
ローマの3代目皇帝カリグラは、本名を「ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス」と云うが、幼い頃からいつも履いていた兵士用の半長靴(カリガ)にちなんだ愛称「カリグラ」で広く知られている。
紀元37年、25歳のわかさで即位したカリグラは、市税の軽減をはじめとする優れた政治手腕を発揮し、ローマ市民から熱烈な支持を集めた皇帝だ。
しかし、一方では非情な残忍性と性倒錯(性欲が質的に異常な状態)を持ち合わせ、僅か4年の在位期間で国の財政を破綻させた暴君でもある。
カリグラに転機が訪れたのは、在位1年目のこと。
彼は生死をさ迷う重い病に倒れ、快復はしたものの、以降は性格が一変してしまう。
病気以前に行っていた善政を忘れ去ったかの様に、
専制政権の樹立と地中海地域全体の支配と云う野望に溺れて行ったのだ。
そして、その独断的な行動は、性の欲求にも同様に反映された。
実の姉ドルシアと寝床を共にしただけでなく、妹のアグリッピナ、ユリアまでも自分の欲望の餌食とし、
他にも気に入った女がいれば、強姦や誘拐をしてでも自分の物にしたのである。
他にも気に入った女がいれば、強姦や誘拐をしてでも自分の物にしたのである。
ローマの歴史家スウェトニウスによれば、「カリグラの毒牙から逃れた上流階級の女性は一人もいなかった」と言う。
また、自分へ陰謀を企てる者を見つけようものなら、おそるべき趣向を凝らした刑を執行した。
中でもカリグラが好んだのは、自らも手を下して、殺さない程度に罪人の体を少しづつ刻むことだった。
その苦しむ姿を眺めながら食事を楽しみ、快感に浸ったと言う。
中でもカリグラが好んだのは、自らも手を下して、殺さない程度に罪人の体を少しづつ刻むことだった。
その苦しむ姿を眺めながら食事を楽しみ、快感に浸ったと言う。
加えて、罪人を猛獣の餌とする猛獣刑も頻繁に行った。
後のローマでよく行われた刑だが、この非情な刑を執行したのは、カリグラが最初だったと言われている。
更に、国費の浪費も半端なものではなかった。
皇帝専用の豪華な遊覧船を建造したり、気に入った競走馬に宝石を買い与えた他、
バイア湾に長さ3㌔に渡る巨大な浮き橋を造り、橋の支えとして穀物の輸入に必要な多数の船を使った。
バイア湾に長さ3㌔に渡る巨大な浮き橋を造り、橋の支えとして穀物の輸入に必要な多数の船を使った。
これにより、ローマは食糧不足に陥ってしまったと言う。
その結果、カリグラは即位して1年も経たないうちに、先代のティベリウスが残した莫大な資産を使い果たしてしまう。
彼は金を捻出する為に、あらゆる物に税金をかけ、更には反逆の濡れ衣を着せて有力な金持ちを処刑し、家財を没収すると云う蛮行にも及んだのである。
カリグラは更に狂気の道を突き進んで行く。
彼はローマ市内にある有名な神像の首を、
すべて自身の肖像にすげ替えさせたのだ。
最早誰も止める術を持たなかった。
すべて自身の肖像にすげ替えさせたのだ。
最早誰も止める術を持たなかった。
だが、彼の死は突然やって来た。
何と最も信頼していた親衛隊の将校の手によって、
カリグラは妻、幼い娘と共に呆気なく暗殺されてしまったのだ。
カリグラは妻、幼い娘と共に呆気なく暗殺されてしまったのだ。
その知らせを聞いたローマ市民たちは、すぐさま市中のカリグラの像を破壊したと言うが、
それでも「狂気の帝王」として、彼の名はローマの歴史に深く刻まれたのである。
それでも「狂気の帝王」として、彼の名はローマの歴史に深く刻まれたのである。
世界と日本の怪人物FILE
暴虐と狂気に魅入られた者たち