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Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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◆ノイシュヴァンシュタイン城を建てた 狂王ルートヴィヒ2世は、あの人の元へ逃げ出そうとした?

2019-10-31 04:00:51 | Weblog


ルートヴィヒ2世が最期を遂げたシュタインゲルク城


バイエルン国王ルートヴィヒ2世


オーストリア皇后エリザベート

1864年に即位したバイエルン国王ルートヴィヒ2世は、芸術を愛した人物であった。しかし君主としての本分である政治に関心を示さず、ノイシュヴァンシュタイン城をはじめとする城の建設に夢中になったり、音楽家のワーグナーに桁外れの支援をするなどの浪費に耽ったことで「狂王」というあだ名で呼ばれるようになった。
その結果、国家財政は逼迫する一方で、遂に大臣たちは王の廃位を画策。
そして精神科医のグッデン博士が下した、王は精神病であるという診断を理由に、1886年6月12日にルートヴィヒ2世を廃してベルク城に幽閉したのである。

*幽閉された王は、侍医を絞め殺して水死した?  
廃位の翌日は、王は近くのシュタインベルク湖畔を散策したいと言い出したという。そこで侍医であるグッデン博士が付き添ったが、天候が急変して激しい雷雨となっても2人は戻って来ない。大騒ぎになって捜索を行なったところ、その夜10時になって、湖の浅瀬で2人の死体が発見された。
グッデン博士の首には絞められた痕跡があったことから、王に絞め殺されたと考えられる。
博士の下した診断によって王は廃位、幽閉に追い込まれたのだから、王が博士に恨みを抱いていたと見るのが自然であろう。 一方の王の死因は、水死であった。王は泳ぎが得意だったが、博士と揉み合っているうちに足を滑らせて溺れた、或いは冷たい水の中で心臓発作を起こしたとも考えられる。また、王位を追われたことで絶望し、自殺した可能性も指摘されている。

*逃亡の手引きをしたのは、「あの人物」?  
だがこの時、ルートヴィヒ2世は逃亡しようとしていたという説がある、しかも手引きしたのは、オーストリア皇妃のエリザベートだというのだ。その美貌で知られ、後世の多くの映画や演劇にも取り上げられているエリザベートは、ルートヴィヒ2世より8歳年上で、彼の父親の従妹にあたる。
2人は親しく訪問し合い、会話や手紙のやり取りを繰り返しては心を通わせていたが、男女の関係にあったわけではない。そもそも王は同性愛者であり、2人はどちらも宮廷生活が馴染めず孤独を好み、趣味嗜好に没入するといった共通点が多く、姉弟のような仲だった。

*事件前に目撃されていた見慣れぬ馬車  
王が幽閉された時、エリザベートはシュタインベルク湖の対岸のフェルダフィンクに滞在していた。これは偶然であろうか。しかも、幽閉された王にエリザベートが面会しようとして、側近に阻止されたという記録が残っている。 2人の間で逃走計画が立てられていたという噂は早くから流れ、事件が起こる前にベルク城の付近に見慣れぬ馬車が停まっていたのを見た、城の鉄柵前の泥道に馬車の轍跡があったのを見たと話した目撃者もいたという。 これが本当であれば、王はベルク城を抜け出して、馬車で逃走しようとしていたが、それをグッデン博士が阻止しようとした為、絞め殺し、自分は水死してしまったことになる。
ルートヴィヒ2世の死を知ったエリザベートは、その棺の前で失神して倒れるほどの衝撃を受けた。意識を取り戻してからも、「王は死んだ振りをしているだけだから、礼拝堂から連れ出すように」と言い張り、葬儀にも出席しなかったという。だが、逃亡計画の証拠となる手紙などは発見されておらず、真相は不明のままである。


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