https://news.yahoo.co.jp/articles/a241bbd0f273d3f7bc90ee58c2e6389c5f2b80eb?page=2
三つの薬が臨床試験を実施 ところがアデュカヌマブの評価は必ずしも高くない。最終段階となる治験(フェーズ3)でバラバラの結果が出ていたからだ。 FDAは、臨床試験の追加実施を条件にして迅速承認したものの、EMA(欧州医薬品庁)は「非承認」の勧告を出し、日本の厚労省は、「現時点で得られたデータから、本剤の有効性を明確に判断することは困難」(薬事・食品衛生審議会)として、再度審議することになっている。可能性に賭けた米国、クールに却下した欧州、結論を持ち越した日本。お国柄の出た結果ともいえるが、アデュカヌマブの出現は、大手製薬メーカーの開発競争に火を付けている。 「米イーライリリーやスイスのロシュなど大手製薬会社が、ほぼ同様の治療薬の開発を進め、今、アデュカヌマブに続いて三つの薬がフェーズ3の臨床試験を実施しています。成功が見込めなければ、数百億円の費用がかかるフェーズ3には入りませんし、アデュカヌマブの臨床試験の結果を見て、他社が開発を中止することもないでしょう」 そう話す富田教授らが進めている研究も、同様にアミロイドベータの分解を目指している。だが、最終的な「着地点」は大手製薬メーカーと全く違う。富田教授らの研究は、従来の手法とどこがどう異なっているのだろうか。 脳に薬を届けるには まず、大手製薬メーカーがこぞって開発しているのは「抗体薬」、一方富田教授らが手掛けているのは、「低分子化合物」という違いがある。 一般に薬は、化学的に合成する有機化合物が主流だったが、近年は遺伝子組み換えなどバイオ技術が発展し、より複雑な薬を作れるようになった。その代表である抗体薬は、動物の体が持つ抗体(免疫)を利用して、バイオ技術で作り出すものだ。現在、がんなど難治性の病気に対する治療薬の多くが、抗体薬である。 しかし脳の治療に限れば、抗体薬は大きな問題を抱えている。 「マウスに墨汁を注射すると全身が黒ずみますが、頭部だけ色は変わりません。血液脳関門によって脳は特別に守られ、異物が脳に入らないようになっているからです。抗体薬も分子量が大きく、脳に入るのは投入した量の0.1%以下で、創薬の大きな障害となってきました。これに対して有機化合物の分子量を小さくした低分子化合物は脳内に入ることができるのです」(富田教授)
試行錯誤の中で「光触媒」が浮上 その低分子化合物で富田教授らが目を付けたのが、物質の化学反応を促進する「触媒」だ。そこで触媒を専門とする金井教授らとチームを組みアミロイドベータ分解のプロジェクトをスタートさせたのが10年前のこと。その金井教授が話す。 「私たちが考えたのは、アミロイドベータの“酸素化”でした。細胞は水と油でできていて、油は油どうしで集まりやすい。同じ原理でアミロイドベータも凝集します。一方で酸素は水とくっつきやすいため、アミロイドベータに酸素を結合すれば水が妨害役となって凝集しなくなると考えたのです。そこで、触媒を使いアミロイドベータに酸素を結合させる方法がないか探しました」 その試行錯誤の中で「光触媒」が浮上する。光触媒とは、光を吸収することで活性化し、他の物質に化学反応を引き起こす触媒の総称をいう。日本発の技術で、現在、さまざまな分野で使用されている。窓に使われている抗菌ガラスもそのひとつ。ガラスにコーティングされた触媒が可視光に当たって活性化し、抗菌作用が働くのだ。 2014年、研究チームは試験管の中で、アミロイドベータの酸素化に成功する。 「試験管の中のアミロイドベータに光触媒を入れ、光を当てる。すると光触媒が活性化してアミロイドベータに酸素が結合し、凝集が止まりました。それだけではなく、アミロイドベータの毒性も消えたのです」(同) 大きな成果ではあったが課題も残っていた。光触媒の「選択性」である。この時点では、光触媒がアミロイドベータだけでなく他のタンパク質をも酸素化してしまっていたのだ。このまま使うと副作用が起きてしまう。アミロイドベータだけを“選択”し、酸素化する技術の実現が「当初は一番難しかった」と金井教授は振り返るが、16年にこれも成功。学術誌に発表された論文は大きな反響を呼んだ。 そして21年、マウスを使った実験に成功する。 思わぬ発見が 「マウス実験の課題は、光触媒をうまく活性化させるために、マウスの脳内にどのように光を届けるかでした。最初は、マウスに麻酔をかけて開頭し、コタツのヒーターのような光『近赤外線』を直接当ててアミロイドベータが酸素化することを確認。その後、光触媒を改良し、頭に外から近赤外線を当てるだけで酸素化させることに成功したのです。人の脳は、マウスよりも厚い頭蓋骨で守られていますが、これで展望が開けてきました」(同) 手のひらを太陽にかざすと真っ赤に見えるのはご存じだろう。近赤外線は生体を透過する性質を持っているのだ。触媒の感度が上がれば効果も増大する。実験ではマウスを開頭して光を照射した場合、アミロイドベータは1週間で半減。開頭せずに、外から光を照射した場合でも、アミロイドベータは4カ月後に3~4割減少したのだ。
思わぬ発見もあった。 「私たちの脳では毎日、ミクログリアという免疫細胞がアミロイドベータを分解しています。しかし何らかの原因で機能しなくなり、アルツハイマーになると考えられていました。しかし、アミロイドベータを酸素化すると、ミクログリアがそれをきちんと認識して分解を再開することも分かったのです」(同) 金井教授の研究室では、生成した光触媒に担当研究者の名前を付けている。現在もっとも効果のあるものは、昨年発表した「永島触媒」だという。
発症してからでは遅い 近年、認知症の治療現場では「早期発見・早期治療」が重視されるようになった。専門医の問診や認知テストにより認知症予備軍「MCI」(軽度認知障害)と分かった時点で治療に着手する考えだ。実際、MCI患者は約半数が、放っておくと5年以内に本格的な認知症を発症するといわれている。それを遅らせるため、食事の改善、運動、または創作活動などの療法がある程度効果的であることが分かってきたが、アルツハイマーの場合も、“毒”となるアミロイドベータの蓄積は早ければ50代で始まり、脳内のあちこちで凝集が進んでゆく。そして、10年、20年後に発症することが分かってきた。 「アルツハイマーの症状が目に見えるような形で出た時は、脳細胞の死滅が始まっている段階です。現在の医療では死滅した脳細胞は再生できないため、この時点でアミロイドベータの分解を始めても脳の機能は十分に元に戻らないと考えられます。それより蓄積が始まる段階で、その産生を抑制し、分解を進めることが、最も重要なのです」(富田教授) アミロイドベータの蓄積を測るのは、現在、PET検査や脳脊髄液の採取により可能となっている。これらの検査は、まだ保険適用になっていないが、昨年6月、ノーベル化学賞の田中耕一氏らが、1滴の血液からアミロイドベータ関連物質を測定する分析器を開発。より低額で、体への負担が小さい測定方法が実現している。 そして、富田教授らの研究は、アルツハイマー治療の「最後の壁」も突破できる可能性があると注目されている。それは「薬価」だ。
血圧の薬なみの値段に 一般に抗体薬は効き目が強い一方、価格が高いことで知られている。たとえば米国において、アデュカヌマブは発売当初、年間5万6千ドル(約630万円)かかった(月1回1時間の静脈注射)。それもあってか、発売後3カ月の売り上げがわずか30万ドル(約3400万円)だった。バイオジェンは半年後に半額への値下げを余儀なくされたが、それでも年間2万8200ドル(約320万円)である。 翻ってわが国では、MCIの患者が約400万人と推定されている。もし、アルツハイマーの進行を抑えるためにアデュカヌマブを全員に投与すれば、1年で実に10兆円以上の費用がかかる。これを10年、20年と続けるのは現実的であろうか。 「薬価というものは、研究開発費の回収が終われば生産コストだけになるため、だんだん下がっていきますが、抗体薬の場合、特殊な設備で細胞を培養して製造するため、生産コストそのものが高い。その結果、薬価が下がりにくいのです」(富田教授) 一方、毎日飲んでも、大した負担にならない薬がある。たとえば血圧を抑える降圧剤だ。日本の高血圧の患者は993万7千人。これだけの数が降圧剤を毎日服用できるのは、薬価が低いためだ。現在はジェネリック品も販売されており、ほとんどが1日あたり100円以下のコストだ。 「こうした薬の値段が低いのは、低分子化合物でできていて生産コストが抑えられるからです。私たちが研究している光触媒も低分子化合物であり、研究開発費の回収が終われば、降圧剤と同程度まで薬価を低くできるでしょう」(同)
錠剤化が可能 メリットはもうひとつある。抗体薬は分子量が大きいため、注射による投与しかないが、低分子化合物は錠剤化できる。つまり、常備薬のように飲める。近い将来、50代から毎日服用すれば、と冒頭で紹介したのは、光触媒を使った療法なら、それが可能だからだ。 実をいえば富田教授らは光触媒をアルツハイマー予防薬として実現させるだけでなく、その先も見ている。光触媒には汎用性があり、他の病気の治療にも応用できるからだ。 たとえばアルツハイマーは、異常なタンパク質の蓄積により発症する「アミロイドーシス」のひとつだ。他に、脳の黒質と呼ばれる場所の神経細胞にタンパク質が蓄積して運動障害を起こす「パーキンソン病」、脳と脊髄の運動神経内でタンパク質が異常に凝集して全身の筋力が衰えてゆく「ALS」(筋萎縮性側索硬化症)、そして、アントニオ猪木氏が闘病していることを明かした「心アミロイドーシス」もある。これは心臓にタンパク質が溜まり心不全を起こす難病だ。 「光触媒は、アルツハイマーのもう一つの原因物質である凝集したタウも分解できることが分かっています。それだけではなく、タンパク質の蓄積で起きる他のアミロイドーシスにも効果を示しています」(同)
いつ予防薬が実現するのか そんな話を聞けば、いつアルツハイマー予防薬が実現するのかぜひとも知りたいところである。 「現在、マウス実験では最大用量の光触媒を投与していますが、副作用は出ていません。今後、ヒトへの投与へ向けて、安全性をさらに確かめると共に、適切な投与量と投与頻度を測っていきます。3年のうちに臨床試験を始めたいと思っています」(同) 富田教授らは、光認知症療法についてすでに特許を取得。1年前にバイオベンチャーと、創薬に向けたライセンス契約を結んでいる。自分が自分でなくなる病気「アルツハイマー」の恐怖から人が解放される日は、そう遠くない。