図書館へ行こう!

 本は私の人生の友・・・

映画 『南極料理人』

2009年08月30日 | 映画
南極観測隊員の西村淳のエッセイ『面白南極料理人』を映画化。
極寒の南極ドームふじ基地にやってきた8人の観測隊員の1人、西村(堺雅人)の仕事は隊員の毎日の食事を作ること。
約1年半、遠く離れた日本に家族を残し、隊員たちは悪戦苦闘しながらも次第に絆を深めていきます。
共演に生瀬勝久、きたろう、高良健吾 etc.

昭和基地からもはるか遠くに離れ、ペンギンもいなければウイルスさえ存在しない南極の奥地、標高も富士山より高い3810m、平均気温マイナス54℃という基地での生活が面白おかしく描かれています。
料理も美味しそうでした。
『かもめ食堂』も面白い映画でしたが、トンカツを揚げる音や、焼いただけのシャケ、いわゆる普通の料理がとても美味しそうに思えました。
夜食にこっそり即席ラーメンを食べつくしてしまった隊員の要望で、料理人の西村が工夫してラーメンを作りますが、ラーメンをすする音の美味しそうだったこと。
異郷でラーメンが恋しくなる気持ち、とってもわかります。
巨大な伊勢海老のフライにも笑ってしまいましたよ。

昭和記念公園 (1)

2009年08月27日 | Weblog
久しぶりに昭和記念公園に行って来ました。
子どもが小さい頃は時々行きましたが、広場で遊んだりボートに乗ったりでしたので、今回初めて日本庭園に寄りました。
とっても広い公園なので、目的地の近くまで自転車で園内のサイクリングコースを走りましたが、楽でした~。
自衛隊の立川駐屯地が隣りにあり、向こうの空にヘリコプターが何機も行ったり来たりしているのが見えましたよ。



サギソウ


エサがほしいのかな?




メダカ?




和菓子もキキョウ


オミナエシ


ミソハギの群生


秋の気配がいっぱいでした・・・
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『 舶 来 屋 』

2009年08月25日 | 
著者 幸田真音

万が一、生きて帰れるのなら、こんな綺麗なものを売りたい。
「文化を売る商人」になりたい・・・。

戦時中に天津の町で出会った、西洋の一流品。
その圧倒的な輝きは、東京の焼け野原に戻っても長市郎の胸から去らなかった・・・。
戦後の闇市から出発し、エルメス、グッチを始め数々の高級品を日本に紹介した「サン モトヤマ」創業者・茂登山長市郎をモデルに、日本人の逞しさと商人の矜持を鮮やかに描く、痛快で心にしみる一代記。
産経新聞の連載小説を単行本化。

物語は「未来は灰色」だと感じている洋司、発展期の日本は今の中国みたい、と想像するあゆむの20代の2人に対して、長老茂里谷が半生を語る形で進行します。
その語り口には「今の若者は」の説教調はなく、常に若者に温かく優しく、長市郎のおしゃれな生き方が感じられます。

>いくら商才があって、金持ちになって、どんなに社会的な名声を得ても、教養とか、文化や芸術への理解がない人間は、世界では尊敬されない。
大事なのは稼いだ金をどう活かすか、なにで社会に還元するかだ。

>反省はいくらでもしたらいい。失敗から学ぶことは、成功から学ぶことよりずっと多いからね。
だけど、後悔はしなくてもいい。後悔なんか、してもなんにも生まないから。

私が今まで読んだ幸田さんの本の中では、一番くらいに面白かったですよ。
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小旅行

2009年08月22日 | Weblog
長野方面へ行って来ました。
1日目は、標高2612mの日本最高所駅まで駒ケ岳ロープウェイに乗り、
千畳敷カールのお花畑を散策・・・



木々の上にロープウェイの影










下呂温泉に一泊して、2日目は馬籠宿・・・


妻籠宿


郵便屋さん(実際に郵便を配達してました)


浦島太郎伝説・・・
浦島太郎は竜宮城から地上へ帰るが、まわりの風景は変わっており、知人もおらず、旅に出ることにしました。
旅の途中、木曽川の風景の美しい里にたどり着き、竜宮の美しさを思い出し、乙姫様にもらった玉手箱をあけると白煙が出て、白髪の翁になってしまいます。
浦島太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であったかのように思われ、目が覚めたかのように思われた。
このことから、この里を「寝覚め」、岩が床のようであったことから「床」、すなわち「寝覚の床」と呼ぶようになりました。


赤沢森林トロッコに乗った後、帰宅の途に・・・

『雪とパイナップル』

2009年08月17日 | 
著者 鎌田 實

チェルノブイリの放射能汚染で白血病になった少年と、日本からやって来た若い看護師との心の交流・・・
それは8000キロを越えて生まれた小さな希望の物語でした。
「人間は理解しあえる」
子どもたちに命の切なさ、大切さを伝える絵本です。

夫が子どもの頃、病気になると父親が当時高級品だったバナナを買ってきてくれ、それを食べられるのが病気になったときの楽しみだったとか。
著者の鎌田さんも同じ年代で、バナナには特別な思いがあったようです。

経済が崩壊して、とても貧しい国になっていたベラルーシ共和国に住む白血病の少年は、まったく食事がとれない状態でした。
日本からやって来ていた看護師さんは、少年が唯一食べたいというパイナップルを、マイナス20度の雪の中、探しまわります。

>アンドレイのパイナップルは、50年前の日本のバナナのような存在なのかもしれないと思った。
50年ほど前、ぼくらが子どもの頃、たまに食べたバナナにも力があった。
たしかにあの頃のバナナには命に力を与えてくれる何かがあった。
不思議だと思う。
今、日本で、バナナを食べながら、人生のことを考えたり、将来の夢をふくらます人なんていないと思う。そういうものだ。
時代や場所や人との関係のなかで、物の価値や力は変わるものなのだ。
50年と8000キロの時空を超えて、雪のなかで探しつづけられたパイナップルには力があった。
少年に生きる力を与え、少年の命を救った。

>わたしはアンドレイが病気になってから、なぜ、わたしたちだけが苦しむのかって、人生をうらみました。
原子力発電所の事故のことを秘密にしたこの国の指導者をうらみました。
放射能のことを知っていたら、黒い雨のなか、アンドレイをわたしは外に連れ出さなかった。
人生は意地悪だなあって思った。
何も悪いことをしていないのに。
生きている意味が見えなくなりました。
でも、ヤヨイさんのおかげで、わたしのなかに、忘れていたものがよみがえってきました。
それは感謝する心でした。
人間と人間の関係はまだ壊れていない。
わたしたち家族の内側に、新しい希望がよみがえってきました。

>存在しない、「青い鳥」を探す。
チルチル、ミチルのように。存在しないはずの幸せの鳥が、実は自分の心の内側に存在していることに気がついた。

>人とのつながりのなかで生きるとき、幸せを感じたり、不幸せを感じたりするのではないか。

以前、鎌田さんの講演で、このお話を聴いたことがあります。
でも、聴いたといっても要約したお話でしたので、本を読んでみると改めて感動することがたくさんありました。
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映画 『ココ・シャネル』

2009年08月13日 | 映画
1954年のパリ、15年のブランクを経て復帰コレクションを開催したココだったが、「過去から脱却できないシャネル」と酷評されてしまう。
ココは孤児だった頃や、ボーイ・カペルとの悲恋など、自らの過去を振り返り、デザイナーとしての再起を誓う。
晩年のココをシャーリー・マクレーン、若き日のココをチェコの新星バルボラ・ボブローバが好演。

「私は流行をつくっているのではない。
 スタイルをつくっているの」

マリリン・モンローが、寝るときは何も身につけず、シャネルの5番をつけるだけ、と言ったとか。
香水やシャネル・スーツは私でも知っていますが、有名ブランドにはあまり興味がありません。
でも、ココ・シャネルの一生には興味がありました。
2年前に観た映画『エディット・ピアフ ~愛の賛歌~』は、波乱に富んだ人生をうまく描いていて感動しました。
同じような期待を抱いて『ココ・シャネル』を観に行きましたが、もう少しメリハリをつけた方が良かったような・・・。
パリが舞台なのに、セリフが英語というのもちょっと違和感がありました。
製作国はアメリカ、イタリア、フランスの3国なので、フランス語版もあるのでしょうね。
シャーリー・マクレーンも、若き日を演じたバルボラ・ボブローバも、適役でした。
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『 薄 暮 』

2009年08月10日 | 
著者 篠田 節子

封印されていた1枚の絵が脚光を浴びた時、「閉じられた天才画家」は妻の元を離れ、郷土の人々の欲望と疑心がうごめき始める・・・。
日本経済新聞夕刊連載を単行本化。

>何も県展だ、日展だと出す必要などない、画家が自分の画業を誇るようになってはだめなのだ・・・。

>ゴッホに憧れ、今更だれも注目しない厚塗り油絵をせっせと帝展に出品し、落選し続けていた棟方志功を見出したのは、日本の画壇ではない。
彼はある時いきなり国際版画ビエンナーレ展で入選する。
国内で無視され続けた偉大な才能が見逃され、海外で見出されるというパターンはもうたくさんだ。

>どっちにころんだって、絵なんて、所詮、自分が良いと思っているものが一番、良いんでね。
自分の懐から一千万出して買ったときに、その人にとって一千万の価値のある絵になるし、一億払えば一億の絵になる。
ただでもらって気にいらなけりゃ、ただの場所ふさぎだ。

私の好きな画家である田中一村と高島野十郎、先月私のブログで紹介させていただいた犬塚勉、そして、この本の中に登場する「閉じられた天才画家」、皆さん、没後、注目された画家です。
テレビの影響力は強く、「日曜美術館」などの美術番組で取り上げれば、視聴者は美術に関心がある人々なんですから、注目する人々は圧倒的に増えるでしょう。
美術に関心があると言っても専門家ではない人々にとって、専門家の称賛はその絵に対する見どころを教えてくれます。

この本の中の「閉じられた天才画家」の妻の葛藤は、読んでいて息苦しくなるものでした。
プライドのある妻だったからこそ、苦しい人生を歩むことになったように思いました。


他に最近読んで面白かった本は、『ともしびマーケット』(朝倉かすみ)等々ですよ。

映画 『ポー川のひかり』

2009年08月05日 | 映画
『木靴の樹』などで知られるイタリアの巨匠エルマンノ・オルミ監督が、自身の映画人生最後の長編劇映画として撮りあげた作品。
夏期休暇中のボローニャ大学で、大量の古文書に釘が打ち込まれているのが発見された。
容疑者として浮かび上がったのは、学年末の授業を最後に姿を消した若き哲学教授。
全てを捨ててポー川上流にたどり着いた彼は、そこで見つけた廃屋で暮らし始める。
牧歌的な風景の中で織りなされる教授と村人たちの交流を通し、人生の豊かさとは何かを問いかける人間ドラマ。
岩波ホールにて上映中。

鎌田實さんは 「上り詰める生き方をやめたときに見えてくる、つながることの大切さが、この映画をみるとわかる」 と語られてます。

中高年で、ほぼ満席でした。
映画を観た人各自が何かを感じたでしょうが、何を感じるかは人それぞれでいいように思います。
そのように映画が作られているように感じました。
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真夏??

2009年08月03日 | Weblog
涼しい日々が続きましたが、不安定な大気の状態は、いろいろなところに影響が及びますね。
動植物は季節に従順で、朝早くからセミが鳴いてます。
近くの遊歩道の看板が、いつの間にか夏向けになってました・・・






『最後の冒険家』

2009年08月01日 | 
著者 石川 直樹

熱気球による冒険によって数々の世界記録を打ち立てた神田道夫。
埼玉の町役場に勤める地方公務員が、空の世界では最強の冒険家だった。
熱気球中量級の長距離飛行世界記録、カナダで滞空時間世界記録を樹立、エベレストやK2越えといった冒険飛行に挑戦、西ヒマラヤ最高峰ナンガパルバット越えに成功。
最も権威あるモンゴルフィエ・ディプロマ賞を日本人として初めて受賞。
2000年に植村直己冒険賞を受賞。
その神田が、2008年1月、熱気球による単独太平洋横断に挑戦し、太平洋上で行方を絶った。
このニュースは新聞テレビなどで大きく取り上げられたが、行方はわからず、飛行の詳細も不明のままだ。
筆者は2004年におこなわれた最初の太平洋横断に副操縦士として同乗し、太平洋上に不時着水して共に生死の境をさまよった。
神田道夫の足取りを追うことは、筆者に課せられた使命でもあり、不屈の魂の記録として書かなければならなかった物語でもあった。
第6回開高健ノンフィクション賞受賞作。

本の表紙の写真は、2004年に太平洋横断に失敗した際、宮城県沖1600キロ地点に着水し、太平洋を往復して日本へ帰り、地図の上では点に過ぎない悪石島の、しかもわずかに存在する小さな浜に奇跡のように打ち上がった熱気球のゴンドラの残骸です。
神田さんが行方不明になった年の夏に、4年前に挑戦した際のゴンドラの残骸が見つかった不思議。
先日の皆既日食で一躍有名になった、あの悪石島ですが、裏表紙は写真の続きで、火山岩の上に野生のヤギがたむろしています。

>植村直己やラインホルト・メスナーの時代に、地理的な冒険は終わっている。
その瞬間、冒険家という存在自体もありえないものになったとぼくは思う。

>今回、試みられた神田道夫の熱気球太平洋横断遠征は、昔ながらの冒険行をシンプルかつストレートに体現している。
神田自身が植村直己の系譜の最後尾付近に位置する、昔ながらの冒険家気質を備えているということだ。

>確実に成功するとわかっていることをなぞるのは冒険ではないし、あらかじめ知り得ていることを確かめるのは探検ではない。
だから、人は興味を惹かれるのだ。

>世の中の多くの人が、自分の中から湧き上がる何かを抑えて、したたかに、そして死んだように生きざるをえないなかで、冒険家は、生きるべくして死ぬ道を選ぶ。
ぶれずに自分の生き方を貫くことは、傍から見れば不器用に見えるかもしれないが、神田は本当の意味で生きていたのだ。
自分の衝動にあらゆるものを賭け、全力で生き続けたのだ。