飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

列島移動は本当に邪馬臺国後だったのか

2013-01-21 19:13:20 | 邪馬臺国
列島の70度反時計高速回転は、謂はば「荒唐無稽」です。私もそれを否定はしません。しかし、魏志倭人伝の里程記事がこの主張を前提として初めて合理的に解釈できるのも事実なのです。しかも、この主張を行う飛鳥昭雄氏が著作の中で、微かではあっても証拠となりそうな事例を全く挙げていない訳ではないのです。これらの事例については、飛鳥昭雄氏の著作で実際に読んでいただくのが一番いいと考えて、これまでは言及せずにきました。しかし、あまり「荒唐無稽」のまま放置しておくのも良くない。こう考えるようにもなりましたので、ここではそれらを簡単にまとめておきたいと思います。

(1)言語をはじめとする文化の大半を、原始において日本と共有していたと思われる琉球では、東西南北は「あがり」「いり」「はえ」「にし」となっている。列島でも太古には、北(ほく)或いは north のことを「きた」ではなく「にし」と言っていた可能性があるのだ。現在「にし」は90度反時計回りに傾いて西(せい)或いは west を表す言葉となっている。

(2)松浦郡は、魏志倭人伝の末盧国に比定される地域である。現在の地形では九州の北西端に位置し、古代より半島や大陸からの入り口の役割を果たしてきた地域である。このことを考えると、この地域を構成する二つの半島が文献上で「東松浦半島」や「北松浦半島」のように漢字で表記されるようになったのは紀元前後からと言っても必ずしも不合理ではないと思われる。ところで、現在の地形では「東松浦半島」が松浦地域の北部をなし「北松浦半島」が松浦地域の西部をなしている。ここにも反時計回りに90度のズレが見られる。

(3)大分県国東半島もまた太古から重要な地域として機能してきていた地域である。ここでは昔、半島の北北東の比較的狭い部分を「東国東郡」と称し、半島の南南西の比較的狭い部分を「西国東郡」と称していた。ここには反時計回りに70度のズレが見られる。

(4)筑紫平野南東部にある岩戸山古墳は筑紫国造磐井の墳墓と言われる前方後円墳である。『筑後風土記』逸文には「南北60丈東西40丈」と書かれている。しかしながら現在の地形では、南北40丈東西60丈となっている。ここにも、方向は定かではないが、90度の回転が見られる。

(5)『日本書記』では、神功皇后に降りてきた神が「にしの方にある国を征服せよ」というご託宣を下された時に、筑紫の香椎宮にてそれを聞いた仲哀天皇が「にしに国なんかない。託宣は偽りだ」と言ってご託宣を無視した。すると、住吉大神の怒りに触れて死ななければならないことになった。その直後に神功皇后が、玄界灘を渡り、北の方向にある新羅を攻めて、新羅ばかりか百済、高句麗まで帰順せしめることになった。このような内容の物語が記載されている。「にし」という言葉を巡って、それを西と解釈する仲哀天皇の理解と、北と解釈する神功皇后の理解とが90度ズレている。また、住吉大神からすれば「にし」を現在の琉球と同じように北と解釈するのが正当となる。この物語ではこれらのことが、主題のひとつとして設定されていると解釈することができる。

(6)李氏朝鮮王朝が15世紀初頭に、古くから受け継いできた地図を参考に作成した『混一彊理歴代國都之図』では列島が、瀬戸内が陸地、九州が北、近畿が南といった具合に、端的に、半島の南東海上に横たわっているのが確認される。

(7)正倉院所蔵の羊皮紙に描かれた東アジアの地図では、列島が『混一彊理歴代國都之図』と全く同じような形や配置で描かれているのを見たことがあるという、重要人物による証言がある。

(8)東アジアで古代から伝わる地図の全てが『混一彊理歴代國都之図』と同じような捉え方で列島を描写しているのが確認できる。

(9)鳴き砂の浜は本来なら波の荒い日本海側にあるべきだが、北海道と東北の場合、日本海側だけでなく太平洋側にも、合計三つの鳴き砂浜が存在している。これは東日本と北海道が現在の位置で180度回転したことがあることの証拠である。列島が動いたことそのものは間違いない事実である。従って、西日本が反時計回りに90度回転したと言ったところで、それ自体は実は、それ程荒唐無稽な話ではないことになる。残る問題は、その移動の時期と速度だけである。

(10)フォッサマグナを挟んで東西文化の極端な違いが見られるのは有名な話である。長野では行政区画上は同じ村内であるにも拘らず、この極端な対照が全く薄まることなく維持されている事例すら報告されている。これは、西日本と東日本の衝突つまりフォッサマグナの形成の時期が、この極端な対照を維持できるくらい新しい時代に起こったことの証拠である。長野の山奥の、フォッサマグナ沿いの、海とは全く縁もゆかりも無いような地域に海人族であるはずの安曇氏の重要な拠点が存在しているが、このこともまた、この地域が比較的新しい時代に海峡であったことの証拠になるかもしれない。

(11)以上の全てが、アメリカ軍関係筋からのリーク情報と細部に到るまで一致している。アメリカ軍は GPS や電磁波ソナー、コンピュータシミュレーションを利用した精密な海底地形運動調査によってこれらのデータを得たと言われている。

以上が飛鳥昭雄氏によって挙げられている事例です。また、飛鳥昭雄氏の以上のような情報を受けた後で私が気付いた情報としては、次のようなものがあります。

(12)列島に棲息するニホンザルの遺伝子を調査したところ、西日本では遺伝子の多様性が見られるのに、東日本ではそれが見られない。東日本のニホンザルは比較的新しい時代になってから西日本由来の単一の群れが寒冷地に適応して広がったものであることが確認されている。