はぐれメタルファラオさんのブログでコメントした際に形となったことを記事として上げておきます。
以下引用
ユダヤ元号と聖書の年代記述の270年分のズレ。記紀神話の年代記述をアカデミズムが「客観的に」修正して纏めた年表と、記紀神話で語られる年代記述のズレ。しかも、前者と奇妙な形で一致しているズレ。これらのズレの意味を突き止めるのは、私も一応考察してみますが、はぐれメタルファラオさんの特権であり義務でしょうね。解明できたら、この上ない業績になるでしょう。
アカデミックな日本古代史研究家には聖書の十分な知識がないし、神や預言者に対する実存的な信頼感もない。そのため、聖書の知識や預言に従いながら種族として国を運営し続けてきた、所謂庶民的実存とは全く異なった特殊な実存の中にいる支配層のことが理解できない。従って、それが書き表して次から次へとこちらに送り出してくるさなざまな形態のメッセージの意味も十分には分からないのでしょう。ただ分かった後は、それを所謂庶民の理解の及ぶようなものに作り変える作業がくることも必然です。庶民にこの世の本当の仕組みを見通す力をもたらすこと。庶民を本当の信仰に導くこと。これこそ、今私たちが取り組んでいる研究の究極目的となるでしょう。「君の身体や霊魂はこのような歴史的背景の元で今ここにあり、このような価値と能力、使命を持っているのです。日々の生活にこんなに深い意義がこもっていたのです」と、今は何も見えなくなっている人々に押し付けがましくない自然な形で伝えられる、そんな優れた媒体としての真の歴史=物語を取り戻すということを意味しているのです。全ての人に生きる意味を与える、宗教性のこの世的な再構成こそが本当の歴史のなのだと思います。
明治天皇のすり替えについては、恐らくは本当なのだと思っています。しかし、アルトさんが言うような「馬の骨」へのすり替えではなく、南朝の天皇へのすり替えだったと思っています。南朝の中心に忌部氏がいるのです。今私達が取り組んでいる忌部研究は必ず、この明治維新の深い意味を解明するところにまで辿り着くと思います。はぐれメタルファラオさんが明治天皇を預言者と捉える理由は分かりませんし、それももっと詳しく聞いてみたい気もしますが、なぜと問いかけたからと言ってはぐれメタルファラオさんの発言を疑っている訳ではないのですよ。発言のその先こそが本番と信じているということです。本当の敵は一般的な歴史の欺瞞を暴く際に資格も使命感もないのに興味本位だけで「科学的に客観的に」と勘違いしたことを盛んに言いたてる輩なのかもしれません。歴史に科学的も客観的もないことを知るべきです。
何年か前に西南戦争の背景を描いたと思しき「ラストサムライ」というアメリカ映画がありました。その中で明治天皇が西郷と思しき人物に勇気を貰い、その魂を受け継いで真の帝王としての発言や行動を始めたという内容のことが描かれていました。私が聞いた話では、実際もこれに極めて近いことがあったのだそうです。長州の人間の影響で女遊びに耽りかかっていた明治天皇を西郷が強く諌めて正しい道に戻したというエピソードも伝わっています。薩摩の中枢には、西郷のような人物を生み出す何かがあったのです。我が故郷ながら、知れば知るほど驚愕しています。西郷が引退後に郷里の薩摩で地元の庶民を相手に聖書の講読を行っていた。彼の「人事を尽くして天命を待つ」とは実はキリスト教精神の表現だった。こんな話すらあるのです。ただし、長州と同じで、外国勢力に飼いならされてエージェントとなり、外力勢力の利益のために日本国に戦禍が降りかかってくるように動いていた売国奴がいたのも歴とした事実です。彼等からすると、国のために危ない橋を敢えて渡り、結果として夢敗れただけで悪意はなかったなどということになるのでしょうが。
以下引用
ユダヤ元号と聖書の年代記述の270年分のズレ。記紀神話の年代記述をアカデミズムが「客観的に」修正して纏めた年表と、記紀神話で語られる年代記述のズレ。しかも、前者と奇妙な形で一致しているズレ。これらのズレの意味を突き止めるのは、私も一応考察してみますが、はぐれメタルファラオさんの特権であり義務でしょうね。解明できたら、この上ない業績になるでしょう。
アカデミックな日本古代史研究家には聖書の十分な知識がないし、神や預言者に対する実存的な信頼感もない。そのため、聖書の知識や預言に従いながら種族として国を運営し続けてきた、所謂庶民的実存とは全く異なった特殊な実存の中にいる支配層のことが理解できない。従って、それが書き表して次から次へとこちらに送り出してくるさなざまな形態のメッセージの意味も十分には分からないのでしょう。ただ分かった後は、それを所謂庶民の理解の及ぶようなものに作り変える作業がくることも必然です。庶民にこの世の本当の仕組みを見通す力をもたらすこと。庶民を本当の信仰に導くこと。これこそ、今私たちが取り組んでいる研究の究極目的となるでしょう。「君の身体や霊魂はこのような歴史的背景の元で今ここにあり、このような価値と能力、使命を持っているのです。日々の生活にこんなに深い意義がこもっていたのです」と、今は何も見えなくなっている人々に押し付けがましくない自然な形で伝えられる、そんな優れた媒体としての真の歴史=物語を取り戻すということを意味しているのです。全ての人に生きる意味を与える、宗教性のこの世的な再構成こそが本当の歴史のなのだと思います。
明治天皇のすり替えについては、恐らくは本当なのだと思っています。しかし、アルトさんが言うような「馬の骨」へのすり替えではなく、南朝の天皇へのすり替えだったと思っています。南朝の中心に忌部氏がいるのです。今私達が取り組んでいる忌部研究は必ず、この明治維新の深い意味を解明するところにまで辿り着くと思います。はぐれメタルファラオさんが明治天皇を預言者と捉える理由は分かりませんし、それももっと詳しく聞いてみたい気もしますが、なぜと問いかけたからと言ってはぐれメタルファラオさんの発言を疑っている訳ではないのですよ。発言のその先こそが本番と信じているということです。本当の敵は一般的な歴史の欺瞞を暴く際に資格も使命感もないのに興味本位だけで「科学的に客観的に」と勘違いしたことを盛んに言いたてる輩なのかもしれません。歴史に科学的も客観的もないことを知るべきです。
何年か前に西南戦争の背景を描いたと思しき「ラストサムライ」というアメリカ映画がありました。その中で明治天皇が西郷と思しき人物に勇気を貰い、その魂を受け継いで真の帝王としての発言や行動を始めたという内容のことが描かれていました。私が聞いた話では、実際もこれに極めて近いことがあったのだそうです。長州の人間の影響で女遊びに耽りかかっていた明治天皇を西郷が強く諌めて正しい道に戻したというエピソードも伝わっています。薩摩の中枢には、西郷のような人物を生み出す何かがあったのです。我が故郷ながら、知れば知るほど驚愕しています。西郷が引退後に郷里の薩摩で地元の庶民を相手に聖書の講読を行っていた。彼の「人事を尽くして天命を待つ」とは実はキリスト教精神の表現だった。こんな話すらあるのです。ただし、長州と同じで、外国勢力に飼いならされてエージェントとなり、外力勢力の利益のために日本国に戦禍が降りかかってくるように動いていた売国奴がいたのも歴とした事実です。彼等からすると、国のために危ない橋を敢えて渡り、結果として夢敗れただけで悪意はなかったなどということになるのでしょうが。