いや~、驚きのニュースが飛び込んできました。
宇多田さんのお母さんの、藤圭子さんが自殺か?
大ヒットして、当時相当売れていたから。
前川さんと結婚離婚して、
宇多田さんのお父さんと7度離婚結婚を繰り返して、独身だったそうですが。
1996年に新曲を出して、歌った姿がありますね。
宇多田さんも、相当ショックでしょうね。
歌声は、ここから観られます。http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%97%A4%E5%9C%AD%E5%AD%90&tid=392ba6d9d4da6c829abf5c1d949e6775&ei=UTF-8&rkf=2
歌手の藤圭子さん自殺か マンションから転落死
産経新聞 8月22日(木)12時17分配信
22日午前7時ごろ、東京都新宿区西新宿のマンション前の路上で、歌手の藤圭子(本名・阿部純子)さん(62)があおむけの状態で倒れているのが見つかった。警視庁新宿署によると、藤さんは病院に搬送されたが、頭などを強く打っており間もなく死亡した。
【フォト】人気絶頂を迎えていた頃の藤圭子さん
マンション13階の一室に藤さんの知人の30代男性が住んでおり、ベランダにスリッパの片側が落ちていたことなどから、同署は藤さんが男性宅を訪れていて飛び降り自殺したとみて、詳しい経緯を調べている。遺書などは見つかっていないという。
同署によると、通行人がマンションから女性が転落したのに気付き、110番通報。藤さんの元夫が藤さんと確認した。同署員が知人男性宅を訪れたとき、男性は1人で寝ており、藤さんがいなくなったことに気付かなかったという。
藤さんは歌手の宇多田ヒカルさん(30)の母親で、昭和44年に歌手デビュー。45年に「圭子の夢は夜ひらく」がヒットし、NHKの紅白歌合戦にも出演した。54年に渡米した後はほとんど表舞台に姿を見せなかった。
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- 前作の「女のブルース」の後を受けて10週間連続オリコン1位にランクされるなど1970年の年間第3位に輝いた。また、1位「圭子の夢は夜ひらく」・2位「女のブルース」と2週間にわたり1位・2位を独占した。
- 「夢は夜ひらく」は八代亜紀・五木ひろし・美空ひばり・西田佐知子など多くの歌手によりカバーされている。
- この年の藤圭子は、「女のブルース」・「圭子の夢は夜ひらく」で18週間連続1位を獲得するという2曲以上でのオリコン1位獲得最多週記録を保っている(現在この記録は破られていない)。また、「女のブルース」・「圭子の夢は夜ひらく」・「命預けます」・「女は恋に生きてゆく」で42週間連続でBEST10にランクされた。なお、BEST10の連続記録はピンク・レディーが「ペッパー警部」から「透明人間」で102週間という記録をもっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%9C%AD%E5%AD%90から
来歴
幼い頃から浪曲歌手の父・阿部壮(つよし)[1]、三味線瞽女の母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)[1]の門付に同行。旅回りの生活を送り、自らも歌った。勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念[1]。17歳の時に『さっぽろ雪まつり』のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目に留まり、上京。歌手デビューする。1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。
以後、作詞家の石坂まさをと組んでヒット曲を連発。女性ハスキーヴォイスの先駆者青江三奈をも凌ぐドスの効いた声は、当時の社会に衝撃を与えた。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。そのヒットから、テレビアニメ『さすらいの太陽』のヒロインのモデルにもなった。1974年、喉のポリープの手術を受け、かつてよりやさしい声となる。引退と復帰を繰り返すうちに人気を失っていく。
1度引退したが、RCAレコードからCBSソニーに移籍。1981年に第一弾となるシングル「螢火」を藤 圭似子名義で発表した。
歌手を引退した後は、夫の宇多田照實が代表取締役を務める有限会社ユースリー・ミュージックの取締役として登記され続けた。なお、ユースリー・ミュージックは娘で歌手の宇多田ヒカルが所属する事務所である。
2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。同マンションにある知人宅から飛び降り自殺したと見られている[2]。
年譜
- 1951年7月5日 - 岩手県一関市に生まれる。
- 1969年9月25日 - 「新宿の女」でデビュー。
- 1970年 - 「圭子の夢は夜ひらく」が10週連続1位を獲得77万枚売上げる大ヒット。第12回日本レコード大賞大衆賞を受賞。『第21回NHK紅白歌合戦』に初出場。
- 1971年 - 前川清と結婚。
- 1972年 - 前川と離婚。
- 1979年 - 引退を突然表明し、アメリカ合衆国に渡る。
- 1981年 - 藤圭似子の名で芸能界に復帰。
- 1982年 - 宇多田照實と結婚(再婚)。
- 1983年 - 長女・光(宇多田ヒカル)を出産。
- 1984年 - 芸名を藤圭子に戻す。
- 1993年 - 夫・照實とともに有限会社ユースリー・ミュージックを資本金300万円で東京都杉並区に設立し、自らも取締役になる。
- 1995年 - 夫・照實と娘・光の3人でユニット「U3」を結成し、インディーズでレコードを発売。
- 2000年 - 娘・ヒカルの全国ツアー札幌公演でステージに飛び入り参加し、「圭子の夢は夜ひらく」を歌う[3]。
- 2006年3月 - ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港にて大金を没収される[4]。
- 2007年 - 宇多田と離婚。
- 2009年 - 前述のケネディ国際空港で没収された現金42万ドルの全額返還が決定[4]。
- 2013年8月22日 - 東京都新宿区内で死亡しているところを発見された[2]。
人物
娘自慢
- 娘の宇多田ヒカルがデビューしたばかりの頃、アール・エフ・ラジオ日本で青江美奈がDJを務めるラジオ番組にゲスト出演し、娘自慢を繰り広げた。
- 宇多田がブレークした際、この番組の録音データを同局の社員が捜索したところ、同局の別社員が番組データを勝手に持ち出した挙げ句紛失していたことが判明している。その後、このデータの所在は明らかになっていない。[要出典]
多額の現金没収騒動
- 没収
- 2006年3月3日、ニューヨークのJFK国際空港にて米国司法省麻薬取締局により多額の現金を没収された。内訳は、4149枚の米100ドル紙幣、5000カナダドル、5000オーストラリアドル(計約4900万円)であった(機内に持ち込める現金やトラベラーズチェックは100万日本円や10,000米ドルまで)。
- 麻薬犬による検査で、現金からは微量の規制薬物が検出される[4]。米国司法省麻薬取締局は、現金が麻薬取引のためにすでに使われたか、あるいは使われる意図があったと結論付け、全額を没収した。
- 藤サイドの釈明
- 事件が明かになった直後の藤サイドは、インタビューで「ニューヨークの金庫に保管していたものに、ギャンブルで勝った金を加えた。違法な現金ではない。ラスベガスのボランティア団体に寄付するつもりだった」と説明し、全額返還を求めた。また、麻薬への関与は一切ないと説明した[5]。
- 藤は、2006年10月22日放送『スタ☆メン』(フジテレビ系)にインタビュー出演し、「この5年間ほとんど日本に帰らず、世界中を旅している。ファーストクラスのチケット代、(各国の高級)ホテル宿泊代などで、5年間で5億円は使った」「カジノでは、現金所持が当たり前」「アメリカはカード社会や小切手社会といわれているが、現金が主流である」と主張した。また、麻薬探知犬が反応したことに関しては「麻薬とは一切関係がない」と否定した[6]。
- 新宿の女(1969年9月25日)
- 女のブルース(1970年2月5日) オリコン1位獲得
- 圭子の夢は夜ひらく(1970年4月25日) オリコン1位獲得。園まりの「夢は夜ひらく」のカバーであった。
- 命預けます(1970年7月25日)
- 作詞:石坂まさを/作曲:石坂まさを/編曲:曽根幸明
- (c/w ネオン街の女)など
LP
- 新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて(1970年3月5日)オリコン1位獲得
- 女のブルース(1970年7月5日)オリコン1位獲得
- 歌いつがれて25年 藤圭子演歌を歌う(1970年12月5日)オリコン2位獲得
- さいはての女(1971年3月5日)など
映画
- 盛り場流し唄 新宿の女(1970年、日活)
- ずべ公番長 夢は夜ひらく(1970年、東映)
- 涙の流し唄 命預けます(1970年、松竹)
- 女子学園 やばい卒業(1970年、日活)
- 藤圭子 わが歌のある限り(1971年、松竹)
テレビ番組
- ふりむくな鶴吉 第16話「寒椿」(1975年、NHK)
- 非情のライセンス 第2シリーズ 第41話「生きてるだけの兇悪」(1975年、NET) - 小倉涼子 役
- 標的(1979年、KTV)
- 新・海峡物語(1981年、テレビ朝日)
- 日曜笑劇場「サブシロのTHE・ハタラケ興業」(ABC)
ほか多数