図書館へ行こう!

 本は私の人生の友・・・

映画『最愛の子』

2016年01月28日 | 映画
中国で多発する児童の誘拐事件の実話を基に、
被害者家族と、誘拐されていた子を育てていた女性、
双方の苦しみを描き出しています。
シネスイッチ銀座にて上映中。

>人間性の善悪は一刀両断に判断できないことを
浮かび上がらせたかった。
子供が見つかった時が、
悲劇の終わりかと思うかもしれないが、
それは さらなる悲劇の始まり。
ほとんどの人は「自分は正しい」と自己中心的に考えがちだが、
大切なのは他者をどう理解するか。
そのために、それぞれの立場を
異なる視点、異なる角度から考えてみたかった。
だからこそ、私は映画の後半で
育ての母の物語を描くことにした。
物語の中に心温まる要素を加えたのは、
単に、私の個人的な好みによるものでは なく、
この世界には完全なる悪人も善人も いないという、
私の考えを反映したもの。
(監督・ピーター・チャンの言葉)

誘拐された息子が戻ってきた父親は、
息子から目を離すことが不安で、
夜、外にゴミを出しに行く時も、
寝入っている息子を肩に乗せてゴミ出しに行く・・・



映画の後半で、育ての母も また、
突然、最愛の存在を奪われる苦しみを味わいます。
彼女は「我が子」が誘拐された子だとは知らずにいました。
でも、映画の最後は、
育ての母にとって、なんとも皮肉なシーンで終わりました。

一人っ子政策の廃止が決まった中国ですが、
問題は それだけでは ないのでは・・・


今日は初不動でダルマ市が開かれ、お稚児さんも いましたよ。
快晴の空の下の富士山、暮れゆく富士山です。

      
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『王とサーカス』

2016年01月26日 | 
著者 米澤穂信

2001年、新聞社を辞めたばかりの太刀洗万智は、
知人の雑誌編集者から海外旅行特集の仕事を受け、
事前取材のためネパールに向かった。
現地で知り合った少年にガイドを頼み、穏やかな時間を過ごそうとしていた矢先、
王宮で国王をはじめとする王族殺害事件が勃発する。
太刀洗はジャーナリストとして早速取材を開始したが・・・

>「タチアライ。お前はサーカスの座長だ。
お前の書くものはサーカスの演し物(だしもの)だ。
我々の王の死は、とっておきのメインイベントというわけだ」

>「お前の心づもりの問題ではない。
悲劇は楽しまれるという宿命について話しているのだ。
人々はなぜ綱渡りを見て楽しむのか。
演者がいつか落ちはしないかと期待しているからだと思ったことはないか?
ネパールは不安定な国だ。そして昨日、演者は落ちた。興味深いことだ。
これが他国で起きたことなら私も楽しんだかもしれない」


この本を読む前に、
同じ著者の『真実の10メートル手前』
(同じく太刀洗万智を主人公にした短編集)を読んでいました。
なので、主人公のジャーナリストとしての真摯な態度・考え方や、
そのために悩んだりすること(哲学的に思えました)を知っていました。
というより、著者のジャーナリストとは如何にあるべきかという思いを、
太刀洗万智の心を借りて表現しているように思いました。
王族殺害事件(実際にあった事件)の他に現地で起こった殺害事件を
主人公が推理して犯人を問い詰めますが、
『真実の10メートル手前』での主人公の推理も見事でした。

映画『ブリッジ・オブ・スパイ』

2016年01月23日 | 映画
監督 スティーブン・スピルバーグ
主演 トム・ハンクス

1950~60年代の米ソ冷戦下で起こった実話を描いたサスペンスドラマ。
保険の分野で着実にキャリアを積み重ねてきた弁護士ジェームズ・ドノバン(トム・ハンクス)は、
ソ連のスパイとしてFBIに逮捕されたルドルフ・アベルの弁護を依頼される。
敵国の人間を弁護することに周囲から非難を浴びせられても、
弁護士としての職務を果たそうとするドノバンと、
祖国への忠義を貫くアベル。
2人の間には、次第に互いに対する理解や尊敬の念が芽生えていく。
死刑が確実と思われたアベルは、ドノバンの弁護で懲役30年となり、裁判は終わるが、
それから5年後、ソ連を偵察飛行中だったアメリカ人パイロットのフランシス・ゲイリー・パワーズが、
ソ連に捕らえられる事態が発生。
両国はアベルとパワーズの交換を画策し、
ドノバンはその交渉役という大役を任じられる・・・

アベルとパワーズの交換の舞台となったのがドイツですが、
ベルリンの壁が作られつつあった時代の荒廃したドイツの描写が印象的でした。
トム・ハンクスは いつものように素晴らしい演技でしたが、
ソ連のスパイ・アベルを演じたマーク・ライランスも良かったですよ。


               

夫にお供して観た『007 スペクター』は、
メキシコのお祭り「死者の日」の現地ロケから始まり、
スケールの大きさに圧倒されました。
映画を観た後日、テレビ録画していた映画『マリー・アントワネットに別れをつげて』を観ましたが、
主演のレア・セドゥーが今回のボンド・ガールだったことに気が付きました。

2011年に急逝した森田芳光監督のデビュー作『の・ようなもの』の
その後を描いた『の・ようなもの の ようなもの』は、
心が温かくなる映画でした。

・・・1月は既に映画館に4回 足を運んでいました。
映画は観るとクセになり、また観たくなりますよ。

『長いお別れ』

2016年01月18日 | 
                             
著者 中島京子

帰り道は忘れても、難読漢字はすらすらわかる。
妻の名前を言えなくても、顔を見れば、安心しきった顔をする――。

東家の大黒柱、東昇平はかつて区立中学の校長や公立図書館の館長をつとめたが、十年ほど前から認知症を患っている。
長年連れ添った妻・曜子とふたり暮らし、娘が三人。孫もいる。

“少しずつ記憶をなくして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行く”といわれる認知症。
ある言葉が予想もつかない別の言葉と入れ替わってしまう、迷子になって遊園地へまよいこむ、入れ歯の頻繁な紛失と出現、記憶の混濁・・・日々起きる不測の事態に右往左往するひとつの家族の姿を通じて、終末のひとつの幸福が描き出される。
著者独特のやわらかなユーモアが光る傑作連作集。      (「BOOK」データベースより)

「やわらかなユーモア」が光る・・・まさに その通りの小説でした。
家族は大変でしょうが、読者としては暗い気持ちにならずに読めました。
著者・中島さんの力量でしょうね。

「入れ歯をめぐる冒険」という章では・・・
孫の将太がテレビドラマシリーズの「SHERLOCK」(シャーロック)の影響を受け、東昇平が紛失した入れ歯に対する名推理をしますよ。
(シャーロックを演じたベネディクト・カンバーバッチは、ホントに素晴らしい俳優さんだと思います。)


暖冬かと思っていたら5日ほど前から寒くなり、なんと雪が降りました~

           
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馬カフェ

2016年01月14日 | Weblog
昨日は この冬一番の寒さとか、空き地に霜が降りてましたよ。


去年の12月の中旬、猫カフェでなくて「馬カフェ」でランチしました。
その時 一緒にランチした友人に、ブログより簡単だからとフェイスブックを勧められ、意思薄弱な私は その日の内にフェイスブックを開設してました。
9年前 ブログを始めたのも、その友人の「ブログは簡単、簡単」という言葉を聞いたため。
スマホを持っている友人数名にフェイスブックをしないかと声をかけましたがマメではないからと断られ、足跡を残してくれるのはフェイスブックを勧めてくれた友人だけ・・・フェイスブックは実名なので仲間作りも しづらくて。
そして、フェイスブックに投稿するなら、ブログも超久しぶりに更新してみようかと思った次第です。
友人は馬カフェの記事をフェイスブックに投稿したので、私はブログに投稿しますね。

去年の11月、近所の遊歩道を歩いていると馬がいてビックリ!
許可を得て写真を撮らせていただきましたが、馬に乗って七五三のお参りに行くということでした。


ご迷惑なので聞きませんでしたが、馬は何処から?と疑問に思っていました。
しばらくして近くに馬カフェなるものが出来たことを知り、イベントに馬を貸し出したりもしているとのこと。
興味があるものにはマメな私は、さっそく友人を誘ってランチに行って来ました。

   

サラダには馬の好物の人参で作った、とっても美味しいドレッシングを。
馬小屋にいる馬の写真を息子にLINEしたら、「馬が客席付近を歩きまわってるのかと思ってた。これなら問題ないわ」という返信でした・・・  
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『坂の途中の家』

2016年01月11日 | 
著者 角田光代

刑事裁判の補充裁判員になった里沙子は、子どもを殺した母親をめぐる証言にふれるうち、いつしか彼女の境遇に みずからを重ねていく.....

>ごく ふつうの人に見えるからこそ、その事件は実際にあったのだと、里沙子は じつに生々しく実感した。そのことが おそろしかった。

>里沙子は先週から続く日々のことを思い出す。水穂という他人を、自分とは切り離して新たに思い描く。それでも やっぱり、彼女が子どもをブランド品のように思っていた鬼のような女には、里沙子には どうしても思えなかった。間違っているかもしれないし、自分の意見など反映されないかもしれないけれど、それでも、そのことを言いたかった。いや、言わねばならないと、この場に参加しなければならないと里沙子は今、思っていた。

>終わったのは裁判であるのに、そのようには思えない。何かが、たった今 終わった。終わる前には戻ることは できない。永遠に戻れない。里沙子は その喪失感と虚脱感の大きさに、静かに たじろぐ。

里沙子は幼い娘を義父母に預け、大変な思いをして裁判所に通います。
裁判員の中で里沙子だけが幼い娘を持った専業主婦で、被告人に生活環境が似ており、段々と被告人に自分を投影していってしまいます。
今まで疑問に思わなかった夫との関係などを深く考えるようになります。
キッカケは補充裁判員に選ばれたことですが、選ばれなかったら夫たちに疑心暗鬼な思いを抱かず、子育てをしていたことでしょう。
子育ては目まぐるしく1日が過ぎて行くので、深く考え事をする余裕も無いでしょうが、今回のように補充裁判員に選ばれなくても、いつか何かが起こって夫との関係を深く考えることがあるかもしれません。
補充裁判員に選ばれた出来事 しかり、人生には あるとき突然 何かが起こったりします。
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お久しぶりです

2016年01月06日 | Weblog
4年半以上のご無沙汰でした。
また、よろしくお願いいたします。

去年の12月は、映画は『黄金のアデーレ 名画の帰還』『独裁者と小さな孫』『スター・ウォーズ フォースの覚醒』を観ました。
それから、姫野カオルコさんの著書『謎の毒親(相談小説)』の出版を記念したトークイベントに行き、本にサインしていただきました。


新年になっては先日、恵比寿ガーデンシネマで『消えた声が、その名を呼ぶ』を観て来ました。

1世紀前の物語ですが、現在も、ほぼ同じ場所で悲劇が繰り返されている現実に暗澹たる思いがします。
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