昨年から群馬県東部(東毛、とうもう)の大泉町に出かけてランチを楽しむようになり、やがてブラジルスーパーやレストランにはアラブ由来の軽食があることに気がつきました。定食を食べるときついのでこれで済ませることが多いのです。
例えば、エスフィーハ(ESFIHA)も
キビ(kibe)もアラブ由来のスナックです。パステルもそうかも知れません。
ブラジルは移民の国であり、これだけアラブの食文化が定着しているのを「食感」してみるとアラブ系ブラジル人も多いと思いました。また、イベリア半島も暫くアラブ人が支配してこともあり、リスボンにもアラブ風の地名があるので、ポルトガルの文化にアラブのそれが既に埋め込まれていた、とも考えられます。日本人でも知っているアラブ系ブラジル人はカルロス・ゴーンさんです。
アラブ系ブラジル人のジョアン・ボスコはオウロ・プレットの鉱山学校で土木工学を学びますが、リオに出てからは詩人のアルヂール・ブランキ(Aldir Blanc)と組んで多くのMPBを送り出しました。中でも有名なのが「酔っぱらいと綱渡り芸人」です。
歌詞の内容は1964年から20年以上続いた軍事政権下の「ブラジルの夜」を歌っています。
「酔っぱらいと綱渡り芸人」作詞 Aldir Blanc
日が落ちる。
夜 へと橋がかる黄昏。
喪服を着た酔っぱらいに
わたしはチャップリンを思い起こした。
月は
売春宿のおかみさんのように
冷やかな星々から
きらめきという宿代を求めていた。
そして雲は
空の吸い取り紙で
拷問の血痕を吸い取っていた。
-ああ息苦しい。
狂っている。
山高帽子をかぶった酔っぱらいは
ブラジルの夜のために
(わがブラジル!)
あらゆる無作法をやってのけた。
多くの人々といっしょにパトカーで
連れていかれたエンフィルの兄弟が
帰ってくるのを夢見て。
私たちの祖国、気高い母は泣いている
マリアたちもクラリスたちも泣いている
ブラジルの大地で。
でも私は知っている
突き刺すような苦しみが
無駄にはならないということを。
『希望』はサーカス小屋の綱の上で
一歩一歩進みつつ
危なっかしく踊っている。
けがをするかもしれない。運だよ!
『希望』という綱渡り娘は知っている
すべての芸人のショーは
続けられなければならないということを。
石山和男さんの本でもジョアン・ボスコのライブの素晴らしさが書かれています。以下の動画でそれが分かります。最初にDjavanが写っていますね。
導入部でチャップリンの「スマイル」が使われていますが、訳詩が無ければ何故「スマイル」なのか理解出来なかったでしょう。彼は観客を導いて歌わせます。ここで彼は伴奏者に徹して、歌手はブラジルの観客であることが素晴らしいのです。
このCDが私の手許に届いたのが三月初旬でした。聞き込んでから紹介しようとした矢先にあの震災が起こりました。歌は聞き手の状況が変化すると全く違ったように受け取れます。今、私達は福島で行われている「綱渡り」を見守っています。
けがをするかもしれない。運だよ!
『希望』という綱渡り娘は知っている
すべての芸人のショーは
続けられなければならないということを。
最後に、この曲をYouTubeに投稿し、訳詩を掲載して頂いた建築家のエビネンコさんに感謝します。
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例えば、エスフィーハ(ESFIHA)も
キビ(kibe)もアラブ由来のスナックです。パステルもそうかも知れません。
ブラジルは移民の国であり、これだけアラブの食文化が定着しているのを「食感」してみるとアラブ系ブラジル人も多いと思いました。また、イベリア半島も暫くアラブ人が支配してこともあり、リスボンにもアラブ風の地名があるので、ポルトガルの文化にアラブのそれが既に埋め込まれていた、とも考えられます。日本人でも知っているアラブ系ブラジル人はカルロス・ゴーンさんです。
アラブ系ブラジル人のジョアン・ボスコはオウロ・プレットの鉱山学校で土木工学を学びますが、リオに出てからは詩人のアルヂール・ブランキ(Aldir Blanc)と組んで多くのMPBを送り出しました。中でも有名なのが「酔っぱらいと綱渡り芸人」です。
歌詞の内容は1964年から20年以上続いた軍事政権下の「ブラジルの夜」を歌っています。
「酔っぱらいと綱渡り芸人」作詞 Aldir Blanc
日が落ちる。
夜 へと橋がかる黄昏。
喪服を着た酔っぱらいに
わたしはチャップリンを思い起こした。
月は
売春宿のおかみさんのように
冷やかな星々から
きらめきという宿代を求めていた。
そして雲は
空の吸い取り紙で
拷問の血痕を吸い取っていた。
-ああ息苦しい。
狂っている。
山高帽子をかぶった酔っぱらいは
ブラジルの夜のために
(わがブラジル!)
あらゆる無作法をやってのけた。
多くの人々といっしょにパトカーで
連れていかれたエンフィルの兄弟が
帰ってくるのを夢見て。
私たちの祖国、気高い母は泣いている
マリアたちもクラリスたちも泣いている
ブラジルの大地で。
でも私は知っている
突き刺すような苦しみが
無駄にはならないということを。
『希望』はサーカス小屋の綱の上で
一歩一歩進みつつ
危なっかしく踊っている。
けがをするかもしれない。運だよ!
『希望』という綱渡り娘は知っている
すべての芸人のショーは
続けられなければならないということを。
石山和男さんの本でもジョアン・ボスコのライブの素晴らしさが書かれています。以下の動画でそれが分かります。最初にDjavanが写っていますね。
導入部でチャップリンの「スマイル」が使われていますが、訳詩が無ければ何故「スマイル」なのか理解出来なかったでしょう。彼は観客を導いて歌わせます。ここで彼は伴奏者に徹して、歌手はブラジルの観客であることが素晴らしいのです。
このCDが私の手許に届いたのが三月初旬でした。聞き込んでから紹介しようとした矢先にあの震災が起こりました。歌は聞き手の状況が変化すると全く違ったように受け取れます。今、私達は福島で行われている「綱渡り」を見守っています。
けがをするかもしれない。運だよ!
『希望』という綱渡り娘は知っている
すべての芸人のショーは
続けられなければならないということを。
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