![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/cb/01b453c1f9de4ec48914c6a4e6dc0595.jpg)
『写真で見る るなぱあくの歴史』を見て初めて分かったことは、この遊園地の前史です。江戸時代からここは窪地であって、明治の中ごろには乳牛が飼育される「赤城牧場」が設立されました。四半世紀の営業の後、前橋市に譲渡され、動物園が設けられ遊具も置かれて、市街地から歩いて行ける公園として市民に親しまれました。戦後の昭和の大合併(1954年)を記念して、現在の「るなぱあく」の前身である前橋市中央児童遊園地となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/f6/ac69f977608a354a5c9f418e6153a049.jpg)
戦前の公園の様子が分かる一枚です。池から見た風景ですが、公園から臨江閣に通ずるトンネルが見えます。萩原朔太郎がこのトンネルを撮影した写真も残っています。
昨日、このアングルからトンネルを撮影したいと思って足を運びましたが、建物が増え木立が大きくなってしまい撮影出来ません。結局冒頭の画像を撮影して諦めることにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/06/a6f91cdc0e375ec8b183e589b258ba40.jpg)
次の目的は赤城牧場の痕跡を確認することです。冊子の記述に寄れば飛行塔の西にあるはずです。ラジオ塔、飛行塔の脇を歩いて石碑を見つけました。自然石に「赤城牧場趾」と刻まれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/8f/347f7d95fcf1c7e0e34d539770a7dc53.jpg)
裏面に回るとこの碑の由来が刻まれていました。
明治二十八年 羽生田仁作 牧場設立
大正九年 羽生田俊次 当市譲渡
昭和五十三年 羽生田進 表碑建立
この碑を建立した羽生田進さんは中心市街地に眼科を開業されていたので、私もお世話になったと記憶しています。
この冊子で興味を惹かれたのは戦前の公園の遊具です。大正末期から昭和の初めの頃の画像が掲載されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/f8/0aa7792a0dfc86dd5bd47c0f6fda3ac7.jpg)
この画像の中ほどに高い柱が見えます。クリックすると拡大します。よく観察すると、最上部に回転する機構があり、ここから複数のロープが下がっています。遊び方はロープに端部の取っ手を握り、柱の周りを周回したに違いありません。回旋塔の原型ではないでしょうか?回旋塔は遊びやすくするために、鉄のループを柱の頂点から鎖で支えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/de/2aa28099bad75eaaac448faf323bb0e2.jpg)
もう一枚は滑り台と2頭の木馬です。これもクリックすると拡大します。滑り台で遊んでいる子どもの服装は和服です。滑面はアーチで支えられ、当時のモダニズムが感じられます。デッキも広く、滑面も幅広と思われますので、複数入り乱れて遊んだに違いありません。亡父は1919年生まれなのでこの滑り台で遊んだかも知れません。
今の滑り台はコンクリートより摩擦係数の低い素材が使えるので傾斜も緩く、斜面も長く作れます。
滑り台の右側に見える木馬にも注目しました。木馬の動きです。設置面と木馬の間は板で囲われているのが分かります。奥と手前の木馬の板に対する相対的な位置の違いからどのような動きをしていたかを想像してみました。以下のような動作のように思われて仕方ありません。
当時から挟み込み防止の対策が取られていたと思いたいです。どんな木馬だったか確かめたいと思いますが、実際に遊んだ方は90歳以上でしょう。
久しぶりに前橋公園に来たので「さちの池」までトンネルを通って行ってみました。緑化フェアの大改修工事で池は奇麗にこじんまりとなりました。冒険心・探究心をそそる未知の領域は全く姿を消しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/c9/cb71c53d74ecd05e4ca0187efc69eeb8.jpg)
この池から流れる水路からは前橋周辺では最初にホタルが飛ぶ名所でしたが、もう見られないと思うと何だか淋しくなってしまいます。
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戦前の公園の様子が分かる一枚です。池から見た風景ですが、公園から臨江閣に通ずるトンネルが見えます。萩原朔太郎がこのトンネルを撮影した写真も残っています。
昨日、このアングルからトンネルを撮影したいと思って足を運びましたが、建物が増え木立が大きくなってしまい撮影出来ません。結局冒頭の画像を撮影して諦めることにしました。
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次の目的は赤城牧場の痕跡を確認することです。冊子の記述に寄れば飛行塔の西にあるはずです。ラジオ塔、飛行塔の脇を歩いて石碑を見つけました。自然石に「赤城牧場趾」と刻まれていました。
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裏面に回るとこの碑の由来が刻まれていました。
明治二十八年 羽生田仁作 牧場設立
大正九年 羽生田俊次 当市譲渡
昭和五十三年 羽生田進 表碑建立
この碑を建立した羽生田進さんは中心市街地に眼科を開業されていたので、私もお世話になったと記憶しています。
この冊子で興味を惹かれたのは戦前の公園の遊具です。大正末期から昭和の初めの頃の画像が掲載されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/f8/0aa7792a0dfc86dd5bd47c0f6fda3ac7.jpg)
この画像の中ほどに高い柱が見えます。クリックすると拡大します。よく観察すると、最上部に回転する機構があり、ここから複数のロープが下がっています。遊び方はロープに端部の取っ手を握り、柱の周りを周回したに違いありません。回旋塔の原型ではないでしょうか?回旋塔は遊びやすくするために、鉄のループを柱の頂点から鎖で支えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/de/2aa28099bad75eaaac448faf323bb0e2.jpg)
もう一枚は滑り台と2頭の木馬です。これもクリックすると拡大します。滑り台で遊んでいる子どもの服装は和服です。滑面はアーチで支えられ、当時のモダニズムが感じられます。デッキも広く、滑面も幅広と思われますので、複数入り乱れて遊んだに違いありません。亡父は1919年生まれなのでこの滑り台で遊んだかも知れません。
今の滑り台はコンクリートより摩擦係数の低い素材が使えるので傾斜も緩く、斜面も長く作れます。
滑り台の右側に見える木馬にも注目しました。木馬の動きです。設置面と木馬の間は板で囲われているのが分かります。奥と手前の木馬の板に対する相対的な位置の違いからどのような動きをしていたかを想像してみました。以下のような動作のように思われて仕方ありません。
当時から挟み込み防止の対策が取られていたと思いたいです。どんな木馬だったか確かめたいと思いますが、実際に遊んだ方は90歳以上でしょう。
久しぶりに前橋公園に来たので「さちの池」までトンネルを通って行ってみました。緑化フェアの大改修工事で池は奇麗にこじんまりとなりました。冒険心・探究心をそそる未知の領域は全く姿を消しています。
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この池から流れる水路からは前橋周辺では最初にホタルが飛ぶ名所でしたが、もう見られないと思うと何だか淋しくなってしまいます。
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