モアイ像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/de/a06983fa08a662eb4103e2486f2341a0.jpg) このお話は南海でじっと島を見ていたモアイ像に聴いたお話です。
なあナロよ、わしはこう思うのだよ。我が部族は皆幸せだと思わないか、私達を幸せにして下さった神様に感謝の気持ちを捧げればならないと思うのだが。
仰せの通りで御座います族長様。我が部族にしか作れない、とても大きな石像を作って神様に感謝の気持ちを捧げては如何でしょうか、きっと他の部族もあなた様を尊敬する事でしょう。
こうして族長はモアイ像をつくることを決心しました。 しかし石切り場は遥か山の中です。どうにかして族長の希望の場所まで運ばねばなりません。 ピラミッドを思い浮かべる事も無く、ひととは利口なものです。 ナロは考えました、森の木を切ってコロの替わりに使おうと。
成功しました、立派なモアイ像が完成しました。 族長は喜びました、部族の誰も喜びました、素晴らしい偉業を成し遂げたと皆が喜びました。
こうなると他の部族もじっとしていられません。 こうして競い合うようにモアイ像が作られました。 しかし山にあった木々は一本残らず無くなってしまいました。
モアイ像が寂しそうに言いました、この私が作られた時には、 沢山の人々が私を崇拝してくれたものでしたよ。いまでは誰一人私に会いにきてくれませんよ。と
人類にみる滅亡の実例 モアイ像とはチリ領イースター島にある人面を模した石造彫刻のことです。 10世紀頃からモアイ像の建設が始まったとされています。 島民の人口については諸説ありますが一万人以上の住民がいたことは間違いありません。 それが1872年当時の住民の数は僅か111人であったと記録されています。
島の住民を育ててくれた慈悲深き森、それを伐採したが為に滅んだ愚かな住民、まるで私達そのものでは有りませんか。 繰り返してはなりません。
大発生に見る生物学的な必然としての滅亡、 それは、我々人類も例外ではありません。 ただ仮に大発生に見る生物学的な必然としての滅亡があるとしても、勿論、種が絶滅する訳では有りません。 この例で見れば百分の一でしょうか。 しかし恐ろしいとは思われませんか。
あなたは人類における大発生と滅亡の時期は何時頃だと思いますか。
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