井上しんごブログ

北九州市議の井上真吾です。何かあったらいつでもどうぞ、私の携帯電話は070-5690-1423です。😄

歌詠會 大衆演劇 こころ震わす政治を取り戻せ

2022年06月28日 | 枝光地域

飛ぶ汗に 涙と笑い 芝居には

隣で笑う 私のばあちゃん


メモ 都若丸一座を見て


歓喜の輪 溢れる熱狂 いつの日か

政治が無くした 感動のパワー


メモ 

 満員の客席、老若男女を楽しませて、感動させる熱狂の舞台。いま、私達は、政治は市民を、国民を心震わせ、感動させることが出来てるだろうか。いやない、むしろ見捨てられて、愛想尽かされて、どうでもいい存在に。おれはいやだ。俺は高校生の時、政治家の演説を聞いて泣いた。共産党の正森せいじという国会議員だ。心が奮い、感動し、泣きた。政治家を決意し、共産党にほれた。

俺にできてるか。当時の政治家の熱意、国民の魂を揺さぶる、そんな政治ができてるか。

大衆演劇でおばあちゃんが元気になり、喜んで、熱狂しているのを目の当たりにして、悔しかった。

完全に俺たち政治家は負けてる。市民の目を輝かせているだろうか。座長は体の悪いおばあちゃんの目を輝かせている。

明日も来るよ。大声で叫ぶおばあちゃん。嫉妬した。あまりの力の差に、また座長の芝居に、泣いた。悔し涙か、芝居の感動からか、分からない。

でも涙が込み上げた。この20年、いったい私は何をしてきたのか。何に追われていたのか。

私が学生時代に感動し、泣いた、政治家の演説。今は芝居の、演芸の迫力、役者の表現で泣いている。

政治では泣かなくなった。いや泣けなくなったのだ。

命をかけれないからだ。俺は学生時代に政治で命をかけようと思った。日本を変えてやると思った。

日本のためなら死ねると思った。国の為に死ぬのは政治家だ。国民じゃない。

いま、国の為に国民に死ねという。福祉を削って軍事費にといっている。人権削って黙れと言っている。

クソだ。ウクライナに影響を受けて、それ今こそと、日本を護るとか、威勢のいいことを言っている。

戦争を決断するのは政治家、でも戦争に行くのは若者、戦争で死ぬのは国民。こんなバカな話があるか。

戦争を決めるのも政治家なら、戦争に行くのも、戦争で死ぬのも政治家だ。他人事ではない。国民の為に死ぬ覚悟があるか。人気取りが政治じゃない。死ぬか生きるかだ。

だったら、軽はずみに、軍事とか、戦争とか、絶対に言えない筈だ。平気な勇ましいこと言っているのは、国民に死んでもらおうとしている。死ぬ覚悟のない政治家だ。

騙されるな。戦争だとか、中国、北朝鮮潰せとか、調子こいて、煽っているやつは、戦争になったら、ぼく死にたくないとケツ割って逃げる。

派遣の人が死になよ。給料低い人が死になよ。僕は政治家一家で偉いんだぞと。死ね。

やーやー我こそは、この日本の政治家である。この国を、この国民の生活を、命を預かっている者である。

戦争を起こす訳にはいかない、私がカタをつけるので、まずは我々日本の政治家に免じて、矛を収めて頂きたいと。言えるか、問われている。


元気なく 笑うあなたの 力にと

何もできない この虚しさよ


海を見て はしゃぐ娘の そばにいて

なんていい日だ 楽園のよう


なんもない 作るあなたの 料理には

野菜たくさん 気遣うからだ


父やまい 付き添う医院 手続きを

しばらく優雅に 入院生活


子育てが 終わった途端 親をみて

病院◦介護に 親子二人で


應聲政治塾 支配の構図②

2022年06月23日 | 枝光地域

なぜか、支配に都合が悪いからだ。すごい叩くことで。ルールに従わないと村八分にされると、支配対象の国民をビビらせる。


屋外でマスク外そうと政府も言っているのに、ほとんど外さない日本人。なぜか、世間から叩かれるのを恐れているからだ。


支配者側の政府の想定をも大きく超えてしまった、支配される側の精神性。ちょっとやりすぎたかなと思っているはずだ。こほままじゃ景気やばいなと。


おそらく、政府が望むの望まないとに関わらず、こうした支配、奴隷の関係性は雪崩を打ったように進む。


もしかしたら、そうした支配のしやすさを狙っていた政府ですらも止められないかもしれない。


そういう下地が出来れば、あとは簡単だ。

善人による、善人のための政治が出来上がる。それは完全な支配の始まりだ。


そうなれば、自民党的な人ですら、権力の座から追われることになる。古きよき自民党はざっくばらんな印象がある。ある意味おおらかなのである。


私も5年前無所属で立候補した時、事務所に遊びに来た議員さんが4人いたが、全て自民党の議員さんだった。


4年前に議員を引退していたので、看板を見て、しんごちゃん、元気にしとるかと。しっかり頑張りやいという感じでだ。


別に共産党でも、自民党でも、保守でも、革新でも関係ない。そういう感覚だ。神仏習合の日本人的とも言えるだろう。


この感覚が政治には大事である。俺たちは正しい、あの党は間違っている。という対立の構図ほど危険なものはない。


たとえ、正論でも、正しくても、

それは完全なる支配への近道だからだ。だから、他党批判する政党は少し気をつけた方がいい。


うちらは正しいと声高らかに訴える政治家は注意したほうがいい。


なぜならば、そもそも人間は世間的な善悪は論じられても。根源的な善悪を論じる能力が与えられてないからである。善悪判断がそもそもできない。価値判断ができない。する能力がないのである。


考えて見てほしい、私も含めてこの地球、この宇宙の極々一部のことすらまともに知らない、ましては自分が何たらかも分からない人間が、何の善悪を論じることができようか。


それは人間の業であり、それは聖書的に罪、しかもただ唯一の罪、原罪である。


なので、政治を見る上で肝心なのは、その政治家。その政党の目線で、価値判断をしてるか、してないか。


そういう目で見ると面白いかも。^_^


應聲政治塾 支配の構図について①

2022年06月23日 | 枝光地域

新聞記事で今回自民党は憲法改正を中心に政策を作ったとの記事を読んで感じたこと。


為政者は、どう国民を支配するかが命題だ。どんな政権でも。なので作る法律は基本的に自分達が権力にとどまれるようにする。


なので、ある程度世論の多いものには答えざるを得ない。


また一方で、楽して、選挙を闘い、楽して税金を集め、楽して、金儲けできる世を作ろうとする。


権力が安定して暇になれば、そうする。


自分達の支援者が儲けて、応援して、当然し続ける仕組み。法律、教育、マスコミなどなど。


なのでこれに反する行為がおれば激怒する、過去のNHKの慰安婦報道のように、局長を呼び出して威嚇し、自主規制させる。 



今の日本の憲法は、権利者側には邪魔な部分が多い、なので変えたい。アメリカから押しつけられたからではない、


いまの時代が合わないからではない、


自衛隊が明記されていないからではない。


アメリカべったりの政権で、別にアメリががつくってれて文句を言うことはない、


でもちがうのだ。日本の漢方は権力への縛りが多いのだ。


生存権、表現の自由、戦争しない権など


環境権などと、いうが、そんなのいらない、

個人の尊重でカバーできる。生存権でもしかりである。


ストローはプラゴミになるのでやめましょうとか憲法に書くか?キリがない。


憲法に書いてないからできないことはなく、仮に書いてなくても、やる気があるならやることができる。


また、たとえ書いてあっても、権力にやる気がなければしない。ごまかす。


生存権、書いてある。その通りすれば、ヨーロッパ以上の福祉国家だ。できてるか?しっかりやってるか。

人権の尊重書いてある。やってるか?人権的にちょっととどうなの?と言うのが多くないか?

それこそ、13条の個人の尊重、しっかりやれば、どこの国にも負けない。ナイスな国に。でも日本の人権指数や、幸福度は低い。書いててもやってない。


なぜか、個人の尊重は、権力にとって、支配にとって、根源的に都合が悪いからである。


書いててもしない、結局は政治の問題だし、この国の在り方の問題だ。


しかし、権力がしたいこと、支配に都合のいいことは書いてなくても、やろうとする、解釈を変更して。


自衛隊はほしかったので、解釈でできるようにした。

天皇の条項は、支配者がその権威を利用したかったので、拡大解釈をして、その権威を利用できるようにした。


しかし、全く書いてないことをするのは難しいし、逆のことをするのも難しい。


例えば、個人の尊重の制約、徴兵制や緊急事態宣言、憲法の手続きを経ずに法律をつくることなど。


なので、狙いはここ。


書いてしまえば、権力が長年したいことだったので、人権の制限は、表現の制限は、支配にとって都合がいいので、喜んでする。


なので、改憲には、耳あたりのいい条文もたくさん盛り込まれる。

災害対応するなどて、がんばっくれている自衛隊を明記するから、プライバシー権や環境権など、とりあえず、国民がそんなに反対しないことをミノにする。


しかし、真の狙いは自由の抑圧。支配の持続化。簡易化だ。


私達はいい加減、この支配と奴隷との関係性から抜け出ないといけない。


支配者や国家が、いい、悪いの価値判断をし、それを国民は従わせようとするやり方に。


個人の尊重とは、国家が価値判断をしないと言うことだ。この人がいいとか、悪いとか。このグループはいいとか、どうとか。


一人一人を尊重すると言うことは、それぞれ個人の考えや、生き方を、否定も肯定もしないということ。価値判断をしないのいうこと。


なので、支配と、個人の尊重は、根源的に対立する概念だけ。


だから支配者は必ず、人権条項を制限したくなる。支配者が人間的に良い人、悪い人は関係がない。支配者の本質だからだ。


だから気をつけないといけない。支配者が確認ならば、国民は支持しないかもしれない。


でも支配者が善人ならばどうだろうか。世間的に立派な人だったらどうだろうか。


完璧に我々は支配される。

まだ今の自民党さんが、良くも悪くも人間臭くて、日本は助かっている。


例えば、大阪府知事さんのような、すごいいい人が一番怖いかもしれない。人気もある。暴言は吐かない。品行方正。


彼のような立派な方が、気合入れて、支配にかかれば、持っていかれる。


世間的にいいとか、悪いとかは関係ない。

でも今の日本どうだろう。気づいた人はいないか。実は着々と、こうした良い人による、良い人の完全なる支配の準備が進んでいる。


いまSNS、ネット、マスコミで、悪人叩きが横行している。芸能人で、覚醒剤をやった人、叩く。表現の一角である作品を葬る。


セクハラしたもの、飲酒してのトラブル、女性との性的なトラブル、暴力案件など。


これらは世間的に悪だとされているものだ。

私も同類(同志?)だが、コロナ自粛中にクラブで飲酒した国会議員がマスコミや世間で叩かれた。


世間から若干外れた議員や芸能人は、過去なんぼでもいた。しかし、今はことごとく淘汰されている。世間から外れた人間が絶滅させられている。



歌詠會 天命を知る

2022年06月21日 | 枝光地域

天深く 道なき道を さまよえば 天命変わり お疲れさんと


すがりつつ あと追い続け 苦しんで

天命下りて 雨やんだ夜


こめんねと 三顧の礼で 訪ねしも

扉は開かず 天命を知る


あの笑顔 見せて欲しいと 願っても

愛しのマリア 見上げる祈り


人変わり 相手も変わり 世の常の

大平の夜に 涙流るる


別れると 言われて呆れ 分かったと

やっぱり好きだと 爆音鳴らす


解説 

別れの宣告を受け、同意をしたけれど、一人考え、やっぱり好きだと ごめんねと、好きだと気持ちを伝えたくて、バイクを走らせ急ぐ国道。


真吾の福音書 人間に与えられた力 感動のパワー

2022年06月18日 | 枝光地域
人間に与えられた力

※父への手紙より

そうですね。神は一人ですので、当然人間も一人作りました。

しかし、人間は一人で生きていくことはできたが、

幸福感が持てない、寂しがる性質があることが分かりました。

神は完璧に人間を作ったり、食べ物もあるり、病気もしない、何が不満なのか分からなかった。

全知全能の神がわからないって言うのが面白いですね。

神が悩んだシーンはこの部分だけです。

なぜか今はわかりませんが、何か訳があるかもしれません。

そして、人間の女性を作ると、人間はみるみる元気になったという事です。

一人が寂しかったのか、
でも神と人間の二人いるので、話し相手があるし、寂しくはないかもです。

でも人間は神を日常の話し相手にはしなかった。
同じ人間を話し相手に選んでいます。

これは何かと、考えると。

神は完璧すぎるので、話して楽しくなかったのかな?と。σ^_^;

自分と同じ不完全な所がある方が、話していて楽しかったというのもあるかもです。

よく、完璧な人間よりも、ちょっとズレたような人間の方が、話して楽しいというのがあります。

礼儀正しいヤクザは、笑わないし、楽しくない。

でもヤクザとしては出世しなかった○本指の●さんは、一緒に旅に行きたくなるほど楽しかった。

セクハラ発言の●さん?、人間よりも猫好きの●さん、半グレ爺さん、元クレーン運転手の議員(^_^;)、 紺屋町のボスの●さん、思い込んだら突き進む特攻隊の●さん、元ヤクザの建設労働者●さん、左翼を応援する右翼など、

人間として味があるのかもしれません。

なぜ、一人で生きていけない人間を作ったのか、

なぜ、失敗続きの人間のために、大事な息子イエスを人間として世におくったのか。

それは完璧なものにはない、人間の可能性を神は知っていたからではないかと。

それは感動です。神は人間が楽しくしているのを見て喜ぶが、感動はないかもしれません。感動できるのは人間の特権です。

人間イエスになって、苦労はしたけれど、風俗嬢や嫌われ徴税人など、当時世間から疎まれるような人達と友達になり、なんかあったら逃げ出すような、どうしようもない弟子達と旅をして、イエスは楽しかったと思います。

そして、支えてくれる神の臨在、存在を感じて、喜ぶことが出来たんだと。

神である時は感じることのできなかった、感謝や喜び。

それは人間になって感じることができた。

それは不完全だから、その穴を神の愛で埋めることができた時に、感謝や喜びを感じることができた。
不完全さは人間の特権なのかもしれません。

悩み、葛藤するけど、感動もする。感動した時の人間のエネルギーはすごいものがあることも神は知っていたはずです。

神は人間のその感動する力を信じ、かけている。

神が作った完璧ではあるが、一方で味気のない宇宙を、もっと感動的なワクワクする宇宙にするために、

宇宙や自然の感動を、表現するために、

それは完璧なものでは、感動をうまく表現できないからです。

自分が作ったのもに感動するでしょうか。
自分が作ったものに満足することはあると思います。
神は自分が作ったものを、人はどう表現してくれるか、見てみたい、聞いてみたいとワクワクしていたのではないかと。

神はクリエイトできるが、その創造物を表現できないのです。

表現するのは人間の能力であり、役割なのです。

宇宙や生命を作ったのは神ですが、それを表現し、芸術を作ったのは、人間です。

人間には価値判断の能力はありませんが、
表現する能力は与えられています。

価値判断は地獄ですが、
表現は天国なのです。

真吾の福音書 大人になれなかったイエス

2022年06月17日 | 枝光地域

※父への手紙から

大人になれなかったイエス

イエスも、騒ぐ子どもを叱る弟子達を戒め、
 
子どもを何も分かってない無知なものと思っていないか、
 
それは違う、天国は彼ら(子ども)のようなものだ。
 
彼らのようにならなければ、決して天国には行けないと言っています。
 
それは価値判断のことを言っています。
同時に子どものようになることは、針の穴を通るぐらい難しいとも。
 
でも出来ないとは言ってません。
 
イエスは旅に出てから、死ぬまで、人間の罪を解くために説いてまわりました。
 
その罪は価値判断。
 
アダムとイブから始まった人間の罪をなきものとするために。
 
しかし、そのイエスを人間は、ある時は病気を癒す超能力者として、崇め(価値あるものとし)
 
しかし、最後は嘘うきの頭が狂った者(価値なき者)として磔にしました。
 
寿命は30才前半です。
 
イエスが死んだのも人間の罪、価値判断からでした。
 
2000年前でそれでした。
 
では今、イエスが生まれたとしたらどうでしょうか。
 
おそらく、子どもの時代に生きていけなるのではと思ってしまいます。
 
学校で友達、先生から価値なくものとして、いじめられて、自殺に追い込まれる。
 
または、親から価値なきものとして、虐待を受けて殺されています。
 
2000年前のように、30代まですらも生きていけなかったのではないか。
 
それが今です。
イエスが大人になれない世界。
 
ピュアで純粋なイエスが生きていけない、痛みの世界なのです。
 
それが現代なのではないでしょうか。
 
私達はそのことを理解し、この世の末に、イエスが天寿を全うできる世を作れるのか。この世の一人一人が試されてる。
 
出来なければ、ただ人の世は終わるだけです。
だから待ったなしなのです。
 
私が歌をつくれと矯正されているのも(後日は話します)、そうした世の末だからだと思います。
 
または父が地獄の淵から帰ってきたのも、私に哲学を伝えることを神が命じたらです。
 
父のこの価値を、ご両親や、世間がわかるでしょうか。父自身もそうなるまでわからなかったことです。
 
これは神の計画であり、アイデアなのです。
 
私の価値も家族や世間は分かりません。私にもです。
 
歌を作るなど私も分からなかった事です。
 
だから、価値判断というのは最大の罪になり得たのです。
 
価値判断しない生き方は、難しいですが、楽園への入り口ではないでしょうか。

歌詠會 6月

2022年06月17日 | 枝光地域

● 動けない 電話を切って また眠る

         着信ながめ 心配かけた

 

「早朝日曜日の勉強会、疲れて起きれず、思わず電話切る。(*_*)

やっと起きて、先生からの着信履歴。二日後電話し、心配されているのを感じ、心配おかけしました。(-_-;)」

 

● わたし死ぬ 突然のメール 胸騒ぐ 

        天を信じて 扉をあける

 

「友人からのメールで、急いで伺ったとき」

 

● 外すなと マスク警察 友責める

       小学三年 なぜこんな世に

 

「6月議会本会議質問で、小学生が屋外でもマスクをしてない人や友達に、マスクつけろと責めた立てる事例を聞いて、小学3年生にそんなマスク警察をさせるような世の中、だれがこんな世にしたのかと」

 

● 国内の ロシア料理へ 嫌がらせ

     ゆがんだ正義 本質を見ず

 

「日本国内のロシア料理店が、ロシアのウクライナ侵攻への憤りからかもしれないが、ロシア人への嫌がらせのニュースを聞いて、馬鹿なのかと。ウクライナ侵攻と、ロシア料理店、日本で暮らすロシア人、なんの関係があるのか。そうした少数派を排除する、いじめる人間を憤って。」

 

● 善悪の 知恵の実食べて 神となり

       支えきれない 神の苦しさ

 

「聖書から、アダムとイブが善悪の知恵の実を食べて、人を裁ける、価値判断する神になった。しかし、神となったとたんに、価値判断することで、自分自身の苦しみ、苦悩を知り、とても支えきれない。価値判断する重責を背負切れない。価値判断したことで、神の苦しさ、憤りの重さを知った人類。しかし神になろうとしたが、神にはなれないので、苦しさ、苦悩だけが残ってしまった」

 

● 死にたいと 人を憎むと なぜ背く

      価値の判断 苦しみの源

 

「自分に価値がないという価値判断、相手に価値がないという価値判断。神が価値あるとしているものを、なぜ価値なしだと決めつけるのか。人間にはしょせん、神の計画、神のアイデアは考えが及ばない。いい、悪いなど、価値判断することが苦しさの根源でもあり、原罪でもある。神が価値あるとしているもの、そのことに従い、自らの価値判断しないこと。価値判断から離れること、神のアイデアを受け入れることが、楽園の入り口である。  ※聖書:創世記から」


真吾の福音書 イエスの言葉「価値判断について」

2022年06月17日 | 枝光地域

※仏教や聖書など哲学的な事が好きです。ふと思いついたことなどを書きます。そんな知識のない私ですが、独自の解釈と独断と適当さで、徒然なるままに書いてます。

 

「クリスチャンの友人への手紙」  イエスの命じたことはそれ以外に何かと問われたことに対して

 

イエスの命令、そうですね。
聖書全体を通して、イエスは、価値判断をするなと教えています。
イエスが、騒ぐ子どもを叱る弟子達を戒め、
 
子供を何も分かってない無知なものと思っていないか、
 
それは違う、天国は彼ら(子ども)のようなものだ。
 
彼らのようにならなければ、決して天国には行けないと言っています。
それは価値判断のことを言っています。
子どもは、この親がいいとか悪いとか、家が貧乏とか金持ちとか、価値判断をしません。
ただ、ありのままの環境を受け入れ、楽しく騒ぎ、過ごしているのです。
 
同時に子どものよう(価値判断しない)になることは、針の穴を通るぐらい難しいとも。
 
でも出来ないとは言ってません。
 
イエスは旅に出てから、死ぬまで、人間の罪を解くために説いてまわりました。
 
その罪は何かといえば、一言で価値判断。
 
アダムとイブから始まった人間の罪のためです。
アダムを作った神は、アダムが楽しく過ごせるように、それまでにあらゆるものを作りました。昼夜、自然、鳥や動物たち、余りあるほどの食べ物、
そして極めつけに、神に似せて作られました。建物を作ったり、音楽や芸術を楽しめるように、創造性が神に似せられました。
 
しかし、アダムは元気がなかったので、女性のイブを作りました。そしてこの世界で産めよ増やせよと命じました。家族ができることは楽しいことだったからです。
神の創造性は同じに作られた人間でしたが、与えられていない能力がありました。それは価値判断です。よいとか悪いとかの、人を裁く能力を与えられていませんでした。
この点で、子どものようだったのです。子どもの創造性や芸術性は目を見張るものがありますが、人や親、社会を裁くことはしません。
 
結局は、子ども、もしくは価値判断をしない人間しか、楽園にいることができないのです。サタン(ねたみ)も価値判断しないので楽園にはおれました。
しかし人間は、サタン(ねたみ)の話を聞いて、神に疑問を持ちました。そして、神にしか与えられていない、価値判断をしようと試みました。
価値判断したり、人を裁くことが、できるんだと、錯覚し、善悪の判断の実を食べて、価値判断をするようになりました。
これが、楽園追放の原因です。
 
これは比喩で書かれていますが、価値判断は苦しさの始まりなのです。
自殺と殺人は、聖書でも罪とされていますが、このどちらも根本は価値判断にあります。
 
自分は生きている価値がないから、死ぬんだということ。
あいつは、生きる価値がないから、殺すんだと。
 
結局、神が価値あるとしているものに、反逆して、自らで価値を決めている点です。
敵を愛するというのも、敵という時点で価値判断をしています。なので敵を愛するという行為は、一度は敵だと価値判断してしまったものを、修正するための行為です。
でも敵だと思うまでには、怒りが、憤りがあり、これは自分自身も苦しいものです。
 
また、憎んでいる敵を愛する行為は、これもまた修行僧のようで、簡単ではありません。これもまた苦しいのです。敵を憎んでも苦しい、敵を愛しても苦しい。
どちらも大変なエネルギーです。でも、敵を愛する過程は、つまり自分自身のためでもあるからです。憎しみ続けることは、自分を否定し続けることにほかなりません。
敵は、自分の内面でもあるからです。
 
なので敵を愛するというのは自分自身のためでもあるのです。
 
しかし、これは罪の表面的なもので、根源ではありません。罪は価値判断ですから、そもそも敵だという価値判断をしなければいいのです。敵という価値判断をしなければ、苦労して敵を愛する必要はありません。
つまり、敵を憎むのも、敵を愛するもの、どちらも地獄の苦しみだという点です。憎むよりも愛する方が聖書に推奨されているのは、単に愛する方が自分自身のためになるからという点です。
 
かりに敵を愛しても、人間の罪は変わりません。敵だと価値判断したことが、楽園を追放された原因であり罪なのですから。
価値判断すること、たとえ、いい価値判断だとしても、悪い価値判断だとしても、人間にとって苦しみの根源になってしまいます。
 
子どものようにとのイエスのメッセージは、価値判断をするなということであり、価値判断しないものしか楽園には行けないということを表しているものなのです。
 
人間を作った創造主が、なぜ価値判断する能力を与えなかったのか。それは簡単です。それは一人では生きていけなかったからです。アダム一人の時には、善悪の知恵の実を食べるなと言っていません。イブができてから、二人に、知恵の実を食べるなと命じました。
 
神は一人です。しかし人間は一人で完結しない、二人で初めて完結する、アダムの誕生自体から不完全だったのです。神はアダムだけで完結すると当初思っていました。しかし、それが違うことが分かりました。神ですらなぜ人間が一人で寂しいのか、最初は分からなかったのです。
 
イブを作ってアダムが元気になり、人間は二人が必要だということを理解しました。しかしそこで問題がありました。アダムとイブ、互いが互いを価値判断したらどうでしょうか。夫婦二人、アダムがこうだとか、イブがこうだとか、そんなことになったら、楽しいはずはありません。
 
厳に、知恵の実を食べて、神から諭されているときに、初めての夫婦喧嘩をしました。イブが蛇(サタン)にたぶらかされて、俺に食わせたとか。イブも、でも先に食べたのはアダムじゃないかと。
早速、価値判断すること、知恵の実を食べることで、何か知恵が出たでしょうか。いい価値判断で幸せになったのでしょうか。それは皆無です。
食べた最初は、人類最初の夫婦喧嘩。はっきり言ってどうでもいい喧嘩です。
 
そして価値判断できるようになった人間が次にしたことは、殺人です。アダムとイブの二人の子の、兄弟喧嘩、兄?に対する妬みで、兄を殺しています。
原因は何か、価値判断です。兄がいなくなれば、俺は幸せになれるという価値判断、兄は死んでもいいんだという価値判断。
 
価値判断することで、人間に与えられた苦労は、夫婦喧嘩、殺し、妬み、嫉妬、誹謗、中傷、盗み、などなど、それらの共通点は一つ、価値を判断することです。
ですから、私たちは価値判断をしないことです。そもそも、全知全能の神ではないので全てを知っている訳ではないのです。自分自身のこともよく分からないのです。
 
そんな人間が、俺が先輩だからとか、経験があるとか、親だからとか、兄だからとかで、だれかをどうのこう価値判断することができるでしょうか。
誕生した時から、価値判断する能力が与えられていないのです。神ではないのです。しかもむしろ、価値判断することは地獄の苦しみの始まりなのです。
 
しかし、私たちは、一日、膨大な数の価値判断をしています。そういう癖になってます。ありのままで捉えるのは難しいのです。
しかし、イエスが言ったように、楽園に行くには、幸せに行くには、価値判断をやめようというメッセージをひとつづつ、実行に移すことがイエスの言葉だと思います。