teamひとり

「竜の像」(東松島市野蒜海岸)

野蒜海岸

2018-06-25 22:56:59 | ツーリング
 2010年まで野蒜海岸は宮城県内でも人気の海水浴場だった。海水浴以外でもよく行った所だ。震災直後に、ボランティアで行ったきり7年ぶり。巨大な高さの堤防で道路から海は全く見えず。高い高い堤防を上り、正面はもちろん太平洋。東側は吉田川と鳴瀬川の合流地点と石巻市方面、牡鹿半島。





西側は整備が終わっていない海水浴場の正面。堤防の内外ともに整備中。



立木は防砂林か防潮林だったと思われる。



堤防の陰の砂地にひっそりとハマナスの花。北海道の花(道花)にもなっているハマナス。本日のテレビでは、6月中旬の礼文島を、深夜のラジオでは根室市からの話題の予定(どちらもNHK)。ハマナスをみると北海道の話題がますます気になる。

三陸海岸

2018-06-18 23:36:28 | ツーリング
 東日本大震災から7年が経過した。震災後、被害の大きかった三陸海岸沿いは国道45号で気仙沼市までは何回か走ったが岩手県から青森県までは走っていない。久しぶりに走ってみると三陸自動車道(三陸沿岸道路・平成32年全線開通予定)が所々出来ている。出発が遅かったので三陸海岸の風景を楽しむ間もなく一気に走り抜け今夜は八戸市泊。

(八戸港フェリーターミナル)
翌日めざすのは下北半島西海岸。途中、佐井村の看板を見つけ右折。これが間違い。確かに佐井村には着くが、どんどん山深く、ガスって見通し悪く、しかも下りの急カーブ。通行車両も無くかなり怖いカモシカライン。やっと佐井村の集落に出て「ふぅ〜」と安心のため息。

(青森県六ケ所村鷹架沼)

(仏が浦)

脇野沢町めざすが今度はガソリンスタンドが無い。なんとか、むつ市のひと気がある所まで戻り一安心。薄暗くなってから青森市着。

最終日は、十和田湖に寄って東北自動車道で真っ直ぐ帰宅。



梅雨入り

2018-06-11 22:28:31 | ツーリング
 昨日、少し早い梅雨入りらしい空模様で正しく梅雨入り。今日(11日)で東北すべても梅雨入りした。悪天候でも、ツーリングはあまり苦にならないが今日は乗る気がしない。数日前、新聞の地方版に載っていた皐月展でも見に行くか。
と、思ったのは「さつき」と「つつじ」の区別もままならず、花の展示会など行った事もないのに、庭の皐月と(たぶん「さつき」だと思う。)つつじと混栽されて隙間がなくなってきたので、鉢に移したい思ったから。
念のため会場の場所を確認。
うっ!昨日までぇ〜。せっかく、柄にもなく行く気になったのに。

(庭のたぶん?皐月。ツツジと混じりあいそう)
しょうがないので、古いネガフィルムのスキャンでもする事にする。まだまだ、相当な数がある。
ときおり思い出深い写真も出てくる。もっと沢山写真を撮っておけば良かったと思う。しかし、フィルムだと現像、プリントと金額もかさんでくる。反面、一枚一枚ていねいに撮っていたと思う。デジカメだとフィルムのように残数を気にせず撮れる。で、ちょっと古い写真を。


(1974年 バイクはDT250Ⅲ)

(1987年 上富良野町は母の故郷)

古い写真5 納沙布岬

2018-06-04 23:17:31 | 古い写真
 古い白黒ネガをスキャンしていると、それぞれに思いがよみがえるが、どうしても思い出せないものもある。40年以上前だからしょうがない……。カメラ小僧からカメラ高齢者まで半世紀以上。足も自転車からバイクに車、鉄道、バス等々に進化した。カニ族(北海道旅行で、主に学生が横幅のある登山用リュックを背負って列車内を歩くのに横になって歩くためこう呼ばれた)をまねて列車の旅をした事もある。いまはバイクツーリングがほぼ100%。

(海と空の境目に白く見えるのが流氷。写真では見えにくいが肉眼でもはっきり見える歯舞諸島。)
1976年冬、夜中の青函連絡船に乗って北海道へ。納沙布岬は雪が少ない。国境付近を流氷が漂っている。

(1976年2月)

(2012年7月)灯台は無人化されたが砂利道は同じだった。