四国あたりに線状降水帯という言葉が頻繁にテレビから聞えるなか福山城に向かう。
天気はやや曇りがちだが、降りそうにはない。
初日の広島城の駐車場探しにグッタリしたので、ある程度覚悟はしていたが今回はあっさり確保。
と言うより、がら~んと広大な駐車場が空いていた。
付近の公共施設が休館日で、利用者が少ないことに気がついた。
▲(福山城)
天守閣は先の大戦で焼失し、その後鉄筋コンクリートで再建されたもの。
駐車場からは、相方の最も不得意とする階段がお出迎え。
▲(石垣と天守閣)
写真的にはこの位置がお城のベストショット・・・と私が勝手に決めてパチリ。
ちなみに、相方も一緒に写し込んだ写真では、体が細くて足の長さが際立って長く写っており相方には大好評。
▲(福山城天守閣)
1615年一国一城令発布後(1622年)に築城され、水野勝成が備後10万石の領主として入封。
城跡は国の史跡に指定され、久松城・葦陽城とも呼ばれ、近代城郭円熟期の代表的な遺構で日本百名城の一つ。
新幹線のホームから間近に見える全国的にも珍しい城とか・・。
掘りを埋め、石垣を壊したりして市街化が進められ、三の丸南側を東西に新幹線が貫くという荒技の結果なのだが。
▲(南東側の市街)
▲(南側の新幹線駅と市街地)
近代城郭の円熟期のお城の傑作も、日本人の手にかかればかくも便利で効率的な空間になるというお手本。
あの、お江戸日本橋の真上に、都市高速を走らせて便利になったと喜ぶくらいだから無理もないが・・
さて、宿に引き上げる頃から雨がポツリと。
▲(雨に霞む街と福山城)
翌朝は、雨は降るだけ降って、宿を発つ頃は上がっていて快適なドライブだった。
山陽道を走っていて、必ず立ち寄るサービスエリアは宮島SA.
▲(宮島遠望)
サービスエリアの南端にある赤い鳥居の真正面に、本物の赤い鳥居が海の中に立っているのが見える。
「これが多分、車で訪れる最後の機会になるかも・・」と、毎回訪れる度に相方が言う。
街乗り用の小さな車に乗換えて、そのうちに免許証返納という時程がチラホラ顔を出す。
田舎と車、高齢と免許証の天秤はどこの家庭でも揺れている。
▲(開発?)
高台にあるSAの直下では、山をことごとく削る開発が行われていた。
前回立ち寄った際には見かけなかったが、また開発の波が押し寄せているのだろう。
山を削って広がる開発は、災害と表裏一体なのだが・・。
取り敢えず、今回の車の旅も関門橋を見て終わりに近づいたことを実感。
▲(関門海峡と関門橋)
塩は右から瀬戸内海方向にかなり早く流れていて、左右から来る船舶の速度が極端に違う。
壇ノ浦のSAでは、河豚の天ぷらうどんと寿司を食べた。
謡曲の中でも源平ものは沢山あるが、源氏の将兵の活躍を謡いながら平家の方に思いをいたす。
海峡はどこも、独特の雰囲気が漂う。
「彼岸へと艫綱を解く花の頃」・・・しろ猫