お寺が作った平和のポスター、憲法9条は仏様の願いですとあります。同感ですね。私は、母方のおばあちゃんの教えから、平和のために行動することを宿命づけられています。
私の母方の祖父は、安河内の集落で代々、百姓をしてきました。庄屋的なかんじだったのか、自分たちの集落は自分たちでまもるということか、代々槍や刀で武装していた野武士のような側面もありました。
ですので、剣の鍛錬は幼少期から代々行われ、近所の町道場にもなっていました、祖父は昔の粕屋郡(福岡市東区と今の粕屋郡)で最初に剣道7段をとったということでした。
ですので、刀や槍などの武器はたくさんあり、刀狩りはあったと思うのですが、所持を許されていたそうです。打てばその場所が腐るといわれる特殊な木刀などもありました。
ですので、祖父は旧陸軍の軍曹として、中国大陸での戦争に従軍しました。そこで日本刀を使って、たくさんの人を殺めたのは事実です。祖母から聞きました。
終戦の時は、内地勤務で、終戦後は農業と剣道の指導をしてましたが、戦後すぐに、肺がんを患いなくなり、私は会ったことがありません。
祖母には私の母も含め3人姉妹ですが、母とおばさん達との間は結構空いていて、実は母の前後におじさんが二人いました。母の兄は3歳のかわいい時に亡くなり、そのあと生まれた母は、兄の生まれ変わりだと祖父から思われ、勇(いさお)にするというのを、祖母が止めたそうです。
その母の後、弟が生まれたのですが、死産でした。相次いで祖父の息子がなくなったのは、男だったら戦争に行くからだと、祖父もまた、戦後若くしてガンで苦しみながら亡くなったので、報いだと思ったそうです。
そして、時を経て、孫が生まれ、私が生まれたとき、私の名前がしんごという名になって、祖母は映画「新吾十番勝負」と重なったのか、私が大きくなったら、刀を振り回すかもしれないと思って、残っていた刀もすべて、お寺に奉納しました。
私が、スペインに旅行に行った際、お土産で買ってきた模造刀があったのですが、これはあたきゃが預かっとこうと言って没収されたのを覚えています。
祖母は刀などの武器や暴力的なことは嫌いで、家に代々伝わっていた槍や刀などの武器類は若杉山にすべて寄進し、供養してもらったということです。
母がまだ若いころには、いくつかの刀が残っていたそうですが、人を切っていない刀はさびてボロボロだったのに、人を切った刀は何十年たっても、きらきらにさびもなく光っていたそうです。その光は美しく怖かったと言っていました。人の血を吸った刀はさびないということでした。
祖父は田舎の百姓で、大男でしたが、気のいい人だったそうです。それでも戦争では人切りになってしまった。祖母が助けてあげていいのではと意見した時、こっちがやらないと、ひゅっとこっちがやられるんぞと話していたそうです。
普通の気のいい夫や、やさしい息子が戦争では人を殺せるようになる。祖母は祖父がその報いを受けて、まともに死ねないというのは覚悟はしていたそうですが、2人の息子までも持っていかれてしまったことはショックだったと思います。
直接、祖母からはおじさんたち達の話は聞けませんでしたが、母や叔母が話してくれました。我が子をなくす悲しみ。親である今、耐えられるものでないことはよくわかります。
私は、その祖父の血をひいています。おじさんたちは二人とも早くに亡くなっているのに、その男の孫は私と含めて、3人生まれました。ひ孫にも男はいます。
大戦中の業はなくなったのか、それとも、なにか生かされている意味があるのか。
私は、その意味として、平和をもたらす人間として生きることが、業に対する私なりの答えであり、祖父やおじさんの供養になるのではないかと。
そして、死ぬまで孫たちの安全と健康を念仏とともに願ってきた、最愛の祖母の願いにかなうことではないかと思うのです。
先の大戦では、私たち日本人は、大陸で多くの方を殺めてきました。本土や沖縄でも地上戦や空襲でたくさん殺されました。
加害の部分を見ると、私たちは人殺しの子孫なのです。
しかし、その人殺しの子孫が、命を救い、平和をもたらすこともできるのです。
相変わらず、日本人は被害者だ、加害の事実はないと言い張る政治家や評論家がいます。加害は確かにあるのです。私がその子孫なのです。
過去の事実と向き合えない政治家は、時間がその時で止まっています。前に進めません。大戦中はアジアを欧米から解放し、経済発展させた偉い日本人であるということにとどまっています。
私は今を生きています。そして未来を見ていきたい。
今までの歴史を包括したうえで、今、できることがあると。それは、祖母の教えである、家族・孫たちの健康と平和です。
それは、普遍的な愛です。私は、平和の使者としてその役割を担いたいと思っています。大きなことはできませんが、私の身近で、少しでも、安心と平和を感じられる存在になれることが私の目標です。
だから、私は平和の使者を先祖から宿命づけられていると思っています。