井上しんごブログ

北九州市議の井上真吾です。何かあったらいつでもどうぞ、私の携帯電話は070-5690-1423です。😄

令和6年6月議会質問原稿 強きを助け、弱きをくじく政治からの転換を求める

2024年06月17日 | 枝光地域

2 市政変革について

 

次に、強きを助け、弱きをくじく政治からの転換を求め、二つ質問します。

 

令和6年度5月15日号の市政だよりには、「ない袖は振れない」とし、「ひと肌脱いで」と市民に協力を求める、市長の手書きの手紙が掲載されました。何か戦前の「欲しがりません、勝つまでは」を想起します。福祉や文化教育など市民要望に応えたいが、金がないから我慢してと、また、北橋市政並みの行政サービスが必要なら、痛みを我慢しろと言っているように感じます。

しかし、袖がないと言いながら、オフィス移転、企業誘致、企業の付加価値向上などに、ない袖を振っています。バックアップ首都構想と言っても、お金で呼び込んでいるだけです。お金で企業や人を呼び込んで、どういう街を作るのでしょうか。北九州のポテンシャルはお金でしょうか。違います。

北九州のポテンシャルは、地理的優位性、災害リスクの低さ、道路・港湾・鉄道・空港などの整ったインフラ、ものづくりから理工系までの人材、オフィス賃料や生活費などの安さであり、他にも、食べ物が美味しい、人情に厚い、祭りなど地域が熱い、自然や観光資源が多いなどです。企業もそのメリットを理解して来ている訳で、さらにお金を出す必要はありません。

市の借金の多さも、結局は道路網や港湾などの整ったインフラに活かされているものであり、市民だけでなく、その恩恵を受ける企業にもある程度、過去の投資に対する負担をしてもらう考えも必要です。

また、億単位の企業誘致のインセンティブのために、子ども達が犠牲になっていることも本末転倒です。美術館や平和のまちミュージアムのツアー事業の廃止や、部活動の全国大会等への派遣補助費や部活動振興事業費の減額、私立学校や朝鮮学校への僅かな補助金すら削減したことなどです。

先の2月議会の付帯決議では、それらの予算が廃止又は大幅に削減されたとし、子どもや保護者の意見が十分反映されていないと指摘しています。

同じく付帯決議で指摘された草刈り費用は、削減された分がこの6月議会で補正予算として提案されていますが、子どもに係る予算の増額補正がありません。

企業誘致のインセンティブをやめ、市のポテンシャルの恩恵を受ける進出企業に応分の負担を頂きながら、2月議会で減らされた子どもの予算も早急に手当すべきです。見解を伺います。

 

最後に、本社移転や企業誘致、袖を振るための財源についてです。

高度成長期を牽引した企業の多くは創業者でもある経営者が中心であり、そのバイタリティーで事業を拡大して来ました。しかし、近年は代も変わり、経営者よりも株主中心の企業経営に変わっています。以前の従業員の暮らしや、地域経済の発展に重きを置いていたものが、株価を上げるための大量解雇や、正社員から派遣社員への入れ替えなど、地域経済を疲弊させています。

企業の都合による工場や拠点の撤退も地域に大きな影響を与えており、昨年、戦艦大和を作った広島県の呉製鉄所の閉鎖は地域に激震を与えました。

本市には多くの名だたる企業が立地しており、TOTO、安川電機、三井ハイテック、タカギ、第一交通産業などは、創業の地である北九州市に本社を置いていますが、他にも本市にルーツを持つ企業がたくさんあります。

一方、日本製鉄は起業の地・八幡にあった本社を東京に移し、JR九州も創業の地、ゼロポイントのある門司から博多に移転しました。三菱・住友を凌ぐ財閥でもあった鈴木商店が門司で創業・事業展開した会社にルーツを持つ企業は、旧帝国麦酒のサッポロビール、ニッカウヰスキー、神戸製鋼所、ニップンなど多岐に渡ります。西鉄の前身は九州電気軌道で、門司・八幡大蔵間で事業を開始しました。戸畑鋳物はのちの日産自動車であり、テレビ西日本は八幡発祥ですが、皆、本市に本社がありません。

北九州で生まれ、北九州で世話になり、北九州で成長し、北九州が傾きかけたら、はい、さようなら。なんて義理・人情に欠けることでしょう。

私は、創業者の原点に還り、みんな、創業の地、出生の地に帰って来いと言いたいです。しかし、現状で本社移転をお願いしても無理でしょう。しかし、北九州市がこれら企業の大株主であれば、無視できないのではないでしょうか。

今、世界的な株高や新NISAによる国内での個人投資の拡大で、多くのお金が流れ、その運用益でもかなりの額に上ります。本市でも基金運用で年間6億ほど運用益があるようですが、本市財政を支えるまではありません。また、テレビ西日本などの若干の民間企業の株式を保有していますが、経営に対する影響力はありません。

今後、公共インフラとも言うべきJR九州や西鉄、九州電力などの企業や、多くの市民が雇用されている地元企業の株式を保有することにより、市民生活や地域経済を守るために、行政としても、株主としても、地元企業に影響力を持つ戦略が必要ではないでしょうか。

そこで、市が出資する投資ファンドを作り、本市のSDGsのビジョンに賛同する企業や投資家の資金を集め、市の発展に資する企業や本市ルーツの企業に投資し、その運用益の一部を市民生活に活用する。また、本社を市外へ移した企業には帰って来てもらう。

また、誘致した企業を支援するならば、お金のインセンティブではなく、株式取得により、その企業の発展を内側から支えるなど、発想を変えるべきです。

もう、企業にペコペコする時代は終わり、市民を泣かす経営者がいれば、大株主・北九州市として、社長の首を飛ばす。それぐらいの気合いでやらないと市民生活や地域経済は守れません。

以上、(仮称)北九州ファンドの運用による市民への還元。株式取得による影響力行使で、本社移転や地元経済への貢献。誘致企業の本市ポテンシャルへの応分の負担などで、子ども達を誰一人見捨てない、強きを励まし、弱きを助ける政治の実現、お金の流れの根本的な変革について、市長の見解を伺います。


令和6年6月議会本会議質問原稿。旧門司駅遺構と門司港複合公共施設の共存について

2024年06月17日 | 枝光地域

1 旧門司駅遺構について

 

まず初めに、旧門司駅遺構と門司港地域複合公共施設の共存について二つ伺います。

 

武内市長が就任して間もない令和5年3月、複合公共施設の建設予定地で埋蔵文化財の有無を確認する試掘調査を行ったところ、旧門司駅舎跡関連遺構の一部が発見されました。発見当初から、近代遺産の考古学の専門家から、この発見に期待の声が聞かれ、東京・高輪で見つかった遺構や旧新橋駅遺構と合わせた鉄道関連遺産群として世界遺産級だと目されています。

日本初の鉄道駅である旧新橋駅、そして、旧門司駅。どちらも明治初めの日本の産業革命期の先人の熱意、「鉄道を通すんだ」と、「いつかは国産のレール、鉄骨、機関車を作るんだ」という勢いを今の私たちに伝えてくれます。

その思いの通り、門司駅完成の10年後には官営の製鐵所が八幡に作られ、わが国初の製鉄産業がここ北九州から起されました。そこで、伺います。

 

初めに、これまで旧門司駅の遺構に関しては、複合公共施設の建設予定地ということもあり、遺構の保存か、複合公共施設の建設かと、様々な意見がありました。私も四年程、門司で介護の仕事をしていましたから、知人も多く、先日の市主催の説明会にも行ってきました。

皆さんの意見を聞いて、私は現地で遺構と複合公共施設の共存をしてほしいと思いました。開会前から厳しい意見が吹き荒れ、片山副市長が「今のままだと大きな声の人しか聞こえない、もっと様々な市民の声を聞きたい」とおっしゃっていたのは私も同感です。

そこで、様々な市民の声を聞きたいという、行政の思い。ぜひやりましょう。皆さんが落ち着いて判断し、自分にとっての最善策を公平に表明できるように。

ついては、門司区民または北九州市民による住民投票や住民アンケートの実施など、副市長が言われた、広く様々な意見を聞くことを求め、見解をお伺いいたします。

 

次に、現地での遺構の保存と、複合公共施設の共存の可能性についてですが、仮に両者を共存させるとした場合、市によると、遺構を囲むように基礎の杭を配置し、難工事になるそうです。

先日、関門海峡をまたぐ下関北九州道路の概要が国から発表されましたが、当時世界最長で、今も世界2位の明石海峡大橋に次ぐ、国内2番目の規模だそうです。この下北道路も難工事が予想されますが、我が国の土木技術の粋を集め、旧彦島フェリーの代用となるべく、100トン超クラスの大型クレーンも走行できる世界一の耐重量大橋にならないかとの期待も高まります。

同じように、まさに、旧門司駅の遺構と複合公共施設との共存も、我が国の技術者が腕を振るえるビックプロジェクトといえるものではないでしょうか。世界・日本で誰もなし得ないことをやれる北九州市の二つのビックプロジェクト、ワクワクしませんか。

北九州の地で産業が発展し、世界初の海底トンネルの関門鉄道トンネル、東洋一の河内貯水池や若戸大橋を始めとした様々な難工事をやってのけ、我が国の国土の発展を牽引してきた北九州市。市長、チャレンジしてみませんか。

どうしても、今、対応できないなら未来の市民に託すことも検討すべきです。遺構を埋め戻し、なるべく傷つけないために杭の強度を増して本数を減らし、上屋部分の設計を生かすことも可能です。先人の熱い息吹を感じるこの旧門司駅遺構を、せめて次の世代、未来へ繋ごうではないですか。

構造計算上、仮に基礎部分の杭の直径を倍に太くした場合、杭の本数をどれだけ減らすことができるのか、見解を伺います。


令和6年6月議会の反対討論原稿。初代門司駅遺構について

2024年06月17日 | 枝光地域

令和66月議会反対討論                            井上真吾

 

 井上しんごです。私は議案第82号・令和6年度北九州市一般会計補正予算に反対し討論します。北九州市のアイデンティティは何でしょうか。まず、ものづくりがあり、人が集まり、よそ者同士が力を合わせ、街をつくり、伝統の祭りを継承してきました。本市のアイデンディディは産業です。長い眠りから目覚めた旧門司駅遺構はまさに本市のアイデンティティ・魂と言えるものです。

 武内さんが市長に就任して間もない4月の市政だよりで、市長は「挑戦する市政」を進めると表明し、「できない言い訳はしない」と職員を励ましています。私も励まされた一人です。

 しかし、今回の旧門司駅遺構については、言い訳しか聞けません。遺構については、重要なもので、現地保存や、複合施設との共存なども検討したが、断念したということです。

 理由はお金、そして早期建設の声です。誰も複合施設はいらないとは言っていません。また施設を求めている方も、遺構を壊せとは言っていません。

 推進の方も、保存の方も、どちらも、それぞれの必要性、価値を認めています。であるならば共存について、もっとやれることがないでしょうか。

 「挑戦する市政」とは、困難な課題に立ち向かうことです。今の完成予想図を見る限り何の挑戦もいりません。鉄骨造りであれば、地面に杭を打ち込み、床部分にコンクリートを打った後、鉄骨を組み上げて、床と壁を作れば完成です。特別な技術はいらないでしょう。私もクレーンの運転手として、こうした現場を見てきました。

 しかし、遺構との共存や、少しでも遺構を残そうとすれば、挑戦が必要です。建築上、困難な現場でもあります。NHKの番組「プロジェクトX・挑戦者たち」に描かれてるのも、そうした困難に立ち向かう行政や企業や人々ではないでしょうか。

 市長は、今年の新年の挨拶で、「もの言わぬ大多数の方々、つまりサイレントマジョリティの、そんな市民の皆さんの声なき声に応える市政を展開する」と述べました。

サイレントマジョリティの対義語は、ノイジーマイノリティ、つまり、もの言う少数者です。たとえ騒がし声であったとしても、それは市民の声です。

 サイレントマジョリティは、一部のクレーマーに振り回れず、もの言わぬ多数のユーザー、つまり、当社の製品を日常的に使って頂いているお客様のニーズをしっかり掴むという、ビジネスシーンで使われるなら納得ですが、ある国家があり、批判している集団はあくまで少数者であり、我々が多数を代弁していると国民を弾圧する理屈にも使われています。

 そして、もの言えぬ少数者の声は、誰が聞くんでしょうか。地元説明会で、小学生の手紙が読み上げられ、怒号の飛び交う会場は静まりました。

 その子の意見は共存でした。マジョリティの代表は私達、議員や市長です。選挙という特性から、定数一の市長は間違いなくマジョリティの代表であり、議員も上から順番に様々なマジョリティを代表しています。

 だからこそ、小さき声に耳を傾けることが必要ではないでしょうか。私はその一人の小学生の声に少しでも応えられないかと思います。例え難しくても、私達がここまで頑張ったよと、その子に胸を張れるのが政治ではないでしょうか。大人の事情で言い訳しても子ども達には通じません。

模型や3Dにして後世に伝えようと言う前向きな議論もありました。しかし、同じく3D展示をしている安土城や、天草四郎が幕府軍と死闘を繰り広げた原城でも、そこに本物があるからこそ、その展示や3Dが生きてきます。本物がなければ、その当時の息吹を感じることができません。

プロジェクトX、私なら、こういう未来が描がけます。遺構が発見され、予算のない中、また早期建設を求める世論の中、難しい舵取りを任された市長。そこに一人の小学生から手紙が届く。市長は、遺構と施設建設との共存を決意し、先例を見ない難工事に挑戦することにした。

建設を求める議会から「不信任だと」と怒号が飛ぶ中、市長は県や政府に掛け合い財源を捻出、地元に頭を下げて、共存案への理解を求めた。工事は国内の技術の粋を集めて、とうとう遺跡と共存した施設が完成した。あれから20年、門司港には国内外から多くの鉄道ファンが訪れ、門司港レトロは世界的な観光地と発展したと。これなら「挑戦者」として、後世に認められるのではないでしょうか。

新入幕優勝した尊富士が「記録よりも記憶に残る力士になる」と言っていました。

市長も、「当選回数という記録よりも、市民の記憶に残る市長」になってほしいです。

以上で討論を終わります。


6月議会本会議質問 発言通告

2024年05月31日 | 枝光地域

 

発言内容

項    目

要        旨              (※2)

旧門司駅遺構について

・副市長の言われる様々な市民の声を聞けるように市民アンケートや住民投票の実施について

 

・現状で対応できないなら未来へ託す。遺構の埋めもどしでの保存と、なるべく遺構を傷つけないためにも、基礎(杭)や梁の強度を増し、杭の数を減らし、一部基礎部分の設計変更の検討を

市政変革について

・強きを助け、弱きを挫いている政治の転換を

 

 

・金で人や企業を呼び込むのではなく、真にこの街が好きになってきてもらう対策を

 

・借金(土木費)が多いのは、本市のポテンシャル(道路網、港湾など)になっている。借金は先人の未来への投資だという認識を

 

 

・高度成長期の経営者中心から、今は株主中心に変わっている。市が積極的に本市のビジョンと合致する企業の株を保有し行政との協力体制を確立し、本市に共感する企業や個人投資家から資金を集め、その運用益を市民に還元する仕組みを

   

令和6年2月議会本会議質問 原稿①案 (棚卸しによる朝鮮学校助成について、議員報酬について、市政の私物化について)  井上しんご

2024年02月25日 | 枝光地域

令和6年2月議会本会議質問 案①                           井上しんご


私は議案第一号令和6年度北九州市一般会計予算案について質問します。

成長への再起動予算として、稼げる街など3つの重点戦略の実現を図るなど次世代投資枠として3年間で300億円、今年度は111億円の予算を重点的に配置しています。しかし一方で、令和6年度予算の事務事業の棚卸しとして、約3000の全ての事業のうち、1288事業、151億円の削減を提案しています。

当然、目的が達成したり、思ったような効果がなかった事業の廃止や、類似事業の統合による効率化、事務経費のスリム化による削減はありえます。しかし、教育や子育て、自治会やボランティア、障害者、高齢者や空き家対応にかかる予算で、これからも必要と思われる予算も、事務経費等の見直しとの説明で、全体予算が大幅にカットされている事業がたくさんあります。

事務経費の見直しと言えば、単純に事務作業の効率化かと思いますが、実質の事業の廃止のように、最大で8割を超える予算が削減されいるものもあり、事務経費の見直しのていで、これでは事業が行えないのではないかと危惧しています。

これからこの151億円のも予算の削減という棚卸しの影響が、市民の暮らしに一体どういう影響が出て、高齢者の生きがいや、子供達の成長が阻害されるか、非常に心配です。今回の棚卸しでは、決算実績等を踏まえた予算配分の見直しとあり、決算おける不要額分が丸ごと削減される提案になっています。通常、予算は予測を上回るニーズや利用者の増にでも対応できるように、若干の余裕を持って組んでいると市は説明してきました。例年実績の必要額だけのギチギチの予算で、必要な市民サービスがちゃんと公平に行き渡るのか心配です。

市長は3年で300億円の財源を捻出するとし、今回は不要額分など予算に計上せずに100億円程度を捻出しましたが、令和7年以降はそのトリックは使えずに、100億円の財源を捻出する為に、更にどれだけの市民の血が流れるか、考えるだけでもぞっとします。

今回の棚卸しで削減された1288事業で、本当に市民ニーズがなくなったのか、また目的が達成されたのか、その予算を活用してきた市民の方から十分に聞き取って、双方がある程度、納得済みで未来へ進んでいけるのか、これまで市が長年続け、多くの方が関わってきた事業において、どこまで当事者の方の意見を丁寧に聞いていたのか、例を見ないような削減を提案する以上、そのことの説明責任があります。

予算は単なる数字の羅列ではなく、机の上で電卓弾いて、はいカット、はい廃止とできるものではありません。その事業に予算が付けられるまでに多くの方の要望があり、また例え僅かな予算であっても、それを守り、育ててきた関係の方の思いが、その予算の一円、一円に、込められています。

市民から預かった予算をどう使うか、仮に廃止や削減をせざるを得ない場合は、関係者に前もって丁寧に説明し、別で手当できるのか、できない場合は、どう決着するのか、これまで予算の執行を通じて、市政の発展や、事業目的の達成に協力してくれた方々への敬意が必要です。

しかし、議会に提出されたものは、予算事務事業の棚卸し結果反映という紙切れのみです。通常は予算を新しくつける場合も、市民の要望から始まる場合は、それに至る経過で議会内外での議論があり、予算化されきました。また事業を見直す場合や削減する場合では、関係者への説明と議会への説明があり、関係者がこれは困ると思えば、行政への直接的な要望もさることながら、議員への要望、議会への請願陳情とへ、市政の当事者である市民の声を聞く場が不十分ながらもありました。

今回は、廃止や削減された事業が過去例を見ない程度に膨大で、しかも予算議会の直前に渡され、予算に関係する市民ですらも、声を上げる機会すら全く奪われるという前代未聞なことが行われています。いくら子育て支援を進めたと言っても、その裏で多くの市民が泣いていることを思うと、全く喜べません。誰かの痛みを前提にした幸せなど、喜べるでしょうか。市長は成長の果実を彩りあるまち、安らぐまちへ還元すると言っています。まだ果実のカすらないのに、市民から彩りある生活と、安らぐ気持ちを奪っているだけではないでしょうか。

特に私がこれは酷いと思っているのが、福岡朝鮮学園助成の削減です。朝鮮学校で学ぶ子ども達を支援しようと、施設や備品などの整備に当てられています。とは言っても額として年間285万円と僅かでしたが、今回更にそれを全体の4割近い110万円を削減するというものです。他の私学助成も同じ基準で減らしていると言っていますが、朝鮮学校は他の私立学校が受け取っている私学助成もなく、政局の関係で高校無償化の対象からも外れており、その学校運営は厳しものがあります。

同じ北九州市で学ぶ子ども達への貴重な予算を大幅に削る。これまでこの予算を確保するために、どれだけの汗が流されてきたのか。党派を超えた様々な議員さん、支援してきた市内の学校関係者や弁護士さん、そして、その苦しい事情を知る市の職員さん。これまで何度となく行われてきた学校と行政との懇談や改善を求める意見書など、

市長は、この一円一円に込められたこうした市民の皆さんの熱意に思いを巡らせて欲しい。元々、この助成は平成⭕️年までは⭕️万円ありました。削減される時も、それは大変な議論がありました。その中でも、本市と歴史的な関係のある朝鮮学校への予算については、他都市以上の助成をしているので、引き続き精一杯支援する旨が話されました。今回の提案は、前の水準に戻すならまだしも、更に引き下げる内容で、私はいとも簡単に長年の学校を巡る歴史と、人々の想いを切り捨てらたことに、とてもショックを受けています。

削られた1288事業のうちの一つ、朝鮮学校の助成をとってもこれだけの問題があり、しかも事前の聞き取りや、現場の実情を把握する余裕もない中で、また被害を受けた子ども達が声を上げる余裕すらない中で、行われています。だったら、残りの1287事業にも同じような問題を孕んでいるのではないでしょうか。

その痛みと苦しさとの重さはどれほどでしょうか。いくら稼げる街、子ども真ん中シティ、若者応援日本一、異次元の子育て支援と様々、新規事業を並べてみても、私には虚しく聞こえ、空虚感しか残りません。なぜられば、その華々しく見える新規事業の裏には、どこかの子ども達が泣いているかと思うと全く喜べません。


今回の事務事業見直しの棚卸しは、市長直属の市政変革室が音頭をとり、内部管理経費1割削減は財政局主導です。市はそれらの説明の中で、市は当然必要な事業を機会的にカットや廃止するものではなく、現場の実情に応じて、丁寧に現局に聞き取りをし、削減ありきではないこと言っています。ではこの朝鮮学校への助成は、説明通り、丁寧に担当部署や担当者に聞き取りをしたのか。その中で、これは必要な予算だと現局が伝えても、変革室や財政局にゴリ押しされたのか。それとも、助成を所管する教育委員会企画課、現局自ら進んで削減を提案したのものなのか。その削減に至る経過を答弁願います。①


 次に、市長は前回の予算議会で市長給与1割削減し、「かいより始めよ」と、議会へ同調を求めました。また市長と歩調を合わせる会派は、昨年12月議会に「市議会議員の報酬削減について早期に議論を開始する決議」を提出し、それに先立って提案者の選挙区の八幡西区、小倉北区において、決議案内容とほぼ同趣旨のチラシを配り、自身が求める報酬削減の議論が進んでいないことをもって、塩漬けだと指摘し、議論に慎重な議員を批判しました。

報酬削減とは違う意見や、報酬削減の議論と合わせて、社会保険加入や年金など将来にわたり、市民の代弁者として持続可能な議員活動となるような意見を持つことも悪なのでしょうか。

議員報酬は議員個人の生活の問題でもあり、また議員の市政相談や議員活動のあり方にも関係する問題です。スマホなどSNS中心の議員活動なら経費はかからないかもしれません。議員は市民の代表であり、その活動スタイルは多種多様で、一律ではありません。

議員活動が多様であるからこそ、老若男女の多様な意見を市政に届けることができます。古いスタイルだからダメだとか、SNS中心でないとダメだとはなりません。

昨年末の決議では、全会派に賛同してほしい旨の話があったでしょうか。決議の共同提案者の若松を愛する会の代表は、文章の内容が他党批判になっているので、これでは賛同が得られない、この文章を修正して、全会派へ話に行こうと提案されていましたが、修正はしない。否決されてもいいのでこのままでいくと言っておられました。

しかも事前に、削減の議論をしない議員はダメだとするチラシもすでに選挙区でまいていることもあり、彼らは鼻から賛同を得るよりも否決されることを前提に、決議を提出し、反対派は悪だというイメージを狙ったものでした。全会派で話し合い丁寧に合意を得て、成案にする気が少しでもあったのでしょうか。目的は来年の市議選に向けた布石です。本気で議員報酬を削減する気など無かったと言わざるを得ません。

「かいより始めよ」の意味は、大事業をするには、呼び水となる小さなことから始めるのが必要だという意味だそうです。つまり市民や子ども達の出血を伴う棚卸しという大事業の呼び水とするため、市長給与を10%削ったということです。そして、議員報酬削減は、自らの選挙と議員報酬削減一本で多くのチルドレンを当選させるがための呼び水ということではないでしょうか。

自身の仕事ぶりと報酬が見合わず、身を切りたいというなら、周りに同調を求める必要はありません。人知れず身を切ればいいのです。身を切った事を宣伝する必要もありません。武士が切腹するのに、他人に同調は求めないでしょう。

私達の任期はすでに一年を切っています。三年前に掲げた公約の実現に向け、がむしゃらに取り組まなければならない時期です。私の公約はどれも完結していません。あと一年それこそ命懸けでやらないといけません。それをこの時期に、議員報酬削減で他の議員を批判し、コネでマスコミを使って議会で騒ぎ立てる。市議会は遊び場ではありません。市民の声を集めて真剣に議論する場です。

私は正直、こんな不毛な選挙活動に付き合っている暇はありません。政治家人生残り一年を切っているんです。議員報酬について議論するならば、私は議員報酬は削減ではなく、引き上げるべきだと考えています。

 その理由は、長引く経済の低迷と高齢化などにより、日々の市民ニーズに行政だけでは対応できないことが増えているからです。市民の暮らしを預かる議員として、行政ができないから、何もできないとは言えない問題があります。まさに議員は最後の砦なのです。

私は一人暮らしですが、車は自家用車と軽トラック2台持っています。前は地域活動用でもう一台ありました。草刈機は2台あります。また耕作放棄地を耕かすための耕運機もあります。

 様々な事情で家を追われた方と暮らしたことも3度ありますし、暴力を受けたベトナム人技能実習生3名を預かって欲しいと言われたこともあります。今はネパール人の留学生の方20名近くが3月末で契約が切れるとのことで、家を探すのに苦労しています。

 何十年も空き家だった商店街のシャッターを開けるのに工事をしたり、正直お金がいくらあっても足りません。私の活動スタイルがまずいのかも知れませんが、借金だけが膨らんで、破産するかどうかのきわきわで議員活動をしています。

市民の声に応えようと思えば思うほど、市で対応できない問題で、経費がかかります。議員は基本ボランティアなので、市民は気軽に相談できます。市外であろうが、外国の方であろうが、子どもであろうが、いつでも、誰でも、何度でも。私は議会制度は最高の市民サービスだと思っています。

 しかし私の活動は北九州市議の諸先輩に比べるとまだまだ弱小です。私の遥かに上をいかれている方ばかりです。私はそうした先輩議員を尊敬し、学び、北九州の流儀や人情、議員活動を学びました。そうした先輩方を塩漬けだと批判し、イラストを描いて小馬鹿にし配布する、こんなやり方は正直、許せません。北九州市の議員がどれだけ奮闘努力しているか知っているのでしょうか。私以外の議員さんには正直もっともらって欲しいとさえ思います。

 現在、議会改革協議会で議員報酬について議論されていますが、私は選挙前にやる必要はないと思います。やるべき仕事が沢山あり、塩漬けでいいのです。報酬については次の期で当選された方々で、持続可能な議員活動も含めて議論する問題だと思います。任期が一年もない議員が集まって議論しても、選挙目当てだと思われるのがはなです。

 仮に、5パー、10パーと削減しても、まだ足らないと騒ぎ立てられるのがオチです。中途半端に下げても、文句を言われるなら、むしろ一円もいりません。私たち議員は乞食ではありません。いくらがいいでしょうかと顔色を伺いながら議員活動なんてしたくありません。自らが命をかけて、誇りを持って議員活動をしています。私はこんな不毛な議論に終止符を打ちます。

 議員報酬削減を提案された会派の方と、議員報酬増額を求めている私とで、議員報酬全額カットで、誰かが泣きを入れるまで行うデスゲームを提案します。全額カットが難しなら、削減額は決議案提案者に任せます。共同提案者の一人は60%カットでどうだろと提案がありました。その代わり、あくまで対象者は、私と決議案提案者の7名の8人、そして、この問題は市長の発言から始まっていることからして「かいより始めよ」のお返しで、市長もこの8人で決めた削減額で一緒に給与削減を行ってもらいたい。削減額は私は100%カットで提案します。市長は、議員報酬削減決議を否決した議会に対し、市長の出方を待つという主体性のなさに違和感を覚えますと述べています。また「自分のことは自分で決めていくべき」とし、有権者は見ていると釘を刺したと報じられています。

 議員報酬ゼロなら、誰も文句は言えないでしょう。

 そこで質問します。議席番号49番から55番まで及び57番までの8人と、武内市長の給与を全額カットする予算案の修正を求め、市長の見解を伺います。②


 最後に、市政の私物化と市民や職員のプライドを傷いつけている問題についてです。この度、北九州市誕生以来60年?に渡り使われてきた財政局が財政変革局に変えると提案を受けています。なぜ財政局のままでいけないのでしょうか。目が点になりました。変革とは、武内市長を支援する議員の選挙中のキャッチコピーであり、会派名にも使われてきた名でもあります。

武内市長の当初の公式ホームページには変革という名は出てきません(現在、再確認中)。

また前回の市議選の全候補者の選挙公報でも変革と打ち出している候補者は一人しかいません(現在、再確認中)。

 これまで行政は行財政改革や構造改革など、一般的に改革という言葉を使ってきました。変革は改革と同義だと国語辞典には書いてありますがも、英語では明確に違います。英語で改革はリフォーム、つまり住宅リフォームと同じで改善、模様替えのような意味です。一方変革はトランスフォーメーション、つまりロボット玩具や戦隊モノで言えば、変身です。全く別物になる意味です。革命が「政治的変革」と評されるように、変革とはもとあったものをひっくり返して、作り直すというニュアンスを含みます。

果たして市民は武内市長に、これまでの末吉、北橋市長から続く行政の継続性、それをひっくり返すことを期待して投票したのでしょうか。違うと思います。私の周りの友人に聞くと、私の支援者の85%は武内市長に期待をされて投票しているようです。面白いことをしてくれるんじゃないか、ジリ貧でなく前向きの改革を期待してのことです。

 棚卸しなど今までの市民生活を根底からガラガラポンにして、破壊することを誰も望んではいません。そこにきて、今回の歴史ある財政局の名前の変更、これは、市長が一体どっちを向いて政治をしているのかが明白になってしまう。市長が友人を大事にするのは分かります。しかしこれは露骨すぎます。

市長は北九州市は人情の街だと言われています。県知事選挙後、政治生命が絶たれたあと、北九州市民が自分を救ってくれたと話されていました。私もすごく共感を覚えます。私も、36歳で議員を引退した後、建築現場で働く毎日で、とても政治家に復帰できる可能性もない状態でした。しかし奇跡的に8年後に私は八幡の市民から再び市議へと押し上げられました。8年後に私を議員にした人達は、私と考えの違う人達でした。つまり思想や考えが違っても、がんばりよるし応援するかとの人情です。

 私は市長と同じように、北九州市民から救われ、再び政治家としての命が与えられたのです。市長がその人情に恩返しするのであれば、自身の取り巻きの方でなく、むしろ、敵対した、意見の違う議員や市民の声を聞き、徳で報いいる政治をすべきではないでしょうか。

武内市長を市長に押し上げた人達は、県知事選挙の時に敵対した人達が多数含まれています。それでも市長のやる気に期待し、武内市長誕生の大きな原動力になりました。それが北九州市民のザ人情です。右も左も、表も裏も関係ない、それが北九州の任侠の心ではないでしょうか。是々非々が常の明朗な気質です。しかし、市長が自分のお友達ばかりに気を使う政治をすると、市長の原点を大きく踏み外してしまいます。市長は選挙前、しがらみアンド既得権にNOだと言っていました。しかし、今回の変革局にあるように、これは新たなしがらみと既得権ではないでしょうか。財政変革局の名前の変更を求めます。答弁を求めます。③

 以上で私の第一質問を終わります。


年末の歌

2023年12月29日 | 枝光地域
あわただし 役所の納め ギリギリの
      最後の最後 駆け込む声の

背景:
28日の仕事納め、今年中に手をつけたい市民の方からの相談の声、
役所も忙し中ではありますが、地域で拾ってきた要望を、ギリギリで届けるさま。

未払いの 団体交渉 和解する
    年越し前に 歓喜の仲間

背景:
12月に交渉に入り、ついに全面解決。会社側も年越してまで交渉したくないし、労働者側も、年内に解決したい。そうした双方の思いから、
早期に交渉が妥結し和解へ。個別交渉ではらち開かず、組合に加盟して交渉し、思いかげない和解に、喜ぶ仲間のことを描いた

日本人の真の大和の魂とは。博物館で太古の先祖の縄文スピリットに思いを馳せました。

2023年12月29日 | 枝光地域
俺は縄文人なんだ😆 北九州市にあるいのちのたび博物館の展示で、縄文人と弥生人の骨格標本の展示の説明で、耳アカが乾いてる人が弥生系、湿っている人が縄文系と。そうなんやと。😅 元々日本列島にいた人達は縄文人。海面が上がり、孤立した日本列島は長らく縄文人による独自の文化を作ってきました。
そこに、朝鮮半島からの弥生人が渡ってきてきました。それにしても縄文人と弥生人は、かなり顔つきが違いますね。それ以降、2つの人種の混血が進み、弥生時代の日本人のDNA🧬は縄文系と弥生系の半々に。つまり縄文人と同じ数の弥生人(渡来系)の方が新たに日本に来られたという事です。
元々いた縄文人である日本人は、顔つきの違う、おそらくこばも違って彼らを受け入れた。
そして、二つのDNA🧬を受け継いだ新たな日本人がカタチ創られたのが弥生時代。

そして最近の発見されたのが、次の古墳時代に更に、中国大陸南部から更に大量の民族(第二渡来系)が渡ってきたと。そのDNA🧬の構成比は新たにきた民族のDNAがなんと7割と。元々半分づつのDNAだった縄文人と弥生人の日本人由来が3割。つまり、元いた弥生時代の日本人2倍以上の大量の民族が中国大陸から渡ってきたという事に。😆
そして弥生時代の日本人と新たにきた民族との交わりがあり、その7対3のDNAの割合の古墳時代の日本人が、現代でもそれに近い割合だそうです。つまり私たち日本人は古墳時代の日本人の流れを組んでいる。
その中で、縄文系が強くでたのか、弥生系が強く出たのか、の違いかもしれません。

そして、古墳時代以降も、半島や大陸からも、また様々なヨーロッパ系も含めて、日本に来られて、交流し、また新たな日本人をカタチ創っている。そんな壮大なロマンを感じました。

つまり、日本は和の国だという事です。元からいた縄文時代の日本人は、半島から来た人をウェルカムブラザーで受け入れ、そして、混血された弥生時代の日本人も、ジャパンの縄文人のウェルカム精神を引き継ぎ、古墳時代にウェルカムブラザーで受け入れた。
つまり私達は縄文時代、島国で独自の文化を創ってきたけれども、そらは排他的でなく、ウェルカム精神に溢れたものだったという事です。

日本人の精神とは、それは和をもって尊しとなす。大和魂があるなら、それは縄文から続く精神です。

では今のジャパンはどうか。外国人や永住者に排他的なとこはないか。在日の同胞に対してや、マスコミ等で嫌韓反中を煽ったり、技能実習生への不当な扱いなど、明らかに大和魂に背いているのではないかと。
大和、大きい和だ。広い広い心、互いを愛する心、国を追われて、大陸や半島から来た人々を受け入れたウェルカムブラザー精神。

そうした先祖の深い人類愛的な精神に感動した次第です。😭
私たち日本人はそうした太古の先祖の精神を忘れて、考えやルーツの違う人を攻撃してないか。いま厳しく和(やまと)魂が問われている。

私は新宮町の出身で、新宮町は右翼団体の日本皇民党の西日本の本部があったそうです。私の先輩も右翼で活動してました。その町で育ち、私は左翼の共産党に18で入党。子ども時代に右も左もない環境で育ちました。私の祖母は天皇陛下の写真を飾り、私に共産党に入ったら、あんたを殺して私も死ぬ💦と言ってましたが、無事でした。😅

わたしの空手の先生は右翼バリバリの国士舘の陰番。学生右翼の団体がひしめく国士舘内で、拳と度胸の学生時代を過ごして教員になりました。当時、革新都政で右翼の国士舘の学生は東京では採用されんと言われていたそうですが、東京と福岡どちらも受かったと言っておられました。😆

その新採の右翼の先生の面倒をよく見たのが、左翼の共産党の先生だったそうです。その共産党の先生が、なぜ右翼の俺によくしてくるのかと聞くと、その先輩先生は、よく聞きなと、ロウソクの火🔥と同じだと。ロウソク🕯️の火は右に流れても、左に流れても、最後は上で同じになる。右と左は背中一つで繋がっていると話してくれたそうです。

ある時、教員組合の大会があり、その共産党の先生は発言で、当時の同和教育の押し付けの問題を批判する発言をして、同和関係の武闘派の人達に周りを囲まれた時、私の空手の先生は、近づいたら殺すと構えてビビらせて、その共産党の先生を守ったそうです。

その右翼だった空手の先生の一番弟子は、共産党の私で😅、そして先生の恩師も共産党と。おれの周りは左翼が多いとなぁと話しておられました。😁

私も先生と話していて、全く違和感なく、先生の話は筋書き通っていて、よく理解できました。
つまり、真剣に生きた方を突きつめると右も左もなくなるいう事です。

つまり右だの左だの言ってるうちは、本質に辿り着かないということを教わりました。

外国人排斥やジェンダーを批判することが保守ではなく、人権や権利を主張する事が革新という訳ではない。

つまりはウェルカムブラザー精神かどうか。つまり真の大和魂、ラブアンドピースかどうということではないかと、そんな壮大なロマンを考えながら、縄文人と弥生人の骸骨を見ていました。😅
いのちのたび博物館は、いい博物館ですね。😊

宮若市長、中間市長への辞職勧告決議案の乱発について。ストレスに弱い議会で、民主主義が危ういのではないか。

2023年12月19日 | 枝光地域
宮若市長のパワハラ疑惑で、辞職勧告決議案が可決された。百条委員会も設置されたそうです。発端は車内での運転手の職員に対する叱責です。市長はスマホを扱っていいのか的な発言をしています。前後が切り取られているので、よく分かりませんが、運転業務での個人のスマホを扱っていたことを注意し、怒ったように見えます。ことの発端は、マスコミからこれはパワハラではないかと、指摘があり、議会が呼応して、決議まであげている。市長本人は反省していると言っている。議会はその反省をすると言っている市長を見守るしかないのではないか。

市長は選挙で市民が選んだ、まだ1期目だ。選挙戦では市長が掲げる政策や人柄で、おそらく市民は市長にしたんだと思います。
まだ始まったばかり、そりゃ、気合が入りすぎて、失敗も、やらかしもあるだろう。それで指摘されて、今までの県議の時とは違う、首長になったら、市を代表するので、その発言なども気を使わないといけない。今までのいち議員の時とは、振る舞いも変わってくるものです。

まさに、宮若市長はその過程にあったんだと思います。全く謝罪もなく、反省もしないと言うことであれば、決議などで猛省を促すみたいなのは、戦略としていいかもしれませんが、反省し、これからは改めると言っているんだから、それ以上、なんのことがあるだろうかと思うのです。
本当に、辞職していいのでしょうか。また選挙があって、当選した人の粗が見つかって、また辞職勧告をするのか。本当馬鹿らしい。政治家の使い捨てではないか。こんな行政で、子供達が政治に興味を持てるだろうか。

責めている側も、同じ境遇になれば、そうしないといけるだろいうか。目の前で、職員が運転中にスマホをしていて、お前危ないやろうが、市長公用車で、すいませんで済むかと、言うんじゃないか。
結局は、みんな同じ轍を踏む可能性があるのに、それにはダンマリで、私は、そんなパワハラはしません。聖人君子ですよと言わんばかりに、自らの隙は棚に上げて、辞めろと叫ぶ。なぜならば、この流れに乗らないと次は自分が槍玉に挙げられるからだ。
これは完全にいじめの構造に似ている。誰かがいじめられて、それを庇うと、自分のやられるんじゃないかと、いじめる側に回る。それは人間の心理かもしれない。しかし、政治家なら敢えて、それとは逆に進んでほしいものです。

以前、私が小学生の時に、クラスでリーダー格だった友達が、なんかのことで、グループから外されてしまった。それから彼は今まで最大グループの親分だったのに、そこから総スカンを受けて、一人ぼっちになってしまった。元々フリースタイルの私は、元いたグループに戻れなくなった友達と、2人でよく遊んだ。仲間外れにされていることは知っていたいが、私は特に、そのグループに気を使うこともないし、なんでそうなったのかの訳も知らない。多分なんちゃないことだと思うが、しかし、学年では、その元リーダーのこと、誰も交わろうとしなかった。別のグループの子達は、元々つるんでなかったので、1人になったその子を受け入れるようなことはなかった。なので、彼は完全に一人ぼっちになってしまった。

そんな中、彼と2人で多くの時間を過ごした。しばらく時間がたって、ほとぼりが覚めたのか、その子は、また元いた最大グループに帰って、そこのリーダー格に戻って行った。私とは密には遊ばなくなり、彼も元のリーダーに戻れたので、私は問題が解決したと嬉しく思った。

私がいなければ、彼は一人ぼっちだったかもしれないし、でも誰かが現れたかもしれない。でもそんな世の流れとは違う動きをする人間も必要なのだ。特にスポーツも勉強もできるわけでもないし、リーダー格でもない。細かい作業もできない。でも社会やクラスに必要なもの。それは昔は村での三年寝太郎のようなものや、祭りや揉め事をおさめるヤクザ的なもの、働きもしない、理想を追い求める幕末の浪人だろうか。

政治家もそうした部類ではないか。クラスや社会に必要な人。世間とは違い、自らの立場にとらわれない生き方。それは勤め人には難しい選択ができる人でもある。だから、選挙で選ばれて、自分たちの代わりに、議会で頑張ってくれと送り出された人達が政治家だ。なので、ちょっとマスコミから言われたからといって、それにビビってことを起こすべきではない。マスコミが正義なのか。そんなことはない。時間軸の中で、ある部分を切り取って、それをマスコミの記者の感性で論じているにすぎない。なぜならば、ネタになるからだ。彼らはジャーナリストでも、正義のヒーロでもない。視聴率や広告収入のための金儲けのためにやっている。

本当に、宮若市のためになるならば、これを納める道筋を持っていなければならない。議会も弱すぎる。もっと毅然として物事にあたるべきだ。批判をするほど、自らが立派だとは思えない。いやそんな立派な人間なんていない。みんな人生にしろーとで、模索しながら、失敗しながら、一所懸命やっているだけじゃないか。

なのに、到底無理な完全を求めている。完全なんて神でしかないのだから、それをなぜ、求めるのか。そんな清廉潔白の世を描いて、一体誰か幸せになると言うのだろうか。それは生きにくい社会ではないか。失敗の許されない社会、完全を求められ、それに応えなければならない社会。こんな社会の何が面白いのだろうか。

やすやすと決議案を通してしまった議会や、マスコミは、自らが行った結果をしっかりと考えるべきです。私は少なくとも、そうしたレールからはみ出すことができない。はみ出したら、生きていけない社会など、くそくらえと言いたい。

中間市長の、挨拶とスカートは短い方がいいという話、これは一般的に使いまわされた引用句です。私は今まで、何度も聞いてきて、むしろ、つかみはオッケー的な、一般的なスピーチの導入部分で、本にも書いてあるフレーズじゃないかと思うのです。長いスカートが好きな人もいるでしょうし、短いスカートが好きな人もいる、スボンがいい人もいる。市長は、自分は挨拶とスカートは短い方がいいと、自分の好みを言っただけということもできる。自分の好みさえ言えないのかと、これは不適切発言というより、これを弾圧することは、表現の自由を奪うことにつながってはいないか。

表現の自由は、不適切発言よりも、価値の高いものとされる。もちろん、表現の自由はわかると、でも受け止める側の人権はどうなるのかとの議論もある。しかしスピーチとスカートが短い方がいいと聞いて、人権を侵害される人がいるだろうか。短いスカートがいいと思う人は、そうだねと思うだろうし、長いスカートがいいと思う人や、長いスピーチが聞きたい人は、そうかな、俺は長いのがいいな、ぐらいに思うだけではないか。

ならば憲法の思想信条の自由、表現の自由という、何人も犯すことのできない権利という視点でいくと、今回のパッシングは被害者不明の、市長の表現の自由を奪ったということで、人権侵害になるのではないかと考えます。ジェンダー的にも、LGBTQ的にも、なんら問題ない発言で、これで市長の揚げ足を取って揺さぶりをかけたい議員と、ネタになって金儲けしようとしたマスコミの共同犯罪といわざるをえない。市民の幸せや市政の発展になんら貢献しない、ただの愚弄である。

こうした風潮がもたらす結果の方がむしろ甚大である。それは生きにくい社会であり、マスコミが指定した、世間で通用する表現しかできない社会であり、中国の監視する相手が見える監視社会とは違うが、得体のしれない、見えない、紐でがんじがらめにされ、どこにどう抵抗すればいいのかさえ分からないような、巧妙な監視社会といえよう。

だから多くの市民は、抵抗する相手も分からず、ただ見えない世間と相手にもがいて、絶望してしまう。支配の構造がよくできている。
私達は、こうした見えない紐を解き、真に人間らしく、自由に、表現していけるような社会を目指したい。未来を担う子どもたちが、絶望するような社会にしてはいけない。今回の、二つの市長に対する辞職勧告決議は、まさしく、その見えない監獄、見えない手錠の一つの例である。

敵は確実に私達に足枷、手枷を嵌めようとしている。ならば、それを打ち破るような、突き抜けるような、生命のみなぎるエネルギーで大いに、笑飛ばし、大いに楽しもうではないか。

井上真吾

令和5年12月議会   議員報酬削減決議案についての反対討論(1人会派:持ち時間5分、フル使用)

2023年12月15日 | 枝光地域

12月反対討論                         井上真吾


55番・井上しんごです。

私は議員提出議案第54号について、反対する立場で討論を行います。

まず、市民一人当たりの議員維持なるものの負担が高いというものですが、人口が減っている本市で、非課税世帯も含めて単純に割れば当然です。


また、報酬カットを掲げた市長が誕生し、議員報酬についても議論が進むかと思いきや、とのことですが、市長は自らが当選せんとするために、給与削減を訴え、ただそれを実行しただけです。


市長に続けとは、どんな論理でしょうか。私は市長と報酬について何ら、すり合わせをしたことはありません。

当選したから、何でもできる、うちらが正義なんだからというのは乱暴です。

10パー、20パーと報酬削減を訴えて当選した議員が過半数になれば、おのずとそうなるのではないでしょうか。


私達の任期は残り1年足らずで、選挙で掲げた政策や公約を、いかにやりきるか、その集大成の一年であり、私もその実現に苦闘しています。

本市は政令市で高齢化率が高く、多くの市民は経済の好循環や生活の向上を期待しています。


今我々が、いの一番にすべきなのは、市民の皆さんの日々の相談や、苦境を聞き、その生活を支えるために、大いに働き、その力を発揮することではないでしょうか。

議員にはそれぞれ報酬について考えや、思いがあります。意見が違うからと言って、対立を煽り、それを道具にするのは違います。


視察中もひっきりなしに相談の電話を受けている方、自腹で企業誘致をしている方、人を呼び込むために、イベントを企画して、最前線で活躍している方、そうした方を見ていると、もっともらってほしいとさえ思います。


報酬に見合う働きをしない人が、本市議会にいるでしょうか。

SNSの進化で、ネットだけも議員活動ができる時代かもしれません。しかし、広く市民の声を聞くために、酒の場でしか、聞けない声には、例え懐が傷んでも、最後まで付き合って声を聞く。体も壊すし、まさに身を削ってます。


対面でも、会合でもリアルに活動すればするほどに、経費もかかるものです。10パー削減、20パー削減。いやいや半分にと、キリがありません。それで市民生活が良くなり、もっと多くの声を拾えるならいいいでしょう。


しかし提案者の文章では、公共施設の利用料値上げや廃止など、市民生活に負担を強いる政策を示してきた。そこで・・と、続いています。

つまり、真の狙いは、市長も議員も身を削るから、これからの行財政改革で、市民に負担を求めますよということです。

市民一人当たり何十円の削減と引き換えに、市民にはその何十倍、何百倍もの痛みを強いる道理はありません。

それは市民生活の破壊であり、報酬削減はその呼び水です。


すでに、市の行財政改革の動きで敬老会や地域防災に関わる現場から心配する声も届いています。変革なくして成長なし、と言いますが、成長なくして変革なしです。


この決議案は若い議員の方が案分を考えて提案されたものです。見方を変えれば、若者の中に、自らを何か犠牲にしないと社会に受け入れてもらえないよな心配があるように思えます。


20年以上の非正規雇用などの人件費抑制政策によるコストカット経済と、行財政改革による低成長期を過ごし、夢を語るのを躊躇する社会になっているのではないでしょうか。

若者が夢を語れずに、カット、カットと身を削らざるを得ない未来がいいとは思えません。


政治家を目指す若者が、自らのクリエイティブな発想で、未来を開き、本市の発展に繋がるような政策を実現し、議員が、大いに語り、力を合わせて実行していけるような市政を目指していきましょう。

議場の皆様のご賛同と、市長並びに執行部の皆さんのご協力をお願いしまして私の討論を終わります。


令和5年12月議会 井上しんご質問原稿 ①市民に痛みを与える行財政改革の放棄を ②人口増対策(少なくても輝く校区を活かせ、新たな街の設置、新幹線新駅による街づくり) ③河内へのトイレ設置

2023年12月04日 | 枝光地域

12月質問原稿①                             井上真吾



井上しんごです。只今より一般質問を行います。

まず初めに、行財政改革は改革でなく、街壊しという点で伺います。

市は市政変革推進室を設置し、新たな行財政改革を推進するため、市民に関係する事業も含めた約3,000事業の廃止も含めたゼロベースでの棚卸を実施しています。また、棚卸の対象外となった内部管理費について、一律10%の削減要求もでていると、聞いています。市民生活に対してものすごい痛みが降りかかろうとしており、町内会や防災、食品衛生に関わる所から心配する声が届いています。

私は市長の100万人復活や、チャレンジする人を応援する北九州市というのはとても好きです。先日も市長の市政報告会へ参加しましたが、人口増や市内GDP4兆円へのチャレンジの政策など、ワクワクしました。稼げる街となって、その税収増を教育や福祉に活かしていくというのも賛成です。

しかし、一方で、現実に行われたことと言えば市長、副市長給与の削減。私は市長の語る宇宙産業や、人口増に向けた企業誘致や産業振興などのイケイケの夢のある提案と、実際に、市長がこれから、やろうとしていることが矛盾しているように感じます。

市政変革推進会議のやり取りを聞いていると、身を切る改革とか、住民の反対運動が予想されるので市幹部の覚悟が必要だとか、公共料金の引き上げで住民に痛みをお願いするなど議論がある一方で、引き上げには反対だと、諭す意見もありました。ここでの議論で現実に市民に痛みを伴うプランが出来上がると思うと背筋の凍る思いがしました。

北九州市にはポテンシャルがあると言われています。相撲で言ったら、中学生で身長が180センチ、体重100キロで、まだ力士としての体は仕上がっていないが、入門して、しっかり稽古すれば、将来立派な関取になる、そんなイメージでしょうか。

しかし、行革で身を削ってしまい、ひょろひょろで相撲が取れるでしょうか。相撲部屋に入ったら飯は5食、米や肉や魚、野菜、腹いっぱい食わせてもらえます。そして鍛えて、しっかり相撲がとれる体になっていくものです。

今、北九州市がやろうとしていることは、立派な体を持ったポテンシャルがある本市から、身を削り、痛みを与え、飯を食わせず働かせるようなものです。これでは、せっかくのポテンシャルなんて活かせるはずはありません。

アクセルとブレーキは同時に踏めません。横滑りします。アクセル全開で本市のGDPを4兆円に増やし、それで増えた税収で、市民に痛みではなく、恵みを与えていくことが武内市長の真の思いではないでしょうか。市民に痛みを与える行財政改革を放棄することを求めます。市長の見解を伺います。


次に、人口を増やすために、具体的な取り組みについて伺います。

大きく対策は二つあり、人口減少している小学校区での定住を増やすことと、人口増に見合う新たな街の創設です。

私は、この二つの取り組みを通じて、市内全域を見渡して、このエリアで新たに人口何千人、何万人、このエリアでのGDPはいくらといった具合に、具体的な数字を挙げて、積み上げ方式による、人口100万人、GDP4兆円を目指せればと考えます。

まず一つ目に、人口減少している小学校区での定住を増やすことについてです。

市内には126の小学校区、八幡東区には11の小学校があり、一学年では1クラスか2クラスの小学校が一番多く、児童数の多い学校でも1学年3、4クラスで、すべての児童の名前を覚えている先生もおられ、落ち着いた環境で学ぶことができます。

子どもの数が減ってきている中でも、より一層、地元の地域やPTAは子ども達に様々な経験を積ませたいと、祇園山笠での太鼓教室や、市民センターの祭りの子ども店長、童話大会、キャンプなど、様々な行事を行っています。

市長の言われるように子育てするには最高の環境にも関わらず、人口減少が続いています。私はこれだけ、地域の大人が、子ども達のことをここまで大切に考えている、これも北九州のポテンシャルではないでしょうか。市はこれまでこうした小規模校については学校規模適正化だとして、その充実した教育環境を積極的に内外にPRしてきませんでした。

しかし、全国的に少子化が進む中、地域文化も含めた、いい環境で子育てをしたいとのニーズは高まっています。小さくても、光輝く学校にもっとスポットを当て、この校区で子育てしたいと若者を呼び込む政策が必要です。人口が減っている校区には当然空き家も増えています。その校区の学校や地域の魅力とセットの空き家対策や、良好な宅地の開発と販売、マンション建設の後押しなど、民間と協働した定住人口の増加対策が必要です。定住人口が増えれば、地域の宝である学校を活かし、守ることができます。

そこで不動産事業者などに、もっとその校区や地域の魅力をアピールすべきだと考えますが、見解を伺います②


そして二つ目の人口増に見合う新たな街の創設についてです。

以前、私は議会の日中友好議員連盟で天津市に行き、その時の視察で広大な平野に大学、オペラホールを有する人口30万の都市を作ると説明を受けました。日本からも名だたる大企業が大挙して、このプロジェクトに関わっていました。天津市の人口はこの10年で見ても大幅に増え、1,500万人を超えています。

今、人口増加が著しい福岡市では破綻寸前だった人工島に、総合体育館、学校、病院、ホテル、中央市場、物流センターからなる新しい街を作り、この度、全ての土地が売れ、152億円の黒字となったそうです。人工島の人口は約14,000人。また福岡市東区の千早ではJRの操車場跡地に新たな街をつくり、人口は約17,000人ということです。

北九州市は広大な筑紫平野の一角である福岡市と違って、平地がそれほど多くありませんが、新たな街の設置が可能なエリアとして、北九州空港島や、下北道路接続予定地である西港周辺、クロサキメイト、八幡インター周辺、大規模な工場跡地など、市としてアンテナを立てて、一から街を作っていく気概でことを進めていくことも視野に入れるべきです。

また新たに作られた街には、多くの人を呼び込むことができるため、北九州市も同様に、地権者の理解が得られた工場跡地や高速インター近くでの産業誘致や物流センター設置、及び民間によるマンションや宅地の開発などで、どこに何棟建設して、人口は何万人にするなどの具体的なプランのもとに実施していくことが必要です。

ただこれまでのように郊外型の広大な住宅地を作るだけでは、意味がありません。そこで働き、生活できる街を作る。その開発費は民間の投資で賄い、行政は全体の構想と企業とのマッチングを行い、できるだけ市の予算の持ち出しのない形で行うなど検討が必要です。

そこで、2点伺います。

1点目に、市内の九州自動車道の八幡、小倉南・東、門司インターなどは、その周辺に大規模な物流センターがある福岡都市圏と違って、その拠点の特性が生かされていません。すでに開発の検討がされている地域もありますが、早急に物流センターなどの開発計画が必要かと考えますが見解を伺います。③


2点目に、令和5年6月議会では、八幡西区の南部地域において、新幹線の新駅設置を求める質疑ありました。これまで小倉・博多間では直方市において新駅設置の検討がされてきましたが、実現していません。鉄道会社は、鉄道沿線の開発での人口増に伴う鉄道利用者数の増加との相乗効果で、会社を大きくしてきました。小倉博多間で新駅設置があるならば、1か所。よそが作ったら永久に北九州市に新駅はできません。市長が言われる半導体関連企業の誘致で土地が無かったなどの産業誘致と、住宅街の設置、この新駅周辺には域内GDPはいくら、域内人口は何万人など、具体的な数値を持ったプランを検討し、早急に最後のチャンスである物流・産業団地も含めた新幹線新駅設置に向けた研究をすべきと考えますが、見解を伺います。④



最後に、観光による流入人口増加についてです。

私は福岡市の観光産業振興議員連盟の発会式に参加しました。福岡市内ホテル関係者からお客さんにお薦めの観光地を案内するときに、太宰府天満宮ぐらいしかなく、市内にも観光スポットを作ってほしいという意見でした。

振り返って北九州市を見る、門司港に始まり、小倉城、皿倉山、河内、平尾台、若松北海岸などに加え、日本製鐵や安川電機、TOTOなどの産業観光、日本一の夜景もあり、北九州市は恵まれていると感じました。しかしながら、ホテルの数や観光客などの数で言うと圧倒的な差があります。まさにポテンシャルの状態でとどまっている状況です。

とはいっても近年外国人観光客の方も増加し、市内観光地のさらなる魅力の押し出しや、福岡市内ホテルへの北九州市の案内、河内や若松北海岸、門司港へのホテルや観光関連産業の誘致などに取り組んでいかなければなりません。そのために、観光バスの駐車場や、若松北海岸、河内貯水池などへのきれいなトイレの整備など、今後増え続ける市内外の観光客を受け入れるソフト、ハード面の体制整備が急がれます。

そこで、今回は特に、近代化産業遺産の河内貯水池周辺の千本桜や紅葉などで最も利用者の多い堰堤駐車場へのトイレ設置を求めるものです。市の見解を伺います。⑤



7月18日・日記 無所属の議員で意見交換、市役所に行き市政相談、夕方は大蔵商店街で今週末にある23日の夏越祭りの会議、地域で自転車修理、聖書勉強会など

2023年07月19日 | 枝光地域
無所属の議員で、市の現状や国の動向について懇談。財政局の職員さんが今年の3月に、システムか何かの不具合で残業が増えたこと。その委託された会社のことで、損害を請求できるのかなどのやりとりと、そのことで、議会の一部で不穏な動きがあることなど、それに対して、理性的な大物議員さんが、そんなことはさせんと一蹴した。議会の常識を代表する旧与党の⭕️⭕️党のならば、そんな一部動きには乗らないだろう、みたいな話でした。

また、市長の動きなど、地元の祭りでの挨拶の変化、いい意味で😃 新旧市長の議員対応の違いなど、海千山千の議員ならではの面白い視点を知ることができました。

議会に行き、相談対応で財政局、技術管理室、住宅管理課、秘書室などと相談しました。

住宅管理課には、東区の市営アパートで下水道の管が損傷しているのではないかと、住民からの問い合わせがあり、市に繋ぎました。業者さんに行ってもらい、応急対応をしてもらいました。

夕方は夏越祭りの実行委員会が大蔵商店街組合であり、参加しました。
4年ぶりの夏越祭りで、商店街の道路を封鎖して、歩行者天国にします。ステージの位置の確認と出店、出演者の着替え場所などについて話しました。

あと祭り八幡東で、大蔵子供山笠保存会のメンバーで、今年は楽しみにしていた山笠巡幸が大雨警報で中止になり、太鼓の練習をした子供たちに何か出番はないかと、話しました。太鼓競演などができればと、今、八幡東区祭り関係者の方と相談しています。

自転車が壊れたとのことで、手持ちの工具で直しに行きました。チェーンの緩んで外れやすいので、締め直しました。子供時代はチャリンコ暴走族で😅
久しぶりのチャリ修理でした。ちゃんと直ってるといいな。多分大丈夫😄

夜は、聖書勉強会でした。

7月17日・日記 フラダンス大会、ブリックホールでのトークライブ、前田祇園山笠競演会

2023年07月19日 | 枝光地域
男性だけのフラダンスチームでの初の出演。三人で踊りましたが、練習の甲斐あって、大きなミスなく、楽しく踊れました。

その後、門司駅前のブリックホールにて、お笑い芸人さんの、実録のトークショウを聴きました。

戻り、前田祇園山笠、今年は土曜日も日曜日も参加できる、不参加で終わるかなと思いましたが、最終日の月曜日、フラダンスの大会後時間があるてな感じで、
車で法被に着替えて、山笠に参加しました。

先輩方から、なん今ごろ来てと、いびられるかなとか考えてましたが、ようきたと言う感じで、まず飲めと。またある方は、無言で握手してくれて、なんか、心配していたことが嘘のようでした。

なので、今は全力でなんでもがむしゃらにしようと言う月間に?😅 なってますので、時間の限り、祭りで命燃やそうと、全力で駆け抜けました。参加できてよかったと。祭りは終わりましたが、私たち政治家の祭り(政)は、ずっと続きます。

これから、私がどんな祭りをしていくかが、大事だと祇園が終わって、心新たに気合を入れ直しました。

7月15日・日記 お寺さんでお坊さんの話を聞く 男性フラダンスの最後の練習 

2023年07月19日 | 枝光地域
土曜日、お寺さんで田川のご住職さんがお説教に来られるとのことで、伺いました。自分の勝手な理解で好きに書くので、説教の話とは違いますが、感じたことは。

闇について、闇は真っ暗というイメージですが、漢字を見ると、音に門、光に門ではありません。音を門で閉ざすという漢字になりますから、音のない世界です。なぜ音のない世界が闇(やみ)なのか。

別に物理的な音がない状態ではなく、音は聞こえていても、心に届かない状態ではないだろうか。ひどく落ち込んだりした時は、周りの励ましや、周りのアドバイスでさえも、雑音に聞こえてしまいます。

どうせ、俺の気持ちなんて誰もわかってくれないとか。そんな気休め言うなよ、と言う感じで、誰にも経験はあると思います。つまりの自分のことでいっぱいになっている状態、自分を客観視できない状態が闇なのではないかと、

ある本願寺の信者さんが、毎日お説教を聞きたいと、京都は本願寺の前に宿を構えたそうです。店は従業員に任せ、全国でいいお坊さんがあると聞けば、訪ねてました。あるとき、三河のお坊さんを訪ねたとき。

今までの疑問をぶつけました。毎日、毎日、お説教を聞いているが、一向に心が晴れない。友達は話を聞いて、あースッキリしたと言っていたが、私は全くです。どうしてなのかと、すると、人生の終わりで、自分のことばかりを嘆いている状態では、聖人さんの歩んだ人生はなんだったんだろうと嘆かれる。

自分がスッキリしようが、モヤモヤが残ろうが、理解できようが、出来まいか、ウキウキしたか、沈んでいるかは、関係ない。何年、何十年聞いても同じだと。

自分がどんな状況だろうが、賢かろうが、馬鹿だろうが、そっくりそのまま、お前を、救っちゃる、力になろうと、働いておられるのが阿弥陀様でないか。
いつまで、その自分のことだけを考えているのか。お前の腹の中は、お見通しで、そっくりそのまま、救うと言うのが、阿弥陀様の救いではなかったのか。とそんな話をしたそうです。

スッキリしたからいいとか、苦しいから悪いと言うわけではなく、今のありのままを受け止めると言うことでしょうか。

私も色々、考える性分で、人生とはとか、世の法則など、生きる意味など、考えてましたが、そうかと思い、何か人生が分かった気になっても、また次に日には悩むみたいな感じでした。

世の法則や、人生の哲学を得れば、何か、力がみなぎって、全てがクリアにあって、前に進めるのではないかと、それまで考え続けようと。
で、一体、何年が経ったのでしょうか。46年。いまだに、考えている。宿屋の主人と同じです。何年、悩もうが、何年、お説教を聞こうが、関係ない。変わらないと言うことなんだと思うのです。

つまり、自分に焦点が当たっている以上は、永遠に、そのループからは逃れられない。まさに無限地獄。今の状態がどんな状態であれ、きっと大丈夫だ、きっとうまくという約束を信じれるかどうか。ただそれだけなのかもしれません。

そんなとき、私は面白い東南アジアの動画を見つけました。貧乏を嘆いていてたあるアル中だった、お父さんが、酒を辞め。その愚痴るエネルギーを仕事に転化しました。流れとしては

貧乏だ、なんて貧乏だ 
酒やめた
働く
働く
お金を得る
働く
お金を得る
借金を返す
教育を受ける
周りを助ける
嫁ともラブラブ
健康になる
家族仲良し
地域を良くする
みんなを教育する
国を思う

ただ酒をやめて、一所懸命働いただけですが、最後は大統領?になるみたいな、面白い動画です。
その中で、そのお父さんの働きぶりがすごいのです。まさしくがむしゃらに働く。

お父さんがしたことは、ただがむしゃらに働いたことだけです。その結果が、嫁ともラブラブで、国を変えると。

私は、この嫁ともラブラブになることにすごい惹かれました。以前の家族も、これかの家族も失い、結果としてラブラブにはなれなかった。
その結果に苦しんではいますが、考えても考えても、自らの非が目にくつばかりで、失ったことの大きさに絶望し、まさに闇の状態でした。

このアル中のお父さんも、なんで酒浸りになったかは分かりませんが、そんな闇の状態だったかもしれません。
しかし、がむしゃらに働くことで、嫁ともラブラブになり、地域や国をも変えることにつながる

結局、人生とはシンプルなものなのではないかと。どんな状態であろうが、他人がどう思おうが、今、目の前のことでがむしゃらになること。がむしゃらに働くことで、自分も周りも救われるのではないかと。実際、救われるどうかも分かりませんが、ただ、罪人にできることは、がむしゃらに働くことではないかと、

一心不乱に、桑を荒地に振り下ろす、お父さんは、何も考えていないと思います。無我夢中。まさにがむしゃらです。
生きるとは、今をがむしゃらに生きる。過去に生き、未来に生きることはできない。

ただ、今、その瞬間を生きるしか、道はない。そんなことを感じた動画でした。ぜひ、皆さんも見られてください。

夜は、月曜日に迫ったフラダンスの練習で、先生の自宅で練習しました。

7月14日の日記、いのちの旅、議員懇話会、市民相談、防災の市政要望など

2023年07月16日 | 枝光地域

14日金曜日、10時にいのちの旅博物館で、夏休みの企画展、こいする生き物展のオープニングに参加。この企画展は、すでにある企画を購入したものではなく、北九州市オリジナルの企画展です。

内容は、動物の生殖や繁殖について、学術的な示唆を与えてくれて、動物学的、人類学的に、または私にとっては、人生学的に非常に、勉強になりました。

この企画を作られた学芸員の方から、直接、説明を受け、学芸員さんの長年の研究の成果を教えていただき、素晴らしい経験になりました。

なので、説明書きに書かれている文章をじっくり読んで、または見返しました。動物が子孫を残すために、どれだけ苦労しているか。また、どれだけ命を燃やしているか。それも一世代でのことでなく、何世代にもわかって、モテるために、どれだけ苦労しているかがよく分かりました。

一方で、私はどうだろうかと。彼らににもまして努力していると言えるだろうかと。それだけ、女性を大事にしてきただろうかと。自分勝手ではなかったかと。幸せが当たり前で、たかを括っていたのではないかと。

この展示を見て、色々考えさせられました。悠久の歴史を得て、なおも、モテたいと命をかける、動物たちの、切なくも、健気で、熱い、行動に胸を打たれました。

セイウチは、ハーレムを作るオスだけが、子孫を残せて、あとのオスは、ハーレムのオスを倒さない限り、子孫を残せません。

しかし、よく考えれば、ハーレムを作れていない、オスも、元々はハーレムを勝ち取ったオスの子孫ではないか。

今生まれている子孫は、みな、王の子孫になります。なので、王の系譜なのです。結果、ハーレムを作れたオスと、作れなかったオスは、何が違かったのか。王の血筋なので力が弱いわけではないし、勇気がなかったわけではない、

自らが王の系譜だという自覚の問題なのか、とか妄想していました。😅

また、ある鳥は、力の弱くても、子孫を残せるよう、メスになりすましたり、元々つがいになっている強いオスの隙を狙って、後尾をするオスのグループもいたり、力で勝てなければ、知恵と根性でやるという、その姿勢も見習うべきでした。

また、鳥の中で、一夫一妻が多いが、必ずしもそうでないこと。一夫多妻か、一妻多夫、乱婚など、生存競争の中で、多様な繁殖形態があることもよくわかりました。

 

午後1時からは、事務所にて市民の方らかの相談があり、西区上津役の現地に一緒に伺いました。

その後、市民から相談のあっていた、河内貯水池の大雨の際の越流での板櫃川での警告ランプの点灯について、警告灯が付いたら、メールなどで知らせてほしいとの意見で、市役所の危機管理室に伺い、相談。

市の河川管理課が担当とのことで、要望を伝えました。

市の防災ラインで河内貯水池の越流の情報提供提供を行うとのことでした。

 

その後、4時からの東区議員懇話会が区役所であり、本庁から急いで、戻り、4時の会議に間に合いました。区役所の今年度の事業概要の説明など、八幡東区に係る案件を、東区の4名の議員と、区長をはじめ市の幹部職員さんと意見交換をしました。

終了後、中央区商店街では、中央祇園山笠の太鼓の練習があっていて、皆で聞き惚れました。

そんな感じで、一日中、西に行ったり、北に行ったりと、走り回りました。😆


7月13日、今日は晴れ、でもやっぱ途中で大雨。あ~窓開けっぱなしやん。朝むっちゃ天気よかったやん。<(_ _)>

2023年07月14日 | 枝光地域

今日は10時から保健福祉常任委員会で陳情審査。でも昨日中央町に車置きっぱなしで、車なし。朝一で、山を歩いて下って、荒生田バス停へ。中央町で車をひろって、一路市議会へ。

質問の確認と準備をする。

陳情は市民の方からで、お子さんが発育不足の病気として生まれて、現在も治療中。成長が遅いので、顎が発達できずに、歯が入りきれず、歯並びや、かみ合わせが悪いと、歯科検診で指摘されるも、歯の矯正治療は自費なので、100万円ほどかかるということです。

病気で歯の矯正で保険適用される病気に、陳情者の方のお子さんの病気が国に指定されておらず、なんとか対象を拡大して、保険適用をしてほしいということと、国へ意見を上げてほしい、国ができないならが、市として独自に助成してほしいという趣旨です。

議論し、国へは要望すると。また部長さんは、学校の歯科検診で、歯並びが悪いと指摘して、通常の虫歯などは保険治療や、子ども医療費助成が使えるが、矯正は自費なので、心苦しいと。教育委員会などと連携し、他都市とも力を合わせて、保険適用などが行えるように、知恵を出したいとのお話がありました。

 

次に、報告として障害者差別禁止法の一部改正に伴い、市の条例の改正について議論しました。

 

今日は議会で、市民の方から寄せられていた、相談を、市役所をまわって、相談しました。

①水道水に今問題になっている有機フッ素化合物が混じってないか、検査してほしい。

  これは、令和2年から検査項目に加えて、行っている。国の基準50ナノ/リットルですが、市は1ナノ以下だという   説明を受けました。

 

②若松の企業から、若松区に近々進出してくる企業に挨拶に行きたいので、連絡先をおしえてほしい

③若松区の観光地化について、市長と話し合いたいと、若松学を進める若松高校と連携している企業の社長さんからの依頼

④母子家庭の児童扶養手当の所得制限についての相談

⑤河内のあじさい庭園を管理しているNPO団体の役員さんが、あじさい庭園の管理の仕方や、定期清掃の事前の情報提供、新役員体制についての報告で、市役所所管課を訪れました。

 

夕方4時から、事務所にて市民の方からの相談。5時からは夏のインターン生受け入れの面談を。井上事務所インターン生は今回5名を受け入れます。学生の皆さんのしたいことなどの要望を聞きました。今回は5期生です。

外国の方との交流などがしたいとの話でした。

 

夜7時からは私が直接教えている、枝光空手クラブで、空手遊びを、市民センターで行いました。基本稽古と、ボール投げ、かくれんぼなどで遊びました。遊んで強くなるをモットーに。第2、第4木曜日7時からです。興味ある方はどうぞ。

終わり、ミスターマックスでカレーの買い物をし、ゲオで東京リベンジャーズの最終巻をレンタルし、ジムで筋トレ、風呂に入って、10時過ぎからカレー作り、12時に食べ終わりました。遅いですね。(^_^;)

茶わん洗って、今から洗濯干しして寝ます。

さっき、扇風機に布が絡まって、羽が割れました。(泣)風が強くて、カーテンにしている大漁旗がからまった感じでした。どうしよう、結構古い扇風機なので、代えあるかな。

明日は朝9時から、市民の方からの相談で八幡東区清田に伺います。おやすみなさい。いい夢を。(^-^)