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宇多田ヒカルさん憔悴…母・藤圭子さんの遺体と対面

2013-08-27 | Music

やっと逢えました。

宇多田が母・藤圭子さんの遺体と対面

日刊スポーツ 8月27日(火)9時9分配信

 歌手宇多田ヒカル(30)が27日午前8時過ぎ、東京・碑文谷会館に入った。

 同所に遺体が安置されていた亡き母、藤圭子さん(享年62)と対面。同15分には霊きゅう車が入り、同45分には遺体を乗せて品川区の桐ケ谷斎場に向かった。助手席には白い菊の花を手にした宇多田が乗っていた。喪服の宇多田はうつむいたままで、取材陣の問いかけに答えることはなかった。

【関連】宇多田ヒカルのコメント全文/藤さん悼む

 藤さんは22日に投身自殺。一人娘の宇多田との対面を終え、同9時過ぎに入った桐ケ谷斎場で荼毘(だび)に付されたとみられる。宇多田は、同10時40分に父親で藤さんの前夫、音楽プロデューサーの宇多田照実氏と車で同斎場を離れた。

宇多田ヒカル憔悴…母・藤圭子さんの遺体と対面

デイリースポーツ 8月27日(火)9時50分配信

 歌手・宇多田ヒカル(30)が27日、都内の斎場を訪れ、今月22日に東京・西新宿のマンションから飛び降り自殺した母で歌手の藤圭子さん(享年62)の遺体と対面した。

【写真】憔悴しきった宇多田ヒカル…手には母に手向ける白い花束

 午前8時、宇多田は喪服姿で父・宇多田照實氏(65)に付き添われて、白いワンボックスカーで藤さんの遺体が安置されていた斎場に到着した。衝撃の自殺から5日が過ぎていたが、こわばったままの表情がショックの大きさを物語っていた。

 26日には所属事務所を通じてコメント発表し「悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女」と心境を告白していた。複雑な思いを抱えたまま、変わり果てた母との対面を果たした宇多田。斎場にいた約40分間、何を思ったのか、何を話しかけたのか、報道陣の問いかけには一切答えることはなかった。

 藤さんの遺体を納めたひつぎは照實氏や関係者らが霊きゅう車に運び込んだ。“最後の時間”を惜しむかのように宇多田は絶えずひつぎに寄り添っていた。少しでもそばにいたいのか、斎場を出る際にも来たときのワンボックスカーではなく、霊柩車の助手席に乗り込んだ。ひざには母を弔うために用意した白い花束。しかし、日本中を魅了したその声で思いを明かすことはなかった

 

宇多田、母・藤圭子さんへの思い初告白

2013年8月27日

亡くなった宇多田ヒカルの母・藤圭子さん。1984年当時

拡大写真はこちら

 22日に東京・西新宿のマンションから飛び降り自殺した歌手・藤圭子さん(享年62)の一人娘で歌手の宇多田ヒカル(30)が26日、公式ホームページで母の死後、初めてコメントを発表した。母への感謝の思いとともに、自殺について「あまりに悲しく、後悔の念が募るばかり」と告白。また、藤さんが長年にわたって精神の病に苦しめられており、年々病状が進行していたことなど衝撃的な事実も明かしている。藤さんの遺体はきょう27日にも都内で荼毘(だび)に付される。

 衝撃的な死から4日、宇多田が沈黙を破った。この日発表した「8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました」という一文から始まるコメントには、衝撃的な事実が明かされていた。

 宇多田が幼いころから藤さんは「精神の病」に苦しんでいた。「その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく」「母の病気が進行していくのを見ていました」という。

症状の悪化と共に「人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別は曖昧(あいまい)になり」「感情や行動のコントロールを失って」いった藤さん。宇多田は「翻弄(ほんろう)されるばかりで何もできなかった」と、苦悩の日々を振り返った。

 自殺を受けて「長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく後悔の念が募る」とつづった宇多田。「悲しい記憶が多いのに、母を思う時に浮かぶのは、笑っている彼女です。母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです」と、気丈に締めくくっている。

 また、藤さんの元夫で宇多田の父・宇多田照實氏(65)もこの日、コメントを発表し、藤さんと最後に話したのは今月14日だったことを明かした。電話で約8分間話し「お願いごとを何件か受け」た。「元気そうな様子の声」だったという。

 最近の藤さんは、思い立ったら旅に出る気ままな生活を送っていた。宇多田や照實氏に昼夜問わず電話が入り、心当たりのない罵声(ばせい)を浴びせられることもあったという。心の不安定さが気掛かりだったという照實氏は「最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです」と、無念の思いをつづっている。

宇多田ヒカルのコメント全文/藤さん悼む

 

 歌手宇多田ヒカル(30)が26日、自らの公式サイトで22日の母藤圭子さん(享年62)の飛び降り自殺後、初めてコメントした。

宇多田ヒカルのコメント>

 「8月22日の朝」

 8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。

 様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。

 彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。

 幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。

 母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。

 誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。

 母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

 沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました。(原文のまま)

 [2013年8月27日7時27分 紙面から]

宇多田照実氏のコメント全文/藤さん悼む

 22日に飛び降り自殺した藤圭子さん(享年62)の元夫の音楽プロデューサー宇多田照実氏(65)が26日、娘の宇多田ヒカル(30)の公式サイトを通してコメントを発表した。

<元夫宇多田照実氏コメント>

 「ご報告と謝辞」

 この度の故宇多田純子、投身自殺に於きましては、各方面の関係者の皆様、歌手藤圭子の大勢のファンの皆様、そして宇多田ヒカルのファンの皆様に多大なご心配と世間をお騒がせしていることに対して、所属事務所代表として、また25年間連れ添った元夫として心からお詫びを申し上げます。また、宇多田ヒカル並びに僕に対して沢山の心の籠った暖かいお言葉、お悔みをいただいたことに対しては、この場を借りて感謝の意を表明させていただきます。

 通夜、葬儀に関しては、故人の遺言書に書かれていた本人の強い意志に従い、執り行わないことにしました。

 出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な「気まぐれ」な人としか受け止めていませんでした。僕にとっては十分に対応出来る範囲と捉えていました。

 この感情の変化がより著しくなり始めたのは宇多田光が5歳くらいのことです。自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました。

 しかし、感情の変化が頻繁なので、数分後にはいつも、「ゴメン、また迷惑かけちゃったね。」と自分から反省する日々が長い間続きました。とても辛そうな時が多く見られるようなった際には、病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました。結果、本人が拒絶し続けた治療が成されないまま、彼女の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます。

 直近の12年間は、好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送っていました。アメリカは一回の入国で最長5年間の滞在許可がもらえるビザを取得し、ニューヨークを拠点に、ヨーロッパ各国、米国各地、オーストラリアなどを気の向くまま、頻繁に旅していました。

 そのような環境の中、光と僕には昼夜を問わず、予期せぬ時間に電話連絡が入り、「元気?」という普通の会話が交わされる時もあれば心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じさせられてとても気がかりでした。

 最後に僕が純子と会話をしたのは今年の8月14日でした。純子からでした。この時は珍しく明るい口調で、元気そうな純子の声でした。約8分間、世間話を含め、お願いごとを何件か受け、了承し電話を切りました。その8日後の自殺となってしまいました。

 純子として覚悟の上での投身自殺だったのか、衝動的に飛び降りてしまったのか、今となっては知りようがありません。最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです。

 これまで宇多田純子を、藤圭子を愛情を持って見守ってくださった方々全員に、本人に代わり、心から感謝いたします。ありがとうございました。

 純子と過ごした日々は僕の記憶にはっきりと刻まれています。(原文のまま)

 [2013年8月27日7時28分 紙面から]

平尾昌晃氏も藤さんの感情起伏を語る

 歌手宇多田ヒカル(30)が26日、自らの公式サイトで22日の母藤圭子さん(享年62)の飛び降り自殺後、初めてコメントした。

 藤圭子さんの「哀愁酒場」(77年)などを作曲した平尾昌晃氏(75)の話 ヒカルちゃんのコメントを読んでのことですが、(藤さんは)確かにハイになる時とおとなしくなる時があったような気がします。平成に入ってラジオに出ていただいたことがあったが、娘の話の時は本当にキラキラした目だったのに、もう1度あなたも歌ってよと言うと「もう私はいいのよ。このまんまで」と沈んだ口調になったのを覚えています。

 [2013年8月27日7時30分 紙面から]

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130826-00000012-pseven-ent

藤圭子さん「もう2000万円くらしかない」と知人に話していた

NEWS ポストセブン 8月26日(月)16時6分配信

 飛び降りたマンションのベランダには、歌手の藤圭子さんがはいていたはずのスリッパの片方が残されていたという。

「この部屋の主は藤さんの知人である30代男性。この男性とは夜の街で知り合ったようで、部屋からは遺書なども見つかっていない。どうやら突発的な自殺のようだ」(捜査関係者)

 突然の死が報じられるまで、藤さんの消息は関係者の間でもとされていた。芸能関係者がいう。

「今年3月、“藤圭子”の名付け親であり『圭子の夢は夜ひらく』など数々の代表曲を作曲した石坂まさを氏が亡くなった。しかし通夜・告別式に藤の姿は最後まで見えなかった。その時、誰も藤と連絡がとれず“一体どこにいるのか”と心配する声も多かった」

 最後に藤の動向が世間の話題となったのは2006年ごろ。ちょうどニューヨークのJFK空港での「現金押収事件」が報じられた時期だった。手荷物検査で発見された藤さんの所持金は、なんと約42万ドル。当時のレートで5000万円にも上る大金だった。

 藤さんはその年に出演したテレビ番組で「5000万円はカジノで使うためのお金だった」と主張。その頃すでに世界中を旅していてほとんど日本にはおらず、ファーストクラスの航空運賃やホテル滞在費などで「5年間で5億円は使った」とも打ち明けている。

 藤さんの娘は、日本が誇る歌姫・宇多田ヒカル(30)である。宇多田はCDや楽曲配信などによって年間10億円を下らない額をコンスタントに稼ぎ出しているともいわれ、家族事務所の役員だった藤さんにも、相当の収入があったと見られている。ちなみに藤の2004年の納税額は5966万円、推定年収は1億6800万円だった。

 しかし藤さんの浪費癖はその資産を食いつぶすほどエスカレートしていたという。藤を知る音楽関係者の話。

「彼女の金遣いの荒さは業界でも有名。海外ではカジノ三昧だし、東京・新宿のホストクラブでは目が飛び出る額の高級シャンパンやワインをどんどん開けていたという噂も聞いた。近年はロスに借りていた超高級マンションの家賃の振り込みも滞ることがあり、東京に戻ってきていたらしい。ある知人には“今はもう2000万円くらいしか持っていない”と話していたようだ。カネが尽きるのは時間の問題だった」

※週刊ポスト2013年9月6日号

宇多田ヒカル「娘として…」人間活動とDJ始めた深いワケ

女性自身 8月27日(火)0時0分配信

 8月22日午前7時ごろ、藤圭子さん(享年62)が西新宿にある28階建て高層マンションの、30代後半の男性と同居していた13階から飛び降り自殺を図った。遺体は痩せ細り、右側頭部は陥没していたという。

 東京・新宿署を出た遺体は、元夫の宇多田照實氏(65)が乗った車でそのまま都内の斎場へと向かった。だが、藤さんのひとり娘、宇多田ヒカル(30)の姿はそこにはなかったーー。

 近年は、昔からの知人らとも音信不通になっていたという藤さん。06年3月、彼女は米ニューヨークJFK空港で約5千万円の現金を差し押さえられていたことが発覚する。帰国した彼女は、数年ぶりにテレビ局のインタビューに応じ、「5年間で世界中を旅した。5億円使った」と明かすと同時に、「原因不明ですけど、この20年間、吐きまくりの人生です。だいたい1日に5~6回、週に3日は吐いてます。今もそうです」と苦しみを語っていた。

孤独のなかで、精神的にも肉体的にも追い詰められていった藤さん。そんな彼女に、もう一度手を差し伸べようとしたのは、娘のヒカルだった。

「ヒカルは3年前に“人間活動”と称して、いっさいの芸能活動を休止しています。実は、この行動は母親のためにヒカルさんがとった行動にほかなりませんでした。ヒカルさんは、母とうまくいかない原因が、自分が得たお金にあるのではないかと気にかけていました。歌手としてではなく、娘としてなら、藤さんとまた向き合うことができるはず、そう考えたのでしょう」(音楽関係者)

 芸能活動を休止してまで、母親の身を案じはじめたヒカル。音信不通になったままの藤さんへの思いは、募るばかりだった。藤さんの全盛期時代に一緒に仕事をしたレコードディレクターの榎本襄氏は、ヒカルの気持ちをこう代弁する。

「休業してからも、やっぱり彼女は母親のことを気にかけていたんでしょうね。今年の春から月1度、インターFMで『KUMA POWER HOUR』のDJをはじめました。そこには、『自分の声を発信していれば、母親に届くかもしれない』、またリスナーから藤さんの情報がもたらされるかもしれないという思いもあったことでしょう」

 去年7月、藤さんの誕生日に、ヒカルはツイッターでこうつぶやいている。

《『面影平野』歌うカーチャン、すごくかっこ良くて美しい》

 一時代を築いたシンガーがほかの誰より憧れたのは、自分を歌手へと導いてくれた母だった。

 娘の切なる願いは、音信不通となった母に最後まで届くことはなかった。母娘にとって、あまりにも悲痛すぎる結末だったーー。

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