人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

思いの隙間

2018-08-21 17:14:48 | 雑感
殺人猛暑と言われたこの夏も盆を過ぎると、涼風が心地よくなってきました。
...というようなことは一寸書くのをためらうものがあります。
書いたら、又ぶり返したりしますので。
暑い、暑いがな、いつまで続くんだ~っ、と書いておこう...。

涼風が心地よく感じられるのは、暑さが続いていたからです。
風も吹かない、空気がドンよりして気力も体力も奪われて行く...
そこにポッカリとどっかに穴が空いたようになり、涼風が吹き込んでくる...
それは重い、思いでガンジガラメの状態に、隙間が生じて、そこからあの新生の命を呼び込む霊なる気ープネウマが流れてくることを想起させます。
涼風は、修行などで作り出したり、開発したりするものでなく、自ずと吹き込んでくるものです。
ただ、こちらがその隙間、通気孔を塞ぎさえしなければいいのです。
どんなに諸々の思いにトラワレていたとしても、僅かな隙間でもいい、よく分からないような微風でもいい、通るものがあればいいのです。
どんなに苦しくても人間どっかで"破れ"てしまうものです。それが一瞬の隙間になったりします。
その僅かな隙間、微風というものは、実は大小とか強弱とかとは関わらないものを内に秘めているのです。
その隙間の向こうには、大気が充満、遍満しているのです。
大きかろうと、小さかろうとその質は変わりません。
その命の風にこちらが享受し、ゆだね、開いて行くことで、こちらの状態が変わってくるのです。
こちらの心とか身体自体に変わって行く何かがあるというよりも、変わるのは風の浸透によると言っていいでしょう。
変えようとしなくとも、変わる時は自ずと変わるのです。
夏の蒸し暑い気候が、秋のカラッとした気候に変わるように...
そしてそんな時...
特別、喜ばしい、幸福にさせるものは無くとも、ただその事を享受しているだけで、幸福になります。
見よi あの重く覆われた雲の隙間から、精神を高揚させずにおかない真紅の夕日が顔を出すi...おお、日も沈み、その雲も何とも切ない郷愁を呼び覚ます、紫の並み模様に染めあがって行く...
これで幸福でない訳がないi

と、いつの間にか詩モドキの文章に変わってしまう今日この頃です。
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寛容と熱誠

2018-08-19 12:22:42 | 回想
私は関西時代の終わりの2001~3年にかけての二年間、キリスト教の一派とされる、フレンド会ー通称クエーカーの月一回の大阪集会に定期的に通っていました。
この頃は既に"意識が向いたら、ジンジンと例のものが臨んでくる..."という特異体質?になっていて、"クエーカーの礼拝会では、神に感応して身体が震え出す"ってー話は本当なのか、どうか確かめねばなるまい..."という思いもどっかにあったのは確かでしたが、回りを見るまでもなく、自分がそういうことになってしまうこともしばしばでした。
さほど、意識していた訳でもないですが、こういうものを私の個人的なただのヘンな体質に留めず、公の場に踏み出す必要を感じていたのかも分かりません。
又、"キリストとは一宗教のみで信奉されるものなのか、普遍的キリストというものは伝えられているのか?...そしてそれは直接経験から導かれるものなのか?..."
といった問題も私にはずっと関心があったことで、クエーカーとの関わりも必然があったように感じています。
大阪のクエーカー集会は、当時同じく通っていた道院の神戸集会と同じくらい...ショボかったi...平均5、6人ってとこか。
ただ、こちらも言葉が交わされずとも、寛容の精神が伝わってきました。
日本のクエーカーには、戦時に、日本キリスト教会に併合されたことに起因する、正統的?福音派と超宗派的伝統派とにその在り方が別れる(これは端的に形式的か否かということで見分けられる)という問題もほとんど感じさせませんでした。
これはより後者が主導だった、という観方もあるでしょうが、それは直接経験を重んじることとつながるものと言うことは出来るでしょう。
真に寛容精神があるところ、如何なるセクト主義も乗り越えられるのです。
私が通い始めた頃と時を同じくして、四国からはるばるTさんという人が熱心に定期的に見えました。
この人はキリスト教に関心があり、入信したい気持ちもあるようなのですが、キ教を取り巻く、大概の人は感じているであろう、例えば"イエスのみが神の子なのか、それを信じなければ救われないのか?"というような疑問がネックとなって、踏み込めないでいるようなのでした。(東京の集会では、こういう人がいつも出入りしています)
それで、寛容でルーラルなクエーカーに接近したそうですが、先の日本のクエーカーに横たわる問題がやはり引っ掛かっているようでした。
ある集会で、そのシンプルな礼拝に臨む際にも、彼は理屈ばかり言って、真っ直ぐに礼拝に臨もうとしないので、私はこう苦言を呈したことがありました。私はいつも寛容でいる訳じゃないのです。
「あなたが言っていることは、外野席でヤジを飛ばしているようにしか聞こえないi 私はプレーヤーになりたいのですi」
プレーヤーは"Prayer"と引っ掛けたつもりですが、彼も私も正規のクエーカーの会員ではありません。
しかし、私はクエーカーとして、キリスト教徒として、他の信徒として祈りに臨むのではないのです。キリスト、アラー、老祖(道院)...どんな名で呼ばれようと、自分を超えた御方にゆだね、その臨在に与ろうとしているのです。
諸々の思いを脇に置かなければプレーヤーにはなれません。
とはいえ、彼が積極的に問題を投げ掛けようとするのは、それ自体は意義があるでしょう。それはよりいっそう東京集会に向けられるべきでしょう。(彼は実際にそれをしていた)
大阪集会はある面それで活気づいていたとも思えます。私はその事自体を非難した覚えはありません。
しかし私がある集会で、彼が昔のクエーカーのことを批判し出したので、語気を強めてこのように言ったことがあります。
「争いの種になることを礼拝に持ち込まないで欲しいi」
もし、それが私が主催したものだったら"出て行けーっi"と怒鳴っていたかも分かりません。寛容精神など吹っ飛びそうです。
それは、まさに礼拝が始まる直前のことだったからです。あれはヒドかったi 折角の平安の一時になるはずが険悪なムードになってしまいました。
Tさんは、それっきり見えなくなってしまいました。多分、私のその言葉を彼の問題提起自体に向けたものと取ったからでしょう。
この事を弁明する機会もなく、申し訳ないと思っています。
ともかく、各々忌憚なく自由に時空間を共有したこと、私に熱心に"裏側に入り込んだ"件について尋ねてきたD大学のSさんのこととか、得難い思い出です。


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和を求めて

2018-08-18 12:35:31 | 回想
私が関西に住んでいた、90年代の中頃からでしたか(もっと前の記憶なら鮮明に覚えているのですが、この頃になると曖昧なのです)、神戸三ノ宮にあった月一回の道院紅卍字会(大本教とつながりの深かった中国の宗教的団体)の集まりに、東京に帰ることになる2003年まで定期的に通っていました。
キッカケは、日本における道院史でも、大本裏面史でも触れずにおかない人物、笹目秀和翁の神戸での講演に行った際、数人の神戸の卍会員たちと出会ったからです。
老修のHさんからは「君は集会に来なきゃあ、ダメだよi」などと強く促されたりなどしたのでした。
そう、彼らとはおおよそ12、3年ぶりの再会なのでした。私は仕事の都合上が大きな理由で遠退くことになったのです。
かつては常時10人ぐらい集まるなど、活況を呈していましたが、その半数以上は大本信者だったと思います。その大本もニ派、三派と分裂がエスカレートしてくるのですが、その道院の集会は超教派が特色でした。
いや、その道院すらも"大本"からして香港(大陸)系と、台湾系とに別れてしまっていたのですが、香港主導だった東京と違い、やはり門戸が開かれていたのでした。(といっても人数は約半数に減ってしまっていたのですが)
こうした寛容な生き方は、神戸支部(寄修所と呼ぶ)設立の中心人物だった、先代のY会長が育み、養われたものを息子のY会長が引き継いでいるようでした。(和合を重んじる道院も既にその内実は失われてしまった感もあります)
先代会長には、2、3回しかお会いしたことが無かったですが、何ともホンワカと和まされずにおれない雰囲気を醸し出していたのを思い出します。
で...正直言って、久し振りの神戸道院の集会というのは、既に集まり全体が老境に達しているようで、活気なく、何となく惰性でやってる感も拭えないものがありました。
雑談で、宗教的なことに触れることもありますが、そんなに深い話にはあまりなりません。(ここで宗教、スピに関して書いているようなことなど勿論出てこようはずもない...誰からもそんな話求められませんでしたし...)
でも、私は自由に気楽に語り合える、そうした時空間の共有は結構好きでした。
時々異なる大本信徒の間で口論が起きかけたりしましたが、何だか和を乱してはいけないような気がしてくるのか、自然に抑えられてしまうところも見られました。
やがて老修の方も亡くなり、入れ替わるように若く、私と違って?修道に熱心な青年Tさんも参加するようになり、少しく道院本来の、修道について全体の意識も向けられるようになった気運も感じられるようになりました。
そして、Tさんの意気に感応したのか、東京からわざわざKさんという、これ又熱心さと"和"を感じさせる人物も参じるようになり、いつしか集会も和やかな中にも、"学び"を志向するような空気ももたらされるようになったのです。
ある時、Kさんの代打でか、Sさんという、一寸クセがありそうな人物がやって来たことがありましたが、この時は、私にはどうもSさんは尖っているというのか、和から飛び出しているようで、少しく違和感を覚えました。(後にSさんとは東京の道院の集まりで激しく衝突しました)
私はめったに表には出しませんが、妥協しようとしない、ストリクトリーな一面もありますが、いつもの仏頂面に反して?"和"にくつろぎ、尊ぶ面もあるのです(要するに二重人格ってこと)。
"ぐがあ"となってる時というのは、大体が"理"に走っている時なのでしょう。
それでも、私は根本的には道理を通すことよりも、自然と和に赴くことでしょう。和は愛に根ざしているものだから...
しかし...和が踏みにじられるようなことになったのなら...もう、手がつけられないほど"ぐがあ"となってしまうかもしれません。
これは私の生来からの性分でしょう...
神戸の道院もいつしか自然消滅してしまいました...。
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倚りかからず

2018-08-17 11:39:02 | 人生の裏側の図書室
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
何不自由のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
(茨木のり子「倚りかからず」.ちくま文庫)

あれは、いつ頃だったでしょうか...
朝方、つけっぱなしのラジオからこの詩の朗読が聞こえてきて、寝ぼけ頭にも強烈に響いたのか、この「もはや...倚りかかりたくない」のリフレインが忘れなくなってしまいました。
"いや、そうだなあ..." 今も思い出す度に身震いがしてきそうです。
寝ぼけていたので、誰の何という詩なのかも分かりません。
女性らしいことは分かりましたが、私はてっきり"女性の自立"が叫ばれ始めた、60年代の若い女性の作だと勝手に想像していました。
実際のことを知ったのは、つい二ヶ月ほど前...「茨木のり子」さんは有名な詩人、エッセイストで、この詩は1999年、作者は既に人生の晩期に入っていた頃の作で、結構評判になったらしい...全く不勉強を恥じるばかりです。
ともかく、ずっとこのブログを読まれている方なら、"デキアイの思想にも宗教にももたれたくない..."というハッキリ言ってパクリのフレーズ(そんなに有名なら堂々とやるんじゃなかったよお...)はお馴染みかと思います。
それでも、なんでも共感しちゃうんだからしょうがないでしょ? あれ以上の表現は思い付きません。
戦前から長く人生を生きた作者は、我が意にそわない"倚りかからなくてはならない"生き方も、倚りかかりとは言い切れない、他者の支え、"おかげ"も随分と知り、味わってきたのでしょう。
だからこそ、安易に倚りかからないことを綴ったのでしょう。
人は自分のみで生きられないのは事実です。自分一人ここにあることにどれだけの縁に依っているか、はかり知れないものがあります。
その縁の尊さを知れば、自分がここに自分していることにも同じように尊さを感じざるを得ません。
それだけに...安易な妥協、ナレアイ、もたれあいにくみしたくないのです。

ああ、イヤだ、イヤだ...忖度だの、長いものだの、理事だの、連盟だの...
もはや
倚りかかりたくない...


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我が家の裏側

2018-08-16 10:00:53 | 詩的文章
この夏はまだあの窓ガラスの忍者を見ていない
毎年の我が家の風物
固まってると思ったら、突然カサカサッ...して...消えたi
忍者だi 
キモいけど、よーく見ると可愛いヤツ
君は害虫から我が家を守ってくれる家守なんだろう?
一年前、我が家の雑草を片っ端から根こそぎ刈り取られて、
君の家を失ってしまったのか?
僕は頼んだ覚えはないよ...恨まないでね...

盆も過ぎて、涼風呼ぶ虫の声も、りんりんと...
瞬く間に、辺りは雑草だらけ
ついこないだ、玄関前に一本にょきっと健気に生え出てるのを見つけたが...
気がついたら一米近くになってたi
引っこ抜くか、どうするか...
バッサリi...というのはどうも忍びない
タイミングを逸してしまったようだ...
我が家にも、主にも分からない裏側ってもんがあるらしい...
バッタやコオロギや家守たちの生活事情...
お互い、生きてゆくのもラクじゃないね...
気にしてないのは、我が物顔で塀を歩いてるノラたちくらいか...
ババはちゃんと穴掘って、あとで土掛けといてねi
あ...そうか...よく雑草が育つはずだよ
もうすぐすると、又伽凛な花が咲くだろう
白、黄色、オレンジ...今度は何色になるんだろう?
管理人が又、草刈りを頼まなければいいな
それにしても、このノッポの雑草、どこまで育つのか...
早く秋になって、自然と枯れるようになったらいいな...



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