爆心地の当時の地層が見れます。2mほど盛り土している感じです。
爆心地は住宅や商店街がありました。
建て替わった浦上天主堂。
被爆した天主堂は戦後も長い間、保存されていて、広島の原爆ドーム同様、多くの方が訪れていました。
保存を求める声が多かったにも関わらず、取り壊されたのはなぜか、
教会の真上に、キリスト教国のアメリカが原爆を落とし、破壊された教会や、傷ついたマリア像。
この破壊された教会が、アメリカへの批判や、原爆に反対する世界的な世論の拡大につながりかねないと、アメリカとアメリカの教会が恐れたのではないかと。
長崎の司教さんが、再建の寄付集めでアメリカを訪問、どのようなやり取りがあったのかと。
NHKのドキュメント、まぼろしの世界遺産という番組であってました。
残っていたら、間違いなく世界遺産になって、原爆の悲惨さを伝えたであろうと。
初めて知ったんですが、長崎の鐘の作者の方の、わずか2.3畳の自宅。如己堂。
聖書の言葉の、隣人を自分の如く愛せよから命名したものです。
ここに、お子さん二人とお住まいでした。
このスペースでも充分暮らせるんだと、驚きでした。結構機能的でした。
世界遺産の大浦天主堂。初めてきました。
ついでに、グラバー園も行きました。^_^
グラバー宅のガラスの屋根。