太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

和柄のエプロン

2021-08-10 07:52:17 | 日記
シュートメが買ってきた和柄の布地。(「日本人だから和柄が好きか」の記事はコチラ

私が絵の創作のときに使っている、日本の100均で買ったエプロンを型紙にして、
シュートメが本当にエプロンを縫ってくれた。

和柄の布地


柄の中の赤い花と呼応して、赤のトリミングをしたポケットと紐がアクセントになって、思いのほか素敵にできた。

エプロンは絵を描くときしか使わなかったけど、料理のときも掃除のときも使ってみようかなあと思う。
自分では絶対にやらないだけに、感謝でいっぱい。




ありゃ失敗だった、と思うこと

2021-08-09 16:34:20 | 日記
人生に起きたことについて、私は後悔しないほうだと思う。
あのときああしなければ、ああすれば、と思うことはあるが、
それが大きなことであるほど、「まあいっか」と思えるお得な性格。
しかし、いやーありゃ失敗だった、と思うことはある。


17年前、電話をかけてくる相手によって、着信メロディを替えるのが流行っていた。
私も、当時付き合っていた相手の着メロを『未来予想図Ⅱ』にしていた。
今、果たしてそういうことをしている人たちがいるのだろうか。

離婚したあと、その相手とは2年ほど交際していたが、
楽しかったのは最初の3か月で、残りは前の結婚時代と同じぐらいみじめだった。
電話をしたいと思ったら、「電話してもいい?」とまずメールで確認してから、というみじめ加減。
その反面、相手からは待て暮らせどかかってこない。

♪ きーっとー 何年たーってもー ♪

鳴らない未来予想図の代わりに、口ずさんでいたあの頃の私は、気の毒を通り越してアホだ。
どうしてそんなみじめな自分を許していたのか腹がたつ。
結婚さえしたら、この歌詞のように幸せになるのだと信じていたことに心から同情する。

あの出会いは必要だったとわかっているが、そのあとの2年のオマケは必要だったのだろうか。
私がアホゆえにむだに引きずった2年ではなかったか。
思えば、私は幸せな恋愛など1度もしたことはなかった。
心から安心していられるのは、今の夫が初めてだ。
今の夫とは、最初っからどこにも力が入らなくて、なんの駆け引きもなく、
自分も相手の気持ちも明快で、ただ楽しいだけで、私が知っていた恋愛とはまったく違っていた。


とにかく、おかげで今でも未来予想図Ⅱを聞くと、いやぁーーーな気持ちになる。
いい歌なのに、カラオケでも歌いたくない。

恋愛のピークに要注意。
浮かれて相手の誕生日をパスワードにするなんてことはしないほうがいい。
パスワードなら変更すればいいが、相手の名前をタトゥにするなどもってのほかだ。
昔の彼女の名前を彫ってしまい、別れたので、その上に違うものを彫って消したつもりが、時間がたったら下の名前が浮き出てきたという人を知っている。
永遠。なんてものは滅多にないと思っていい。


若ければ若気の至りだろうが、
未来予想図Ⅱのときの私はすでに40を超えていたのだから、我ながら呆れてものも言えない。
Love is blindである。






ジェシカ・ロング

2021-08-07 08:00:51 | 日記
印象的なコマーシャルが流れている。

電話の呼び出し音が鳴る。
「ミセス ロングですか?」
「はい」
「あなたが養子に迎えたいとご希望の、女の赤ちゃんがいるのですが、彼女についてお話しなくてはならないことがあります」

そんな会話で始まる。

「彼女はシベリアにいます。でも生まれつき、両足に問題があって、両足の一部を切断しなくてはならなかったのです。
彼女の人生は、平坦なものではないでしょう」

それを受けて、ミセス ロングは言うのだ。

「確かに、平坦な人生ではないでしょうけど、だけど、きっと素晴らしいものになると思うわ。
その子に会うのが待ち遠しいわ!」

ジェシカ・ロングはパラリンピックの水泳選手だ。
両ひざの少し下から脚がない。
ジェシカはとても美しく、輝いている。


自分の子供であっても、両足の一部がない子供を育てるのは並大抵ではないと思う。
養子なら、その子供を選ばない、という手段もあったのに、そうしなかったロング夫妻の心の深さに、私はただ圧倒される。
それは私には到底たどり着けない高い山。

夫妻の愛に包まれて、ジェシカは明るく強く育ち、水泳選手になった。
パラリンピックも見逃せないと思う。
ジェシカを見たら、ロング夫妻を見たら、私は泣くだろう。



日本人だから和柄が好きか

2021-08-05 07:22:08 | 日記
シュートメが、布地屋に妹とともに行った際に、私のために布を買ってきてくれた。
紺色のベースに、猫のシルエットと月、梅の花のパターンが染められた、いわゆる和柄。
人気柄で、3ヤード残っていたのを全部買ってきた。

和柄は、けして嫌いではないが、すごく好きというわけでもない。
和柄だから買う、ということもない。
けれど、シュートメはじめ、周囲の人々は私が日本人だから和柄が好きだと思い込んでいるのだ。
義両親がビッグアイランドに行ったとき、着物の布で作られたマスクを買ってきてくれて、
それを職場でつけると、

ああ、日本人だからそういう柄が好きなのね

という認識を深めることになるのだと思う。
そういう私だって、中国人にはなんとなく中華ぽいものをあげようと思うかもしれないし、人のことは言えないのだが。


和柄は、とりたてて好きではないけど、
「きっとあなたが気に入ると思って」と私が喜ぶのを期待されて言われたら、

「わー、すてき!大好き、これ」

と言ってしまうのが私である。
それがために、私は和柄が好き、という誤解を深めてゆくのだといことも承知している。
シュートメのように、自分が気に入らないものは絶対に身に着けないし、
時間をおいてから、それをくれた人にさりげなく返す(あなたのほうが似合うと思って、などと言って)ことができたら、どんなにいいだろう。

「エプロンなんか、どうかしら」

エプロンなら家の中だけだし、確かにカワイイかもしれない。
が、私の洋裁のセンスのなさを、シュートメは知らない。

「私がどんなに不器用か知らないでしょう。直線縫いしかできないんだよ」

「私が縫ってもいいわよ」

それはありがたい。
夫に話すと、型紙のパターンを買ってきて、それを元にママに教わりながら作ればいいじゃん、と言う。
いや、洋裁を覚えたいとはツユほども思わないぐらいの痛い失敗を重ねてきたから、それは却下。

日本人なのに和柄が好きではないのが悪いのか、
NOと言えないこの性格が悪いのか、
不器用なのが災いしているのか、そこそこ悩ましいのである。









猫が3匹

2021-08-03 07:17:45 | 日記
コーちゃんが来て、1週間。
最初は警戒し、「フー!」と言っていたチーズケーキ達だが、今は一緒に遊ぶ仲。
社交的で好奇心が強いコーちゃんの性格が幸いしたと思う。

昨日、チーズケーキのオスの方が、コーちゃんを舐めていたのを見て感動した。
オスは遊ぶのが好きで、遊びを仕掛けては、クールなメスに怒られていたけど、
コーちゃんとは存分に追いかけっこをして遊べる。
コーちゃん用の爪とぎ(丸くて淵にボール入り)で、オスが遊んでいたりする。
中年だけど、心は少年なのだな。

メスは相変わらずクールだが、以前のように毛嫌いはしない。
自分がくつろいでいるところにコーちゃんが近づくと、小さく「フー!」と言うけど。

コーちゃん

なんでもおもちゃになる

すっかりコーちゃんのおうち


野良猫だったなんて、と思うほどの家猫ぶり。
チーズケーキ達も野良猫だったんだった。
生後3週間にもならないときに、放置されて鳴いていたのを見つけた。
3匹のうち、1匹は生き延びられなかったけど、6年遅れて3匹目が姿を変えてやってきたのかも。

「あんたのママはどこにいるのかねえ」
ソフィアのことを思わない日はない。
毎日、ソフィアのゴハンをデッキに置いておく。
朝になるとなくなっているのは、ソフィアが来ているのだと思いたい。

のびのび

この家猫ぶりを、ソフィアが見たらどう思うだろう。

あとの2匹は、優しい韓国人の夫婦が舐めるようにかわいがっていて、
1匹は、優しい高校生の女の子が、クラッカーという名前の三毛猫と共にかわいがってくれている。(仔猫の名前はチーズというらしい)

この仔猫たちが野良猫でいたら、今も職場のジャングルや草むらにいて、
ノミまみれ、お腹に虫をもったまま暮らしていたのだろう。

「コーちゃん、僕らの人生に来てくれてありがとね、あと20年、みんなで楽しく暮らそうね」

夫もコーちゃんにメロメロで、1匹引き取ることになったとき、
「去勢もしてあるなら、ソフィアに返してあげればいいんじゃない」
という発言をした同一人物とは思えない。


互いにいがみ合うこともなく、平和に暮らすことができて大感謝。
3匹の猫がいる生活は、とっても楽しい。