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一人で抱え込んだ介護
心が引き裂かれるような喪失感
死に別れるつらさを他人に委ねる知恵
自分で看病し続けたいと願うタカコさんに、病院で母親を看取るように説得した方がよかったのではないかと私は今も後悔しています。タカコさんはきっとあの時と同じように、「私以上に母親の看病ができる人がいるとは思えません」と断ったことでしょう。
それでも、私がキッパリと「入院した方がいい、病院は私が探します。病院に行っても、二人に何度も会いに行きます」と何故話さなかったのかと今でも悔やんでいます。
タカコさんは、病院で母親を看取っても、何かしら後悔を残したかもしれません。しかし、孤立してその過程を一人で背負うのではなく、病院の人たちと共有することで、死別のつらさを少しでも軽くすることができたかもしれないと思ってしまうのです。
自宅で看取りをし、残された人のその後の生活は、医療者や多くの人たちは知りません。自宅で看取りを迎えた瞬間は、看病していた家族に充実した気持ちがあっても、その後普通の生活に戻る中で後悔と自責で潰れてしまう人たちが少なからずいます。このような人達を苦しみから救うにはどうしたらよいのかと、タカコさんを診察しながら考え続けています。
最初の話には、続きがあります。
「6割の人達ができるだけ自宅で療養したいと望んでいます。しかし、最後まで自宅で療養したいと考えている人は1割しかいません」
なぜなら多くの人達は、介護してくれる家族に負担がかかることを一番に案じるからです。その負担とは、介護する家族の身体や時間の負担だけではなく、亡くなった後の心の負担もあるのです。
自宅での看取りを、美談にしてはいけない。
私はこの母娘を通じて、目の前の亡くなりゆく患者の治療だけではなく、残される人たちの未来の心情と生活を想像し、診療するようになったのです。