井上しんごブログ

北九州市議の井上真吾です。何かあったらいつでもどうぞ、私の携帯電話は070-5690-1423です。😄

真吾の福音書 人間に与えられた力 感動のパワー

2022年06月18日 | 枝光地域
人間に与えられた力

※父への手紙より

そうですね。神は一人ですので、当然人間も一人作りました。

しかし、人間は一人で生きていくことはできたが、

幸福感が持てない、寂しがる性質があることが分かりました。

神は完璧に人間を作ったり、食べ物もあるり、病気もしない、何が不満なのか分からなかった。

全知全能の神がわからないって言うのが面白いですね。

神が悩んだシーンはこの部分だけです。

なぜか今はわかりませんが、何か訳があるかもしれません。

そして、人間の女性を作ると、人間はみるみる元気になったという事です。

一人が寂しかったのか、
でも神と人間の二人いるので、話し相手があるし、寂しくはないかもです。

でも人間は神を日常の話し相手にはしなかった。
同じ人間を話し相手に選んでいます。

これは何かと、考えると。

神は完璧すぎるので、話して楽しくなかったのかな?と。σ^_^;

自分と同じ不完全な所がある方が、話していて楽しかったというのもあるかもです。

よく、完璧な人間よりも、ちょっとズレたような人間の方が、話して楽しいというのがあります。

礼儀正しいヤクザは、笑わないし、楽しくない。

でもヤクザとしては出世しなかった○本指の●さんは、一緒に旅に行きたくなるほど楽しかった。

セクハラ発言の●さん?、人間よりも猫好きの●さん、半グレ爺さん、元クレーン運転手の議員(^_^;)、 紺屋町のボスの●さん、思い込んだら突き進む特攻隊の●さん、元ヤクザの建設労働者●さん、左翼を応援する右翼など、

人間として味があるのかもしれません。

なぜ、一人で生きていけない人間を作ったのか、

なぜ、失敗続きの人間のために、大事な息子イエスを人間として世におくったのか。

それは完璧なものにはない、人間の可能性を神は知っていたからではないかと。

それは感動です。神は人間が楽しくしているのを見て喜ぶが、感動はないかもしれません。感動できるのは人間の特権です。

人間イエスになって、苦労はしたけれど、風俗嬢や嫌われ徴税人など、当時世間から疎まれるような人達と友達になり、なんかあったら逃げ出すような、どうしようもない弟子達と旅をして、イエスは楽しかったと思います。

そして、支えてくれる神の臨在、存在を感じて、喜ぶことが出来たんだと。

神である時は感じることのできなかった、感謝や喜び。

それは人間になって感じることができた。

それは不完全だから、その穴を神の愛で埋めることができた時に、感謝や喜びを感じることができた。
不完全さは人間の特権なのかもしれません。

悩み、葛藤するけど、感動もする。感動した時の人間のエネルギーはすごいものがあることも神は知っていたはずです。

神は人間のその感動する力を信じ、かけている。

神が作った完璧ではあるが、一方で味気のない宇宙を、もっと感動的なワクワクする宇宙にするために、

宇宙や自然の感動を、表現するために、

それは完璧なものでは、感動をうまく表現できないからです。

自分が作ったのもに感動するでしょうか。
自分が作ったものに満足することはあると思います。
神は自分が作ったものを、人はどう表現してくれるか、見てみたい、聞いてみたいとワクワクしていたのではないかと。

神はクリエイトできるが、その創造物を表現できないのです。

表現するのは人間の能力であり、役割なのです。

宇宙や生命を作ったのは神ですが、それを表現し、芸術を作ったのは、人間です。

人間には価値判断の能力はありませんが、
表現する能力は与えられています。

価値判断は地獄ですが、
表現は天国なのです。