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Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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サッフォー (前612頃~没年不詳)レズビアンの語源にもなったレスボス島の女教師

2018-04-19 04:10:49 | Weblog

今から遥か二千五百年以上も前に、乙女たちを愛し、それを大胆に詩に詠い上げた女性がいた。古代ギリシアの詩人サッフォーである。
「レズビアン」と云う言葉は「レスボス島生まれの女」と云う意味で、彼女の同性愛に由来するとも言われているが、その晩年には、一人の若い男に恋をしたとも伝えられている。

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「レスボス島で花嫁学校を主宰」
 サッフォーの出自は、エーゲ海東部にあるレスボス島の首都ミテュレーネーとされている。
彼女は、オリーブがよく実るこの平和な小島で、紀元前六一二年頃、貴族スカマンドロニュモスの娘として誕生した。
サッフォーには兄弟が三人いた様だが、そのうちの一人の弟が後年、交易に出かけたエジプトで現地の歌姫と懇ろになり、その女の身請けまでした。そこでサッフォーは、彼の行動を戒める詩を送ったこともあったと云う。
彼女たち一家は、当時の政情不安から一時期シチリア島に逃れたこともあった様だが、後にレスボス島に戻り、サッフォーも生涯をここで過ごしている。やがて、彼女はミテュレーネーに私塾を開いた。
これは所謂花嫁学校の一種で、未婚の若い娘たちを集め、当時の教養とされていた竪琴と歌を教えたのだ。
また、この私塾では美と愛の女神アフロディーテを崇拝し、サッフォーもアフロディーテを詠んだ詩を残している。
サッフォーの容姿が美しかったかどうかは疑問だとする説もあるようだが、私塾の中では、彼女自身もアフロディーテなどの女神に準ずる存在とされていたと云う。これは、サッフォーの女性の美に対する飽くなき思いが強かった証とも云えよう。

彼女の詩の多くはここでの体験を元に、女性への憧憬、賛美、また同性愛的な心情を詠ったものだが、私塾内に於ける女性同士の秘密めいた雰囲気が、彼女にそうした詩を創作させたのかも知れない。
若さが匂い立つ様なたくさんの乙女たちに囲まれ、生徒憧れの女教師が詠い上げる甘く情熱的な愛の詩。そこには、ウットリする様な濃密な時間が流れていたに違いない。

とは云え、もちろん恋愛は思い通りにならないことも多い。
彼女は、失恋や別離についても詩に綴っていた様だ。
恋愛に於ける女の喜びや苦悩を、時には深く抉り、時には高らかに詠い上げた彼女の詩は、今でも尚高く評価されている。

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「若い船乗りとの恋」
 実は、そんな彼女も男性と全く縁が無かったわけではない。
若い頃には一度結婚し、クレイスと云う名の娘まで儲けている。
ただ、夫については、彼が富豪で、彼女と一緒によく旅をしていたと云うこと以外、詳しくは分っていない。
また、生涯の最期には、本気でとある男性に恋をしているが、それが悲劇的な結末をもたらすことになってしまう。
相手のパオンは、島の若き船乗りだった。しかし、当のパオンにはその気がなく、彼はサッフォーから逃げる様にしてシチリア島に行ってしまう。
この恋に本気だった彼女は直ぐにその後を追いかけ、船に乗った。
だが、イオニア海のレウカス島に来た時、サッフォーはふと我に返った。
自分はすでに五十五歳、パオンはまだ二十歳そこそこの若者である。
恋の結末は火を見るより明らかだった。
絶望したサッフォーは、アポロンの神殿がある白い岩の断崖に上った。
彼女は最早、美の境地を高らかに詠い上げる気力は残っておらず、遂にイオニア海に身を投げたのだった。
尚、サッフォーの作品の原作はほとんど散逸したと見られていたが、
二十世紀になって詞章の断片が発見され、詩の特色も明らかになりつつある様だ。

           


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