図書館へ行こう!

 本は私の人生の友・・・

菊まつり

2008年10月28日 | Weblog
今日は、上空に雲ひとつ無い晴天でした。
でも、朝晩は、めっきり寒くなりましたね。

本は読んでますが、投稿したいほど感銘を受けるものが無く、
写真ばかりの投稿で失礼してます。
という訳で、また写真投稿です・・・

お不動さんの「菊まつり」は今日から始まり、定番の菊人形などは今から開花するものばかりなので撮りませんでした。













知人に黄色い菊をいただき、しばらく飾ったら食べてねと言われました。
我が家では年に1度くらい食用菊をスーパーで買って来て、甘酢のおひたしにして食べてますよ。

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秋たけなわ

2008年10月27日 | Weblog
柿の実


ピラカンサ


エンジェルストランペット


マツバギク (花火のよう・・・)
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アッという間に

2008年10月22日 | Weblog
この地に住んで25年以上になるのに、先日、初めてカワセミを見ました。
でも、アッという間に飛んで行ってしまいましたよ。
背中がとてもきれいなブルーで、思ったよりも小さな鳥でした。
写真に撮れませんでしたので、ウィキペディア(Wikipedia)より拝借・・・


この杭の上にいたんですが・・・


秋明菊が咲いてます

ホトトギスという名前の花も

私が好きなのは野の花・・・たとえば庭の片隅に咲くツユクサ

シオン(蜂が・・・)
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『聖母(ホスト・マザー)』

2008年10月13日 | 
著者 仙川環

子どもを持てない女性の苦しみ、子どもが出来ない悲劇・・・。
代理母は許されるのか? 代理母は聖母なのか?


タレントの向井亜紀さんがアメリカの代理母にお子さんを出産してもらったことは有名で、その後、お子さんの戸籍の件でもマスコミに取り上げられてました。

私は結婚して10年間、子どものいない生活をしていました。
病院に1度位相談にいったことは記憶にありますが、不妊治療はしませんでした。
もしかしたら夫婦二人だけの生活が一生続くような気もしてました。
夫が「養子をもらってもいいんだよ」と言ったことも。
その後、高齢出産となりましたが、2人の息子を授かりました。

私に子どもがいない頃、私と手紙をやりとりしていた姉の友人は、子どもができない人でした。
あるとき、その友人が姉に電話をしてきて、私はその後も子どものいない生活なのか、聞いたそうです。

小説は、お正月に女性が重い心で実家に向かうところから始まります。
嫁ぎ先へ向かうので心が重いのかと思ったら、そうではなく、実家なのに?と思いながら読んでました。
実家には、弟一家が二人の子どもを連れてきているからでした。
子どもの出来ない体の娘を可哀そうに思った母親が代理母に・・・それがダメになり、弟の妻が代理母にさせられそうになったりしますが、小説の後半は意外な人物が代理母として、アメリカより費用の安いインドで出産することになります・・・

インドで女性に心境の変化が訪れます。
貧しい女の子がたくましく明るく生きている・・・
「自分で自分を哀れで惨めだと思うから、そうなってしまうのだ」
「子どもを産めない。それは、自分の運命だったのだ。ならば、その中で、たくましく、しなやかに生きていこう。あの少女にできて、自分にできないことはないはずだ」
「インドで人生観が変わるという話は、聞いたことがある。哲学や瞑想の国と言われているからそうなのかと思っていたけど、たぶん違う。
どうしようもない運命の中で、たくましく生きる人たちの姿が、訪れる人の胸を打つのだ」

小説は二転三転していき、代理母についてや子どもを持つということについて考えさせられました。
重いテーマですが、文章が読みやすく、アッという間に読了。
読んでいるのが楽しい本も好きですが、私はこういう本も好きなようですよ。
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ヤモリ

2008年10月09日 | Weblog
お風呂場の窓の外に、ヤモリ発見。
体長は5cmにも満たないので、子どもヤモリのよう。
ずいぶん前には、もっと大きなヤモリが、夜になると居間の窓にピッタリはり付いていたことがありますが、最近は見かけなくなってました。
庭ではトカゲを見かけることも多く、最初の頃はビクビクしてましたが、今では慣れたもので、トカゲもカマキリもなんのその。
可愛いヤモリでした。


最近読んだ本は・・・

『団塊世代の二万二千日  あの日、あなたは、ここにいた』(江波戸哲夫)

 団塊世代がどのような人生を歩んできたか、物語風に構成してあり、面白く読みました。


『この世の全部を敵に回して』(白石一文)
 
 哲学を語っているようでしたが、ちょっと独特?
 絶対的なものは「死」のみ。人は死を恐れるが、愛する者との別れが悲しいのではなく、本当は自分自身と別れることが悲しいのだとか。
「地震や津波、台風、竜巻、落雷で何人死んだとしても、その地震や台風に対して刑罰を課すことはない。精神病者や子供が裁かれることがないのは、極端に言えばそれと同じなのだ」


『テルちゃん』(玄侑宗久)    『金色のゆりかご』(佐川光晴) etc.
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講演会

2008年10月05日 | 講演会
芥川賞選考委員でもある作家・黒井千次さんの講演会に行って来ました。
現在76歳で、小金井にお住まいです。
以前、武蔵野を舞台にした短編集を読み、我が家の近辺も出てきたりして、文章も良く、それから黒井さんの本を読むようになりました。
講演テーマと同じ 『老いるということ』 という著書の中で、次のように述べてます。

「年を取っても若さを保つのは結構なことではあるでしょうが、同時にそれが年齢の無視や老いからの逃避につながる危険があることも見逃されてはなりません。
もしかしたら、老いの中にはその季節にだけ見出せる貴重な何かがひそんでいないとも限らない。
だからここで、あらためて<老いる>ことの意味を探ってみたいと思うのです」

講演の中で、映画『ドライヴィング・ミス・デイジー』のお話をしてました・・・
年を取ることが、二人を隔てていたものを取りのぞき、二人を結びつけたのではないか。

「老化」を「加齢」、「老人」を「高齢者」「後期高齢者」などと言い換えているが、ハッキリ「老化」「老人」と言ってくれた方がいい。

昔の老人は、本当に「じいさん」「ばあさん」で、枯淡の形がパターンだった。
今は、鉄棒で回転する老人が出現したりして、理想的な老人のパターンがない。
老いの中身を考えて、その中でじっくり醸し出すのが大事ではないか。

何かというと「体にいい」というのが嫌い。
今は、バナナが店頭から無くなってしまっているが・・・。
(以前、納豆ブームのときは、ソルト家はそれまで毎日納豆を食べていたので、品薄になって困りました)

70歳は70年の時間を持っているが、20歳は20年の時間しか持っていない。
若いときには出来ないことが出来たり、プラスのものがある。
今までの生き方と無関係ではないから一人一人違って当然であり、どうするかは一人一人が考える。
年寄りにしか出来ないことが出来たり、豊かな可能性がある。
体の老化、心の老化があっていいではないか、自然が一番いい。
病、不眠、トイレが近いなど、年を取って引き受けなければならないことがあるが、その不利を受け入れて(あきらめて)、それを認めた方が自由となれる。
悪あがきはせず、可能性に目覚めよう。
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