政府にソラからの警告を聞いてほしいと催促があり、伝えました。
けれども全く無視され、ついに実行されたそうです。
・宇宙の大元(おおもと)
《大元》とも言い、宇宙で初めて思いを持ち、原子や星を創りだした根源。
宇宙の最初は真っ暗闇であったが、最初に「誰かいないか?」という意識があらわれ、捕まえようとしたとビジョンで知らされた。
次に捕まれまいとする思いがあらわれ、大元が捕まえる、弟が逃げるという追いかけっこになったので渦巻きが現れる。
渦巻きが極限まで達すると、パンとはじけて光と原子があらわれた。
それの繰り返しで次々と原子があらわれ、同じ思いを持った原子が集合し、星になったり、意識だけの集合体になり、宇宙中に満ち溢れた。
これから原子には意識があると言われる。
超紐理論ではヒモのようなクォークの振動が全ての始まりといわれているのも間違いと。
2002/9/3
最も高次元に存在する全宇宙の元となる意識体。すなわち神の大元とも言える。人間の言葉では宇宙全体を表すことができない。
・ホシノミナ
宇宙の大元の分身と言われる。
大昔恐竜ばかりの争いの地球になったため、宇宙の大元の命令で地球に降りてきた。
その時、稲妻で一気に地球を掃除し、恐竜を滅ぼしたと伝えられる。
掃除をした後京都府綾部市星原で眠っていたが、1998年秋に目を覚まし、著者とコンタクトをとっている。
この場所に星の宮神社がある。
ホシノミナは地球を掃除した後眠っていましたので、その後の横向きの稲妻は、稲妻を支配星が真似して人間を脅かしていました。
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・【ソラからの情報1】(目次)
1998年から地球の平和のために知らされたソラからの情報を、最新の情報を反映してまとめました。この情報の内容はとても広範囲で、まとめるのは困難を極めましたが、地球上に残されたあらゆる遺跡や遺物などの画像をできるだけ多く証拠として、知らされた情報をまとめています。
・『ソラからの物語』(目次)
9年間に渡り地球の平和のために知らされた情報を、小さな物語にまとめた冊子です。地球物語、イスラム物語、イエス物語、友達物語、ニウ物語と6枚の地震雲を紹介しています。海外の方にも紹介できるように日本語とアラビア語と英語からなり、パレスチナ、イスラエルなどにも贈っています。「友達物語」と「友達物語2」の物語を、新しい情報に書き直しています。
・『ソラの人間誕生記』(目次)
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次)
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。
・地震雲画像
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以上、地球の謎解きより。
写真は8月15日のソラ。