福岡県飯塚市の旧伊藤伝右衛門邸と、田川市の石炭・歴史博物館へ出かけた。
敷地面積2700坪、建物延べ床面積約300坪の広さと回遊式庭園、和洋折衷の豪華な部屋の作りにびっくり。
明治の石炭というエネルギー革命の先駆者・石炭王の住まいは贅の限りを尽くしている。
また、51歳のとき迎えた柳原燁子(白蓮27歳・大正天皇の従姉妹にあたる)のために増改築した、白蓮のための部屋から眺める庭園は美しい。
またユネスコの世界記憶遺産に登録された山本作兵衛の炭鉱労働や当時の筑豊の様子を描いた作品も展示されている。
白蓮は歌人として活躍する中で宮崎龍介と出会い、伝右衛門との12年の結婚生活に終止符を打って、龍介との間に一男一女をもうける。
炭坑節でお馴染みの香春岳(♪ひと山ふた山み山越え~よいよい・・・)
石灰岩で出来た山は、高度成長と新たなセメント産業削られ続けて一番手前の山はほぼ中間で平面な状態。この筑豊一帯にかつては200を越える炭鉱がひしめいていた。
♪あんまり煙突が高いのでさぞやお月さん煙たかろ・・さのよいよい。
は、ここが発祥の地。
とは、ボランティアでガイドをつとめてくれた方の説明。
非常に歌が巧く説明の合間に民謡や歌謡曲が挿入される。
「正調の炭坑節」をテレビで伍代夏子さんあたりと歌ったこともあるという。
何処にもいらっしゃる、この手の有名人。
そう言えばこの前の山口の長門にも居られましたなあ。
ここの館内の山本作兵衛の絵はすべてレプリカ。
本物はユネスコの記憶遺産ゆえ残すことが目的。よって、年に数日だけ本物を展示する。
約550点を交代で展示するが、この絵が世界記憶遺産に登録されたのを機に、彼方此方で本物が出できた。でてきたもののこれは個人の所有物、遺産には登録されていない。
よって、前の飯塚市の旧伊藤邸の絵も本物を展示。
ただし、記憶遺産として後世に伝わるような保存状態に置かれるかはいささか疑問あり。
と、田川のボランティアの説明員さんはおっしゃる。
いずれにしても、炭鉱は国策として推し進められ巨大化し、その後の日本を形作った。
多くの財閥がここを発祥として形を変えながら現在までつづいている。
ぼた山の高さだけ人の魂がこめられ、そして失われた。そして、そのぼた山の高さに比例して札束がを手にした人達がいたというわけだ。
あの炭鉱の炭塵爆発や、ストライキはそんなに簡単に忘れてしまっていいほど昔の話ではない筈だ。
エネルギーの変換期は必ず何かが起きている。
今の福島の原発事故を期に今一度記憶を呼び起こせと先人が言っているような気がした。
記憶遺産というのは、絵のことではないと思う。
絵が伝える中味の記憶が遺産なのである。
旧伊藤伝右衛門邸の横で饅頭屋が開店していて、若い衆が盛んに呼び込みをしていたのが印象に残っている。
まんじゅうの名前が「成金まんじゅう」・・・まことに言い得て妙である。