朝の日記で、「次郎物語」と「にんじん」が好きだったって書いたら、何だか懐かしくなりましてね。
私が「次郎物語」を知ったのは、1964年4月~1966年3月までの2年間、毎週火曜日の午後6時~6時25分まで、NHK総合で放映されていたのです。
児童文学作家の下村湖人が自らをモデルにしたと言われる名作「次郎物語」を原作に制作された、少年少女向けドラマでした。
実母が死んだ後、次郎が中学に上がった時に酒屋の父の元に引き取られて、そこで継母を迎えて多くの葛藤をかかえるのです。
昭和初期の軍国主義の波も被る学校生活にも揉まれながらも次郎は次第に内面を見つめながらシッカリと生きて行く様になります。
私は小学校の2年生だったかナ。
次郎役の池田秀一さんと云う子役さんが上手くてね。
継母から受ける数々の嫌がらせやイジメに、まるで私がやられているかの様で、悔しくて悔しくてドラマの度に泣きましたっけ。(T_T)
一人ぼっちの次郎は転ぶ チラチラチラチラ粉雪のあぜ ♪
エーエー、ペギー葉山が歌っていた主題歌もよく憶えています。
池田秀一さんは、昭和24年生まれで、次郎物語に出演していた頃は、中学3年~高校1年だったそうなんです。
今どきの15~16歳は、案外と大人っぽかったりしますが、そうですねぇ~・・・、当時の子どもたちって、身体も小さかったし、実年齢よりか幼く見えていたかも知れません。
でも、凛とした姿は、昔の子どもの方が勝ちですね。
次郎物語の熱演で、長年次郎物語からのインパクトから抜け出せなかったそうなのですが、池田さんは数々の映画やドラマで活躍され、声優として名をあげたのは、「機動戦士ガンダム」のシァア役でした。
ジュール・ルナールの「にんじん」は、小学校3年の時のお正月のお年玉で、自分で買いました。
「にんじん」と云うのは、実の母親が息子につけたあだ名です。
にんじん色の髪の者は、醜くて、性格が良くないと思われていたそうです。
「にんじん」と云うあだ名って、侮蔑の意が込められているのです。
そして、このあだ名が家庭の中でまかり通っていたばかりか、にんじんの本当の名前が忘れられていたのです。
にんじんは、実の母と折り合いつかず、多忙な父からはかまってもらえません。
兄と姉は、遊び相手になったり、時々世話を焼いたりするものの、にんじんを蔑んでいました。
や~・・・ね、私が小学校の低学年の時に、父がとっても恥ずかしいあだ名を私につけたのです。
いくら子どもだって、実に屈辱的でした。
そのこと一つにしたって、私はどれだけ父親を憎んだことか・・・。
結婚してからも、まだ盆と正月くらいは主人と共に里帰りをしていたんですが、その時にでも、主人が居るのにポロッと例のあだ名を云うワケです。
それと、弁解の一つもしなかった私がいけなかったのか、ウ~ン・・・、実は言い訳などしたら尚ヒドク言われるから言わなかったのが正直なところなのですが、私が友だちを虐めたなどと、身に覚えの無い事を言うのです。
まあ色々あったのですが、私は実家に寄りつかなくなりました。
その間に、今年の8月に父は亡くなったのです。
親を亡くして悲しくはない子などいないって私は思いますが、先の日記にも憚らずに書いた様に、父が亡くなってから私は妙なコンプレックスとかトラウマから解放された気持ちでいっぱいでした。
父が怒鳴る気力も体力も無くなった死の間際に、母が「子どもらが寄り付かないワケを考えてみろッ!」と言ってやりたかったと言っていたけれども、一般、オヤジは兎も角さ、母親が好ければ子どもは親を忘れないって思います。
私は心の底でどれだけ父を憎んでいたか・・・と思い起こすのですが、本当は母に対してだったのかナって今は思っています。
あんな女が、私の実の母親なんだよナ・・・と、不思議な感じなんですよ。(Θз-)-3

私が「次郎物語」を知ったのは、1964年4月~1966年3月までの2年間、毎週火曜日の午後6時~6時25分まで、NHK総合で放映されていたのです。
児童文学作家の下村湖人が自らをモデルにしたと言われる名作「次郎物語」を原作に制作された、少年少女向けドラマでした。
実母が死んだ後、次郎が中学に上がった時に酒屋の父の元に引き取られて、そこで継母を迎えて多くの葛藤をかかえるのです。
昭和初期の軍国主義の波も被る学校生活にも揉まれながらも次郎は次第に内面を見つめながらシッカリと生きて行く様になります。
私は小学校の2年生だったかナ。
次郎役の池田秀一さんと云う子役さんが上手くてね。
継母から受ける数々の嫌がらせやイジメに、まるで私がやられているかの様で、悔しくて悔しくてドラマの度に泣きましたっけ。(T_T)
一人ぼっちの次郎は転ぶ チラチラチラチラ粉雪のあぜ ♪
エーエー、ペギー葉山が歌っていた主題歌もよく憶えています。
池田秀一さんは、昭和24年生まれで、次郎物語に出演していた頃は、中学3年~高校1年だったそうなんです。
今どきの15~16歳は、案外と大人っぽかったりしますが、そうですねぇ~・・・、当時の子どもたちって、身体も小さかったし、実年齢よりか幼く見えていたかも知れません。
でも、凛とした姿は、昔の子どもの方が勝ちですね。
次郎物語の熱演で、長年次郎物語からのインパクトから抜け出せなかったそうなのですが、池田さんは数々の映画やドラマで活躍され、声優として名をあげたのは、「機動戦士ガンダム」のシァア役でした。
ジュール・ルナールの「にんじん」は、小学校3年の時のお正月のお年玉で、自分で買いました。
「にんじん」と云うのは、実の母親が息子につけたあだ名です。
にんじん色の髪の者は、醜くて、性格が良くないと思われていたそうです。
「にんじん」と云うあだ名って、侮蔑の意が込められているのです。
そして、このあだ名が家庭の中でまかり通っていたばかりか、にんじんの本当の名前が忘れられていたのです。
にんじんは、実の母と折り合いつかず、多忙な父からはかまってもらえません。
兄と姉は、遊び相手になったり、時々世話を焼いたりするものの、にんじんを蔑んでいました。
や~・・・ね、私が小学校の低学年の時に、父がとっても恥ずかしいあだ名を私につけたのです。
いくら子どもだって、実に屈辱的でした。
そのこと一つにしたって、私はどれだけ父親を憎んだことか・・・。
結婚してからも、まだ盆と正月くらいは主人と共に里帰りをしていたんですが、その時にでも、主人が居るのにポロッと例のあだ名を云うワケです。
それと、弁解の一つもしなかった私がいけなかったのか、ウ~ン・・・、実は言い訳などしたら尚ヒドク言われるから言わなかったのが正直なところなのですが、私が友だちを虐めたなどと、身に覚えの無い事を言うのです。
まあ色々あったのですが、私は実家に寄りつかなくなりました。
その間に、今年の8月に父は亡くなったのです。
親を亡くして悲しくはない子などいないって私は思いますが、先の日記にも憚らずに書いた様に、父が亡くなってから私は妙なコンプレックスとかトラウマから解放された気持ちでいっぱいでした。
父が怒鳴る気力も体力も無くなった死の間際に、母が「子どもらが寄り付かないワケを考えてみろッ!」と言ってやりたかったと言っていたけれども、一般、オヤジは兎も角さ、母親が好ければ子どもは親を忘れないって思います。
私は心の底でどれだけ父を憎んでいたか・・・と思い起こすのですが、本当は母に対してだったのかナって今は思っています。
あんな女が、私の実の母親なんだよナ・・・と、不思議な感じなんですよ。(Θз-)-3
