ペアで銅の渡辺勇大「競技やめる」福島から東京へエスケープした高校時代、心をほぐした恩師の思い【東京五輪バドミントン】(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース
◇30日 東京五輪 バドミントン混合ダブルス3位決定戦(武蔵野の森スポーツプラザ) 同種目初となる銅メダルを渡辺勇大、東野有紗組(日本ユニシス)が獲得した。中学時代から続くペアの快挙を渡辺自身は高校時代に予感していた。だが、必ずしも順風満帆であったわけではない。
◇ 「俺、混合なら五輪で金メダル取れるイメージがあるんですよね」。福島・富岡高1年の秋、渡辺がこう語ったのを富岡高コーチ、本多裕樹さんは覚えている。中学時代に東野とのペアに手応えがあったのもあるが、これは「高校やめたいんですけど…」という相談の先に出た言葉だった。人生に迷った2カ月間の中で唯一、心のよりどころにしていたのが混合で世界一にという夢だった。
当時は自らの志とチームメートとの差に思い悩み、ふさぎ込むようになっていた。部に顔を出さず、寮の部屋に引きこもる日々が1カ月続き、ついに東京の実家へ帰ってしまった。中学入学時に厳しい練習から「帰りたい」と弱音をはいた渡辺に、「帰ってきてもいいけれど家の鍵は閉めておく」と突き放した父・雅和さんでさえも、この時ばかりは帰郷を許した。
当時の監督、大堀均さん(現トナミ運輸コーチ)も何も聞かず、一時的に寮に戻った時には自宅に招き入れた。ともに風呂に入り、ふとんを並べて寝た。周囲の気遣いに触れていくにつれ、渡辺の心もほぐれていく。競技をやめる寸前だったのを思いとどまり、再び集中するようになった。
この3位決定戦を前に「期待とかプレッシャーに押しつぶされそうで…。逃げ出したくて試合したくないという気持ちがありました。でもやるしかないと腹をくくった」と渡辺。思い描いた金メダルには届かなかった。だけどこの時も逃げずに戦いに向き合ったからこそ、日本男子史上初の五輪メダリストが生まれた。