母国語が違う夫婦の多くは、暮らしているうちに独自の言語形態ができてくるのではないかと思う。
どちらかが相手の言葉を母国語並みに操ることができる場合は、その限りではないだろうけど。
ちなみに我が家の日常の会話はほぼ英語だが、日本語特有の単語は、日本語のまま。
「ただいま」とか「おかえり」とか、「いただきます」「ごちそうさま」「おつかれさま」といった単語がそれだ。
しかし、うちの場合、その英語の会話の語尾が時たま変になる。
同意を求める時、日本語だと語尾に「ね」をつける。
「今日は暑いねー」
その語尾だけが、英語のあとにつくことがあるのだ。
「Its warm today ね~」
「This is much bigger than I thought ね~」(思ってたよりずっと大きいよねえ)
英語にも「Isn't it?」といった同意を求める言い方があるけど、夫すらそれを使わず「ね~」と言う。
日本にいたとき、奥さんが日本人の夫の同僚がいて、ときどき夫婦でうちに遊びに来ていた。
奥さんは英語がペラペラで、英語はてんでダメだった私は3人の会話を呆然としながら眺めていた。
彼らはカリフォルニア州に移住することが決まっていた。
奥さんが、
「家だと、二人だけに通じる会話が確立されつつあって、あっちに行ってからそれが出ちゃったらって不安になるよ」
と言って、それがどんなふうに変なのかを説明してくれたのだけれど、
その説明すら私にはよく理解できなかった。
よくまあ、そんな程度でガイジンと結婚したもんだ。
それは勇気ではなく、向こう見ずといったほうがいいだろうが、人生にはそういう向こう見ずなことが必要なこともあるのだ。たぶん。
あれから15年。
あのとき奥さんが言っていたことは、こういうことかと腑に落ちた。
そして私は職場で同僚相手に、つい「ね~」がポロリと出てしまうことがあり、
あの人もカリフォルニアで冷や汗をかいているのだろうかなあ、と思ってみたりするのである。