井上しんごブログ

北九州市議の井上真吾です。何かあったらいつでもどうぞ、私の携帯電話は070-5690-1423です。😄

應聲政治塾 支配の構図について①

2022年06月23日 | 枝光地域

新聞記事で今回自民党は憲法改正を中心に政策を作ったとの記事を読んで感じたこと。


為政者は、どう国民を支配するかが命題だ。どんな政権でも。なので作る法律は基本的に自分達が権力にとどまれるようにする。


なので、ある程度世論の多いものには答えざるを得ない。


また一方で、楽して、選挙を闘い、楽して税金を集め、楽して、金儲けできる世を作ろうとする。


権力が安定して暇になれば、そうする。


自分達の支援者が儲けて、応援して、当然し続ける仕組み。法律、教育、マスコミなどなど。


なのでこれに反する行為がおれば激怒する、過去のNHKの慰安婦報道のように、局長を呼び出して威嚇し、自主規制させる。 



今の日本の憲法は、権利者側には邪魔な部分が多い、なので変えたい。アメリカから押しつけられたからではない、


いまの時代が合わないからではない、


自衛隊が明記されていないからではない。


アメリカべったりの政権で、別にアメリががつくってれて文句を言うことはない、


でもちがうのだ。日本の漢方は権力への縛りが多いのだ。


生存権、表現の自由、戦争しない権など


環境権などと、いうが、そんなのいらない、

個人の尊重でカバーできる。生存権でもしかりである。


ストローはプラゴミになるのでやめましょうとか憲法に書くか?キリがない。


憲法に書いてないからできないことはなく、仮に書いてなくても、やる気があるならやることができる。


また、たとえ書いてあっても、権力にやる気がなければしない。ごまかす。


生存権、書いてある。その通りすれば、ヨーロッパ以上の福祉国家だ。できてるか?しっかりやってるか。

人権の尊重書いてある。やってるか?人権的にちょっととどうなの?と言うのが多くないか?

それこそ、13条の個人の尊重、しっかりやれば、どこの国にも負けない。ナイスな国に。でも日本の人権指数や、幸福度は低い。書いててもやってない。


なぜか、個人の尊重は、権力にとって、支配にとって、根源的に都合が悪いからである。


書いててもしない、結局は政治の問題だし、この国の在り方の問題だ。


しかし、権力がしたいこと、支配に都合のいいことは書いてなくても、やろうとする、解釈を変更して。


自衛隊はほしかったので、解釈でできるようにした。

天皇の条項は、支配者がその権威を利用したかったので、拡大解釈をして、その権威を利用できるようにした。


しかし、全く書いてないことをするのは難しいし、逆のことをするのも難しい。


例えば、個人の尊重の制約、徴兵制や緊急事態宣言、憲法の手続きを経ずに法律をつくることなど。


なので、狙いはここ。


書いてしまえば、権力が長年したいことだったので、人権の制限は、表現の制限は、支配にとって都合がいいので、喜んでする。


なので、改憲には、耳あたりのいい条文もたくさん盛り込まれる。

災害対応するなどて、がんばっくれている自衛隊を明記するから、プライバシー権や環境権など、とりあえず、国民がそんなに反対しないことをミノにする。


しかし、真の狙いは自由の抑圧。支配の持続化。簡易化だ。


私達はいい加減、この支配と奴隷との関係性から抜け出ないといけない。


支配者や国家が、いい、悪いの価値判断をし、それを国民は従わせようとするやり方に。


個人の尊重とは、国家が価値判断をしないと言うことだ。この人がいいとか、悪いとか。このグループはいいとか、どうとか。


一人一人を尊重すると言うことは、それぞれ個人の考えや、生き方を、否定も肯定もしないということ。価値判断をしないのいうこと。


なので、支配と、個人の尊重は、根源的に対立する概念だけ。


だから支配者は必ず、人権条項を制限したくなる。支配者が人間的に良い人、悪い人は関係がない。支配者の本質だからだ。


だから気をつけないといけない。支配者が確認ならば、国民は支持しないかもしれない。


でも支配者が善人ならばどうだろうか。世間的に立派な人だったらどうだろうか。


完璧に我々は支配される。

まだ今の自民党さんが、良くも悪くも人間臭くて、日本は助かっている。


例えば、大阪府知事さんのような、すごいいい人が一番怖いかもしれない。人気もある。暴言は吐かない。品行方正。


彼のような立派な方が、気合入れて、支配にかかれば、持っていかれる。


世間的にいいとか、悪いとかは関係ない。

でも今の日本どうだろう。気づいた人はいないか。実は着々と、こうした良い人による、良い人の完全なる支配の準備が進んでいる。


いまSNS、ネット、マスコミで、悪人叩きが横行している。芸能人で、覚醒剤をやった人、叩く。表現の一角である作品を葬る。


セクハラしたもの、飲酒してのトラブル、女性との性的なトラブル、暴力案件など。


これらは世間的に悪だとされているものだ。

私も同類(同志?)だが、コロナ自粛中にクラブで飲酒した国会議員がマスコミや世間で叩かれた。


世間から若干外れた議員や芸能人は、過去なんぼでもいた。しかし、今はことごとく淘汰されている。世間から外れた人間が絶滅させられている。



歌詠會 天命を知る

2022年06月21日 | 枝光地域

天深く 道なき道を さまよえば 天命変わり お疲れさんと


すがりつつ あと追い続け 苦しんで

天命下りて 雨やんだ夜


こめんねと 三顧の礼で 訪ねしも

扉は開かず 天命を知る


あの笑顔 見せて欲しいと 願っても

愛しのマリア 見上げる祈り


人変わり 相手も変わり 世の常の

大平の夜に 涙流るる


別れると 言われて呆れ 分かったと

やっぱり好きだと 爆音鳴らす


解説 

別れの宣告を受け、同意をしたけれど、一人考え、やっぱり好きだと ごめんねと、好きだと気持ちを伝えたくて、バイクを走らせ急ぐ国道。


真吾の福音書 人間に与えられた力 感動のパワー

2022年06月18日 | 枝光地域
人間に与えられた力

※父への手紙より

そうですね。神は一人ですので、当然人間も一人作りました。

しかし、人間は一人で生きていくことはできたが、

幸福感が持てない、寂しがる性質があることが分かりました。

神は完璧に人間を作ったり、食べ物もあるり、病気もしない、何が不満なのか分からなかった。

全知全能の神がわからないって言うのが面白いですね。

神が悩んだシーンはこの部分だけです。

なぜか今はわかりませんが、何か訳があるかもしれません。

そして、人間の女性を作ると、人間はみるみる元気になったという事です。

一人が寂しかったのか、
でも神と人間の二人いるので、話し相手があるし、寂しくはないかもです。

でも人間は神を日常の話し相手にはしなかった。
同じ人間を話し相手に選んでいます。

これは何かと、考えると。

神は完璧すぎるので、話して楽しくなかったのかな?と。σ^_^;

自分と同じ不完全な所がある方が、話していて楽しかったというのもあるかもです。

よく、完璧な人間よりも、ちょっとズレたような人間の方が、話して楽しいというのがあります。

礼儀正しいヤクザは、笑わないし、楽しくない。

でもヤクザとしては出世しなかった○本指の●さんは、一緒に旅に行きたくなるほど楽しかった。

セクハラ発言の●さん?、人間よりも猫好きの●さん、半グレ爺さん、元クレーン運転手の議員(^_^;)、 紺屋町のボスの●さん、思い込んだら突き進む特攻隊の●さん、元ヤクザの建設労働者●さん、左翼を応援する右翼など、

人間として味があるのかもしれません。

なぜ、一人で生きていけない人間を作ったのか、

なぜ、失敗続きの人間のために、大事な息子イエスを人間として世におくったのか。

それは完璧なものにはない、人間の可能性を神は知っていたからではないかと。

それは感動です。神は人間が楽しくしているのを見て喜ぶが、感動はないかもしれません。感動できるのは人間の特権です。

人間イエスになって、苦労はしたけれど、風俗嬢や嫌われ徴税人など、当時世間から疎まれるような人達と友達になり、なんかあったら逃げ出すような、どうしようもない弟子達と旅をして、イエスは楽しかったと思います。

そして、支えてくれる神の臨在、存在を感じて、喜ぶことが出来たんだと。

神である時は感じることのできなかった、感謝や喜び。

それは人間になって感じることができた。

それは不完全だから、その穴を神の愛で埋めることができた時に、感謝や喜びを感じることができた。
不完全さは人間の特権なのかもしれません。

悩み、葛藤するけど、感動もする。感動した時の人間のエネルギーはすごいものがあることも神は知っていたはずです。

神は人間のその感動する力を信じ、かけている。

神が作った完璧ではあるが、一方で味気のない宇宙を、もっと感動的なワクワクする宇宙にするために、

宇宙や自然の感動を、表現するために、

それは完璧なものでは、感動をうまく表現できないからです。

自分が作ったのもに感動するでしょうか。
自分が作ったものに満足することはあると思います。
神は自分が作ったものを、人はどう表現してくれるか、見てみたい、聞いてみたいとワクワクしていたのではないかと。

神はクリエイトできるが、その創造物を表現できないのです。

表現するのは人間の能力であり、役割なのです。

宇宙や生命を作ったのは神ですが、それを表現し、芸術を作ったのは、人間です。

人間には価値判断の能力はありませんが、
表現する能力は与えられています。

価値判断は地獄ですが、
表現は天国なのです。

真吾の福音書 大人になれなかったイエス

2022年06月17日 | 枝光地域

※父への手紙から

大人になれなかったイエス

イエスも、騒ぐ子どもを叱る弟子達を戒め、
 
子どもを何も分かってない無知なものと思っていないか、
 
それは違う、天国は彼ら(子ども)のようなものだ。
 
彼らのようにならなければ、決して天国には行けないと言っています。
 
それは価値判断のことを言っています。
同時に子どものようになることは、針の穴を通るぐらい難しいとも。
 
でも出来ないとは言ってません。
 
イエスは旅に出てから、死ぬまで、人間の罪を解くために説いてまわりました。
 
その罪は価値判断。
 
アダムとイブから始まった人間の罪をなきものとするために。
 
しかし、そのイエスを人間は、ある時は病気を癒す超能力者として、崇め(価値あるものとし)
 
しかし、最後は嘘うきの頭が狂った者(価値なき者)として磔にしました。
 
寿命は30才前半です。
 
イエスが死んだのも人間の罪、価値判断からでした。
 
2000年前でそれでした。
 
では今、イエスが生まれたとしたらどうでしょうか。
 
おそらく、子どもの時代に生きていけなるのではと思ってしまいます。
 
学校で友達、先生から価値なくものとして、いじめられて、自殺に追い込まれる。
 
または、親から価値なきものとして、虐待を受けて殺されています。
 
2000年前のように、30代まですらも生きていけなかったのではないか。
 
それが今です。
イエスが大人になれない世界。
 
ピュアで純粋なイエスが生きていけない、痛みの世界なのです。
 
それが現代なのではないでしょうか。
 
私達はそのことを理解し、この世の末に、イエスが天寿を全うできる世を作れるのか。この世の一人一人が試されてる。
 
出来なければ、ただ人の世は終わるだけです。
だから待ったなしなのです。
 
私が歌をつくれと矯正されているのも(後日は話します)、そうした世の末だからだと思います。
 
または父が地獄の淵から帰ってきたのも、私に哲学を伝えることを神が命じたらです。
 
父のこの価値を、ご両親や、世間がわかるでしょうか。父自身もそうなるまでわからなかったことです。
 
これは神の計画であり、アイデアなのです。
 
私の価値も家族や世間は分かりません。私にもです。
 
歌を作るなど私も分からなかった事です。
 
だから、価値判断というのは最大の罪になり得たのです。
 
価値判断しない生き方は、難しいですが、楽園への入り口ではないでしょうか。

歌詠會 6月

2022年06月17日 | 枝光地域

● 動けない 電話を切って また眠る

         着信ながめ 心配かけた

 

「早朝日曜日の勉強会、疲れて起きれず、思わず電話切る。(*_*)

やっと起きて、先生からの着信履歴。二日後電話し、心配されているのを感じ、心配おかけしました。(-_-;)」

 

● わたし死ぬ 突然のメール 胸騒ぐ 

        天を信じて 扉をあける

 

「友人からのメールで、急いで伺ったとき」

 

● 外すなと マスク警察 友責める

       小学三年 なぜこんな世に

 

「6月議会本会議質問で、小学生が屋外でもマスクをしてない人や友達に、マスクつけろと責めた立てる事例を聞いて、小学3年生にそんなマスク警察をさせるような世の中、だれがこんな世にしたのかと」

 

● 国内の ロシア料理へ 嫌がらせ

     ゆがんだ正義 本質を見ず

 

「日本国内のロシア料理店が、ロシアのウクライナ侵攻への憤りからかもしれないが、ロシア人への嫌がらせのニュースを聞いて、馬鹿なのかと。ウクライナ侵攻と、ロシア料理店、日本で暮らすロシア人、なんの関係があるのか。そうした少数派を排除する、いじめる人間を憤って。」

 

● 善悪の 知恵の実食べて 神となり

       支えきれない 神の苦しさ

 

「聖書から、アダムとイブが善悪の知恵の実を食べて、人を裁ける、価値判断する神になった。しかし、神となったとたんに、価値判断することで、自分自身の苦しみ、苦悩を知り、とても支えきれない。価値判断する重責を背負切れない。価値判断したことで、神の苦しさ、憤りの重さを知った人類。しかし神になろうとしたが、神にはなれないので、苦しさ、苦悩だけが残ってしまった」

 

● 死にたいと 人を憎むと なぜ背く

      価値の判断 苦しみの源

 

「自分に価値がないという価値判断、相手に価値がないという価値判断。神が価値あるとしているものを、なぜ価値なしだと決めつけるのか。人間にはしょせん、神の計画、神のアイデアは考えが及ばない。いい、悪いなど、価値判断することが苦しさの根源でもあり、原罪でもある。神が価値あるとしているもの、そのことに従い、自らの価値判断しないこと。価値判断から離れること、神のアイデアを受け入れることが、楽園の入り口である。  ※聖書:創世記から」


真吾の福音書 イエスの言葉「価値判断について」

2022年06月17日 | 枝光地域

※仏教や聖書など哲学的な事が好きです。ふと思いついたことなどを書きます。そんな知識のない私ですが、独自の解釈と独断と適当さで、徒然なるままに書いてます。

 

「クリスチャンの友人への手紙」  イエスの命じたことはそれ以外に何かと問われたことに対して

 

イエスの命令、そうですね。
聖書全体を通して、イエスは、価値判断をするなと教えています。
イエスが、騒ぐ子どもを叱る弟子達を戒め、
 
子供を何も分かってない無知なものと思っていないか、
 
それは違う、天国は彼ら(子ども)のようなものだ。
 
彼らのようにならなければ、決して天国には行けないと言っています。
それは価値判断のことを言っています。
子どもは、この親がいいとか悪いとか、家が貧乏とか金持ちとか、価値判断をしません。
ただ、ありのままの環境を受け入れ、楽しく騒ぎ、過ごしているのです。
 
同時に子どものよう(価値判断しない)になることは、針の穴を通るぐらい難しいとも。
 
でも出来ないとは言ってません。
 
イエスは旅に出てから、死ぬまで、人間の罪を解くために説いてまわりました。
 
その罪は何かといえば、一言で価値判断。
 
アダムとイブから始まった人間の罪のためです。
アダムを作った神は、アダムが楽しく過ごせるように、それまでにあらゆるものを作りました。昼夜、自然、鳥や動物たち、余りあるほどの食べ物、
そして極めつけに、神に似せて作られました。建物を作ったり、音楽や芸術を楽しめるように、創造性が神に似せられました。
 
しかし、アダムは元気がなかったので、女性のイブを作りました。そしてこの世界で産めよ増やせよと命じました。家族ができることは楽しいことだったからです。
神の創造性は同じに作られた人間でしたが、与えられていない能力がありました。それは価値判断です。よいとか悪いとかの、人を裁く能力を与えられていませんでした。
この点で、子どものようだったのです。子どもの創造性や芸術性は目を見張るものがありますが、人や親、社会を裁くことはしません。
 
結局は、子ども、もしくは価値判断をしない人間しか、楽園にいることができないのです。サタン(ねたみ)も価値判断しないので楽園にはおれました。
しかし人間は、サタン(ねたみ)の話を聞いて、神に疑問を持ちました。そして、神にしか与えられていない、価値判断をしようと試みました。
価値判断したり、人を裁くことが、できるんだと、錯覚し、善悪の判断の実を食べて、価値判断をするようになりました。
これが、楽園追放の原因です。
 
これは比喩で書かれていますが、価値判断は苦しさの始まりなのです。
自殺と殺人は、聖書でも罪とされていますが、このどちらも根本は価値判断にあります。
 
自分は生きている価値がないから、死ぬんだということ。
あいつは、生きる価値がないから、殺すんだと。
 
結局、神が価値あるとしているものに、反逆して、自らで価値を決めている点です。
敵を愛するというのも、敵という時点で価値判断をしています。なので敵を愛するという行為は、一度は敵だと価値判断してしまったものを、修正するための行為です。
でも敵だと思うまでには、怒りが、憤りがあり、これは自分自身も苦しいものです。
 
また、憎んでいる敵を愛する行為は、これもまた修行僧のようで、簡単ではありません。これもまた苦しいのです。敵を憎んでも苦しい、敵を愛しても苦しい。
どちらも大変なエネルギーです。でも、敵を愛する過程は、つまり自分自身のためでもあるからです。憎しみ続けることは、自分を否定し続けることにほかなりません。
敵は、自分の内面でもあるからです。
 
なので敵を愛するというのは自分自身のためでもあるのです。
 
しかし、これは罪の表面的なもので、根源ではありません。罪は価値判断ですから、そもそも敵だという価値判断をしなければいいのです。敵という価値判断をしなければ、苦労して敵を愛する必要はありません。
つまり、敵を憎むのも、敵を愛するもの、どちらも地獄の苦しみだという点です。憎むよりも愛する方が聖書に推奨されているのは、単に愛する方が自分自身のためになるからという点です。
 
かりに敵を愛しても、人間の罪は変わりません。敵だと価値判断したことが、楽園を追放された原因であり罪なのですから。
価値判断すること、たとえ、いい価値判断だとしても、悪い価値判断だとしても、人間にとって苦しみの根源になってしまいます。
 
子どものようにとのイエスのメッセージは、価値判断をするなということであり、価値判断しないものしか楽園には行けないということを表しているものなのです。
 
人間を作った創造主が、なぜ価値判断する能力を与えなかったのか。それは簡単です。それは一人では生きていけなかったからです。アダム一人の時には、善悪の知恵の実を食べるなと言っていません。イブができてから、二人に、知恵の実を食べるなと命じました。
 
神は一人です。しかし人間は一人で完結しない、二人で初めて完結する、アダムの誕生自体から不完全だったのです。神はアダムだけで完結すると当初思っていました。しかし、それが違うことが分かりました。神ですらなぜ人間が一人で寂しいのか、最初は分からなかったのです。
 
イブを作ってアダムが元気になり、人間は二人が必要だということを理解しました。しかしそこで問題がありました。アダムとイブ、互いが互いを価値判断したらどうでしょうか。夫婦二人、アダムがこうだとか、イブがこうだとか、そんなことになったら、楽しいはずはありません。
 
厳に、知恵の実を食べて、神から諭されているときに、初めての夫婦喧嘩をしました。イブが蛇(サタン)にたぶらかされて、俺に食わせたとか。イブも、でも先に食べたのはアダムじゃないかと。
早速、価値判断すること、知恵の実を食べることで、何か知恵が出たでしょうか。いい価値判断で幸せになったのでしょうか。それは皆無です。
食べた最初は、人類最初の夫婦喧嘩。はっきり言ってどうでもいい喧嘩です。
 
そして価値判断できるようになった人間が次にしたことは、殺人です。アダムとイブの二人の子の、兄弟喧嘩、兄?に対する妬みで、兄を殺しています。
原因は何か、価値判断です。兄がいなくなれば、俺は幸せになれるという価値判断、兄は死んでもいいんだという価値判断。
 
価値判断することで、人間に与えられた苦労は、夫婦喧嘩、殺し、妬み、嫉妬、誹謗、中傷、盗み、などなど、それらの共通点は一つ、価値を判断することです。
ですから、私たちは価値判断をしないことです。そもそも、全知全能の神ではないので全てを知っている訳ではないのです。自分自身のこともよく分からないのです。
 
そんな人間が、俺が先輩だからとか、経験があるとか、親だからとか、兄だからとかで、だれかをどうのこう価値判断することができるでしょうか。
誕生した時から、価値判断する能力が与えられていないのです。神ではないのです。しかもむしろ、価値判断することは地獄の苦しみの始まりなのです。
 
しかし、私たちは、一日、膨大な数の価値判断をしています。そういう癖になってます。ありのままで捉えるのは難しいのです。
しかし、イエスが言ったように、楽園に行くには、幸せに行くには、価値判断をやめようというメッセージをひとつづつ、実行に移すことがイエスの言葉だと思います。

6月議会質問予定 子どものマスクの件で

2022年05月25日 | 枝光地域

テーマ

①子どものマスクについて。気温も上がり、マスク着用による子どもの体への影響が懸念されます。

これまで保護者の方と一緒に教育委員会への、登下校中、体育中、屋外でのマスク外しを求めて交渉してきました。

この度、国においても登下校中や体育中のマスク外しの見解が出された事は、これまでの保護者の方の地道な活動を後押しし、何に増しても、マスクで苦しい思いをしていた子ども達への朗報です。

しかし、いまだに徹底されず、市の職員さんも多くが屋外で会話もしてないのに、マスクを着けて通勤されているのが現状で、屋外でのマスク着用率はほぼ100%様な状況です。

そこで、市や教育委員会からの明確なメッセージを出すこととなど、市が積極的に子ども達や社会へメッセージを出すことを求めるものです。

 

次回はまた


令和3年9月議会、最終日反対討論原稿 議案第121号の一律のPCR検査及び、幼稚園・保育園・学校へのマスク配布について

2021年10月01日 | 枝光地域

私は、議案第121号令和3年度一般会計補正予算について反対の立場で討論します。

 

 北九州市は学校における感染拡大予防対策事業として、2億720万円の予算案を提出しています。内容は、小、中、特別支援学校における児童生徒の新型コロナウイルス感染拡大防止を図るためのPCR検査に要する費用と、3歳からの幼稚園、保育園、学校へ、一律一人30枚のマスク配布費用としてです。

 

 私は宿泊行事前や、部活動の試合前に一斉に行われる児童生徒へのPCR検査によって、子ども達、保護者に混乱をもたらし、新たな分断や差別につながってはいけないと考えています。市は、PCR検査は強制ではなく、保護者の意向を確認して、希望者のみに行うとし、検査を受けないからと言って、修学旅行等への参加のチャンスを奪うものではなく、たとえ陽性者が出た場合は、行事を延期するなど、全ての子ども達が参加できるよう配慮するとしています。

 

 しかしながら、検査を受けた子、受けない子、受けてPCR陰性だった子、PCR陽性だった子が混在し、一回目の検査でPCR陽性者が出た場合の、医療機関での再検査の依頼や、学校行事の延期の可否の検討、2回目の検査が陽性だった場合の対応、延期をした場合の保護者説明など、この事業を行うにあたっての学校や教職員の負担は計り知れないものがあります。

 日程をやりくりして延期できたとしても、検査結果が全員陰性となり、行事を行える保証はありません。また部活動の公式戦は延期すること自体が困難です。

 

 これまでも、学校行事や部活動への参加については、事前に体調チェックを行い、発熱等の症状がある場合は、当然大事をとって参加を見合わせており、現状行っている、感染拡大防止対策で十分であると考えます。修学旅行や公式戦前に、自らが行う体調管理も、また教育の一環です。

 

 一方で、PCR検査を希望する保護者に、検査の機会を確保するという市の考えも理解できます。であるならば、そのことに徹し、全員一律でなく、あくまで希望者の方に、検査の機会を確保するということを軸にすることを求めます。

 

 また、検査が保護者の希望である以上、学校の希望も聞いてもらいたいと思います。小規模校などでの学校の負担を考慮し、検査を行うかどうかの学校の判断を尊重すること。加えて、今回のご提案が、8月、9月上旬の感染急拡大を受けての措置であり、市内感染者数が数名で推移している今日において、将来の爆発的な感染拡大期に備えて予算はとってはいるものの、現実の感染状況を踏まえて、執行するかどうかの現実に即した柔軟な取り扱いを求めるものです。

 

 次に、マスク配布については、希望しない児童生徒も含め、一律に配布することの必要性は感じません。また、3歳以上の子ども達に不織布マスクを配布するとしていますが、幼稚園・保育園児、低学年の児童になればなるほど、マスク着用による酸欠などの健康にたいする影響の方が心配されます。

 10代の子ども達の重症化はほとんど報告されておらず、ましては3歳、4歳、5歳児などの幼児では感染すらもほとんどありません。子ども達へ健康への影響をしっかりと考え、子ども達への一律の対応については厳に慎重を期すべきです。

 

以上、現実の感染状況、子ども達への健康への影響などを考慮し、世間の潮流に流されずに、堅実な対応を求めるものです。たとえ、世間に恥じても、子ども達へ恥じない、どんと構えた行政を求め、ニューユーに示された、すべての人のチャンスを守り、個人の意思を尊重する多様性が華やく北九州市になることを願い、討論を終わります。


決算特別委員会第三分科会市長質疑  黒崎バイパスから戸畑・枝光へのスムーズな接続について質問しました。

2021年09月28日 | 枝光地域

決算特別委員会第三分科会市長質疑風景。質問は黒崎バイパスから戸畑・枝光へのスムーズな接続について質問しました。

黒崎バイパスと、戸畑枝光線との接続について

(質疑要旨)

令和2年度決算において、黒崎バイパス、戸畑枝光線の工事は急ピッチで進み、地域の期待も高い。

 完成すれば、本市を代表する基幹道路として、人・物の流れが進み、市民の利便性、商業・産業の振興に資するものである。

 現在、この2本の道路の起点の近くに、来年春、開業予定の新しいアウトレットモール、新科学館の建設が進む東田地域がある。

このエリアは、博物館や大型の商業施設が数多く集積し、スーパーシティとしての発展も期待されている。

そのためにも、スムーズな移動、道路網もスマートなものでなければならない。

そこで、新しくできる幹線道路、戸畑枝光線、3号黒崎バイパスをスムーズに結ぶために、戸畑バイパスの八幡東区中央町側の入り口である、枝光・戸畑側への側道について、現在の一車線片側通行を見直し、交互通行できるよう、諸課題の解決を求め、質問します。


井上しんご令和3年9月議会本会議質問 市長・教育長・担当当局答弁 第二質問以降やり取り

2021年09月28日 | 枝光地域

本会議質問を文字起こししました。正式な議事録は3か月後に市議会の会議録ホームページに挙げられますが、ずいぶんと先ですので取り急ぎ、文章にしました。聞き取りにくい部分もあり、正確ではないですが、ご参考程度でお願いします。

 

皆さんこんにちは、井上しんごです。ただいまより一般質問を行います。

まず初めに、ワクチン接種について伺います。

 ファイザー社等の新型コロナワクチンについては、まだ臨床試験の一部が継続されており、予防効果がるとされる一方、ファイザーの取扱説明書によると感染予防効果や副反応による影響もまだ未知数な部分があるとされています。そのことからも、国や自治体は、ワクチンの効果や副反応のリスクなどを十分理解した上での自由意思による接種を進めるべきです。

 現在でも、ワクチンの副反応被害が疑われる件数が国の直近の発表で22,056件報告されていますが、その中で死亡との因果関係が認められたものはなく、現実はワクチン接種による健康被害については自己責任という形になっており、国・自治体・製薬会社は保証していません。 

このような状況にも関わらず、本市が行うワクチン接種の広報については、ワクチンのリスクについては全くといい程触れられていません。国や市は接種率を上げることを至上命題にしているため、リスク面についてはあまり触れたくないというのが本音かもしれませんが、こと接種による健康への影響が自己責任である実態を踏まえると、接種するかどうか、適切に判断できる十分な情報提供を行うことが必要です。特に保護者の考え方によって影響を受けやすい、子供たちに対しては、よりわかりやすく丁寧な情報提供を行う必要があると思いますが、見解を伺います。

 

次に、子ども達のマスクについて伺います。

 教育委員会は学校・幼稚園における新型コロナウイルス感染症対応保健マニュアルで、運動中や、登下校中のマスク着用について、人と十分な距離を確保できる場合はマスクを外すようにすることを定めています。しかし非常に暑い日でも、汗だくになりマスク着用している子がほとんどで、体育の場合でもマスクの着脱はその子の判断に任せているので、結局は着用して運動する子が多く、酸欠になったりして倒れるなどの事例も報告されています。

 とりわけ、自分でマスクの着脱の判断が難しい子ども達について、マスク着用による健康被害が懸念される場合は、教員等が積極的に声をかけるとしていますが、現実は機能していません。マスクを着用して屋外活動することや、山坂の多い通学路を歩いて登校することは、酸欠のリスクが増大し危険です。小中学校において「人と十分な距離を確保しマスクを外して登下校及び屋外活動をして下さい」と説明するなど、より子供たちの安全を守るために実行性がある対応を求め、見解を伺います。

 

次に、発達障害及び、ケアが必要な子ども達への処遇について伺います。

 成長過程の子ども達は、生活面や学習面でも上手くできないことの方が多く、友達とのコミュニケーションや、学校での態度についても、大人から見ると問題行動とみられる面も多々あるものです。それが適切な教育を受けることによって、主権者としての人格の形成を図り、様々な失敗を経験しながら自立していくものです。

この成長過程における子ども達の中で、発達障害や自閉症及びその境の判別も難しい、いわゆるグレーゾーンと言われている子どもが約8%いるとの民間調査結果があります。当然、特別な支援が必要な子ども達への特別支援教育の機会を確保することは重要です。一方、多動があることやコミュニケーション能力が低い等を理由として、初期の成長段階で特別支援学級等での対応を決めることは、本来受けられる一般過程の教育が受けられなくなる恐れがあります。

また、子どもが発達障害や精神障害という病気として診断されることは、低年齢から向精神薬や精神安定剤、睡眠薬等の投薬につながる恐れがあり、服薬により行動が安定するというメリットの一方で、薬の副作用や薬物への依存性が高まること等、その子どもの将来に大きな影響を与えることになります。向精神薬は昭和28年麻薬及び向精神薬取締法、通称麻薬取締法でも、濫用防止対象の薬物として定められており、その管理と使用について厳しく規制されています。しかしながら、近年では診療内科やメンタルクリニックが増え、向精神薬等の処方が身近になる中で、発達障害や精神障害とされた子ども達へ安易な投薬が懸念されます。一度服用すると依存性が強く、薬をやめることは困難で、ましてや成長期の子供にはその体や脳への影響が懸念されます。発達障害と診断された子ども達や、児童相談所に保護される子ども達で、精神障害の疑いがもたれた子供への投薬治療については、他の手段が無い場合に極めて限定的に行う必要があると思います。そこでお尋ねします。

児童相談所や児童養護施設においては、指導員や職員が精神疾患や発達の遅れがある子ども達に対して、その子が抱える課題や生きづらさに寄り添い、落ち着くことができる環境を整え、きめ細かい生活支援や指導を行ない、治療ではなく本人の個性を理解して教育的な観点で粘り強く対応することを求めるものです。見解を伺います。

 

次に、学校の統廃合について伺います

 学校は地域の宝であり、子ども達がそこで学ぶだけでなく、登下校時の地域住民や青パト等による安全の見守り、また、地域の盆踊りや祭り、文化祭、サマーキャンプなど、まさに子ども達の喜ぶ顔が見たいという動機で、地域活動や街づくりをされている方がたくさんおられます。学校や子ども達の存在こそが、地域活動が活発といわれる、わが町・北九州の活力の原動力だと言えます。

 しかしながら、現在市は、北九州市立小・中学校の学校規模適正化の基準進め方に従い児童生徒数の少ない学校の統合を進めており、北九州の活力の原動力を奪っています。学校の存在は単に、教育だけに限ったものではありません。異常気象が多い近年において、学校は避難所としてますます重要であり、特に統合の対象となりやすい児童生徒数の少ない学校は、山間地であったりすることも多いため、その周辺には駅前や都市部と違い、避難できる公共・民間の施設がほとんどありません。学校は地域で唯一の貴重な公共施設として、過疎化した地域においては重要な役割を持っています。市が進める過疎化した地域での学校統合は、まさにコミュニティを守り続けている地域社会の息の根を止めるに等しい行為です。そうした山間地及び過疎化した地域での地域的な課題や、学校に求められている役割を踏まえ、児童生徒数の減少や運営コスト面だけで統合をしないことを強く求めるものです。見解を伺います。

 

最後に、市有財産の活用について伺います。

 本市が定める公共施設マネジメント実行計画では、公共施設の統廃合や機能廃止など、今後40年間で保有量を20%削減することを目指しています。市はただ減らす、削減するマイナスの面よりも、集約化することで機能を強化、利便性を高めることができるとプラスの面のマネジメントとしています。しかしながら、廃止された施設が何年も放置され朽ち果てている等、市の魅力を高めることに資するような、到底マネジメント出来てるとはいいがたい状況もあります。

 公共施設等が廃止された場合、その後の有効活用策を、企業や民間団体、地域も含めて広く募集し、今の時代のニーズに合った利活用や売却を積極的に進める必要があります。平成28年に策定された公共施設マネジメント実行計画について、適切な見直しを行う必要があると考えますが見解を伺います。以上で第一質問を終わります。

 

 

市長:井上しんご議員のご質問に答えを致します。私からは市有財産の活用、公共施設マネジメントのあり方についてであります。

公共施設マネジメントの実行計画では、少なくとも今後40年間で公共施設の保有量を約20%削減することを総量抑制の目標数値を設定して施設の統廃合等に取り組んでおります。この取り組みにより用途廃止した公共施設につきましては、市の関係部局で構成する私有財産利用調整協議会において、まずは公共での利活用を検討致します。その中で公共での利活用が見込まれない物につきましては、公共施設マネジメント実行計画の基本方針の下で町づくりの視点を取り入れながら、民間売却を基本に利活用を考えていくことにしております。これまで公共施設跡地の民間による利活用の例には、戸畑庭球場の跡地をマンション用地にする、あるいは大里地域の門司競輪場跡地の一部を住宅や商業施設用地として利用する。こうした事例があります。

一方、高台にある公共施設跡地につきましては、周辺道路が狭く開発行為が困難な事や、土砂災害警戒区域内にある事などから売却が困難な物も少なくありません。

これらの利活用を図る為、買い手が必要な情報を盛り込んだホームページの公表や、みんなの廃校プロジェクトへの登録等による情報の発信をしております。

また、民間事業者に対する活用の見込み等についてのヒアリングを行っております。さらに、未利用地売却の斡旋業務の開始や売却に向けた検討課題整理につきまして、民間ノウハウの活用等の取り組みを行ってきたわけです。こうした取り組みによって得られた意見等を参考として、例えば旧伊川小学校跡地では、民間事業者が賃借で福祉関連等の事業を行うことになった例もあります。なお、議員ご指摘の公共施設マネジメント実行計画では、計画期間が40年間と長期にわたる事から公共施設を取り巻く様々な環境の変化に合わせて、10年間を目途に計画の改訂を行う事にしております。

いずれにしても、公共施設マネジメント実行計画を進める上で、施設の廃止により生じた跡地の活用を図る事は重要であります。今後も引き続きこれらの取り組みを進め、資産の有効活用によって、本市の活性化を目指して参ります。

全質問は、教育長、関係局長からお答えをさせて頂きます。

 

保健福祉局長:私の方からはワクチン接種について、接種するかどうか適切に判断できる十分な情報提供と。取り分け子供達に対した、より分かりやすい丁寧な状況提供をというご質問でございます。

ワクチン接種につきましては、本人の同意のもとに行う物でございます。市民が自らの意思で適切に判断して頂けるようワクチンの有効性や、安全性について丁寧に情報提供を行う事は、大変重要でございます。このため、本市では、市政だよりやホームページでの情報提供に加えまして、新聞折り込みやKBCテレビでのdボタン広報誌など様々な媒体を活用し、繰り返しお知らせを行ってきたところでございます。また、接種券の郵送時には、副反応に関する情報や健康被害救済制度等を記載した説明書を同封致しまして、コールセンターや区役所の窓口で相談に対応するなど、市民の接種への理解を深めるよう努めているところであります。

現在、ワクチン接種の対象年齢につきましては、満12歳まで引き下げられていることから、子供も保護者も理解しやすく、接種について客観的に判断を頂けるような情報発信が必要と考えております。

今後でございますが、主に若者をターゲットに接種を推奨する動画や、また国が製作致しました国内の接種における副反応データに関する動画、こういった物も活用しながら、市のホームページや公式Twitterなど様々な媒体におきまして最新の情報を丁寧に公表していきたいと考えております。市と致しましては、国や県に対しましても情報発信の働きかけを行うとともに、市民が安心してワクチンを接種して頂けるよう、正確で分かりやすい情報の発信や相談体制の実施に努めてまいります。

私からは以上です。

 

教育長:私からは教育分野に関して2点お答えを致します。

まず、子供達のマスクについて人と十分な距離を確保しマスクを外すように、またより実効性がある対応を求めるとのご質問です。

学校での新型コロナウィルス感染症対策につきましては、本市が作成しました学校幼稚園における新型コロナウィルス感染症対応保健マニュアルに基づいて、マスクの着用を含め、様々な感染予防対策を徹底しているところであります。この保健マニュアルでは、近距離での会話や発声などの際には、マスクを着用する事としておりますが、それだけではない取り扱いと致しまして、登下校時に十分な身体的距離が確保できる場合にはマスクの着用は必要ない事、気温湿度や暑さ指数、これはWBGT値と呼びますけれども、この暑さ指数が高い日や熱中症が発生する可能性が高いと判断される場合には、一定時間マスクを外す事、体育の授業におけるマスクの着用は必要ない事、こういった取り扱いを示しているところでございます。学校への通知ですが、このようなマスクの取り扱いに関して、児童生徒の熱中症を予防する観点から、改めて学校に通知を致しております。学校においては、暑さで息苦しいと感じた時などにはマスクを外すように、児童生徒自身が適切に対応できるように指導しているところであります。特に、自分でマスクを外してよいかどうか判断が難しい年齢の児童などには、気温湿度や先程申し上げましたWBGT値暑さ指数が高い日に屋外でマスクを外すように、積極的に声を掛けるようにしております。

保護者などへの周知でございます。こういったこれらの対応に加えまして、登下校時に人と十分な距離を確保できる場合に、マスクを外すことにつきましては、教育委員会が、全家庭に配布しております広報誌でございますが、タイトル「未来を開く」というタイトルでございます。この広報誌の中で、保護者や児童生徒へ周知を図っているところでございます。

今後も児童生徒が安心して、安全な学校生活を送れるように学校において、適切な指導を行うとともに、感染予防対策を徹底して参ります。

続きまして、学校の統廃合について、児童数の減少や運営コスト面だけで統合しない事とのお尋ねがございます。

まず学校規模適正化の考え方でございます。義務教育段階での学校は教科等の知識や技能を習得させるだけではなくて、児童生徒が就労の中で切磋琢磨する事を通して思考力や判断力、問題解決能力などを身につけて心身の成長を促す場所でございます。

その為に、教育効果を充分に発揮するには一定の集団規模を確保する必要があると考えております。

児童生徒への教育効果を高めるためには、グループ分けをして話し合いや共同的な活動を行える事、あるいは多様な考え方に触れる機会や、児童生徒の価値観や相互の評価が固定しないようにクラス替えができる規模が望ましく、国の示す24学級までが適正規模だと考えております。また、小規模校では単級学年では1学年を一人の教員で運営するなど指導計画や教材研究等をすべて一人で行う事となり、教員の負担感が大きくなります。このような考え方のもと教育委員会では平成29年3月に北九州市立小中学校の学校規模適正化の進め方というものを策定いたしまして、平成31年3月に適正化対象校27校を公表したところです。統合にあたりましては、地域住民、保護者、学校の代表者で構成します統合準備委員会で地域の課題などを聞きながら進めているところです。

統合後の結果でございます。近年では令和元年度に伊川小学校と松ケ江北小学校、北小倉小学校と中井小学校、令和2年度には花房小学校と安屋分校の統合を行いました。統合後、児童や教職員にアンケートを実施したところ、児童の約9割が統合してよかった、と回答しております。また教職員からは、児童同士の学び合いが増えて人間関係の幅も広がった、などが多種多様な考え方を知ることができるようになったといった回答が寄せられております。このような事から、議員ご指摘のような児童生徒数の減少や運営コスト面だけの統合に当たらないと認識しております。学校規模適正化の取り組みは、児童生徒の教育環境の整備による教育効果の向上に寄与するものだと私どもは考えております。

私からは以上でございます。

 

子ども家庭局長:最後に私からは、発達障害及びケアが必要な子ども達への児童相談所や児童養護施設での処遇についてご答弁申し上げます。

家庭で養育できない児童や、虐待を受けた児童などを保護する児童相談所や児童養護施設においては、発達障害や精神障害の疑いのある子ども達が、一定数入所し集団生活を送っています。子ども達は、対人関係や感情のコントロールなど様々な課題を抱えており、コロナ禍で外出自粛が続く中、ストレスで情緒不安定となり、いら立ち、暴力を奮うといった行動上の問題が表出することが多くなっている事からも、より丁寧な支援が必要であります。その為、本市の児童養護施設では、心理療法を行う担当職員を全施設に配置し、児童相談所の児童心理士や施設の嘱託医と連携し、きめ細やかな支援を行う事や、発達障害児などのケアに当たる職員を配置する本市独自の補助制度を活用し、処遇困難児童の受け入れに伴う体制を強化する事などにより、子供の処遇向上に努めています。また、子どもたちの行動上の問題が表出した際、安易な服薬に頼らず、複数の職員での対応や個室でクールダウンの時間をとること、こまめに声かけをし、小さな変化にも気付く体制を構築すること等により、子ども達に寄り添った支援に努めています。更に、医療的ケアが必要な子ども達に対しては、担当医師の指示のもと、施設の常勤の看護師が適切に服薬管理を徹底しています。一方、ハード面においては、より職員との個別的な関わりを重視した小規模グループケアや、地域小規模児童養護施設などの施設の増設を行うなど、子ども達が家庭的な環境の中で安心して生活でき、きめ細やかなケアを行うための生活環境づくりに努めています。

今後も児童養護施設等に入所する子ども達の心身の健全な成長と自立のために一人一人の特性に応じたケアを粘り強く行い、全ての入所児童が安心して生活できるよう支援して参りたいと考えております。

以上で答弁を終わります。

 

55番井上議員:ありがとうございました。それでは、第二質問をさせて頂きます。

ワクチン接種の相互のちゃんとした声を行いたいという事で、メーカー側も今時点で新しいワクチンなどで、どういった症状がでるか分かりませんと、まだはっきりしていないと、また健康被害などが病気になったり、障害が残ったりすることがありますと書いています。今現状では、この健康被害、副反応を疑うケースについては、国が因果関係をどれも認めておりません。ですから、結局は、もし何かあったら補償制度はありますよ、と書いてますけれども、補償される保証がないという事で、あくまでも自分でちゃんと判断するというところが必要だと思います。それで、北九州市が出した、若者向けのこの資料でも学生さんたちのコメントが載っていますけれども、基本的には良かったですよという内容になっています。それで、子宮頸がんワクチンでも、当初は素晴らしいワクチンだと推し進められたんですけど、結局いろんな副反応とか色々な症状が出てきて、国も市も一旦引っ込めて、今新しく副反応を抑えたワクチンができたということで。でも、これが10年くらいかかっていると思うんですね。ですから、今良いと思っていても先々分からないという事も、ちゃんと言った上でやっていく必要があると思っております。

それで、今この中でもSNSやメディアで、化学的に根拠が乏しい情報があるので、ちゃんと注意しましょうと書いています。じゃ、こういった情報を国や市がちゃんと提供していれば、あ、そうか!となりますけど、じゃ国や市がこういった広報で言っていないから、若者がSNS等で情報を得るしかないと。国や市が何か隠しているのではないか?といった疑う場合もあると思うんですね。ですから本当に情報提供、自己責任がある以上は、その後の健康被害は自分で責任を負うんですよと、国が補償制度があるけれど、今まだ誰も適用されていないという事も含まってですね、やっていかなければ北九州市が今後訴訟等でですね、そういった責任を問われかねない危険性があると思います。市としては、そういった客観的な情報ですね、提供していきたいと申しておきます。

学校統廃合の件で話をさせて頂きます。

規模適正化が向上するという話がありましたが、それもひとつの面だと思います。しかし、教育には絶対がありません。しかも北九州市は、小規模校であったとしても大規模校であったとしても、ちゃんと等しく平等にその子にあった教育をやっていくと言われていますよね。ですから、大規模校はその適正化、ある程度クラス替えができるという事でないと、それできない、こっちの方が素晴らしいという形で、誘導はできないと思うんですよ。現に小規模校でも、例えば合馬小、河内小学校のようにその環境を活かした少人数でも魅力ある教育できますよという事で、現に北九州教育委員会も、広報してよその地域から定評されていますよね。ですから、ただ単に規模とかそういう面、教育委員会とか、このその狭い範囲だけで決定する事はリスクがあると思います。現に、この前の大雨の時でも、八幡東区の学校の体育館、小学校の体育館はどこも電気をつけて、いつでも避難できるような準備を先生方がされておりました。ですから、地域地域、特に八幡東区は山間地域、傾斜地が多いですから、そこにある学校の役割というのはですね、ただ単に教育的な面だけ、学校の先生だけで議論するのではなくですね、等しく地域や、また市長さん、いろんな地域行かれていますので、この地域の状況とか、私達政治家というのわかってると思います。そういったところを聞きながら、やっていかないとですね、過ぎてしまったんじゃ本当に後、大変なんです○○○○

この点、教育長、ご答弁お願いします。

 

教育長:当然地域の方のですね、ご意見は伺っております。現在お話をさせて頂いております、小森江東西、そして若松の修多羅、古前、そういった所どちらもですね、地域の方がインカムの中に入っていだだいて、十分地域の中の声も踏まえながら進めているところです。

以上でございます。

 

55番井上議員:はい。

学校は非常に大きな役割がありますので、また、地元の人達の熱意が学校、子ども達があるからこその頑張り、この北九州は、このいい町にできる力になってると思いますので、学校を安易に統廃合してほしくないという事を強く求めておきます。

それと、発達障害等のですね、ある子ども達、またそれを疑われる子ども達への対応ですけれども、やはり教育を中心にやってもらいたいと思っております。

私も小学生時代、今もその影響ありますけども、非常に落ち着きのない子どもでしたし、授業参観中もなかなか椅子に座らずにうろちょろして、親が非常に恥ずかしい思いをしたという事を聞いた事があります。当時は、そういった精神科とかクリニックという言葉もありませんでしたから、そういった落ち着きのない子ども達という形で、だったと思います。先生達も見捨てずしっかりと○○○に対応して頂いて、今この場所に立つことができております。これが、たとえこの子落ち着きがないから精神科に行ってくださいと、薬飲んでくださいと、そういう風に、今はやっていませんけれども、こういう風になってしまえば、なかなかその子の将来すら奪ってしまいかねない、非常にその向精神薬は劇薬でありますので、そういった安易な○○○対応にいかないように、児童児相はそうではないと、おっしゃっていましたし、学校現場でもそうじゃありません。しかし、ことさら不安な事を障害ですよ、障害ですよという事で、親が心配になって、病院に通って、じゃぁ治したいと、これは判別がつきにくいと思うんですよ。子ども達の場合っていうのは。ですから、脅威的な対応、あくまでも、その子に合った対応をしていくっちいう事で求めていきたいと思いますが、その点どうぞ、お答えください。

 

教育長:あの個別のですね、あの特別な教育的な配慮の必要なお子さんに関しましては、ケースバイケースですね、様々なケースございますので、個々のケースをしっかりみながらケアして参ってるところでございます。

以上でございます。

 

55番井上議員:はい。

そうした安易な子ども達のその固定化とかせずに、子どもたちは有動的で成長過程がありますので、そういった対応をお願いしたいと思いますし、広報についても、ワクチンのリスクまた、デメリット等あれば、そこ広報やって、本人が自分の意思で判断できるように対応お願い致します。

以上です。


9月28日9月議会、PCR検査等にかかる追加議案に対する質疑 質問骨子(案)

2021年09月27日 | 枝光地域

令和3年9月議会追加議案質疑 質問原稿

井上しんご

 

 議案第121号令和3年度一般会計補正予算について伺います。

 

 北九州市は学校における感染拡大予防対策事業に1億3千9百万円の予算案を提出しています。内容は、小、中、特別支援学校における児童生徒の新型コロナウイルス感染拡大防止を図るために、スクリーニング目的で実施するPCR検査に要する費用です。

 実施内容は、特別支援学校、基礎疾患を持つ児童生徒への毎月の検査、宿泊を伴う学校行事等に参加する児童生徒などへの検査、感染拡大期に児童生徒に陽性者が確認された場合、その学年全員の検査を実施するなどです。

 

 そこでお尋ねします。

 第一に、今回の事業によるPCR検査を受けることを児童生徒またはその保護者が拒否した場合、学校等は強制的に検査を受けさせるのでしょうか。またこの検査を拒否した場合に、無理やり唾液等の体液を採取し、検体として保管するとすれば、その法的根拠はあるのでしょうか、併せて教えてください。

 

 第二に、市内では8月盆明けの18日に229人の新型コロナ陽性者が報告され、9月1日のピークまで、一日約150人から200人の間で陽性者が報告されていました。しかし、9月2日以降一気に減り続け、9月21日の7人と激減しています。市教育員会は9月3日付けで保護者向けに、塾や習い事を控えるよう通知を出したため、公共施設以外で指導に当たる民間のスポーツクラブなどで混乱をきたしました。教育長も本会議において「言葉足らずだった」と答弁し、内容を修正したものを9月13日に再度保護者に通知しています。言葉足らずの通知を出したことは、8月の児童生徒の陽性者急拡大を受けて、新学期に向けて感染拡大を何とかしたいとの熱意からだと理解します。

今回の補正予算も、まさしく陽性者拡大が激増した時に何とかしたいと、苦肉の策で考えられたのかもしれませんが、現在、児童生徒の陽性者がほとんどない中で、緊急事態宣言が明ける予定の10月以降という時期から行うことは、費用対効果の面からもその必要性に疑問があります。今回の補正予算も市民の混乱を招き、「言葉足らずだった」と釈明することになるのではないかと懸念します。当該検査事業をこの時期に行う必要性について、見解をお聞かせください。

 

 第三に、PCR検査はごく少量のウィルスを検出できる程度まで増殖し、存在の有無を調べるもので、抗原検査と比べて精度が高いと言われていますが、それでもPCR検査の感度は70%程度と言われています。陰性でも感染の疑いが残り、また陽性でも感染していないとなる偽陽性の場合があります。市は、当該検査事業でのPCR陽性者については、再度医療機関での検査を求め、その結果で感染者かどうかを確定するとしています。

 今回の学校での検査は、スクリーニング目的で行われ、児童生徒の中での、無症状感染者を特定するために行われるものです。楽しみにしている修学旅行や、部活での一世一代の大事な試合前に行われる、まさに踏み絵です。絶対的といえる検査方法が存在しない中で、あくまで目安でしかないこの検査を、多くの児童生徒に行うことの教育的影響をどうお考えでしょうか。学校と、医療機関の2度の検査で陽性になったお子さんは、修学旅行に参加できません。どんなに悲しいことでしょうか。教育者が新たな分断を学校内に持ち込んではいけません。

現状では学校内で児童生徒に感染拡大がないのであれば、わざわざ、児童生徒が拒否することができない踏み絵を踏ませるようなことをして、ごく微小のウィルスをあぶり出し、これまた絶対ではない検査で感染者とされて、楽しみな学校行事に参加できなくなるなど、これが北九州方式でしょうか。児童生徒の学校生活における最大の思い出である修学旅行のチャンスを奪っていいのでしょうか。

今回の検査事業が学校現場に陽性者への差別や分断をもたらたすことになりはしないかと危惧しますが、見解を伺います。

 

第四に、PCR検査は多様な事業者が参入していますが、中には検査方法に問題のある事業者もあり、検査の精度の確保が課題になっています。厚生労働省もPCR検査の精度管理マニュアルを示しています。PCR検査はごく微量のウィルスを増殖させるために、検体採取、識別、搬送、検査のどの段階においても、特段の管理体制が求められます。ことに、陰性・陽性の結果が、その子の人生を左右するようなことになれば最新の注意が必要です。

そこで、今回の検査事業における唾液等の検体採取においては、医師・看護師、保健師、教員のだれが行うのでしょうか。またその際、検体の取り違え、検体への異物の混入、検体へのバーコード貼付などの識別作業において、一貫した管理体制が各学校でとれるのか疑問です。只でさえ、度重なる学校行事の延期で、10月以降に行事が集中する学校現場において、この検査事業はかなりの負担になると危惧しています。当該検査事業における管理体制、検査の人員体制について見解を伺います。

 

第五に、PCR検査は大量の唾液を必要とします。以前のように口腔の粘膜をなぞるだけでは精度が落ちるため、試験管に一定量の唾液を延々とためなければなりません。私も検査を受けたことがあり、幸い陰性でしたが、20、30分間、唾液を縛りだすのにかなり苦労しました。

このように大人でも大変なPCR検査で児童生徒が大量の唾液を出すのにどれだけの心身の負担がかかるのか、はかり知れません。最近では児童生徒の学校内のクラスター感染が市内で報告されていない中、精度が絶対ではない検査で児童生徒の貴重な時間を奪い、そしてその結果、感染の負い目を児童生徒に負わせるようなやり方は、教育的にも間違いであります。当該検査事業における児童生徒の心身の負担について、教育長の見解を伺います。

【2,356字】

以上で第一質問を終わります。


追加議案に対する質疑を28日11時半過ぎに、本会議で行います。

2021年09月27日 | 枝光地域

1、 学校一斉のPCR検査を拒否した場合の対応について、また拒否した児童生徒の唾液等の体液を採取・保管するための法的根拠について

2,児童生徒のPCR陽性者がほとんどいない中で、実施する必要性について

3,検査自体が踏み絵となり、学校現場に新たに差別・分断をもたらされかねない懸念について

4,適切な検査を実施するための、取り違え、異物混入などを防ぎ、PCR検査の精度を確保するための、採取・選別・搬出等の学校における管理体制・人員体制について

5,PCR検査を実施するにあたり、児童生徒の心身の負担について


井上しんご9月議会本会議質問(案) 質問骨子

2021年09月08日 | 枝光地域

 井上しんご9月議会・本会議質問 骨子                 令和3年9月13日

  • ワクチン接種について伺います。

 ファイザー社等の新型コロナワクチンについては、まだ臨床試験の一部が継続されており、予防効果がある一方、ファイザーの取扱説明書によると感染予防効果や副反応による影響もまだ未知数な部分があるとされています。そのことからも、国や自治体は、ワクチンの効果や副反応のリスクなどを十分理解した上での自由意思による接種を進めるべきです。

 現在でも、ワクチンの副反応被害が疑われる件数が国の直近の発表で22,056件報告されていますが、その中で死亡との因果関係が認められたものはなく、現実はワクチン接種による健康被害については自己責任という形になっており、国・自治体・製薬会社は保証していません。 

このような状況にも関わらず、本市が行うワクチン接種の広報については、ワクチンのリスクについては全くと言い程触れられていません。国や市は接種率を上げることを至上命題にしているため、リスク面についてはあまり触れたくないというのが本音かもしれませんが、こと接種による健康への影響が自己責任である実態を踏まえると、接種するかどうか、適切に判断できる十分な情報提供を行うことが必要です。特に保護者の考え方によって影響を受けやすい、子供たちに対しては、よりわかりやすく丁寧な情報提供を行う必要があると思いますが、見解を伺います。

 

  • 子ども達のマスクについて伺います。

 教育委員会は学校・幼稚園における新型コロナウイルス感染症対応保健マニュアルで、運動中や、登下校中のマスク着用について、人と十分な距離を確保できる場合はマスクを外すようにすることを定めています。しかし非常に暑い日でも、汗だくになりマスク着用している子がほとんどで、体育の場合でもマスクの着脱はその子の判断に任せているので、結局は着用して運動する子が多く、酸欠になったりして倒れるなどの事例も報告されています。

 とりわけ、自分でマスクの着脱の判断が難しい子ども達について、マスク着用による健康被害が懸念される場合は、教員等が積極的に声をかけるとしていますが、現実は機能していません。マスクを着用して屋外活動することや、山坂の多い通学路を歩いて登校することは、酸欠のリスクが増大し危険です。小中学校において「人と十分な距離を確保しマスクを外して登下校及び屋外活動をして下さい」と説明するなど、より子供たちの安全を守るために実行性がある対応を求め、見解を伺います。

 

  • 発達障害及び、ケアが必要な子ども達への処遇について伺います。

 成長過程の子ども達は、生活面や学習面でも上手くできないことの方が多く、友達とのコミュニケーションや、学校での態度についても、大人から見ると問題行動とみられる面も多々あるものです。それが適切な教育を受けることによって、主権者としての人格の形成を図り、様々な失敗を経験しながら自立していくものです。

この成長過程における子ども達の中で、発達障害や自閉症及びその境の判別も難しい、いわゆるグレーゾーンと言われている子どもが約8%いるとの民間調査結果があります。当然、特別な支援が必要な子ども達への特別支援教育の機会を確保することは重要です。一方、多動があることやコミュニケーション能力が低い等を理由として、初期の成長段階で特別支援学級等での対応を決めることは、本来受けられる一般過程の教育が受けられなくなる恐れがあります。

また、子どもが発達障害や精神障害という病気として診断されることは、低年齢から向精神薬や精神安定剤、睡眠薬等の投薬につながる恐れがあり、服薬により病状が安定するというメリットの一方で、薬の副作用や薬物への依存性が高まること等、その子どもの将来に大きな影響を与えることになります。向精神薬は昭和28年麻薬及び向精神薬取締法、通称麻薬取締法でも、濫用防止対象の薬物として定められており、その管理と使用について厳しく規制されています。しかしながら、近年では診療内科やメンタルクリニックが増え、向精神薬等の処方が身近になる中で、発達障害や精神障害とされた子ども達へ安易な投薬が懸念されます。一度服用すると依存性が強く、薬をやめることは困難で、ましてや成長期の子供にはその体や脳への影響が懸念されます。発達障害と診断された子ども達や、児童相談所に保護される子ども達で、精神障害の疑いがもたれた子供への投薬治療については、他の手段が無い場合に極めて限定的に行う必要があると思います。そこでお尋ねします。

児童相談所や児童養護施設においては、指導員や職員が精神疾患や発達の遅れがある子ども達に対して、その子が抱える課題や生きづらさに寄り添い、落ち着くことができる環境を整え、きめ細かい生活支援や指導を行ない、治療ではなく本人の個性を理解して教育的な観点で粘り強く対応することを求めるものです。見解を伺います。

 

  • 学校の統廃合について伺います

 学校は地域の宝であり、子ども達がそこで学ぶだけでなく、登下校時の地域住民や青パト等による安全の見守り、また、地域の盆踊りや祭り、文化祭、サマーキャンプなど、まさに子ども達の喜ぶ顔が見たいという動機で、地域活動や街づくりをされている方がたくさん集う場所です。学校や子ども達の存在こそが、地域活動が活発といわれる、わが町・北九州の活力の原動力だと言えます。

 しかしながら、現在市は、北九州市立小・中学校の学校規模適正化の進め方に従い児童生徒数の少ない学校の統合を進めており、北九州の活力の原動力を奪っています。学校の存在は単に、教育だけに限ったものではありません。異常気象が多い近年において、学校は避難所としてますます重要であり、特に統合の対象となりやすい児童生徒数の少ない学校は、山間地であったりすることも多いため、その周辺には駅前や都市部と違い、避難できる公共・民間の施設がほとんどありません。学校は地域で唯一の貴重な公共施設として、過疎化した地域においては重要な役割を持っています。市が進める過疎化した地域での学校統合は、まさにコミュニティを守り続けている地域社会の息の根を止めるに等しい行為です。そうした山間地及び過疎化した地域での地域的な課題や、学校に求められている役割を踏まえ、児童生徒数の減少や運営コスト面だけで統合をしないことを強く求めるものです。見解を伺います。

 

  • 市有財産の活用について伺います。

 本市が定める公共施設マネジメント実行計画では、公共施設の統廃合や機能廃止など、今後40年間で保有量を20%削減することを目指しています。市はただ減らす、削減するマイナスの面よりも、集約化することで機能を強化、利便性を高めることができるとプラスの面のマネジメントとしています。しかしながら、廃止された施設が何年も放置され朽ち果てている等、市の魅力を高めることに資するような、到底マネジメント実行計画が進んでいるとはいいがたい状況もあります。

 公共施設等が廃止された場合、その後の有効活用策を、企業や民間団体、地域も含めて広く募集し、今の時代のニーズに合った利活用や売却を積極的に進める必要があります。平成28年に策定された公共施設マネジメント実行計画について、適切な見直しを行う必要があると考えますが見解を伺います。