著者 笹本稜平
恋人の命を奪ったK2。男は過去に立ち向かうため、この山へ還ってきた。
魂の糧を追い求める人々の感動の「山岳小説」
山岳小説は好きですね。
以前、大倉崇裕さんの『聖域』を読みましたが、著者は一度山岳小説を書いてみたかったそうです。楽しみに読みましたが、沢木耕太郎さんや笹本さんの方がはるかに心を打つものがありました。
「人間は夢を食って生きる動物だ。夢を見る力を失った人生は地獄だ。
夢はこの世界の不条理を忘れさせてくれる。夢はこの世界が生きるに値するものだと信じさせてくれる。
そうやって自分を騙しおおせて死んでいけたら、それで本望だとわたしは思っている」
「普段我々は、意識するとせざるにかかわらず、生まれてから死ぬまでの人生をあらかじめ敷かれたレールのように眺めている。あたかもそれが厳然と実在するもののように。
しかしそれは違う。真の人生は不可視だ。
それは生きてみることでしかかたちにできないなにかだ。
そしてそれこそが、この世界で生きることを喜びに変えてくれる糧(かて)なんだ」
チクセント・ミハイルの言葉を引用して、夫がよく言ってます・・・
「人間が幸福になるためには目標を持つことである。
しかし、目標が高すぎては人間は不安感に襲われてしまう。
また、目標が低すぎても良くない。目標が低すぎると、人間は不満を感じてしまう。
結局人間は、実力より少し高い目標をもって努力するとき一番幸福になれる」
今の私には、夢も目標も無く、だから元気が出ないのでは、と思いました。
仙台の慈眼寺住職の塩沼亮潤さんの『人生生涯小僧のこころ』では・・・
この世に縁あって生を受けたときには、すでに人生という旅ははじまっている。
スポーツの試合にたとえるならば、気がついたときにはすでに試合ははじまっていた。そして、その試合が終わると私たちは次の世に旅立たなければならない、というルールを審判から告げられる。生まれてきたものはいつか死んでゆく。それが定めである、と。
では、生まれてから死ぬまでの間に私たちは何をするべきか、そう審判に尋ねると、
「人生というのは、あなたの思いどおりにならないようにセッティングされています。それをどう克服するか、そこからどう感謝の気持ちを導いてくるか、これが試合の内容です」
試合の相手は誰ですかと問えば、
「それは自分自身です」
佐野洋子さんの『役にたたない日々』も面白かったです・・・
相変わらず辛らつに書いてますが、シャイな面もあるんですね。
佐野さんも知らなかったそうですが、私も知らなかった言葉のいわれ・・・
寛ぐ(くつろぐ)は、靴をぬぐという意味で、
くだらないは、百済(くだら)にないもののことだとか。
「息子に『モーガン・フリーマンっていつもいい人やるね』と云ったら、
『あいつが悪い奴やったら本当にこわいぜ、あいつはあの顔だからな』
あーそうですね」
佐野さんの文章は辛らつだけど面白い・・・
恋人の命を奪ったK2。男は過去に立ち向かうため、この山へ還ってきた。
魂の糧を追い求める人々の感動の「山岳小説」
山岳小説は好きですね。
以前、大倉崇裕さんの『聖域』を読みましたが、著者は一度山岳小説を書いてみたかったそうです。楽しみに読みましたが、沢木耕太郎さんや笹本さんの方がはるかに心を打つものがありました。
「人間は夢を食って生きる動物だ。夢を見る力を失った人生は地獄だ。
夢はこの世界の不条理を忘れさせてくれる。夢はこの世界が生きるに値するものだと信じさせてくれる。
そうやって自分を騙しおおせて死んでいけたら、それで本望だとわたしは思っている」
「普段我々は、意識するとせざるにかかわらず、生まれてから死ぬまでの人生をあらかじめ敷かれたレールのように眺めている。あたかもそれが厳然と実在するもののように。
しかしそれは違う。真の人生は不可視だ。
それは生きてみることでしかかたちにできないなにかだ。
そしてそれこそが、この世界で生きることを喜びに変えてくれる糧(かて)なんだ」
チクセント・ミハイルの言葉を引用して、夫がよく言ってます・・・
「人間が幸福になるためには目標を持つことである。
しかし、目標が高すぎては人間は不安感に襲われてしまう。
また、目標が低すぎても良くない。目標が低すぎると、人間は不満を感じてしまう。
結局人間は、実力より少し高い目標をもって努力するとき一番幸福になれる」
今の私には、夢も目標も無く、だから元気が出ないのでは、と思いました。
仙台の慈眼寺住職の塩沼亮潤さんの『人生生涯小僧のこころ』では・・・
この世に縁あって生を受けたときには、すでに人生という旅ははじまっている。
スポーツの試合にたとえるならば、気がついたときにはすでに試合ははじまっていた。そして、その試合が終わると私たちは次の世に旅立たなければならない、というルールを審判から告げられる。生まれてきたものはいつか死んでゆく。それが定めである、と。
では、生まれてから死ぬまでの間に私たちは何をするべきか、そう審判に尋ねると、
「人生というのは、あなたの思いどおりにならないようにセッティングされています。それをどう克服するか、そこからどう感謝の気持ちを導いてくるか、これが試合の内容です」
試合の相手は誰ですかと問えば、
「それは自分自身です」
佐野洋子さんの『役にたたない日々』も面白かったです・・・
相変わらず辛らつに書いてますが、シャイな面もあるんですね。
佐野さんも知らなかったそうですが、私も知らなかった言葉のいわれ・・・
寛ぐ(くつろぐ)は、靴をぬぐという意味で、
くだらないは、百済(くだら)にないもののことだとか。
「息子に『モーガン・フリーマンっていつもいい人やるね』と云ったら、
『あいつが悪い奴やったら本当にこわいぜ、あいつはあの顔だからな』
あーそうですね」
佐野さんの文章は辛らつだけど面白い・・・