カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

月曜から始まる手帳

2019-01-16 10:58:32 | 日常あれこれ
 今年も早いもので、もう月の半分が過ぎてしまった。

 以前、川柳仲間の入選句の中に「一日がああ一月が一年が」といった句があったように記憶する。

 年齢と、過ぎ去る時間の早さの感覚はどうやら関連性があるようだ。

 まだ返事には期間が有るなと思っていた会の、出欠の返答期限がとっくに過ぎているのを2通発見して驚いた。

 もっとも、5通も6通も似たような出欠を問うハガキが、さみだれ式に年末あたりにやって来るのにも往生する。

 無視するのも悪いので、なるべく出席出来ない旨の返答は出すように心掛けてはいるのだが・・。

 そうした事を防止するため定年後も手帳を活用している。

 4年ほど前からは、一ヶ月の予定が書き込めて一目で分かる形式の手帳に変えた。

 

 今まで使っていた手帳より大型であるが、いわゆるスケジュールノートのような大型でもなく年寄りには良いサイズ。

 次の月との間には、4ページの空欄があるので、実施の細部などが書き込めるようになっている。

 考えてみるとこの手帳は立派な日記になっていることに気がついた。

 数年前に経験した事項と同じ状況になったとき、その問題や対応などをどうしたかが分かるのがいい。

 年を取ると記憶力は弱るし、同じ事の繰り返しは結構おおくて、同じ問題に何度も直面しているのだ。

 そして、今年もまた同じような繰り返しが始まったが、変則的なのは同窓会の計画や案内などが加わったことだ。

 3年に一度実施しているので、三年前の手帳や関係資料を引っ張り出して問題だった事項を拾い出している。

 ところが、今年の手帳は今までの物と変わっていて、月曜から始まる形式になっているのだ。

 

 人間の馴れとは不思議なもので、曜日などよく見れば判るのに無意識に今までの場所に予定などを書き込んでしまう。

 月曜日から始まる形式を求める人も多いようで、その要望に応えたものなのだろう。

 仕方なく購入したのだが、後日同じような手帳を持っている人に話したら日曜日から始まる形式のものを使っているという。

 どちらの要望にも応えている手帳だったのだ。

 月曜形式にまだ慣れなくて、曜日をよくよく確認しながら記入する毎日である。

 惰性に流されるばかりの生活をしているので、注意配分の訓練でボケ防止には良いかも知れない。

 「ボ~ッとして生きてんじゃねえよ~!」と手帳に毎日言われている昨今である。


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