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かつてピロリ菌が見つかったとき、これで胃がんは予防できる病気になったと考えられ、日本でも抗生物質を使ったピロリ菌の除菌が勧められた。ところが、「ピロリ菌の除菌は胃がん防止に効果はあるが、他のさらに厄介な病気を引き起こすことになる」というのが昨今の見識である。かつての常識がひっくり返ったのは、それだけではない。善玉菌といわれてきた乳酸菌もビフィズス菌も、腸内を整えてくれるどころか悪化させる可能性がわかってきたのだ。年末年始に食べ疲れ飲み疲れた胃腸を揺るがす、激変の医療常識をレポートする。(サイエンスライター 川口友万)
● 胃がんの原因である ピロリ菌は悪ではない? かつて西オーストラリア大学のロビン・ウォーレンとバリー・マーシャルが胃の中にピロリ菌を発見し、これによりピロリ菌が胃がんや胃潰瘍、十二指腸潰瘍を引き起こすことが判明した。 日本は感染症によるがん患者が25%と他国より高く(米10%、欧州6%)、特に胃がん患者の98%はピロリ菌由来だと考えられた。そのため日本では2000年から消化性潰瘍、2013年からは胃炎にもピロリ菌除菌療法が保険適用されることになった。 その結果、胃がん死亡者数も徐々に減少し、ピロリ菌除菌は高い効果のある療法だと考えられてきた。 だが、ここに来て風向きが変わってきた。たしかに胃がんは減ったのだが、ピロリ菌を除去すると他の病気が増えるらしいのだ。 細菌学者のマイケル・J・ブレイザーはピロリ菌陽性の患者が陰性患者に比べ、胃がんによる死亡者数は多いものの、脳卒中や心臓系疾患、さらには他のがん、肺がんや食道がん、すい臓がんなどの死亡率が低いことを発見したのだ。人間の体は簡単ではない。こっちが悪でこっちが善、悪を切れば善が残るというわけにはいかないらしい。 しかも最近の研究によると、ピロリ菌陽性者は胃がんになる可能性が高いが、除菌しても胃がんになる人が次第に増加してきたことがわかってきた。100パーセント有効な予防法ではないということだ。なぜかというと、除菌によって初期の胃がんが発見しづらくなり、ごく初期の胃がんが「ステルス化」してしまうことが影響している。
ピロリ菌を除菌すると胃酸の分泌が増加し、胃の粘膜が厚くなる。その結果、粘膜が胃がんの部位を覆い隠してしまい、内視鏡で見つけづらくなる。そのため、がんが進行し、悪化する。ピロリ菌で発生する胃がんは分化型胃がんといい、悪性度は高くなく、本来なら検査で早期に発見すれば完治するのだが、ステルス化することで発見が遅れる危険性もある。 逆流性食道炎も増える。除菌すると胃酸過多になるのだ。胃酸過多になると咽喉頭がん、食道腺がん、噴門部がんが発生しやすく、これが治りにくい。胃がんよりも厄介なのだ。 それゆえピロリ菌の除菌は必要ないという専門家も出てきた。そもそも、ピロリ菌の感染は経口感染で、5歳までといわれる。5歳を過ぎると胃酸の分泌が盛んになり、入ってきたピロリ菌を除去してしまう。したがって、5歳までピロリ菌に感染しなければ、ピロリ菌が胃に定着しないのだ。 ピロリ菌は水とヒトから感染する。上下水道が普及し、陽性率の高い高齢者と孫が一緒に暮らすことが少なくなった。その結果、年々ピロリ菌陽性者は減っており、わざわざ除菌しなくても将来的にピロリ菌患者はいなくなってしまうらしい。
一世を風靡(ふうび)したピロリ菌除菌ではあるが、どうやら治療法としては間違いだったことになりそうだ。しかし、健康保険を適用してしまった以上、方向転換は難しい。 いずれにせよ、ピロリ菌を除菌した人でも安心せずに内視鏡検査で自分の胃の状況を確認することが肝要だ。 さらに2018年頃から、世界中の研究者らはピロリ菌だけではなく乳酸菌によって胃がんの発症と進行が促進されると言い始めた、日本低フォドマップ食推進会会長で日本消化器病学会指導医・専門医の宇野良治医師は言う。 「胃のピロリ菌感染だけでなく、強力な胃酸抑制薬を服用している場合も、胃がんの発生が増えます。両者ともに胃のpHが上昇しますが、これは乳酸菌が胃内で容易に増殖できる環境です。健常な胃には乳酸菌はいません。胃内粘膜の乳酸菌が増加したら、慢性胃炎、胃がんにかかっている可能性が高いでしょう」 乳酸菌の解糖によって生じる乳糖はがん細胞成長促進作用があるため、乳酸菌によって胃がんが発症するのだという。
● プロバイオティクスの摂取で 過敏性腸症候群が起きるリスク 過敏性腸症候群(IBS)というおなかの病気がある。慢性的な腹痛や便秘・下痢を伴い、本当に大変な病気なのだが、精神的なストレスが原因ではないか、自己免疫疾患ではないか、などいろいろいわれてきた。医療の現場でも、「原因がわからないので、ストレスでしょう」と下痢止めを渡されるのが一般的だ。 しかしまったく原因が違っていたらしいのだ。 前述の宇野医師は言う。 「腸内環境という言葉を聞いたことがあると思います。善玉菌と悪玉菌がいて、悪玉菌が増えるとおなかを壊す。過敏性腸症候群もそうした菌が原因だと思われていたのです」 おなかの調子が悪いのは腸にすむ細菌のフローラのバランスが崩れているため。だから乳酸菌やビフィズス菌などの善玉菌を増やしたり、食品で取ろうというのがプロバイオティクスの考え方だ。 しかし、2020年、米国消化器病学会は過敏性腸症候群、潰瘍性大腸炎、クローン病でのプロバイオティクスの使用について『推奨しない』と決定した。 乳酸菌などがこれらの病気を引き起こすらしいのだ。 「善玉菌の餌になるイヌリンやオリゴ糖、ヨーグルト(乳糖)、果糖の豊富な食事が“おなかの調子を整える”と思われていたわけです。これらは善玉菌によって大腸で発酵するので“発酵性食品”ともいわれていますが、10年ほど前からこれらの摂取によって過敏性腸症候群が引き起こされることがわかってきたのです」 ビフィズス菌と乳酸菌といえば善玉菌の代表で、ヨーグルトで胃腸は健康になるのではなかったのか? 善玉菌、悪玉菌と名付けたのは農学博士の光岡知足氏だ。1953年に成人のビフィズス菌を発見、1964年にヒトのビフィズス菌を分離することに成功し、1969年より善玉菌と悪玉菌による腸内環境のバランス=腸内フローラが健康を維持しているという仮説を発表、世間に広く知られていく。 ヨーグルトが健康にいい、腸内細菌の分布が健康に関係するといったことはこの頃から常識になっていく。光岡氏は機能性食品を提唱、オリゴ糖でビフィズス菌が増えることを発見し、オリゴ糖を含む飲料が機能性食品として認可され始めるのだが……しかしそう単純な話ではなかったのだ。
日本では過敏性腸症候群は年々、増加傾向にあるが、背景にはそうした機能性食品の影響があるのではないかと宇野医師は危惧している。 「赤ちゃんの時は善玉菌が多く、年を取ると悪玉菌が増えるといわれてきました。実際にそうなのですが、それぞれの理由は違います。善玉菌といわれるものは赤ちゃんが普通の食事をするまでの間に必要なだけで、食事が大人と同じになれば不要になって減ります。そして悪玉菌といわれるものは、実は長寿の人に多い菌なのです」 つまり赤ちゃんの時に必要な菌を大人になっても増やすことは、逆に健康に良くないらしいのだ。年齢に応じて腸内環境は変化する。ビフィズス菌と乳酸菌を増やせばいいというものではない。 一方、高齢者が善玉菌を飲むことは、良くも悪くもないという結果があるという。 「約310人の平均85歳の高齢者を対象に1年間、毎日乳酸菌とビフィズス菌を飲ませた結果が2020年、英国のオックスフォードなどの3大学から報告されましたが、感染症のリスクも死亡率も善玉菌を飲んでいなかった人とまったく同じでした」
● 年齢に応じて異なる 適切な腸内環境 健康な人は肌も体内も弱酸性。不健康になると酸性になったりアルカリ性になったりするといわれる。赤ちゃんの腸内はpH4.5~5.5の弱酸性、大人の腸内はpH5.5~6.0で中性から弱アルカリ性だから、赤ちゃんは健康で大人は不健康というのが大多数の見方なのだが、間違っていると宇野医師。 「過敏性腸症候群では腸内のpHは健常者に比べて酸性に傾きます。一般成人よりも弱酸性に近くなるんですね。pHが下がる(=酸性に傾く)と大腸の半分が動かなくなり、左下の腸がけいれんします。過敏性腸症候群でみぞおちが張って、左下のおなかが痛くなる理由です」 赤ちゃんと同じレベルのpH4.5~5.5になると成人の大腸は動かなくなったり、けいれんしたりする。赤ちゃんの腸が健康で大人の腸が不健康というのは、無垢(むく)なる赤子のイメージかもしれないが間違っている。人間には年齢に応じた適切な腸内環境があるのだ。 「善玉菌説がいわれた頃は、細菌の同定は培養法だけで行われていて、その頃は腸内には100種の菌が存在するというのが常識でした。しかし、2011年から、腸内細菌の遺伝子解析が行われるようになって、なんと1000種類以上の菌があり、90%の菌の働きがわからない。総数は100兆個ともいわれ、それが相互に作用して腸内環境を作っている。さまざまな菌がコロニーを作り、優勢になったり劣勢になったりするのが腸内環境で、ある種類の菌が多いと健康になるというものではないのです」
● 腸内環境を整える 低FODMAPの食事とは ではどうすればおなかの調子を治せるのか。 「2005年にモナッシュ大学のギブソンは難消化性発酵性食品(フォドマップ)によって慢性炎症性腸疾患(潰瘍性大腸炎、クローン病)が悪化すると仮説を立てました」 FODMAPは小腸で消化吸収されにくい糖類や繊維類の頭文字(Fermentable:発酵性、Oligosaccharides:オリゴ糖、Disaccharides:二糖類、Monosaccharides:単糖類、Polyols:ポリオール)を取ったものだ。 過敏性腸症候群はFODMAPが大腸で発酵し、水素などの大量のガスを発生させることが原因らしいのだ。そのため、FODMAPを減らす食事制限によって腸内環境を整える必要がある。 「2010年、過敏性腸症候群の人にオリゴ糖などのFODMAPを与えると非常に調子が悪くなり、さらに、これらの食物を摂取制限する低FODMAP食が過敏性腸症候群や慢性炎症性腸疾患の症状改善に有効だということがわかりました」 小腸までで吸収されない難消化性炭水化物は過敏性腸症候群にとって不利益でしかない。過敏性腸症候群やその予備軍の人は繊維質を避ける食事に変える必要がある。6週間の低FODMAP食で過敏性腸症候群や潰瘍性大腸炎の腹部症状が大幅に改善することが確認されている。 日本ではあまり知られていないFODMAPの害だが、低FODMAP療法に明るい医師も増えつつある。また最近はFODMAPの少ない米粉やスペルト小麦を使用したパンが普及してきている。今後、低FODMAPの小麦フリー、乳糖フリーなどに関心が持たれると社会の意識も変わっていくだろう。 乳酸菌を飲んだらおなかが張って仕方がないという人は、ヨーグルトなどは避けた方がいい。 (監修/日本低フォドマップ食推進会会長、日本消化器病学会指導医・専門医 宇野良治)