著者 貫井 徳郎
大手銀行に勤める41歳の安達は、無差別大量殺傷事件のニュースに衝撃を受ける。
40人近くを襲って その場で焼身自殺した男が、小学校時代の同級生だったのだ。
あの頃、俺はあいつに取り返しのつかない過ちを犯した。
この事件は、俺の「罪」なのか……。
懊悩する安達は、凶行の原点を求めて犯人の人生を辿っていく。
>人ってさ、結局は自分の周りのことしか知らないんだよね。
いくらネットでいろんな情報を仕入れても、それはあくまでデジタルの情報でしかないから、現実感がないというか。
私は自分が生きてる世界しか知らないから、中年になっても ちゃんとした職に就けない人がどんな人生を送ってきたのかわからない。
ネットで調べても、実際の辛さは絶対に想像できない。
>人間は脳の数パーセントしか使っていない、という話を聞いたことがある。
それは俗説だという反論もあるが、想像力は間違いなく備わっているはずなのに使われていない能力だ。
想像力は決して、特別な力ではない。
誰でも持っているにもかかわらず、使っている人はほとんどいない。
使われない能力は、ないも同然に錆びついていく。
>見知らぬ人に親切にするには、勇気がいる。
そのちょっとした勇気の欠如が積み重なり、冷たい社会ができあがってしまった。
斎木はこれを生物の欠陥と考え、数万年の時間しか解決できないと絶望した。
熊谷妃菜も、絶望しながら生きていくと言った。
だが、と安達は思う。人間の心には必ず、善の芽が宿っているはずだ。
その善の芽をひとりひとりが育てていけば、数万年も待たずとも斎木が望んだ社会が必ず現れる。
もちろん、短い時間で善の芽が育つなどと楽観はしていない。
もしかしたら何十年、あるいは何百年もかかってしまうかもしれない。
それでも人間は動物であるのをやめて社会を作ったのだ。
さらに もう一歩踏み出すことは、決して不可能ではないと安達は信じていた。